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一話


 天高く馬肥ゆる秋。

 爽やかな秋晴れの空に心地良い風。河川敷にでも腰掛けてぼーっとできれば幸せなのだろうが、俺の日常はそこまで優雅ではない。積み上がる書類、次々に起こる問題に奔走する毎日を送っている。

 まぁ、忙しさには慣れたが弊害はいくつかある。曜日感覚の欠如はその最たるものだろう。


「千景さん、そのボウルを取って頂けますか?」

「これ? はい」

「ありがとうございます」

「……ちかげちゃん、みずはぜんぶいれていいですか?」

「一気に入れると混ぜにくいので少しずつが良いと思います」

「……わかりました」


 今日は日曜日。

 キッチンからは足音に金属のこすれる音、そこにちびたちの甲高いお喋りが加われば姦しさも一入になる。


「生地は発酵させるために少し休ませます。その間に抜型を作りましょう」

「……ぬきがた?」

「金属の型を使うのではないんですか?」

「自分で作るのが楽しいですよ。牛乳パックにペットボトル、工夫次第で何でもできます」

「……ちかげちゃん、すごい、です」

「強敵ですね」


 届く声は楽しそうだ。

 しかし、できれば別の部屋でしてもらいたい。


「諦めるか……」


 午前中は潰れたと思うことにしよう。気分を変えるべくテレビを点け、ニュース番組を眺める。

 無駄に爽やかなアナウンサーが時事を読み上げる。秋の行楽シーズンに入り、巷は浮かれているという。

 丘陵を埋める秋桜、棚田に咲く真っ赤な彼岸花、どこまでも青い空。人出が多いのなら殿下を連れだす機会もあるだろうか。護衛は少し面倒かもしれないが変装すればバレない。貸切るよりはマシだろう。

 三人まとめて連れ出すのは骨が折れる。誰かを贔屓をすると千景には泣きながら噛みつかれ、ノーラは真剣な眼差しで問い詰めてくる。バランスをとることが難しい。

 

 どうしたものか、と考えていると画面が切り替わる。報道特集と題され、電力の値上げに抗議する内容が流れる。

 生命線ともいえる需要を支えるのは水力、原子力とあるのだが、割合的には火力に比重が置かれている。火力も設備によって内情が違い、天然ガス、石炭、石油と主に三種類ある。依存度が高いのは天然ガスと石油で、九九パーセントが中東からの輸入だ。

 

 中東は争いの絶えない地域、一度戦火となれば輸入は止まる。国内の電気事業連合会は共和国から石炭を、ロマノフから天然ガスの輸入を望んでいた。より近く、より安価な燃料があれば電気料金は安くなる。結果として産業全体が活性化するというのだ。


「まぁ、そうなるよな」


 新たな輸入先はいい。

 分散できればリスクも回避できる。だが、本当に上手くいくのだろうか。


「ロマノフ……」


 強大な連邦が商売だけに応じるだろうか。

 売るだけで終わってくれるはずがない。仕掛けてくるのではないか、という疑惑に駆られる。

 原因はロマノフの狡猾さにある。少し前になるが、北海道稚内に駐留する海軍施設にロマノフからの亡命があった。


 第一大隊長青山総司から連絡があり、外務省や軍部へ便宜を図るように具申したが詳しい資料は俺の手元まで来なかった。

 鷹司の話では高度な政治的取引がなされ、日本にいたのは数日。それからすぐにハワイ経由で米国へと渡ったことだけを知ることはできた。直接対面した青山は軍部総司令から口外を禁止され、鷹司すら詳細を知らずにいる。

 

 どれほどの重要機密が語られたのか、俺では知ることができない。

 ロマノフはしばらくのあいだ領海付近をうろちょろしたようだが、外務大臣が亡命を否定したこと、追求できる証拠が乏しかったことから政治的にはダンマリだった。しかし、北海道沖ではロマノフの軍艦が領海侵犯ギリギリのラインで挑発し、奥尻の第一大隊や海軍、空軍は疲弊を強いられた。その他にも共同開発をしていた深海底熱水噴出孔の試掘を一方的に打ち切り、民間の技術協力が止まった分野も多い。政治の意向が全方位へと拡散しやすいことを物語っている。


「単なる嫌がらせか、あるいは流出したものが大きかったのか。米国への移送の速さから考えると喉から手が出るほどほしいものか、パワーバランスを崩しかねない技術……」


 革新的技術では真っ先にエネルギー関連が浮かぶが、ロマノフで新技術というのは考え難い。あの国は資源大国、石炭に天然ガス、石油と困ることがない。そんな中でエネルギー分野を開拓する意味が薄いからだ。


 米国が欲しがるもの、という視点だとパワーバランスを崩すものは限られる。

 通常戦力、例えば陸海空軍で使うのものは戦局の決定打になりにくい。量産されることで戦局を覆すもので真っ先に思いついたのは電磁投射砲の完成なのだが、これは米国でも研究が進んでいる。ほどなく完成するものを欲するとは考えにくい。


 バイオテロを狙った空気感染するエボラや炭疽菌も考えられるが、世界中から非難を浴びて袋叩きにあうだろう。いくらロマノフでも世界を相手には戦えない。そうなると、残るは航空宇宙の分野になるのだが、俺にはそこまで読み切れなかった。


「兵器と断定するのも早計……。あと米国よりもロマノフが先んじている分野だと遺伝工学、脳科学……」


 思考を巡らせていると背中に重みを感じる。


「考え事ですか?」

「ノーラ」


 肩にしな垂れかかる銀髪の幼女、いや体つきはもう立派な女性のそれは幼いとは言い難いのだが、年齢的にお子様なのが救いだ。


「色々とね」

「あら、お話ししてはいただけないのですか?」


 首に絡みつく腕が喉を擽る。

 小動物をあやすような手つきは止めてほしい。


「ノーラ! あなたはいつも……」

「……のーらちゃん」


 後れをとった千景が俺の腕を取り、ちび殿下は膝の上に収まる。

 胃が重くなってきたのは気のせいではない。


「平蔵、ノーラとなにを話していたの? 包み隠さず言いなさい」

「……いいなさい」


 千景は眦を吊り上げ、殿下は楽しげに笑っている。

 三者三様、元気があって大変よろしい。


「千景様、クッキーの出来栄えは如何です? 以前のような黒焦げを食べたくはありませんよ」


 昨年のクリスマスは真っ黒になったクッキーを腹いっぱい食べる羽目になった。あれから数回使っただけで俺なら温めるだけのオーブンレンジを千景は自分のものにしてしまった。どちらが部屋の主なのか分からなくなってしまう。


「大丈夫よ。今回はタイマーもセットしてあるし、温度調節も完璧。心配しないで。それより……」


 千景が腕を引く。


「質問にまだ答えていないじゃない」

「大したことではありませんよ千景様。スケールが大きな問題を憂いていただけです」


 テレビ画面に目を向ければ、日本の食料自給率について有識者たちが熱弁をふるっていた。

 コロコロと話題が変わるので有り難い。


「ふーん。自給率ですか……」

「楽しくないだろ?」

「あら、ヘイゾウさんと語らうなら、なんでも楽しいですよ」

「そうかい」


 にこやかに笑う姿はもう年頃の女の子。去年までは幼さが残っていたのに、今はもうすっかり大きくなってしまった。

 無意識に膝の上にいる、先日ようやく一四〇センチになったばかりのちび殿下に目を向けた。


「……どうか、しましたか?」

「将来が心配になっただけです。もう少し成長していただかないと。身長はせめてノーラに並んで、スタイルは千景様を見習っていただきたいものです」

「!」


 つい出てしまった本音に千景とノーラは瞳を大きくする。

 対照的にちび殿下は頬を膨らませた。


「……すこし、おおきくなりました」

「存じております。大きくなられたのは喜ばしい限りですが、平均までは一〇センチも足りません。もっと食べて、よく寝て、健康に過ごしていただかなくては」

「……わかって、います」


 柔らかい頬を揉んで空気を出す。

 不機嫌な顔もまた愛らしい。


「ヘイゾウさん!」

「平蔵!」

「なに……か?」


 急に不機嫌になったノーラと千景が体を揺する。

 今回はバランスというよりも距離感を間違えたらしい。


「私にも頬をむにむにしてください!」

「ノーラ、抜け駆けはなしよ! 平蔵、私も!」

「順番でもいいですか?」


 キッチンから漂う甘い香りに姦しさが合わさる。

 胸焼けがしそうな、幸せとも呼べる時間はもう少し続きそうだった。



     ◆



 帝都の中央部、九段にもほど近い文京区にある病院には物々しい警備が配されている。

 皇族や近衛も受診に訪れる施設なのだから不思議ではないのだが、今日は意味合いが違っていた。日本人の警備と一緒にダークスーツが並べば異様にも映る。


「どうも、ご苦労様です。差し入れをお持ちしました。皆さまでお召し上がりください」


 居並ぶ面々に挨拶をしてしてから、両手に抱えてきた箱を責任者へ渡す。中身は冷えたゼリードリンク、休憩室には有名な果実専門店の生菓子を届けてある。


「これはこれは……いつもありがとうございます」


 こうすることでいち早く顔を覚えてもらえ、出入りが楽になる。

 同じことをダークスーツの面々にもしていると、最初のうちは警戒心が優るが二度三度と続けるうちに緩んでくる。贈り物や見舞いの品、現物の威力というのは今も昔も変わらない。


「まぁ、俺の金じゃないしな」


 こうした「心配り」を継続するには金が必要なのだが、近衛は経費で落ちる。やっておいて損はない。

 物々しい雰囲気のロビーを抜け、上層階を目指す。待合室には浅黒い肌に外の連中と同じダークスーツの人物が神妙な顔で診断書を見ていた。

 それは誰でもない白凱浬。


「お疲れ様です」

「貴様か……」


 一礼して、白凱浬の向かいに座った。

 大陸第一位の武官は一度だけ視線をこちらに向けてから診断書に戻る。


「以前のように驚いてもらえないのですね」

「貴様が来る日は部下への差し入れが用意されている。診察に時間がかかる日だけを狙ってな。何度目かになれば慣れもする」

「お嫌いですか?」

「本国ではままある。この国では珍しい。部下も喜んでいる」

「それはよかった」


 視線を合わせることもなく話す。

 必要以上に慣れ合うことはない。重要なのは信頼と距離感だ。


「お体は如何ですか?」

「万全、とは言えない。身体機能に問題はないが、水の使役が弱いままだ」

「薬の後遺症……でしょうか」

「だろうな。医者がいうにはかなり長い間混ぜられていたことは確かだ。それも知らないうちに量が増やされていたらしい。気付かなければ五年と持たなかっただろう」


「薬によって固有能力は高まるのでしょうか」

「ある程度は可能だろう。集中力はあがり、心拍数も高くなる。高揚感は脳のリミッターを外す。今考えてみれば、私の固有は限界以上に高められていたといえる」

「加えて敵国にいるという危機感、主への焦燥、絶対的な使命。良く仕組まれています」

「……その通りだ」


 白凱浬が診断書を投げて寄越す。

 後遺症は脳だけでなく肝臓や心臓にも及んでいた。心肥大に肝機能の低下、免疫系もダメージがあるらしい。


「薬の供給元はどちらへ?」

「足取りはつかめん。この国には私も知らない拠点がいくつもある。追うことは難しい」

「困りましたね」


 白凱浬を操っていた人物、麻薬入りの天王丸を作り、鷹司にさえ膝を着かせた男は忽然と姿を消した。同志であるはずの人間を見捨てた理由はいまだ解明されていない。


「本国への影響は如何です? 彼が国の中枢とつながっている可能性は否定できません」

「念を入れてある。私や皇帝陛下の腹心に根回しをしておいた。万が一でも安全に国外まで脱出させる手筈になっている」

「ありがとうございます」

「雨彤様のことには代えられない」


 今度はこちらが白凱浬に書類を手渡す。


「欧州理事会に確約を取り付けました。スイスへの留学は許可されましたよ」

「!」


 白凱浬が顔を上げる。

 細い目が見開き、書類を穴が開きそうなほど凝視していた。


「欧州、それもスイスにいれば暗殺の危険は低くなります。今回は通常の外交ルートなので公にもされます。手は出しにくいはずです」

「……すまない」

「大分積みましたから、通ってもらわなければ困ります。どうしてもお礼を、というのならば騎士王と城山先生、それに鈴木大臣にしてください」


 浅黒い肌が歓喜に震える。

 旧皇帝一族の長子、白凱浬が忠誠を誓う雨の安全はこれで保障されたことになる。


「留学先は日本にしたかったのですが、現状では難しいものでした。次善策になったことをお詫びします」

「十分だ。身の安全が保障される場所であるならば欧州も日本も違いはない」

「ありがとうございます」


 白凱浬も忠誠を誓った相手にはからっきしだ。

 弱点というのは作らないに限る。


「報告は以上ですので、私はこれで失礼します」

「……榊」

「はい?」

「本国から指示があった。土地を買収し、拠点を作れと命がきている」


 表向きの白凱浬は城山英雄が支援し、共和国への技術供与を目的とした浄水設備会社の取締役ということになっている。

 共和国も会社の設立という手段には驚いたようだが、彼らからすれば適切に金が入り、損さえしなければ良いのだろう。あるいは、雨彤から白凱浬を遠ざけられればそれでいいのかもしれない。


「どうする? 城山は難色を示しているから時間稼ぎはできるだろうが、それも有効とは言い難い。いずれは進めることになる」

「引き延ばしのタイミングはお二人にお任せをします。私からは国内法に則って進めていただきたい、というだけです。法整備の進んでいない今、土地買収を防ぐ方法はありません」

「いいのか?」

「これは日本の問題です」

「分かった。引き続き報告はしよう」

「城山先生にもお願いします」


 再度一礼をして病院を後にする。

 時計を見れば時刻は夕方に近い。

 さて、戻って仕事の続きをしよう。


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