実験的短編企画 榊の顛末書(六)
時刻は一九時を過ぎても空はまだ明るい。
連日の酷暑に突然の雨、まるで熱帯のスコールのような土砂降りの後は湿気が大気に溢れて不快指数はうなぎ上りとなる。
「あっつい」
こんな日に限って鷹司の執務室に備え付けられているエアコンは故障中となっている。汗で手に貼り付く書類に四苦八苦していると執務室の扉がノックされ、小さな顔が覗く。
「……さかき」
俺の姿を確かめると御子服の日桜殿下が入ってくる。
恭しく出迎えれば笑みを見せてくれる。隣を促すと素直に座り、袖を引く。そういえば、殿下は一年前と比べるとずいぶん笑うようになった。
「どうかなさいましたか?」
「……さかきのかおが、みたくなりました。だめ、ですか?」
「物好きですね。審美眼を疑われますよ?」
「……そういういいかた、いけません」
「失礼しました」
頬を膨らませる。
このくらいはいつものやりとりだ。
「……いっしょに、ごはん、たべようとおもいました」
「承知しました。ではすぐに終わらせますから、少しお待ちください」
用件は食事のお誘い。
この後は特に予定もないので大丈夫だろう。
書きあがっている書類を印刷するべく、パソコンを操作していると、手元をちび殿下が覗き込む。
「……なんですか、これ?」
「ご覧の通り、膝枕を賜った顛末書です」
「……てんまつしょ?」
不思議そうな顔をする。
まぁ、本人の前ではあまり書かない。
「御所の会見場でされたとき、護衛の何人かに見られましたから、仕方ありません。できれば自粛いただきたいものです」
「……みられたから、じしゅく」
眉根を寄せて思案している。
嫌な予感しかしない。
「殿下、あのですね……」
「……では、みられないところで、しましょう」
釘を刺そうと思ったのに先手を打たれる。これはあまりよくない。そう思っていると正座をし、ふとももをぺしぺしし始める。
「……さぁ、さかき」
「あの、そういう問題では……」
「……ここには、だれもいません。はやく」
「やれやれ」
ほころぶ顔に嘆息しながらひざを折り、栄誉を賜る。
人間、あきらめが肝心だった。
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七月八日
鷹司霧姫殿
氏名 榊平蔵
処理番号 三九七番
顛 末 書
七月七日に発生した、日桜第一皇女殿下膝枕の件につきまして以下の通りご報告いたします。
記
1.状況や内容
日時:七月七日二〇時頃
場所:御所 会見場の控室
2.経緯
一九時三〇分帝国芸術院の方々との会見後、日桜殿下が会見場に飾ってあった笹に願い事を書きたいとお申し出がありました。
短冊に願い事をお書きになられ、笹の天辺付近に飾りました。その際、七夕について説明申し上げたところ、控室に呼ばれることとなりました。
3.原因
七夕の経緯、大陸から由来した伝説、織姫と彦星についての詳細をご存じではありませんでした。
僭越ながらご教授申し上げたところ、そのお礼ということで賜る結果となりました。
4.再発防止策
経済や国際情勢の修学を重視されることも大切かと存じます。しかしながら日桜第一皇女殿下の年齢を鑑みるに情緒や一般的な知識も今後は必要です。
公務などはお歴々にお任せをし、元服までを学校で過ごされるのが健全と愚考いたします。ご一考いただけますと幸いです。
以上
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七月九日
鷹司霧姫殿
氏名 榊平蔵
処理番号 三九八番
顛 末 書
七月八日に発生した、日桜第一皇女殿下密着接触の件につきまして以下の通りご報告いたします。
記
1.状況や内容
日時:七月八日一三時頃
場所:台東区上野 国立博物館東洋館展示室
2.経緯
国立博物館東洋館の改築に伴い、皇家収蔵品の一部が寄付されたことから日桜殿下が視察されることとなりました。
側役として同行した際、館内の冷房が強かったこと、日桜殿下の体調が思わしくなったことが重なったため上着をご用意いたしました。
3.原因
日中、屋外の暑さから発汗が多く、館内の不完全な冷房と相まって急激に体が冷えたこと、水分を多量にとったことも原因と考えられます。
4.再発防止策
事前に館内の温度を測定、警護や側役への周知が重要になります。
また、日桜殿下の場合は真夏であっても薄いものから厚手のものまで用意することが望ましいと考えます。
次回より同行、警護をされる方々への周知徹底をお願いいたします。
以上
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草木も眠る夜、御所内にある日桜殿下の寝所は都会の喧騒からも遠い。
畳敷きの部屋に布団は二つ、片方には日桜、もう片方には立花直虎がいる。
日桜はことあるごとに直虎や霧姫、優呼やエレオノーレを呼んで寝るまでの時間を共有することが多い。
「……なおとら、てんまつしょ、とはなんですか?」
「顛末書ですか?」
主の口から出た言葉に忠実なる臣下はわずかに悩み、
「仕事上で起こった事柄を上司に報告するためのものです。榊殿は日桜殿下の側役でありますので上司である霧姫様への報告書という形で作成されていたものと思います」
「……さかきから、きりひめへ……」
直虎はできる女だ。
顛末書が事故や不祥事、トラブルに関するもの、とは言わない。いや、いえない。
あまり深入りをされても困ると考えた女剣士は慌てて話題を変えるべく口を開く。
「殿下、きょうはなにか良いことはありましたか?」
「……さかきが、だっこしてくれました」
暗くて顔は見えないのに表情の予想がついてしまう。
「よろしかったですね」
「……はい。あたたかかった、です。それに……」
「それに?」
「……いいにおい、しました」
「匂いですか」
「……はい、さかきのにおい、です」
言葉を交わす姿はまるで親子のようですらある。
日桜の瞼が閉じるまで寝物語は続くのだった。