実験的短編企画 榊の顛末書(一)
季節は七月。
梅雨も明け、夏を迎えた帝都では蝉が鳴いている。
近衛に入ってから約一年、最近は鷹司の手伝いばかりだ。
「榊」
「はい」
「昨日の顛末書をだせ」
不意に、書類に署名と捺印をしながら鷹司が話しかけてくる。
何かと思えばいつものやつだ。
「おっしゃる意味が分かりかねます」
「わかるだろう。下手な白を切るな。膝枕だ」
「……」
嘆息して保存してあるフォーマットを開いた。
もはや形骸化して久しいのに上司は飽きることなく要求してくる。
顛末書を作ることは五分もあればできるのだが、情報の出所が気になるところだ。
「最近は特に多いぞ。気を付けろ」
「できれば副長からもお諫めいただけると助かるのですが……」
「私が望むのは殿下の慶福、そのための犠牲は構わないと考えている」
出所はあのちび殿下自身だ。
今朝は鷹司と一緒だったから喜々として話したのだろう。困った主様だ。
「でしたら、そろそろこの顛末書を免除していただけませんか?」
「ダメだ。貴様はまだ入って一年あまり、付け入る隙を与える訳にはいかん」
誰に、とは聞けない。
近衛も一枚岩ではないし、鷹司のいうことも分かる。
しかしだ。自分が聞いただけ、第三者の目に触れないものならば見逃してくれても良いだろうに。
横目で見れば上司は剣呑な眼差しをしている。顛末書を書かせる理由に心当たりがあった。
「副長」
「なんだ?」
「膝枕くらいしてもらえばいいでしょう。殿下ならしてくれますよ」
「……うるさい」
「私を憂さ晴らしに使うよりも建設的かと存じます。言いにくいのならば私から具申しましょうか?」
「榊」
「はい?」
「調子に乗るな」
「っ!?」
いつの間にか立ち上がり、背後に回った鷹司の腕がするりと首に回って締め上げられる。
たちまち呼吸はできなくなり、本能が悲鳴を上げた。
「ちょ、ふくちょう!」
「建設的? 具申? なにをどうするというのだ?」
「書きます! 顛末書、書きますから!」
首に回された腕を叩き、懸命に訴えると大蛇のような締め付けがようやく和らいだ。
「げほっ、ごほっ……」
「榊、口は禍の元だ。よく覚えておけ」
「しょ、承知しました」
自分の椅子に戻る鷹司に安堵のため息を漏らす。
助かった。この様子だと夜、俺のベッドに入り込まれたことはバレていないらしい。
「はぁ……」
何度目か分からない溜息をつきながら顛末書を書き始める。
書類番号はちょうど四〇〇、一年で随分増えたものだ。
ふと、昨年書いた最初の顛末書を呼び出してみることにした。
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六月八日
鷹司霧姫殿
氏名 榊平蔵
処理番号 〇〇一
顛 末 書
六月七日に発生した、日桜第一皇女殿下膝枕の件につきまして以下の通りご報告いたします。
記
1.状況や内容
日時:六月七日二〇時頃
場所:御所 日桜殿下の寝所
2.経緯
鷹司副長が会議とのことでしたので僭越ながら日桜殿下の護衛をすることとなりました。
護衛の際、日桜殿下から膝枕を強く勧められ、主命を断り切れず結果として賜ることとなりました。
3.原因
当日は近衛勤務初日ということもあり、また、鷹司副長からの突然の呼び出しも重なり、疲労が蓄積していました。
私、榊が勤務初日ということは日桜殿下もご存じであり、気を使っていただいたものと推察されます。
4.再発防止策
十分な休息をいただきたいです。
夜、突然の呼び出しも止めていただきたいです。
以上
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「……さかきに、ひざまくら、しました」
「膝枕?」
主君の言葉に鷹司霧姫は眉を潜める。
膝枕とは太ももに頭を乗せるアレなのだろうか、それにした、ということは日桜殿下が自らの太ももに榊の頭を乗せたことになる。
「殿下、不躾な質問をお許しください。どうして、そのような御戯れを?」
「……たわむれでは、ありません」
「で、殿下?」
思いもよらない強い反論に鷹司は慌てる。
不味い。下手な言い返しをしては機嫌を損ねる、と鷹司は瞬時に判断し、話の方向性をすり替えることにした。
「で、では、どうして膝枕などされたのですか?」
「……さかきは、がんばっています」
「が、頑張る?」
「……なれないかんきょう、しらないせかいに、とまどっています」
「は、はぁ」
「……ごほうび、です」
「それで膝枕を?」
「……ははうえがいっていました。とのがたをいやすにはひざまくら、だと」
「……」
鷹司は二の句が継げなかった。
皇族といえど人。家庭内で特殊なルールもあるだろう。日桜殿下にとっては膝枕は当たり前の光景だった。
「……がんばるさかきに、ごほうび、です」
「しょ、承知しました」
頷くしかできない鷹司は一つの決意をする。
何かあったときのために記録には残そう、と。
それが顛末書の始まりとなったことを榊平蔵が知るのは当分先のことになる。
実験的短編です。文字数はあまり多くありません。
七月二一日から七月二七日まで毎日の更新となります。
一回の文字数は一〇〇〇文字くらいを予定しています。
あとで一つにまとめるかもしれません。