一四話
やり辛い。
非常にやり辛い。
「……」
なぜかと問われれば、視線だ。
小さく無垢な瞳はなにもかもを見抜いてしまいそうだ。
「あの、殿下。一つお伺いしてもよろしいですか?」
「……はい」
「私の顔に何かついていますか?」
先ほどから、熱心な眼差しで貫かれてしまいそうなんですが。
「……なにも」
口ではそう言いながら、視線はそのまま。
なにもないのに、どうしてみているんだ。こちらとしては非常に困るし、やり辛い。
「あの、できれば見ないで頂きたいのですが」
「……なぜですか?」
「見られては集中できません。殿下も誰かにじっと見られては気が散るでしょう?」
「……いいえ、なれています」
そうだった。
皇族は視線を集めるのが仕事でもある。愚問だった。
「い、一般人はそうなのです。ご理解いただけますか?」
「……わかりました」
「それは何よりです」
「……」
理解してくれたはずなのに、視線は俺に向いたまま。
最近のお子様は空気が読めないらしい。
鷹司から一時的とはいえ、殿下の護衛を仰せつかった。
午前中は御所の中にある殿下の私室で一緒に過ごす。
二人でなにをするわけでもない。
殿下は本を読み、俺は自習。ただ、それだけの時間だったはずだ。なのに。
「……さかき」
「あの、殿下、なにか?」
「……さわってもいいですか?」
「へっ? 触る? 俺、いえ、私にですか?」
「……はい。いけませんか?」
唐突に問うてくる。
なぜそのような考えに至ったのか、脳と思考の構造を解明してみたくすらある。
「殿下、年頃の女性がみだりに男に触れてはいけません。はしたないと思われてしまいます。まして殿下は皇族であらせられるのです。人目もありましょう」
「……ここには、だれもいません」
そうでした、ここは殿下の私室。
二人きり。
誰の目もない。
「……さかきは、だれかにはなすのですか?」
「い、いえ。そのようなことは」
「……でしたら、もんだいありません」
微笑む。
たった一言で言いくるめられてしまった。
「……いや、ですか?」
「はい?」
「……さかきは、わたくしがふれるのは、いやですか?」
「い、嫌とかそういう問題ではないかと」
「……いやなんですね?」
小さな瞳が潤みだす。
「嫌ではありませんが……」
ここでふと、逃げ道がないことに気がつく。
倫理と感情論、どちらも俺が漏らさない前提だ。
少し早まったかも知れない。
「どうぞ」
「……!」
殿下の顔がぱぁ、と明るくなる。
いや、俺に触るだけなのに、なにがうれしいんだか。
いや、本当に触るだけなのか?
「……さかき」
手招きされる。
子供が考える程度、大丈夫だろう。
「はい」
殿下の側に行ってしゃがむ。
「……ここです」
「はいぃ?」
殿下が正座をしている自身の太股を叩いた。
殿下はまたしても膝枕に誘ってくる。
「あの……殿下。なにも膝枕までしなくても」
「……だめ、ですか?」
「いえ、良いとかダメとか、そういう問題ではありません。私にも倫理観と羞恥心がありまして」
「……はずかしいですか?」
「恐れながら、皇族のお膝を賜るというのは如何なものかと」
「……かまいません、ですから」
「私が構うのですが……」
「……」
視線を落とし、目が潤む。
この状況は誘導されている気がしなくもない。
計算でやっているとしたら恐ろしいが、
「……だめ、ですか?」
このトボケた顔でそんなことを考えられるはずがない。
構わないか。
「わかりました」
観念して頭を預け、膝枕の状態になる。
すると、小さな手が最初は恐る恐る、次第に大胆に顔や喉を触ってくる。
「……」
息づかいが、殿下の顔が近い。
まずい、今更恥ずかしくなってくる。
子供とはいえ、至近距離で顔を見る、見られるというのがこれほど恥ずかしいとは思わなかった。
「あの、殿下。早めに終わらせて頂けるとありがたいのですが」
「……まだです」
喜々として顔を触る殿下に諦めにも似た感情を抱きつつ、目を閉じた。
◆
「疲れた」
あのあと、結局、時間一杯さわられてしまった。
御所からの帰り道、凝り固まった肩を回す。
別に大したこともしていないのに、なぜだかどっと疲れた気がする。
こんな疲れ、営業だった時も感じたことがない。
結局、自習も捗らなかった。
これは、どこかで勉強しなおす必要がある。
「ああ、あれだ」
歩きながら一つ思い当たった。
親戚の子と遊園地に行った時。一日中引きずり回されてへとへとになり、動けなくなった。
皇族を相手にするのは肩がこる。
これで一日が終わればいいのだが、これから午後の訓練が待ち構えていた。
ダルい。
できれば帰りたい。
「ここでサボらないのが俺の美徳か」
独り言で誤魔化す。
嫌なことはさっさと忘れるに限る。