短編 鷹司霧姫(前)
仕事というのは増えこそするが減りはしない。
職場、環境に順応するほどに見えてくるものがあるのだが――――。
「帝都における警戒態勢の見直し、ですか?」
「ああ、白凱浬の件で帝都は警戒網の脆弱さを……露呈した形になった。今ここで是正せねば……後々のためにならない」
鷹司の言葉にうんざりする。
朝早く執務室に呼び出されたと思ったらこれだ。それに気になるのは鷹司本人、さっきから具合が悪そうに見える。
「おっしゃることは分かります。ですが、近衛がするべき領分を越えていると思います。警察に任せるべきではありませんか?」
「今回は警察と軍……公安と合同で行う。どこかに任せると、いいことがない」
「例の国家保安局が発足するのですか?」
「今回はその試金石……急に統合組織を作っても機能しないからな。馴らしの一環だと……思ってくれ」
「なおさら近衛が首を突っ込むところではないと思います。ごたごたしますよ?」
「それは問題ない。よさそうな人材を、見つけたから」
「よさそう?」
上司の言葉に耳を疑う。
近衛は武家士族の集団、かなり選民思想が強い。そんな連中を連携が必要な組織に入れたとしたらどうかるか、鷹司が分からないはずがない。
「担当は貴様だ。殿下のお付きは直虎がいて暇を持て余しているそうだな」
「……本気で言ってます?」
「私が冗談をいった事などあったか?」
別に、暇を持て余しているわけではない。
完調ではない鷹司に変わり、実務や現場指揮、方々への手配など様々こなしてきたつもりだ。その本人から暇云々といわれるのは釈然としなかった。
「どうした? 文句が……あるなら……」
「ああもう」
眩暈でも起こしたかのようにふらふらし始めた鷹司を支える。
額に手を当てればかなり熱い。浅く早い呼吸を繰り返していて、脈拍も早くなっている。
「副長、副長!」
「ううっ……な、なんだ?」
「先ほどの件、承知しました。ですから、副長はお休みなっていてください」
「そ……れで……いい」
安心したかのように瞼が閉じる。
弛緩した体は以前よりも軽く感じられる。未だ戻らない髪の色も心配だが、本人は無理をしたがるのでどうしようもない。
「ったく」
担ぎ上げて医務室へと向かう。
とりあえず伊舞のババアに預ければ心配はいらないだろう。
「あら、ヘイゾウさん……副長?」
医務室で出迎えてくれたのは伊舞ではなくノーラ。
鷹司を担いだ俺を怪訝な眼差しで睨むのは止めてほしい。
「副長が無理をなされたのでお連れしただけだよ。伊舞さんは?」
「陛下のところです。今日いっぱいは戻ってこれないと託っていますけど……」
「仕方ない。病院連れていくか」
「失礼します」
ノーラがぐったりする鷹司の手首をとり、脈を計る。
続いて瞼を押し上げて眼球を見た。
「ヘイゾウさん、副長をこちらへ寝かせてください」
「あ、ああ」
ノーラに言われた通りベッドに横たえる。
すっかり医務室にいることが板についた異国の姫君は難しい顔をしていた。
「副長はあまり動かさない方が良いと思います。お医者様に来ていただきましょう」
「なにか心当たりでも?」
「いいえ、私程度ではなにが起こっているのか分かりません。ですから、少しでも悪化のリスクを減らすべきです。病院までお連れする方が早いかもしれませんが、動かすということも大変なリスクになります。幸い、ここにもかなりの設備はありますから、電話で指示を仰ぎつつ対処してみます」
確固たる意志を示すノーラに安堵する。
彼女が付いていてくれるなら大丈夫だろう。
「じゃあ、あとは任せるよ」
「はい」
鷹司をノーラへと預け、医務室を出た。
気は進まないが、上司の指示通りに動くとしよう。
◆
人間関係において大切なのは距離感、それに気遣いだと思っている。
鷹司に指示され、荷物を手にやってきたのは近衛本部からもほど近い千代田区大手町。
国家保安局の前身になるのだからてっきりどこかの庁舎か、警察の施設を間借りするものと思っていたのだが、一見すれば普通のビル。
「九段より参りました榊と申します」
「伺っております。次回よりこちらをお持ちください」
入り口でパスを渡される。
ご丁寧に名前入りなのは事前に決まっていたからだろう。
「やれやれ……」
嘆息しながら何重ものセキュリティを抜ける。
その先で待っていたのは菅原陸軍参謀。
「榊君、よく来なすった」
「お久しぶりです」
白凱浬の事件から早一ヶ月、参謀と会うのは鷹司が倒れた日以来なのでかなり日が開いている。
「その後はどうだい? 鷹司殿のお加減は?」
「お陰様で忙しくしております。鷹司はまだ出歩けるほど回復しておりません。そのうちにご挨拶に伺わせます」
「元気ならそれでいいんだが、髪の色も戻らないと伺ったのものだからね」
老人の目配せに肩を竦める。
相変わらず、いや、当然なのだろうが耳が早い。これでは近衛が目無し耳無し、といわれても仕方がないだろう。
「鷹司のことは一応の機密扱いですのでご勘弁ください」
「君も気苦労が絶えないな。いっそ軍にこないか? 待遇は保証するよ」
「三食昼寝付き、ついでに清楚で気があまり強くなく淑やかな美人秘書を付けてくださるなら考えます」
「随分具体的な要望だ」
「近衛は鬼揃いですから」
背中を叩かれながら部屋へと通される。
そこには整然とパソコンが並び、大きな壁面モニターまで設置されたオフィスと呼んでも差し支えない環境がある。見えるだけでも一〇人ほどが動き回っていた。
「場所とセキュリティ管理は公安調査庁、設備は警察、情報網や過去のデータは陸軍から用意した。人員もそれぞれから一〇人ずつ、混成三チームと責任者を三名選出している」
「私は一人でなにをしたらよろしいのですか?」
「近衛はしばらく用心棒だな。危険がある場合は真っ先に飛び込んでもらえると人的損失が少なくて済む」
「鉄砲玉じゃないですか」
「それが正しい使い方だろう?」
人懐っこい笑みのまま下から覗き込まれる。
この人は平気な顔でこういうことをいうから油断できない。
「弾は撃った後の方が怖い。跳弾はどこに当たるか分からないものです」
「気を付けよう。私も銀の弾丸を喰らいたくはないからねぇ」
「近衛には蜥蜴丸という刀があります。腐敗菌をまき散らす刀でして、切られると血液を侵すものです。敗血症はずいぶんと痛いですよ」
「怖い怖い。川島大臣にもお伝えせねばなるまい」
ひひひ、と笑う。
どこまで本気か分からないが釘を刺しておくことにする。
本当に鉄砲玉扱いされては身が持たない。
「さぁ、ご挨拶といこう。みんな、ちょっといいかい」
参謀が声をかけるとぞろぞろと集まってくる。
中には見知った人、白凱浬の件に関わった人間も散見された。
「九段から来ていただいた用心棒の榊君だ。危険がある時は真っ先に連絡をするように」
「近衛より参りました榊です。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げてから持ってきた荷物、差し入れの入った紙袋を持ち上げる。
「みなさんお疲れかと思いまして、甘いものをお持ちしました。よろしければお召し上がりください」
「こんな風に気遣いも根回しもできる。せいぜい使ってやりな」
参謀の冗談とも本気ともつかない言葉に職員からは笑いが零れる。
一回くらい蹴ってやりたい衝動に駆られながら愛想笑いを浮かべていると懐のスマートフォンが震える。
「参謀、少しよろしいですか?」
「構わないよ」
「ではこちらを失礼して……」
「おいおい、アタシかい!?」
差し入れを参謀に押し付け、スマートフォンを耳に当てる。
「榊です」
『中尉、奥尻から緊急入電です。至急本部までお戻りください』
「奥尻……青山さんから?」
奥尻島に駐留する第一大隊は精鋭揃い。なかでも大隊長青山総司は近衛屈指の使い手で鷹司や鹿山翁、伊舞からの信頼も厚い。連絡があること自体、問題の大きさを示しているようなものだ。
「詳細は伺っていますか?」
『いいえ。最初は副長にとのことでしたが、いらっしゃらないとお伝えしたところ、それならば中尉にお伝えするようにと託りました』
「至急戻ります」
『お願いいたします』
通話を切り、振り向けば全員が注視している。
しまった、部屋を出ればよかった。
「奥尻ってことはロマノフかい?」
差し入れのシュークリームを齧りながら参謀が唇の端を吊り上げた。
隠したところで軍には情報が漏れてしまう。無理に取り繕う必要はない。
「第一大隊からの入電は珍しいものです。戻って対処に当たりたいのですが、よろしいですか?」
「近衛の仕事は優先してほしい。何かあったとき、敵に回したくはないからね」
「ご理解感謝いたします。それでは……」
一礼して近衛本部へと急ぐ。
大手町のビルから九段まではそう遠くない。車なら五分もあれば到着する。
駐車場に車を停め、走って本部に入る。今日は忙しないことこの上ない。
「あっ、ヘイゾウさん、ちょっと待ってください」
「ノーラ?」
医務室から顔を出したノーラに呼び止められる。
「鷹司副長は大丈夫です。お医者様に来ていただいて薬を処方していただきました。今はお部屋でお休みいただいています」
「そうか、よかった」
「お忙しそうなところ申し訳ありませんが、あとでお部屋まで食事を届けて頂きたいです。私もこれから殿下のお付きで……」
申し訳なさそうなノーラの頭を撫で、肩を叩く。
「分かった。副長のことは俺に任せてくれ。君は殿下を頼むよ」
「承知しました。ヘイゾウさんもお気をつけて」
「大丈夫だよ」
手を振ってから足早に駆け、副長の執務室へと向かう。
呼吸を整えながら壁面モニターを点け、パソコンの電源を入れてから備え付け電話のボタンを押す。番号は奥尻だ。
『青山です』
「榊です。お待たせしました」
タイムラグなしで青山へとつながる。
その間に壁面モニターが北海道の地図を読み込み、パソコンに詳細が羅列する。奥尻から礼文島までの海域に不審船や航空機の侵入を示すものはない。
「領海、領空侵犯ではなさそうですね」
『ロマノフからの亡命だ。先ほど海軍稚内基地が収容したらしい。私も向かう」
「亡命? 稚内ということはウラジオストク……あるいは樺太からですか?」
『それも不明だ。分かり次第になるが情報は送る』
「承知しました。こちらでできることはありますか?」
『身柄の収容先が心配だ。できれば海軍に留め置きたい。榊は外務大臣と伝手があったはずだ。根回しをしてほしい』
なるほど、露見すれば国際問題になる。
ロマノフからは身柄の引き渡し要求がくるだろう。先々を考えて外務大臣へ先手を打つのは間違ってはいない。
「約束はできませんが、できるだけのことはします」
『それでも構わない。ロマノフの情報は近衛にとっても重要だ。頼むぞ』
「承知しました」
通話を切り溜息をついた。
こんな時期にロマノフからの亡命。世界というのは平穏無事にいてはくれないらしい。
「しかも外務大臣。あまり政治家に関わりたくないのに……」
青山に頼まれては無下にできない。
ここは外務大臣だけではなく先ほどの陸軍参謀にも根回しがいるだろう。
「ああもう、面倒くさい」
嘆いてみるが始まらない。
仕方なくスマートフォンを取り出し、番号を押す。
◆
「それではよろしくお願いします」
『君には白凱浬の件やアルバニアとのこと、いくつか借りがある。保証はできないが努力はしよう』
「ありがとうございます。それでは……」
通話を切り、スマートフォンを投げ出す。
参謀、外務大臣、それに警察や軍関係まで、出来る限り手を尽くし、すべてのことが終わった頃には日が傾いていた。
「疲れた……」
腹がなる。
そういえば昼食を食べていない。
「あっ……」
ノーラからも鷹司に食事を持っていくよう言われていたことを思い出す。
しまったとは思いながら執務室をでて食堂へ向かい、先に鷹司の分を用意してもらう。病人ということでお粥と汁物など消化に良いものを揃えてもらった。
持ち運び用の籠に入れて近衛寮の最上階、鷹司の私室に向かう。
「副長、起きてますか? 副長」
インターホンを押しても反応はない。
ドアノブに手をかけると回った。
「はぁ……」
泣く子も黙る鷹司霧姫の私室に入りたがるアホは近衛にいない。
何度目かの嘆息をしながら上がれば案の定、見るに堪えない惨状となっていた。
「どうしてこんなにも広い部屋を無駄にするかね」
リビングには紙束が山と積まれ、パソコン周りには専門書籍が埋め尽くしている。足元には近衛服に混じって下着や肌着まで散乱していた。
極めつけは匂い。
まるで鷹司霧姫の中にいるような匂いで充満している。
「……誰か貰ってやれよ」
下着を蹴り飛ばしながら寝室のドアを開ければ、ベッドの上で部屋の主が苦しそうな顔をしていた。
「副長、大丈夫ですか?」
手を取ればその熱に驚かされる。
髪は汗に濡れ、誰が着せたのか分からない寝間着は背中までぐっしょりだ。
「……どうするんだよ、これ」
こちらが泣きたくなる。
とりあえず病人用の吸いのみに湯冷ましを入れ、口元に近付ける。
「副長、お水です。飲めますか?」
「うっ……」
意識はないまでも口に水が入ると飲んでくれる。
コップ一杯ほどの水はあっという間になくなった。
「食事って感じじゃないな。とりあえず水分水分」
スポーツドリンクも持ってきたので汗で失った分を飲ませていく。
「ぐっ……げほっ」
「マズい!」
寝ながら飲ませたからか途中で咽てしまう。
抱き起して頭を上に、背中を軽く叩きながら収まるのを待った。
「副長、大丈夫ですか?」
「くるしい、さむい、やだ」
体を放そうとしたところで抱き着かれる。
病人とはいえそこは鷹司霧姫、予想以上の力に抱きかかえられてしまった。
「ちょ、副長、副長!」
「くるしい、ひとりは、いや」
「副長!?」
上掛けに巻き込まれ、ベッドに引きずり込まれる。
抵抗などできるはずもなかった。
今回が続刊査定前、最後のお願いになります。
これ以降はお見苦しいあとがきもありません。
重ねてのお願いとなりますが、次につなげられるようご助力をお願いします。