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短編 立花直虎(後)


 朝は清々しくあるべきだと思っている。

 どんな日であれ、朝くらいはスッキリと迎えたい。

 迎えたいのに、


「き、気持ち悪い」


 不快感が体中を包み、胸焼けがして頭が痛い。

 吐き気に倦怠感、ありとあらゆる負の要素を全身に植え付けられたようだ。


「か、刀……」


 手だけで辺りを探ると柔らかいものに当たる。

 適度にハリがあって、それでいて手に吸い付くような瑞々しさがある。


「ん……いけません」


 叩かれる。


「もう……お探しのものはこちらです」


 手に押し付けられる冷たく硬い手触りに不快感が遠のく。

 意識が明瞭になり、倦怠感が薄れるのが自覚できた。


「うっ、つぅ」


 体を起す。

 完全に快復とまではいかず全身はまだ鉛の海に浸かったまま、鈍痛を発する状態は清々しさとは無縁だ。


「榊殿、お水です」

「ど、どうも」


 こめかみを押さえつつ声に導かれるまま器を受け取り口をつける。

 冷たく水を胃に入れ、深呼吸をすればようやく落ち着く。

 甘露とはこれのことだろう。


「お加減は如何ですか?」

「ありがとうございます。少し落ち着きま……」


 水を用意してくれたのは誰でもない直虎さんなのだが、問題はその格好だ。

 大胆にも太ももまでを露わにしたショートパンツに明らかにサイズの合っていないシャツを着ている。


「な、なにか?」

「いえ……別に……」


 直虎さんも自覚があるのか恥ずかしそうに身を捩る。顔が真っ赤でいつもの余裕が見当たらない。

 帝都や京都でもこれほど無防備な姿は見ていない。

 実家の安心感というやつなのだろうか、ちょっと意外だ。


「ご、誤解のないよう申し上げますが、これは母上のせいです。私服のほとんどを処分されていて、残っているのがこれしかありませんでした」

「私も他意はありません。ですが、昨日もそうでしたが普段と印象が違いましたので驚きました。とてもよくお似合いです。殿下がご覧になったら……」

「! し、失礼します!」


 顔を両手で覆い、止める暇もなく脱兎の如く駆けだす。

 妙な誤解をされていないか不安だ。

 後々のこと、帝都に戻ってからを想像しながら苦みの増した水を啜る。


「あら、直虎はもういないのですか?」


 着物で口元を隠しながらやってきた立花八重さんに疑惑の目を向けた。

 どうにもタイミングが良すぎる。


「榊殿、おはようございます。お目覚めの気分は如何ですか?」

「あまり良いとはいえません」

「朝食の用意ができております。こちらへどうぞ」

「……」


 相変わらず口では笑っているのに目が真剣そのものだ。

 気遣いをされているのかも怪しい。


「あの朝食は結構です。まだ胃の中に酒があるような気がします」

「でしたら尚更お召し上がりになってください。空腹は良くありません」

「はぁ……分かりました」


 せっかく用意してくれたものを無下にもできず案内されたのは昨日と同じ座敷、襖を開けたところで戦慄してしまった。

 膳が並べられ、家臣たちが勢ぞろいしている。誰しもが厳かに正座をして俺の到着を待っていた。


「榊殿、こちらだ」


 固まっていると上座にいる立花勝頼が呼ぶ。

 当主殿の隣には座布団が用意され、膳もある。


「さぁさぁ、お座りになってください」

「……ウソだろ」


 ここまできて戻ることもできず立花勝頼の隣に座る。

 酷く居心地が悪い。


「皆待たせたな」


 勝頼さんの号令で食事が始まる。

 膳には一汁一菜と簡素、さっさと食べて退散しようと思い汁椀に手を伸ばしたところで肩を叩かれた。

 朱塗りの盃と銚子を差し出す犯人は言うまでもない。


「榊殿、先ずは一献」

「あ、朝ですし、昨日の酒も……」

「私の酒が飲めないと申されるのか?」

「えっ……」


 気が付けば家臣たち全員が一時停止のように食事の手を止め、こちらを注視している。

 まるで出来の悪い白黒映画だ。


「…………」

「…………」


 無言の圧力を受けること数秒、俺にとっては永遠にも等しい停滞を経て、元サラリーマンとしての悪癖が顔を出す。


「い、いただきます」

「そうかそうか、飲んでくださるか」


 目上の圧力には屈してしまいがちだ。

 酒盃を受け取り、注がれた酒を口にする。空っぽだった胃にアルコールが入り、瞬時に燃え上がる。無意識に手が刀を探すのだが、食事の場所にまで持ってきていない。

 家臣たちも、もう何もなかったかのように食事を再開している。


「ささ、もう一献」

「……」


 謀られた。

 気付いた時にはもう遅い。



     ◆



「榊殿……榊殿……大丈夫ですか?」

「うぅ、気持ち悪い」

 揺れる視界の中に直虎さんがいる。

「背中をさすりましょう。吐けるならそのほうが楽になります」

「ど、どうも……」


 息も絶え絶え。

 朝食はそれでも銚子一本くらいだった。

 ふらふらになりながら部屋へ戻ろうとすると稽古へ誘われ、離れの稽古場でみっちり汗をかかされた。

 ほとんど間を開けずに昼食、ここでも酒が出る。

 九州の男たちは良く飲み、良く食べる。

 豪快に飯を食い、汁代わりに酒を飲む。それも日本酒ではなく焼酎。さすがに生のままではないにしろ二〇度以上あるものを割ったとしてもビールより強い。何杯も飲めばかなり効く。

 やっとの思いで部屋へと戻り、刀を抱きしめてアルコールの分解を待っていた。


「申し訳ありません。ですが、榊殿も断ればよろしいものを」

「あの目で見られるとどうにも断り難いものでして。それに……」


 段々と真意が見えてきたように思う。


「榊殿、こちらにおられたか」


 噂をすれば立花勝頼が家臣たちを引きつれやってくる。

 手には一升瓶と肴を持ち、俺と直虎さんを取り囲んだ。


「さぁ、榊殿、今宵も飲み明かそうではないか!」

「父上、もうお止めください」

「黙っていろ。男には語りえぬものがある」

 

 目にはやはり真剣な光がある。

 やり過ごすという選択肢はなくなってしまった。


「いいんです。いただきましょう」

「榊殿! 父上も!」

「ならばお前も付き合え」

「えっ!?」


 俺だけではなく目を白黒させる直虎さんにも酒盃が渡され、酒が注がれる。

 一口含めば強烈な臭いが鼻を突いた。


「父上、お話をされるのならば酒がなくとも良いではありませんか」

「人も酒も実際に触れてみなければわからんものだ。鹿山殿や伊舞殿から話は伺っていたのでな。口八丁の武士ならざる武士である、とな」

「武士ならざるとは……父上といえど言葉が過ぎます! 榊殿は昨年の新潟を含め数多くの実戦を経験されています。騎士王とも戦われました。勇敢な方です」

「我らが宿敵に尻尾を振ってみせたのだぞ?」

「考え方が違うのです。榊殿はこれからの……」

「直虎さん、私からお話しします」


 必死に抗弁してくれるのは有り難いが求めている言葉とは違うだろう。

 こればかりは俺の口から説明しなければならない。

 盃を置いて改めて立花勝頼、いや立花家へと頭を下げる。


「今件は私の独断です。しかしながら調べるほどに武官への交渉の余地があると分かりました。彼らは今、苦境の只中にある。逆手にとれば戦わず友好関係を築くことができると考えてのことです」

「交渉などする必要はない。国の中で好き勝手をされ、そのうえ手まで差し伸べることのどこが交渉か。血を吸う蚊を増やすだけだ」

「これからのために少しでも情報が必要です。戦えばよいという時代は終わったのです」


 顔を上げ、真っ直ぐに見る。


「万が一になれば一〇倍の人口を擁する共和国には正面からでは勝てない。如何に武士が精強でも、刀はいずれ折れる。そうなれば、日本という国はなくなります」

「国を枕に討ち死は武士の本懐だ。我ら武士は最後の一兵まで戦う」

「武士はそれでもよいでしょう。ですが、国民は、殿下はどうなるのですか。諸共に討ち死にが良いことではありません」


「……」

「戦わずに済むのならばそれが最善。そのためには先ず相手を知らなければなりません。武官を、できるならば旧皇帝一族を保護できれば見えてくるものもある」

「我らに宿敵を見逃せと?」

「今はその時ではありません。勝頼殿が娘を想う気持ちを察することはできても、私は冷酷になるつもりです」


 初めて立花勝頼の眉が動く。


「親として、さぞ苦悩なされたことでしょう。それは帝都へ来てからの直虎さんの様子からも察することができました。だからこそ近衛から失うわけにはいかない」

「榊殿……」


 直虎さんを振り返る。


「勝頼殿は白凱浬の首を取ることが容易でないのは分かっていた。二人がぶつかれば無事では済まない、深手を負うこともある。同時に、一線を離れることもできると考えた。直虎さんは言葉通りに捉えたようですが、私はそう感じました」

「分かっていても口にするものではない」

「言葉の足りなさが直虎さんを逸らせた。違いますか?」


 ここぞとばかりに問い詰める。

 立花勝頼は顔を顰めた。


「俺も人の親だ。直虎のことは考えに考えた。どうしたらこの子が幸せになれるか……。覚めなければ見合いをさせるのだが、そうもいかぬ」

「お察しします」

「貴殿のような青二才に武家の苦労などわからんよ。白凱浬も腕や脚の一本でも奪ってくれればよかった」

「第六大隊長を辞するように促して、当主代行まで返上させる。一見すれば退路を断ったように見えますがその実は近衛引退の布石」

「聞きしに勝る多辯だ。煩くて仕方がない」


 立花勝頼は片耳を塞ぐような仕草を見せる。

 親心というのは他人からすると理解しがたい。

 立花勝頼は自分の子に引き際を求めていたのだろう。刀を置く理由を作らせようとしていたのかもしれない。それが過剰になり続け、直虎さんは幾多の死線を超えた武士となってしまった。


 俺はというと、直虎さんのことを考え続けていた。

 生い立ち、境遇、周囲からの視線、親兄弟の存在。どれもが違い過ぎて察するには余ある。それでも、一つだけ共通することがあった。


「恐れながら申し上げます。我が心は日桜殿下と共にあります。それは直虎さんも同じではないでしょうか」


 日桜殿下のために命を懸けられる。

 自分以上に主君を憂い、心を痛めている。

 それが二人の共通項。

 直虎さんが望むなら見合い相手も探そう。しかし、そうではない。日桜殿下の喜びこそ彼女の喜び。ならば、共に修羅を歩むのが本望ではないだろうかと。


「日桜殿下のため、天下万民のために死するは合戦にて討ち死にするも同様です」

「直虎に修羅の道を歩めと……人の幸せを捨てよと申されるか」

「父上……」

「よいのか? 今を逃せば家庭を持つことも、子を作ることも難しくなる。皇后陛下のようにはなれない」 

「どうしてそれを……」

「俺の目はガラス玉ではない。自分の子供が何を見ているのか分かる」

「っ!?」


 立花勝頼が立ち上がり、片膝をついて愛娘の肩に手を置く。


「今一度問うぞ。本当にそれでよいのか?」

「父上、直虎は幸せにございます。思い残すことなど最早ございません。この命、日桜殿下のために捧ぎ、平蔵殿とともに歩む所存にございます」

「……わかった。もうなにも言うまい。榊殿」

「はっ」

「よろしく御頼み申し上げる」

「承知いたしました」


 立花勝頼の目に光るものがある。

 家臣たちも一様に目を潤ませていた。


「皆の衆、愛娘の門出だ。盛大に祝ってくれ」


 声が上がる。

 この日の酒宴は遅くまで続くことになった。



     ◆



 一夜明け、二日酔いの頭を抱えながら帝都へ戻る。

 今回分かったのは刀を持っても一定量を超えると二日酔いになるということだ。

 きっと肝臓がストライキを起こすのだろう。


「……さかき、なおとら」


 豪勢にも殿下が出迎えにいる。

 後ろには鷹司と宗忠もいた。


「日桜殿下、ただいま戻りました」

「……はい。まっていました」


 二人が抱き合うのを横目に、鷹司に土産を渡す。


「ずいぶん酒臭いな」

「一年分は呑まされました。しばらくは見るのもご免です」

「その成果は……あったようだな」

「割に合いません」


 思い出すだけで嫌になる。

 早く部屋に戻って休みたいのに宗忠が近寄ってくる。


「なぁ、どんな魔法を使ったんだ?」

「誠心誠意の言葉を伝えただけだ」

「おおっと、義兄上って呼んだ方がいいのかな」


 茶化す宗忠の腹を叩き、明太子の箱を押し付ける。


「やめてくれよ。それに俺はまだ死にたくない」

「自覚あったのか?」

「危機感だ」


     ◇


「お前様、よろしかったのですか?」

「仕方あるまい。頑なになった直虎は何を言っても聞かん。それに……」

「なにか考えがおありになるみたいですね」

「距離が近ければ肉親、姉弟ですら抱くのが人の性。若い二人がそれなりの距離になれば意識もするだろう。あの口八丁が息子というのは気に入らんが妥協してやる」

「まぁ、悪い人」

「それが親というものだ」


     ◇


「ぶわっくしゅん!」

「平蔵殿、こちらをどうぞ」

「すみません」


 くしゃみをしたら直虎さんに手巾を渡される。

 一瞬だけものすごい寒気に襲われたのだが、今は何もない。


「ん?」

「どうかなさいましたか?」

「い、いえ……なんでもないです」


 小首を傾げる直虎さんが可愛らしい。

 しかし、ちび殿下は瞳を大きくする。


「……さかき、なおとら?」


 答えに窮し、直虎さんを見ても曖昧な笑みを返されるだけ。

 理由を説明してはくれない。


「……どうして、なまえ、ですか?」

「えっと、あの……」


 迫るちび殿下の圧力に後ずさる。

 休めるのはまだ先になりそうだった。



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