短編 立花直虎(中)
羽田空港から九州は博多空港まで片道約二時間。
諸々の移動や空港内での待機を含めても半日はかからない。朝乗れば昼に着く、そんな距離。飛行機というのは兎角便利だ。
「涼しい」
九州初上陸の俺にとって大阪から西はどこも同じように暑いのだと思っていたのだが、飛行機から降りれば温度が低いことがわかる。帝都の茹だるような暑さ、熱をかき回すだけのビル風よりもずいぶんと心地良い。
「ここまで海風が届きます。それに、こちらはもう梅雨に入りました」
「帝都より涼しいくらいです」
「九州全体の人口と帝都の人口は同じくらいです。人の密度が違います」
「それは暑くもなるか……」
隣を歩く直虎さんは終始大人しい、というかお淑やかというのか、覇気がない。
アイボリーカラーのノースリーブにスキニーデニム、足元はサンダルという姿が殊更に違和感を強くしている。
はっきり言えば女性らしい、いや女性なのだが以前の武士然とした雰囲気とのギャップに緊張してしまう。あとは別の意味で心臓が痛い。これを誰かに見られたら、どう思われるだろうか。誰もいない、何もないと分かっていながらも周囲に目配せをしてしまう。
「……」
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ、首の運動です。お気になさらず……」
「ふふっ」
微笑む姿に胃が激痛を発する。
脳裏には頬を膨らませた日桜殿下、敵意をむき出しにする千景、冷たい眼のノーラが浮かぶ。この状況が伝われば裂海にも殴られるだろう。帰るまでに胃が捩じ切れないことを祈るしかない。
「妙な気分です。こうして、榊殿と一緒に故郷にいるというのは……。副長もわざわざ休暇にしなくてもよいでしょうに」
「副長は気遣いをする人です。ズボラで物臭でも人の気持ちを慮ることができる。今回は私や直虎さんではなく、立花家に配慮くださったのではありませんか?」
「……有り難いことです」
直虎さんが顔を伏せる。
二人で九州、福岡まで来たのは立花家へ説明の必要があったからだ。
凶刃に倒れた鷹司霧姫、近衛ばかりではなく国防の危機として招集された立花直虎を顧みることなく別の方向へと舵を切ってしまったことに、立花本家からは不満の声が上がった。勿論、立花だけではなく近衛を支えるいくつかの武家からも弱腰な姿勢を非難する声が上がったらしい。
現代武家には共和国が関連する事件には強硬姿勢を辞さない、という風潮が根強い。近衛にとって最も刃を交え、犠牲を出した相手なのだから当然といえる。今回、俺が同行するのは立花家への配慮もあるが、他の武家に向けてのパフォーマンスでもあった。
「観光できるなら少しは楽しめるんだろうけど……」
直虎さんに聞こえないよう気を付けながら愚痴る。
俺の両手は立花家への土産でいっぱいだ。
なにせ九州一の名声を誇る名家、立花だけではなく家臣団へも配らなければならない。そのために手荷物だけではなくスーツケースにも帝都の名産品が詰め込まれている。
「気が滅入るな」
接待というのはどれだけ準備をしても徒労に終わることがある。どれだけ情報を集めても不安が消えることはない。そのため、どうしても気が逸る。
「あの、ここからは?」
「本家までは少し距離があります。タクシーでもいいのですが、寄り道をしてもよろしいですか?」
「え、ええ、勿論です」
直虎さんが寄り道をしたいだなんて珍しい。
気は逸っているのだが、ここでノーなんて言えない。
余裕を見せつつ美人の後ろに続く。
「空港から市内まではバスが出ています。私が元服したばかりの頃、帝都と福岡とを往復するときは良く使いました」
「往復……ということは通われたのですか?」
「それほど頻繁ではありませんでしたが、月に何度かはこちらへ戻りました。学校がありましたので」
「それじゃあ、勉強をしながら帝都へ通ったのですか?」
「はい。高校まではこちらの公立をでました。さすがに出席日数が足りませんでしたので、便宜を図って頂きましたが……」
開いた口が塞がらない。
直虎さんは帝都での仕事をこなしながら、同時に学校での勉強もしている。
裂海もそうだが若くして覚めるというのは大変だ。
「こちらです。荷物を少しお預かりしましょう」
「は、はい。お願いします」
直虎さんに促されるまま手荷物を半分渡し、空港からバスに乗って市内を巡る。
なにかと話しかけてくれる直虎さんに曖昧な返事をしながら頭の中では会話のシミュレーションを繰り返していた。
「榊殿、あれが私の母校です」
視線の先にはいたって普通の学校がある。
行き交う学生の顔を見ながら、直虎さんは想い出を語ってくれた。それが今生の別れを前に故郷の景色を焼き付けようとしているようにも見えてしまった。
それからまたしばらくバスに揺られ、終点に近い郊外で下車する。
「ここからは少し歩きます」
都会と田舎の少し、というのは基準が違う。
舗装されているとはいえスーツケースを持ったまま田舎道を歩くのは骨が折れた。
「榊殿、家が見えました」
「ど、どれですか?」
田畑の向こうに立派な門が見えたのは三〇分も経ってから。息も絶え絶えでたどり着けば、立派な武家屋敷、門の前に着物姿の女性が立っていた。
結い上げた髪に紅を指した唇。意思の強そうな、それでいて疲れたような雰囲気がある。
「母上」
直虎さんの言葉に姿勢を正す。
他人の母親に会う、というのはどうにも緊張する。
「榊平蔵殿、ようこそ御出でくださいました」
「い、いえ、急な訪問をお許しください」
背筋が伸びる。
直虎さんが髪を結って皺を増やしたらこんな顔になるのではないかというほど似ている。眼光の鋭さもそっくりだ。
「刃物をお預かりします。お上がり頂く際、当家の仕来りですのでご配慮ください」
「承知しました」
両手を差しだされ、仕込んでいた小刀ごと鉄扇を預ける。
まぁ、敵陣にいるわけではないのだから構わないだろう。
「どうぞ、ご案内をいたします」
「恐縮です」
先導され、屋敷を案内される。
磨き上げられた床板に真っ白な障子戸、あらゆるところに細やかな細工が見られ、それだけでも格式の高さに居心地が悪くなってくる。
「こちらでございます」
通されたのは広い座敷。
ちょうど真ん中に用意された分厚い座布団に促され腰を下ろす。井草の香りも新しく、背筋がむずがゆくなってくる。どうにも格式ばったところは落ち着かない。
「……」
助けを求めるように直虎さんを探せば隅っこに正座をして頷いている。
こちらの視線に気付いても曖昧な笑みを浮かべるばかり。どうやらこのままの状態で待たねばならない。
始まるなら早くやって、とっとと帰りたいと思っているのに、案内をしてくれた直虎さんのお母さんは俺の前で正座をすると丁寧に頭を下げる。
「改めまして立花勝頼の妻、八重でございます」
「きょ、恐縮です。榊平蔵と申します。直虎殿、宗忠殿にはいつもお世話になっております」
こちらも挨拶を返し、持参したお土産を差し出す。
「ご当主殿は甘いものがお好きと伺いました。とても評判の良いものでして、ぜひお召し上がりいただきたく持参した次第にございます。どうかご笑納いただきたく存じます」
「これはこれは、遠くからいらしたのにお土産まで頂戴して……。榊殿、本日は当家にお泊り頂き、御持て成しをしなければなりません」
露骨な、接待とも呼べる言葉に背筋が凍る。
八重さんは口元を隠して上品に笑ってくれるが、目が全く笑っていない。値踏み、あるいは品定めでもしているかのようだ。
今すぐにでも帰りたい。
そんな衝動に駆られる。
「皆様にお変わりはございませんか? なにせ、当家は田舎でございます。季節のご挨拶では伺いますが、細かなところまでは……」
「はい。鹿山や伊舞、鷹司からも宜しくと……」
世間話、いやご機嫌伺いをしていると一際大きな足音が迫ってくる。
「おお、いらしたか」
現れたのは身の丈六尺、一八〇センチを超える大男。がっしりとした体躯に筋肉の鎧を着て、粗野にも見える立ち振る舞いは武士というよりも時代劇で見る戦国武将の印象に近い。
「お初にお目に掛かります。榊平蔵と申します」
「立花勝頼だ。話はいろいろ聞いているよ、榊第九大隊長殿」
「恐縮です」
厳つい顔に喜色が浮かぶ。
直虎さんは母親似で良かったと思うほどに。
「あなた、榊さんからお土産を頂きました」
「これはかたじけない」
土産の包みを前に真っ直ぐな目で射貫かれ、心拍数が跳ね上がる。
顔は笑っていないのに口角だけを上げる笑い方に嫌な予感を覚えながら、無意識に対処法を考えてしまう。
「さぁ、お待たせした。始めようではないか」
「始める?」
こちらの戸惑いを余所に、立花勝頼が手を叩く。
すると八重さんは一礼して立ち上がり、同時に座敷には着物姿の女性たちがなだれ込んでくる。それぞれが酒肴や料理が載った膳を手にしていた。
「ちょ、なんですか?」
「近衛より客人が参られたのだ。酒宴で迎えるのが立花家のしきたり!」
「酒宴?」
さっさと話しを付けて今日中にでも帰りたかったのに、酒宴などされては話が進まない。
「勝頼殿、私は直虎さんのことでお話を……」
「榊殿は立花家の盃を受けらぬと?」
「うっ……」
鋭く剣呑な眼光に言葉が詰まる。
こういう言い方をされると困る。
その間にも女性たちは行き交い、俺の前にも膳が用意され、八重さんが朱塗りの盃を両手で恭しく差し出してくる。
「酒の一つも酌み交わせぬ間柄で腹を割っての話し合などできぬ。違うか?」
「……」
あまりよくない流れだと思いながら視線を泳がせる。
恐るべきは立花勝頼が喋る時、誰もが動きを止めて、衣擦れの音すら聞こえない。元から大きく野太い声が良く通る。
いつの間にか俺の後ろには紋付き袴に身を包んだ屈強な男たち、おそらくは立花家の門下が勢ぞろい、一点にこちらを見ていた。
「さぁ、如何なさる?」
「お、お受けします」
迫力に押されてそう答えてしまった。
まぁ、刀さえあれば酒に飲まれることはない。
ないのだが――――
「みな喜べ、榊殿が盃を受けてくれるぞ!」
立花勝頼の声で怒号が上がる。
見渡せば勢揃いした人の群れの中に、自分ひとりが右往左往している。
「えっ? えっ?」
こちらの困惑など一顧だにせず一際大きな男性が銚子を差し出す。
「立花家家臣、由布正親にございます」
「由布……ってことは宗忠の」
「はい。息子がお世話になりました」
呆気にとられながら盃に酒を受ける。
「御屋形様!」
「うむ、皆の衆乾杯だ!」
「えっ、いや、その前に俺の刀を……」
「乾杯!」
野太い声が唱和する。
そこからはもう、筆舌し難かった。
「小野重幸にございます」
「推野増時です」
「某、安藤家忠と申す」
「十時連貞、以後お見知りおきを」
おっさんの顔なんて見知り置きたくない。
早く立花勝頼と話をしたいのに、前に現れる家臣たちは一向に途切れる様子がない。
「ささっ、一献」
四〇人くらいから記憶が定かではない。
一人一杯ではあるものの、律儀にもこちらが盃を干すのを待たれるのだから困る。
「だ、だれか、俺に刀を……」
朦朧とする意識の中で刀を探し求めたのは覚えている。
あれさえあれば酒に酔うことも、呑まれることもないのに、誰もこちらの話なんて聞いてくれない。
「榊殿、大丈夫ですか?」
「へ?」
久しぶりの『酔い』に思考を混ぜられていると着物姿になった直虎さんが体を支えてくれていた。どうして、どういう経緯なのかが分からないまま、心配そうな、それでいてこれまで見ることのなかった彼女に胸が高鳴る。
「榊殿、盃が空いておりませんな」
いつの間にか目の前にいた立花勝頼に酒を注がれ、口に押し込まれる。
半分以上が流れてしまっているのに口に入った酒は喉を通って胃に落ちた。
「もう……むり……」
ぐるり、と視界が反転する。
「父上、榊殿と言えどこれ以上は体に毒です」
「潰れたら刀を抱かせてやる」
「ち、父上!」
「ぺらぺらとよく喋るやつを正面から相手にしていられん。俺が聞きたいのは建前ではない」
「直虎、控えなさい」
「母上も!」
もう意識を保つことができない。
混濁たる世界に落ちていくしかなかった。
思いがけず長くなったので三分割になりました。申し訳ありません。
後編は来週となります。
書籍の第二巻が発売中です。
今週末までが続刊の目安となります。
芳しくない状況ですので、何卒お力添えをいただければと思います。
よろしくお願いします。
詳しいことは活動報告に書きたいと思います。




