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短編 立花直虎(前)


 立花直虎は武士である。

 九州の名門立花家の長女にして誉ある近衛第六大隊長。

 麒麟児の字も勇ましく西の武家社会では名実ともに並ぶものがない。


 当年とって二六歳、緑がかった黒髪に鋭い相貌、いつも一直線に引き結ばれた唇はあまり弧を描かないことでも有名らしい――――。


「……なおとら」

「はい、殿下」


 日桜殿下に呼ばれ、寄り添う立花直虎の口元には微笑が浮かんでいた。


     ◇


 夏の園遊会を控えて、殿下の執務室には勲章の授与のために集められた選考資料の束で埋め尽くされる。

 皇族の職務で最も一般に近いといえば各種勲章の授与がある。菊花、桐花、旭日、瑞宝、宝冠、文化勲章など二二種類にも及び、候補となった人物すべての資料に殿下は目を通される。

 季節ごとに五〇〇人、年間で二〇〇〇人以上に及ぶ候補者を全てというのだから、この労力だけでも膨大だ。


「……」


 日桜殿下は昼食を終えるとそのまま執務室の中で資料を読み、署名と捺印をし続けていた。いくら簡潔にまとめられているとはいっても限界がある。


「続きまして月橋康輔殿であります。元最高裁判所判事、元京都高等裁判所長官を務められました。長年にわたり重責を果たすとともに司法制度の発達に貢献されました」

「……はい」


 殿下の補佐をしているのが立花直虎、元第六大隊長。

 事前に資料を読み、一言を添えて渡すという献身はそうできるものではない。俺でも経歴を伝えるくらいで長年にわたり云々、など敬った表現はしない。


「……なおとら、つぎです」

「ははっ、続きまして河田肇殿であります。元東京電力社長、同会長、電気協会会長、電気事業連合副会長、経済連合会長を歴任されました。多年にわたり電気事業に携わり、経済並びに業界の発展に貢献されました」


 こんな調子で早三時間、途切れることなく淡々とこなすのは尋常ではない。

 まさに鋼の意思と集中力に呆れ、尊敬の念を抱きながら入室にも気付かない二人にわざとらしく咳払いをする。


「殿下、直虎さん、お疲れ様です。少し休憩にしませんか?」

「……さかき!」


 呼びかけるとちび殿下の顔に花が咲く。

 最近は表情の変化も大きくなってきた。去年、俺が近衛に来たばかり頃ははにかむ程度だったから、良い兆候なのだろう。


「今日は暑いので冷茶をお持ちしました。お菓子もありますよ」


 持参したお盆の上にはガラス瓶に冷たい緑茶、それに殿下の好物でもある細長いプレッツェルにチョコレートをコーティングしたお菓子。


「……うれしいです。なおとら」

「ははっ」


 殿下が手を伸ばせば、直虎さんは小さな体を抱きかかえる。

 そのまま板敷きの縁側まで歩いて腰を下ろした。


「榊殿もこちらへ」

「は、はぁ」


 呼ばれて隣に座る。

 ちなみに、殿下はまだ直虎さんの膝の上だ。


「そのままですか?」


 と、聞いてみたものの、


「はい」

「……?」


 直虎さんは当然のように頷き、ちび殿下も何が変なのかとばかりに首を傾げる。


「まぁ、いいんですけどね。誰が見ている訳でもないですから」


 冷茶を器に注ぐと直虎さんが手に取る。自分で飲むのかと思えば運んだ先はちび殿下の口元。


「……んっ」


 さすがの殿下も器に手を付けて飲む。

 

「榊殿」


 直虎さんの声で我に返り、包装を切ってプレッツェルを一本抜き取り、殿下の口元へ差し出せば小動物よろしく齧りつき、


「……おいしい、です」


 プレッツェルと冷茶を交互に味わう。

 どうしてだろうか、高潔なはずの直虎さんがダメ人間製造機に見えてきた。


「殿下、御手の加減は如何ですか?」

「……だいじょうぶ、です」

「今日の分がまだ二〇ほどございます。今しばらくの御辛抱を」

「……はい」


 直虎さんは大丈夫ですか、や、無理をするな、という気遣いは決して口にしない。

 皇族の職務、重責を知っていればこその姿勢といえる。


「殿下、御手を拝借してもよろしいですか?」

「……はい」

「立花秘伝の指圧にございます」

「……なおとら、くすぐったい、です」


 器を置いた直虎さんがちび殿下の腕や足を揉んでいる。親鳥が雛に餌を運ぶかのような甲斐甲斐しさなのだが、ちょっと引いている自分がいる。

 俺が言うのもなんだが、この人は甘い。鷹司も甘いのに、この人は激甘だ。


「あ、あの……」

「……?」

「榊殿、どうかなさいましたか?」

「ええ、まぁ……いいんですけどね」


 まるでこちらのことなど忘れていたかのような二人に苦笑いする。

 白凱浬との一件が終わってからというもの、直虎さんはこんな調子だった。



     ◆



 多忙を極める近衛の職務にあって食事は娯楽に近い。

 定期的な休みもなく、それゆえに趣味らしい趣味も持てない。そうなると単純に食べる以外で楽しみがなくなってしまう。


 近衛に食堂があるのは少しでも他者と時間を共有し、ストレスを発散させるのが目的らしいのだが、生憎目の前に座るのは鬼の副長鷹司しかいない。


「直虎がな……」

「過保護という域を超えていると思います」

「その辺りは貴様も大差ない。四六時中一緒にいるだろう」

「節度はあるつもりです」

「どうだか」


 鷹司は血の滴るブルーレアのステーキを口に押し込み、子供の腕くらいはありそうなバゲットを齧る。彩も美しいそら豆の冷製スープを匙も使わず飲み干し、トマトとモッツアレラチーズのカプレーゼを一口で平らげ、せっかく綺麗に盛り付けられたスズキのグリルを骨ごと噛み砕く。

 行儀が悪いことこの上ないのだが、鷹司がやると気品があるように見えるから不思議だ。


「副長」

「なんだ?」

「もう少しおしとやかに食べませんか? 作ってくれた人に失礼ですよ」

「私は最大限の敬意を払っている。野菜のひとかけらも残さない」

「敬意と行儀は別です。条鰭網、硬骨魚類の骨まで食べる人類は珍しいと思います」

「カルシウムが足りないと丈夫な骨が形成できない。お前も食べろ」

「遠慮します」


 四〇センチはあろうかというスズキを一匹骨まで食べつくし、今度はレモンを絞った生ガキにまで手を伸ばす。途中で挟むのは真っ赤なトマトジュース。悪食極まれり、ついでに節操がないことこの上ない。


「食べ過ぎでは?」

「足りないくらいだ。髪の色が戻るまでは詰め込まねばならん」


 こちらがスープを飲む間に鷹司はスペアリブに手を伸ばしていた。

 半月が経過しようというのに鷹司の髪は銀色のまま。今も病院に通い、定期的に投薬を続けている。護身用に脇差は携えているようだが宗近は手にしていない。


「お前の腕はどうだ?」

「大分動くようになってきましたが重いものは持てません。伊舞さんの話ではまともになるまでもう半月ほどかかるといわれました」

「まったく、千鳥を腕で受けるとは命知らずにも程がある。それに白凱浬の一撃まで……」

「千鳥の威力は誤算です。白凱浬の方は詰め物をしていたので無くなりませんでした。新しい防弾防刃繊維にポリアミドで作ったサラシ、高分子ソリッドゾルでもあんなにダメージがのこるとは思いませんでしたが」


 自分で言っていても恐ろしくなる。

 白凱浬の水塊を纏った掌底は近衛服の防弾防刃繊維を突き破り、超硬度の繊維を引き裂いた。肌に塗った粘性の高い分散剤が無ければ俺の内臓は物理的になくなっていただろう。直撃はしなくてもあれだけの威力、騎士王に匹敵するのも頷ける。


「いい加減学習しろ。毎回毎回、よくもまぁ死にかけるものだ」

「白凱浬もそうですが、直虎さんがあそこまで覚悟をしているとは思いませんでしたから。割って入るほかないと思ったのです」

「直虎か……」


 鷹司が食事の手を止める。

 真剣な眼差しは手元から新緑へと移っていた。


「貴様は知っていたほうがいいだろうな」

「……それは、どういう意味ですか?」

「少し長くなるが付き合え」


 こちらの可否も聞かないまま鷹司は話し始める。


「立花家は三代続けて近衛を輩出した九州の名門。祖父である立花頼正は共和国勃興期に裂海迅彦と轡を並べた近衛の英雄。父、勝頼も固有を持ち、鹿山翁や伊舞さんと一緒に戦った。四代目の期待がかかる中で生を受けたはずなのに祝福はされなかった。当時、伊舞朝来という例外を除き、近衛では女性がいなかったからだ」


「その後も子宝に恵まれなかった立花家での日々は想像を絶する。男児を欲していた両親のもとで男児以上になるべく厳しく育てられ、物心ついてからしばらくしても性別の概念がなかった。義務教育以外は朝から晩まで兄弟子たちに交じって稽古をして過ごし、終われば食事をして泥のように眠る。なぜ、どうして、と考える暇もなく過ぎる毎日が彼女に考える暇など与えなかった」


「八歳で覚めてからは苛烈な日々が加速していく。体中の骨は一度折られ、父親からは何度も切り殺されかけた。母親は止めなかったらしい。彼女にとっての転機は二回。一つは裂海家にも女児が生まれ、そのうちの一人が三歳で覚めた。このことで家や両親からの風当たりは幾分弱くなった。もう一つは日桜殿下の誕生。当時元服を迎え、近衛に入ったばかりだった直虎は生まれたばかりの殿下と現在の皇后陛下の護衛に就く」


「昼夜を問わず付きっ切りだった直虎のことを皇后陛下は案じた。男として育てられ、年頃の楽しみを一切知らないままの直虎を気にかけ、折に触れて部屋に呼び、言葉を交わした。生まれたばかりの殿下に触れさせ、人の性と命について教えたのは皇后陛下だ。退院してからも散歩と言い張っては直虎を連れ出し、幼い殿下と一緒に過ごした。この関係は直虎が第六大隊長となるまで続く。これが私の知る日桜殿下と直虎の……これまでだ」


 一方的に話を終えた鷹司が食後のコーヒーを飲む。


「私も武家の出身ではないのでどうこう言うことはできない。優呼も同じだが、武家に女として産まれ、覚めるということは性別を捨てるに等しい。すべてを国のため、皇族のためにと教え込まれるからな」


 近衛に入ったばかりの頃、稽古をつけてくれた裂海の言葉を思い出していた。

 自らの犠牲すら幸福と感じるように、人の幸せを願うようにと教育を施す。それがどれほど厳しいことであるかを今になって思い知る。


「傍から見れば過保護で溺愛だが、直虎は恩返しだといっていたな」

「…………」


 なぜあんなにも死に急いでいたのか、朧ながら見えてきた。

 武士としての役目から解放されたかった。あるいは、死なないまでも体のどこかを失えば一線を退くことができると考えたのだろうか。


「榊、貴様に休暇をやる」

「はい?」

「直虎は白凱浬の首を取るまで敷居を跨げない。果てて来いとまで言われている」

「それを私が?」

「解決して来い」


 鷹司の言葉に頭を抱える。

 無理難題もいいところだ。


「解決といっても……」

「貴様の口八丁ならどうにでもなるだろう」

「副長の仰る解決とはどのようなものですか? それによってできることと、できないことがあります」

「私がなぜ直虎だけでなく日桜殿下のことも話したか、その理由を考えろ」

「……マジですか?」


 思わず素に戻ってしまった。

 それくらい難易度が高い。鷹司の言葉は瓢箪から駒どころか屏風から虎を引っ張り出すに等しい難題だ。


「金は使っていい」

「賄賂が通じる相手ですか?」

「知らん」


 にべもない。

 どうしたものかと悩むことすら悩ましい


「このまま、という訳にはいかないのでしょうか。どうしても解決をしなければならない理由はありません」

「いいのか? お前の仕事がなくなるぞ」

「願ったり叶ったりです。ちび殿下の相手をしなくていいなら副長の補佐に回れます。仕事が楽になりますよ」

「ぬかせ、青二才。貴様一人増えたところで仕事が減るわけではない」

 

 不毛な会話を重ねる。

 直虎さんの宿願を妨げたのは俺だ。なぜかといえば、俺の目的の妨げになったから。

 簡単に言えば人の望みを奪ったことになる。


「責任……ですか」

「今件で貴様は多くの人を良い方向に導いたのだろう。しかし、物事の裏では必ず余波が起こる。多くの期待を背負うと同時に恨みを背負う。本来ならば犠牲を厭うものではないのだが、近しい立場、同情の余地はある」


 こんなにも口数が多い鷹司も珍しい。

 絶大な信頼を置く二人の関係を問うてみたくもあった。


「報酬をください」

「成功してから聞いてやる」


 鷹司が席を立つ。

 一人取り残され、頭を抱えるしかなかった。



     ◆



「義父上のこと?」

「ああ」

「どうしてまた……って聞くだけ野暮か」


 深夜の近衛寮、立花の部屋におしかけて問い詰める。

 賄賂は各種焼酎と鷹司家を使って仕入れた酒肴の数々、使えといわれた金は惜しまないのが信条だ。


「それで、どこまで知りたいんだ?」

「お前が知り得る限り全部」

「細かいことは義姉上に聞いた方がいいと思うぞ。俺、あんまり立花の本家に行ったことないし」

「なんだよ、複雑そうな雰囲気ださないでくれ。ただでさえ面倒なのに余計なのは勘弁だ」

「全部っていったのは榊だろ? 全部知りたいって言うなら全部聞けよ。だいたいなぁ、問題のない家庭なんてないんだよ。榊の家だってそうだっただろ?」

「……まぁ、それもそうか」


 円満な幸せなだけの家庭なんてない。どこかで歪み、どこかで調整をしている。

 ふと過去に立ち返りそうになった自分を呼び戻す。

 今重要のは立花家だ。


「立花勝頼は十一年前まで第六大隊長に就いていた。示現流の達人で固有は俺と同じ変質。ただし、範囲は腕だけに限られる。鹿山翁と伊舞さんの後輩、第七の鶴来隊長と同期。性格は九州男児そのものって感じなんだが……」

「なにか気になることでも?」

「いや、俺と話すときは妙に優しいというか頑固でも偏屈でもないんだ。立花の養子に入ったときも示現流を強要されたわけじゃないし、兄弟子から聞いたような厳しさはない」


「ご機嫌取りじゃないのか?」

「冗談止せよ。俺は立花の分家出身なんだ。本家に入るってだけでも大事、ウチの両親なんて三つ指どころか額をこすりつけてたんだぜ」

「時代劇の世界だな。分家と本家ってそんなに違うものかね」


 塩水雲丹を口に入れ、舌と顎の裏側で磨り潰せば海の香りが広がる。

 追いかける酒と相まって悪くない。


「榊、本家ってのは家の名前と歴史を継ぐ義務がある。分家はいわゆる予備であり控え、二軍みたいなもんだ。格が違う」

「格ねぇ……」


 そのあたりのことは武家でも名家の出身でもないので分からない。同じ境遇でなければ推し量ることは難しいだろう。

 諦めて物理的な作戦へ転換を図る。


「好きな食べ物は?」

「知らん。でも明太子と焼酎でいいだろ」

「……趣味は?」

「趣味なんてあるのか? 聞いたことないな」

「…………好きな本とか会話の糸口になりそうなものは?」

「義父上が本を読んでいるところなんて見たことない。それ以上に一緒にいた記憶もあんまりない」

「使えない。徒労だった」

「榊さん、気が早いですって。ちょいとお待ちなさい」


 雲丹と酒を持って立ち上がろうとしたところを押し留められる。

 赤ら顔のまま悩むこと数分、寝息が聞こえたところでタイムアップになった。


「まぁ、仕事終わりだしな。無理もないか」


 上着だけ掛けてから自室へと戻る。

 事態は進展すら望めない。

 考えを巡らせながら部屋へ戻ればソファーの上にちび殿下と裂海がいた。


「……さかき、こんばんは」

「どこ行ってたのよ! もうこんな時間まで遊び歩いて!」


 ぽやん、と眠たそうに手を振る小さいほうの扁平と、烈火のごとく怒りをあらわにするちょっと大きい方の扁平。


「なんでもいいだろ。どうして優呼がいるんだよ」

「殿下の護衛! それに、ヘイゾーのとばっちり受けるのはいっつも私なんだから、少しは敬いなさいよ!」


 猛獣のように襲いかかられ、首筋を噛まれる。

 最近コイツがちび三人に影響されている気がしてならない。

 仕方なく裂海をぶら下げたまま殿下に向き直り、恭しく一礼した。


「それで、このような夜更けにわざわざ御出でいただいたご用件を伺いましょう」

「……こまっていることが、あるかとおもいました」

「私がですか? それとも殿下ですか?」

「……もちろん、さかき、です」


 ちび殿下の言葉に諸手を上げる。

 近衛には隠し事ができないやつが多いらしい。



書籍二巻が発売中です。

お出かけの際はお手に取っていただけると嬉しいです。

最近読み始めたという方は一巻からどうぞ。

全国の本屋さんにたくさんあります。

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