二一話
人とは、どこかで共感するようにできている。
境遇、立場、生い立ち、性格、身体的特徴、癖。
地球の反対側にいても当てはまらない人間は誰一人として存在せず、裏返せば人は誰にだって共感できる。いや、共感したいのかもしれない。
哀れみは同情を誘い、同情は融和への布石になる。
ただの動物でしかなかったヒトが、生態系の覇者になれたのは共感があったからではないのかと真剣に考えてしまう。か弱く、単独では生きることができない故の本能ではないか――――。
あらかじめ用意しておいた車に白凱浬を乗せる。
待っていたのは立花宗忠。自分で運転できないことは分かっていたので手回しをしておいた。
「大丈夫なのか?」
「あ、ああ。心配ない」
「顔色悪いぞ。手だって震えて……」
「分かってる。だから、頼む」
「榊……」
心配を愛想笑いで誤魔化し、後部座席に座る。
シートに体重をかけると背中が汗で濡れていることに気付いた。
不快感や倦怠感などの症状は改善しつつも、完全に消えたわけではない。断面が炭化した腕もくっつきはしたが指先の感覚は薄く、断続的に痛みが走る。心臓は早鐘を打って、胃の中は血でいっぱいだ。それでも白凱浬に隙を見せまいとやせ我慢を続ける。
「行くぞ」
運転席に座った立花が車を発進させる。
「ふぅ」
小さく溜息をつく。
ようやくここまで漕ぎ着けた。
「……」
横を向けば猿面を付けたままの白凱浬が書類の束をめくっている。
真剣な眼差しで紙面の隅々までを読んでいたのだが、次第に手が途中で止まりだし、何かを迷い、躊躇うような苦悶が面を通しても見てとれた。
不安要素はここで態度を翻されること。殿下と会う前に気が変わらないようにと口を開く。
「御所まではしばらくかかります。その間、私のことについてお話ししましょう」
「聞いてどうなる」
「単なる時間つぶしとお考えください。御所まではしばらくありますから」
「貴様の境遇など……」
「私のことはどこまでご存じですか?」
「……」
「では最初からにしましょう。退屈かも知れませんがご容赦ください」
言葉を続けることで考える隙を与えない。
「私はごく一般的な家庭で育ちました。普通の幼少期を過ごし、多少の上昇志向はありましたが、大学を出て真っ当な就職をしました。昨年の今頃はまだサラリーマンで、普通に仕事をしていました」
なるべく感情を入れずに話す。淡々としている方が受け入れやすい。紙芝居と一緒だ。
それにしてもずいぶん記憶が遠い。この一年という時間が濃密であったのだろう。
「転機は近衛になったことではありません。日桜殿下にお会いしたことです。近衛にならなければ直接言葉を交わすこともなかったでしょうから、遠因くらいでしょうか。高貴な方にお仕えをする、それも私のような庶民出を日桜殿下は重用してくださいました。今考えてみれば近衛にとって異物であった私への配慮かも知れません」
話す間も痛みが波のように押し寄せては引く。
喋っていなければ苦鳴が漏れるかもしれないと、矢継ぎ早で言葉を重ねていく。
「しばらくすると私は近衛として求められることと、それまでの価値観との乖離に悩むようになりました。そんな折に日桜殿下から言葉を賜ります。私は、私のままでよいのだと」
騎士王からもたらされた情報はわずかだ。
白凱浬の境遇、生い立ちについて詳しい記載はない。
武官の家系であったのか、いつから仕えているのかもわからない。なにが引っかかるか分からない状況、共感を求めるのなら自らの境遇を話すしかない。
「そしてこうも仰いました。願いに純も不純もない。あるのは欲だけである、と」
「……欲か」
「ええ。大義名分を取って付け、御託をこねくり回しても根本にあるのは自らの欲。国家の名代ともあろう御人が、私のために説くのです。お手上げでした」
「……」
「私がこうなったのは、それからです。生き方を決めてしまいました」
白凱浬の視線は書類と中空とを往復していた。
「人に仕える決意をしたのもその時かもしれません。この御方のためなら、自らを賭しても構わないとさえ思える」
「うるさい」
俺の言葉に白凱浬は邪魔だといわんばかりに再び紙をめくり始める。
「私のことは以上です。ああ、ちょうどつきましたね」
話し終えるのとほぼ同時に御所の門が見えて車が速度を落とした。
「ん?」
安心したのも束の間、門の前で待ち構えていたのは裂海優呼。
近衛服ではなく白装束に鉢金、手には千人切り。まるで切腹か仇討の装いで迎える。
「お待ちしておりました」
車から降りた白凱浬に一礼するのだが今にも切りかからんばかりの気迫を発している。本当にやられても面倒なので裂海の前に出た。
「優呼、ストップだ。殿下の客人を切ってくれるな」
「分かってるわ。私は護衛なのよ!」
「じゃあ殺気をまき散らしてくれるな。火花が見えそうだ」
「威嚇ぐらいするわ! 敵対行動をとる国家の武官筆頭なのよ? いったい何人殺したのよ!」
「それも分かる」
今までの情報を統合すると、白凱浬自身が一連の事件を引き起こし調査員たちを殺した証拠はない。だが、それは公に出来ない情報、裂海が感情的になるのも分かる。
「優呼」
「なによ」
「俺を信じてくれ」
「……」
「頼む」
「…………分かってるわ」
「お前はまったく……相変わらずだな」
肩を叩けば燃え上がるような殺気が幾分落ち着く。
まぁ、野火が火力発電所になったようなものだが、制御できるだけマシか。
苛烈で真っ直ぐな裂海の肩に手を置いた。
「今は我慢してくれ。一〇年後なら俺は関知しない」
「……ばか」
小さな拳が腹筋を貫く。
衝撃で口まで昇ってきた血を押さえる間に、裂海は白凱浬へと向き直り、頭を下げる。
「どうかご容赦ください」
「構わない」
猿面で表情はわからないものの、白凱浬は頷いてくれた。
「白凱浬殿、失礼をしました。さぁ、こちらへどうぞ」
別人のように畏まった裂海に先導され、御所を奥へと進む。
向かうのは謁見の間でも会食をするための場所でもなく、日桜殿下の寝所。
「さすが、分かっていらっしゃる」
感嘆を通り越して崇敬の念すら抱いてしまう。
理解はしてくれていると思っていたが、まさかここまでとは――――。
俺の仕事は終わったも同然。
寝所までたどり着くと、裂海が再び一礼して引き戸を開ける。
迎えるのは日桜殿下その人。
「……よく、おいでくださいました」
御子服姿でお辞儀をすれば、白凱浬は大陸式なのか膝を折って頭を下げる。
背中の湾曲刀に触れた時は裂海が身構えたのだが、地面に置いてからは安堵の息が漏れた。
「大秦帝国皇帝和硯世子雨彤が家臣、白凱浬にございます」
白凱浬が猿面を取り、顔を晒す。
わずかに浅黒い肌、彫りの深い顔立ちは南方系の血が入っているようにも見える。
「……わたくしは、にほんこくだいいちこうじょ、ひおう」
「日桜殿下、御尊顔を拝し光栄に存じます」
高貴なる方々特有とでも言えばいいのか、儀礼的なやり取りにこちらまで緊張してしまう。
「……どうぞ、こちらへ」
「ははっ」
今度は殿下に先導され、座敷へと通される。
普段はここで食事や執務をするのだが、緊張からか今は別の場所に見えてしまう。
奥に殿下が座り、正面に白凱浬がいる。俺は白凱浬の少し後ろで控える形になった。
「……このたびは、ごそくろうを、おかけいたしました」
「い、いえ……」
まさか労われるとは思っていなかったのか、白凱浬が背筋を伸ばす。
殿下を前に逡巡するが、意を決したのか床に手を置き、体を前に押し出すように口を開いた。
「単刀直入にお伺いしたい。ここにある計画は本当なのでしょうか?」
「……このけいかくは、わたくしもしょうちして、います」
「ほ、本当に……これが……」
「……はい」
「我が主を……救ってくださると……」
白凱浬の声に感情が宿る。
掠れ、上ずり、明らかに動揺しているのが見て取れた。
「……はくかいりどの」
「ははっ!」
「……わたしに、しょうちょういじょうのちからは、ありません」
「えっ!?」
まさかともいえる殿下の言葉に希望を抱いていた白凱浬の表情が凍り付く。
天国から地獄ともいえる宣告。しかし、これは事実だ。
「ここまで呼んで、それでは何の保証にも……」
「……わたくしは、かれをしんじております」
真っ直ぐな瞳が白凱浬に向けられる。
そこには揺らぐことのない輝きがあった。
「……さかきのことばは、わたくしのことばです」
「っ!」
白凱浬が息を飲む。
ちび殿下は、畏れ多くも自分の言葉と俺の言葉が同じだと宣言してしまった。
第一皇女と一家臣に過ぎない俺を並べてしまったのだ。
悪いようにはしない、そのくらいでも十分なのに――――。
「……わたくしいじょうに、さかきはあなたのことをあんじ、あなたのあるじをあんじております」
「!」
白凱浬の目が初めてこちらを向く。
「……さまざまに、さくもよういして、いるでしょう。わたくしができること、それはあなたに、あんしんしていただくこと、です」
帝国時代を色濃く残すといっても、立憲君主制に移行したからには第一皇女とはいえ約束はできない。一声発すれば動くこともあるだろう。しかし、全てを俺に任せてくれた。
「……いかがですか?」
「さ、最後に一つだけ伺いたい。貴女が彼を、そこまで信頼される理由をお聞かせ願いたい」
白凱浬の問いに殿下は微笑み、
「……あなたのあるじと、おなじりゆうだと、おもいます」
「それは……」
「……そういうこと、です」
殿下の言葉に白凱浬の目から涙が落ちる。
押さえつけていた感情が剥がれて、涙と一緒に落ちているようだった。
「了知……申し上げます」
「……はい」
「白凱浬の名において、貴国への干渉を停止いたします」
「……はくかいりどの」
「は、ははっ……」
「……ながきにわたるにんむ、まことにたいぎでありました」
「め、滅相も……勿体ないお言葉です……」
崩れ落ちる白凱浬に殿下が寄り添い、涙に濡れる顔を撫でる。
二人の言葉に力が抜け、気が付けば畳が目の前にあった。
「よ……かった」
霞んでいた景色が暗転する。
意識ははるか彼方へと消え去っていた。
◆
「うっ……」
九段にほど近い病院、その集中治療室で鷹司霧姫の瞼が開く。
「副長!」
立花直虎の呼びかけに薄目を開けた鷹司はゆっくりと辺りを見渡してから視線を白亜の天井へ漂わせる。
「副長、私がお分かりになられますか?」
「…………直虎か?」
「はい」
直虎の呼びかけに応え、鷹司の手が動く。
持ち上げ、震える手を直虎が両手で包んだ。
「……ここは?」
「御所に近い病院です。ああ、いけません。まだお休みにならなくては」
「びょういん」
漂っていた視線が急に、目まぐるしく動き出す。
思考が回復し、記憶が急によみがえったのだろう。
「直虎、今は何時だ? 私はどのくらい眠っていた?」
「まだ動いてはダメです。どうかそのままで……」
「お前まで病人扱いか? 私はこの程度では」
「霧姫様」
体を起こそうとする鷹司を直虎が押し留める。
恐らく、鷹司は白凱浬と戦ってから今までが分かっていない。
「あ、貴女は半月も生死の境を彷徨いました。今起きれる体ではないのです」
「は、半月だと?」
鷹司の目が見開く。
眼球がぐるぐると動き回り、手足をしきりに動かそうとする。
「ちっ、私としたことが……不覚をとった。直虎、宗近をくれ」
「いけません! 今の刀を持ってはいくら霧姫様の生命力でも限界がきます。髪も銀色のままなのです」
「しかし……私がこのままでは……白凱浬とまともにやりあえる人間など……」
鷹司の息もだんだんと荒くなる。
直虎の言葉通り、鷹司の髪は銀色になっている。話すことすら体力を奪い、無理をすれば抜け落ちるだろう。
「ご安心ください、今件は榊殿が引き継がれました。今頃は解決をしているものと……」
「榊が…………直虎?」
部下であり同志でもある立花直虎の瞳から流れる涙に、鷹司が気付く。
「霧姫様、私は……」
「……直虎」
何があったのかはわからない。
それでも、なにかがあったことは分かった。
「取り乱してすまなかった」
「……いえ」
沈黙が降りる。
静寂の中で、規則正しい電子音だけが室内に鳴り響いていた。
本日二五日が第二巻の発売日となります。
どうか、よろしくお願いします。