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二〇話


「榊殿!」


 直虎さんに襟首をつかまれ、高々と飛ぶ。

 床を押し流す濁流を間一髪で避け、天井の鉄骨を掴んだ。

 なかなか想定通り、とはいかない。

 人の心を推し量るのは難しく、自分にない要素がいくつも絡み合っているとなれば当然か。演出家を気取るなら役者となる人間たちの感情すら読み切って舞台を用意するのだが、生憎とそこまで器用でもない。


「榊殿はこのままでお待ちください。ここからは私の役目です」


 後ろで声がしたと思えば、直虎さんが濁流渦巻く中へと降りていく。

 この人もまた逸っている。

 死にたくて死にたくて、たまらないらしい。


白凱浬( バイカイウェイ)殿、ここからの相手は私がいたします」


 愛刀である千鳥を鞘から抜き、大気に白刃を晒せば美貌の女剣士を猿面から覗く眼差しが睨む。


「……」


 無言で圧力を発する白凱浬に対し、直虎さんは両手で刀の柄を持ち、顔の真横まで持っていく。切っ先は天に向け、両腕には力が漲り、呼応するかのように千鳥には紫電が巻き付いていた。


「……立花直虎」

「ご存じとは光栄です」

「脅威は認識している」

「幸甚の至り。しからば我が太刀、ご覧いただく!」


 まばゆい光が千鳥から天へと放たれ、垂直の刃を形成する。それはまるで鷹司の持つ宗近の光の刃、騎士王が見せた嵐の刃と酷似していた。

 膝まで水に浸かっているにも関わらず、直虎さんは滑るような足捌きで一直線に白凱浬へと向かい、

「ちえぇぇぇぇぇ!」

「っ!?」


 恐らくはカウンターを狙っていたであろう白凱浬を初太刀の威力で圧倒する。

 必殺の気迫で迫った直虎さんに気圧され、文字通りの白刃を受けるわけにもいかず、猿面は千鳥の柄を片手で受け、自らも腰から刃を抜き放つ。


「……!」

「チっ」


 どちらの舌打ちだったのかわからないまま二人は弾かれるように離れ、


「……!?」


 体勢を立て直そうとする武官筆頭に対し、九州の麒麟児は再び同じ構えから迅雷の踏み込み、


「ちえぇぇぇぇぇ!」


 白刃を打ち下ろす。

 間一髪、白凱浬は面の一部と髪を焦がしながらも避けて掌底を繰り出したのだが、女剣士の頬を浅く撫でただけで不発に終わる。


「温い」

「くっ!?」


 直虎さんは刀を振り下ろすだけではなく体ごとぶち当て、押し倒そうとする。

 華奢な見た目に反しての力押し、気迫に白凱浬は出鼻を挫かれていた。


「調子に乗るな!」


 低い、ドスの利いた声に足元の水が反応する。

 水流が直虎さんの脚に絡みつき、一時的に動きを遅らせる。その隙に白凱浬は白刃をいなすように受け流し、右足を持ち上げた。体の捻りだけで生み出された大上段の回し蹴りは水塊を伴って直虎さんの顔面を襲う。


「うっ……」


 見ているこっちが顔を顰めるほどの強打。

 派手な水飛沫が散った後には唇から一筋の血を流しながら阿修羅の如き形相で仁王立ちをする女剣士がいた。

 いなされた体を戻し、再び顔の真横まで刀を持ち上げ、紫電が刀を覆う。


「ちぇぇぇぇぇぇ!」

「な、なんだこいつは?」


 裂帛の気合、左右から連撃にさしもの白凱浬も後手に回らざるを得なくなったのか距離を取った。


「如何ですか、我が示現流は?」

「猪武者が……」

「褒め言葉と受け取らせていただく。大陸の武官を切るは武士の本懐」

「ぬかせ」


 喜色を浮かべる直虎さんと面の奥で唸る白凱浬。

 対照的なまでの二人なのに、印象がどこか重なる。


「……」

「……」


 間を置いたことで互いが隙を狙い、狙われる。


「参る!」


 直虎さんが走る。

 掛け声からの初太刀、間を置かず左右への連撃、白凱浬が身をかわせば水飛沫と、紫電の熱で水蒸気が立ち昇る。


「馬鹿の一つ覚えだな」


 怒涛の攻撃を避け、白凱浬が反撃に転じる。

 湾曲刀を軸に体術を駆使して女剣士を攻め立て、掌底と蹴りを当てていく。


「さすがは武官筆頭」

「田舎侍め」


 今度は直虎さんから距離を取る。

 嬉しそうに口角を上げた女剣士は一層力を漲らせ、千鳥が纏う紫電は大きさを増していく。武士の本懐という言葉に偽りはないのだろう。両足を大きく広げた構えから必殺の気迫を発している。なにかを狙っているのだろうが、意図が丸見えだ。


「面倒な……」


 白凱浬は左手で湾曲刀を持ち、右の掌底に水塊を集めている。泥と塵の混じった水塊が蠢く中に白い薬包がまぎれているのを見逃すわけにはいかなかった。


「いざ!」

「終わらせてやる」


 引き始めた足元の水に合わせて直虎さんが動く。

 白凱浬も掌底を戦慄かせて地面を蹴った。

 狙い通りにはさせない。

 相打ちと後の先狙い、勝負が決まる一瞬へと身を躍らせる。


「……!」

「榊殿!?」


 交錯する刹那、二人の間に割って入る。

 白凱浬の掌底は腹部に、直虎さんの千鳥を受けた右腕は二の腕から落ちた。


「……双方ストップです。殺し合いに来たわけではありません」

「い、いけません。すぐに手当を!」

「大丈夫です。断面は……炭化していますから痛みはそれほどでもありません」


 嘘だ。

 本当は切断の上に焼かれた痛みが合わさって脳がチリチリする。

 腹部に受けた掌底も水圧で内臓を押しつぶしている。あらかじめ防弾繊維を巻いておかなければ無くなっていたかもしれない。


「ちっ!」

「戦うのは構いませんが……その前に、こちらをご覧ください」

「……!」


 尚も身を捻って攻撃を続けようとする白凱浬に書類を突き付ければ、歯車を抜き取られた機械のように突然動きを止める。

 それもそのはず、主題は「雨」様の救出方法と書いてある。

 別段そこに主眼を置いているわけではないのだが、相手に分かり易く興味を引く題材というのも手立ての一つ。


「貴様が、どうして雨様のことを……」

「先ほども、あなた方のことを調べたと申し上げたはずです。当然……あなたの主である雨彤(ユウトン)様と、皇帝一族のことも存じております」

「!」


 白凱浬の顔に驚愕が現れる。

 面を被っていても分かるほど露骨な変化に笑ってしまった。


「囚われの身であるそうですね。仕えていた武官たちは散り散りに、その様子ではあなたですら容易に会うことができない」

「……ど、どうして」

「身を置かれている場所も普通ではない。あまり体が丈夫ではないのでしょう。病院か、あるいは隔離施設にいらっしゃる。原因は水か薬品、アレルギーをお持ちなのではありませんか?」

「う、嘘だ! 日本に、雨彤(ユウトン)様のことを知っている人間などいない!」

「確かに、日本には……いません。ですが騎士王は知っていまし……た。何度かやりあったことがあるよう……ですね。あなたのことも随分と調べていましたよ」


 不快感と高揚感が混ざり、体の深部で渦巻き始める。

 視界にはノイズが走り色が抜けていく。


「繰り返し申し上げます。私は……あなたと争うために来たわけではありません。あなたの主についてもお話し……したい」

「日本に、貴様ら近衛に何ができるというのだ!」


 絶叫。

 負の感情を込めた視線で睨みつけられる。

 歴戦の武官からの殺意に冷や汗が噴き出すが、ここで折れてしまうわけにはいかなかった。


「手立ては、あります。状況を鑑みれば協力することも……可能となるでしょう」

「ならば……」

「最初からあなたも、直虎さんも、戦うことが……前提でした。一触即発、死にたがりと飢えた狼は争いたくてしかたありません。だったら適度にぶつかってもらい、そのうえで止めに入る。いわばガス抜きです」

「そのために私の一撃を受けたと?」

「わ、私は……特別、でして……。たぶん……たぶん、この程度ではしにま……ぐっ!?」


 胃から血液が逆流して吐いてしまった。


「本当か?」

「ええ、なにせ、あの虎の毒からも生還しました……から、折り紙つきです」

「榊殿、どうか治療を……」

「まだ仕事がのこっています」


 倦怠感がのしかかり、膝まで笑ってくる。

 倒れたい、目を閉じてしまいたいのだが、それができない。


「さぁ、参りましょう」

「? どこへだ?」

「言葉だけでは……信用できない……ことは、分かって……います」

「……?」

「私の言葉が信用できないのならば、信用できる方にお願いするまでです」

「この国に、私が信を置ける相手がいるとでも?」

「……まさか!」


 鼻で笑おうとする白凱浬だが、直虎さんは先に気付いたらしい。


「ええ、そのまさか、です。白凱浬殿……御所までご同行願えますか?」

「御所……だと?」


 白凱浬の目が驚愕に見開く。

 散々敵対行動をとってきた国の、まさに中枢へと誘おうというのだから驚くのも無理はない。しかし、白凱浬ならばその意味が分かるはずだ。

 同じ仕えるものとしてなら。


「この時間……ですから、まだ就寝、なされては、いないはずです」


 スマートフォンを取り出すが、片手なので扱いが遅い。

 もたもたとロックを解除して肩と頬で挟む。持ったままでは落としてしまいそうだったからだ。

 コールすること数秒、


『……はい』

「夜分遅くに……申し訳ありません。三〇分後、くらいになるでしょうか。少し……お時間を頂きたく存じます」

『……わかりました』

「ありがとうございます」

『……さかき、だいじょうぶ、ですか?』

「勿論です。……殿下、理由は聞かないのですか?」

『……さかきのこんたん、わかります』

「ご慧眼……恐れ入ります。それでは後程……」


 通話を切って猿面に合図を送るのとほとんど同じタイミングで心臓が大きく脈打ち、全身を這い回っていた虚脱感や倦怠感が薄れていく。快復し始めた症状に体内に入ったものへの耐性、あるいは抗体ができたと考えてよいだろう。


「直虎さん、申し訳ありませんが私の血を持って副長のいる病院に向かってください。何かしらの進展が見込めると思います」

「しかし、このような危険人物を殿下の元へなど……!」

「御所には鹿山翁や伊舞さんがいます。他にも大隊長も二人、裂海や貴女の義弟がいるのですから心配ありません。それに……」


 白凱浬へ視線を向ける。

 猿面を被っているので表情は分からないが、少なくとも体からは攻撃の意図が消えていた。


「信頼していただくにはこれが最善です。同じ境遇にあるのですから」

「榊殿……ですが……」

「貴女が死にたいのは分かります。役目から解放されたいという想いが強いのでしょう。しかし、それでは殿下がお喜びになるはずがない。昨晩、貴女も聞いたはずだ。誰一人欠けてほしくない、と」

「!」


 女剣士の心がひび割れる音を聞いた、ような気がした。

 慈母のような直虎さんに浮かんだ戸惑い、焦燥、憎しみすら浮かんだ顔が印象的だった。


「あ、あれは榊殿に向けられた言葉では……」

「殿下がそのような狭量な方だと思われますか? 体は小さくても心は大きいですよ」

「……」


 炭化した腕の断面をこすれば新たな血が滲みでてくる。

 用意しておいた小瓶に血を落とし、蓋をして預けた。


「さぁ、お早く。話の続きはまたあとでしましょう」

「……承知しました」


 走り去る後姿を見送ってから腕を拾って切断面を押し付ける。

 焼けているのでくっつくか不安だったのだが杞憂らしい。不快感などの症状も消え、視界も戻ってきた。


「お仲間には手出しさせません。あなたが戻ってくるまで、このままです」

「わかった」

「結構です。では、参りましょう」


 白凱浬の先導をして御所へと向かう。

 交渉の本番はここからだ。


来週二五日は第二巻の発売日となります。

最近読み始めたという方はこれを機会に第一巻を、そしてよろしければ第二巻とお手に取っていただければ嬉しいです。


活動報告に千景のラフ画と応援イラストについて記載しました。

こちらもあわせてご覧ください。

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