一八話
仕事の七割は下準備、表に出る実績など氷山の一角に過ぎない。
なにができるか、ではなく、なにかをするための準備ができるかどうか、が大事だと思っている。
渋谷区松濤に居を構える政治家城山英雄の邸宅前には何台もの車が停まり、黒服が警戒に当たっている。周辺は静かなのに雰囲気だけは物々しい。
「奇妙なものですね」
同行する直虎さんがしきりに目を配っている。
黒服から突き刺さる視線、向けられる監視カメラの多さに警戒心が高まっているのか腰の刀に手を置いている。この人は何かあれば即座に抜刀しそうだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」
「榊殿がそうおっしゃるのならば……」
頷いてついてきてくれるのだが、横に並ぶことなく常に三歩ばかり後ろにいるので話しにくい。
「さて……」
ばきばきと肩を鳴らし、頬を叩いて気合を入れる。
これからの交渉は神経を使う。集中力を高めていかなければならない。
上手く事が運べば誰の血も流さずに済む。傷付くことも悲しむことも、ましてや失うこともない。
「榊殿」
「はい?」
「りらっくす、です」
殿下の声真似に吹き出してしまった。口調もたどたどしさも、妙に似ている。
美人の顔まで幼くなっているようで肩の力が抜けた。
「似ていますか?」
「そっくりです。殿下の前ではしない方がいいですよ。きっと怒られます」
「でしたら榊殿の前だけに致しましょう。秘密です」
片目を閉じ、唇に人差し指を当てる仕草は少女のようでもある。
気遣いに感謝しながら自らの胸を叩き、城山邸の門をくぐった。
「お待ちしておりました。みなさまお揃いです」
執事が頭を下げ、部屋へと案内してくれる。
ここにきて一人で来なくてよかったと思ってしまう。後ろを預けられるというのは心強いものだ。
「おお、主役が来たな」
奥の座敷には家主の城山英雄が胡坐をかき、同じ派閥の外務大臣鈴木寿夫がいる。
少し離れて首相と関係を密にする法務大臣の川島と、国家保安という理想で協力関係にある陸軍参謀菅原もいた。
「お待たせをいたしました」
「さほど待ってはいないさ。さぁ、座ってくれ、榊君。それに……」
「近衛第九大隊長麾下、立花直虎であります」
「九州の麒麟児か」
外務大臣の言葉に直虎さんの視線が鋭くなる。
「鈴木、あまり茶々を入れるものではない」
座布団に腰を落ち着けるまでが長い。
ようやく役者が揃い、侍従がお茶を運んでくる。
晩春にふさわしい早摘みの煎茶を啜り、一呼吸置いてから口を開く。
「皆様にお集まりいただいたのは他でもありません。今年初めから我が国で起こっていた事件の全容を掴むことができましたのでご報告をいたします」
今年初め、という辺りで城山と外務大臣が目配せをするが気にしない。
「事の発端は法務大臣が進められていた、日本での国家保安局設立に関することでした。公安調査庁、警察、陸軍から招集された選抜メンバーの多くが行方不明となり、遺体で発見されました」
法務大臣の顔色が険しくなり、陸軍参謀は眉根を寄せる。
対する城山と外務大臣は自分たちで集めていた情報との整合性をとっているかのようだった。
「結論から申し上げれば、今回の事件には共和国の工作員が関与しています。それも我ら近衛と同じ能力を持つ武官が積極的に介入したことで被害が拡大しました」
「武官……」
ギリっ、と法務大臣が歯噛みをする。
「彼らが求めていたのは水、おそらくは浄水設備に関わるものや海水から真水を作り出す特許についても調べていることでしょう。共和国は経済発展の裏側で深刻な環境問題を抱えています。また、武官たちに影響力を持つ旧大秦帝国皇帝一族に危機が迫っていることも無関係ではありません……」
共和国の国内問題、皇帝一族の境遇、白凱浬。
集めた情報を説明すれば政治家は唸り、軍人は難しい顔をする。
説明を終えるころには煎茶はすっかり熱を失っていた。
「水ねぇ」
「そんなもののために武官を投入するとは……」
「いや、おかしな話ではない。水が潤沢に使えるのは一部の先進国だけ。大陸では砂漠化も進んでいる。安全な飲み水を欲するのは当然だ」
「解せないのはこそこそと暗躍することだ。水が欲しいなら買えばいい。それだけの財力はある」
「特許を盗むにしても日本である必要はないのでは? 欧州でも研究開発が進んでいると聞きます」
「単純に近く、隣国で潜入潜伏も容易だからではありませんか?」
議論を始めてしまう外務大臣と法務大臣に、軍人はだんまりのまま。
見かねた城山が咳払いをして身を乗り出す。
「榊君は私にそこまでを聞かせてどうしたいのかな。報告だけなら書面でもできる。君が考える解決方法があるのだろう?」
「私は共和国へ有償での技術供与を提案します」
外務大臣の顔が険しくなり、法務大臣は嫌悪感を露わにする。
自分の部下を殺した相手に手を差し伸べろというのだから当然かもしれないが、争っても益がない。
「榊殿、工作員を捕らえて共和国に外交取引をすることはできないのですか?」
「危険です。まともにやりあえば犠牲がでます。鷹司に匹敵する相手を生かした状態で捕らえることは不可能に近い」
「だったら、武官以外の工作員を……」
「捕らえたとして、共和国が認めなければ無意味です。先ほどもお話ししたように皇帝一族の力を削ぐために喜々として差し出してくる可能性さえある」
「しかし!」
「川島君、少し落ち着きなさい」
年長の城山に諭され、法務大臣は顔を伏せた。
自分の夢を潰されたのだからその反応も仕方ない。
「榊君、続けてくれ」
「大義名分があるなら奪い、非合法というなら合法化してしまえばいい。白凱浬を説得し、彼らに事業として正式に水や技術を輸出する。勿論、法の範囲で」
「ふぅむ。しかし、彼らが応じるかね。それに……合法化しても水面下で何をされるかわからないよ?」
「ですから城山先生には出資者となり、事業計画に加わっていただきたいのです」
俺の言葉に城山が目を見開き、派閥を同じくする外務大臣は驚愕する。
「冗談がすぎるよ。私は彼の国が嫌いだ。傲慢で野心的で見境がない。そんな連中と共同で物事を成すなど……」
「先生が保守派であることは存じております。ですから手綱を握る意味でも重ねてお願いしたいのです。今件に左派が加われば国の損失となるでしょう。しかし、城山先生ならばお任せできる」
「しかしだ、白凱浬が目的を達したとして、共和国の玩具であることに変わりはない。別の手段をとられるだけではないかね?」
「少なくとも現状の暗躍を止めることができます。問題が解決されれば焦りと不安で必死になっている白凱浬も冷静さを取り戻すことができるでしょう」
予想外だったのか城山が後手に回る。
しかし、狼狽えてくれればこちらのものだ。
「次の手はどうする。皇帝一族が人質に取られている以上は如何ともし難い……」
「共和国にとって皇帝一族は殺すことで大義名分を与えてしまう邪魔な存在と言えます。武官から遠ざけるのも影響力を無くすため。殺すには難しく、扱うのは難しい。こちらから提案し、国外へ出してしまうこともできるでしょう。日本がその引受先になればいい」
「そのようなこと……」
「出来る訳がないと仰りたいのは承知しています。ですが、今後を考えれば必要と考えます。時代は常に変化し、共和国もこのままとは限らない。一〇年後ではなく一〇〇年先を描いていただきたいのです。国の未来のため、どうかお願いを申し上げます」
「……一〇〇年か」
城山が溜息を漏らす。眼を閉じ、眉根に皺を寄せている。
齢七〇を越え、それでも政治家で居続ける意味を自らに問うているのかもしれない。
「……」
無言のまま、どれくらいの時間が経っただろうか。
陽光が橙へと変わる頃、老政治家が口を開く。
「私が引き受けたとして、その後はどうするのかね?」
「今申し上げるのは憚られます。掌を返されても困りますので」
「それは……随分と意地悪だね。具体的な策があるのかないのか分からない君の提案に乗れというのかい?」
「このような提案を無策でするとお考えなら、如何様にも」
「困ったものだ。私が断ったら総理にでも持っていくのだろう?」
「法務大臣をお呼びした理由はお察し頂けるかと存じます」
川島大臣に目を向ければ、彼は驚き、苦笑いを浮かべる。
証言者としてこれほど説得力のある人間もいない。
「君がこれほど狡猾になるとは思わなかったよ」
「騎士王の件で猛省をしました。私もそのままではいられない。戦わずにいられる選択肢を作るにはどうしても必要です」
「君なりの変化、ということか……」
「全ては日桜殿下のため」
目は自然と御所の方を向いていた。
あの御方さえいてくれたら、良い方向へと向かってくれるだろう。
「……わかった」
「城山先生!」
「私も引き受けることの意味くらい分かっている。だが、この小僧は私に説き伏せるだけの弁舌があることを見越しているんだ。男として売られた喧嘩は買わねばなるまい」
「ですが……」
「鈴木、この男に私心と欲があれば、私も受けはしないが……困ったことにどちらもない。滅私奉公など流行らない世の中で、年端もゆかぬ弱冠が境地へと至ることは難しい」
視線を向けられたので頷く。誤解をしてくれるなら有り難い。個人的には私心、なのだろうと思う。
ちび殿下曰く、願いに純も不純もない。あるのは欲だけなのだから。
「私の役目は主の理想を求めることにあります」
「これだ」
城山英雄が笑う。
老政治家の言葉に二人の大臣に驚きを隠さない。
保守系のタカ派で皇族信奉者が大陸を支援するというのは主旨替えに等しい。自らの地盤や支援者から懐疑的な目を向けられるだろう。しかし、この老政治家には卓越した論客としての側面、なによりも強烈なリーダーシップがある。無論、こちらも無策ではない。目論み通りとなれば過去の功績も含めてやり遂げてくれるはずだ。
「事業計画書はこちらに。詳しい打ち合わせは追って致しましょう」
「わかった」
フラッシュメモリーを手渡す。
ここまでくれば成功まではあと一歩。
「川島君も今回はよろしく頼む。菅原参謀もよろしいですかな?」
「ああ、いや、これは失礼。どうも雰囲気にのまれてしまってね」
薄くなった額を叩き、陸軍参謀は苦笑いを浮かべている。
「アタシら軍人は合理主義、持って回った言い方も考え方も苦手だ。正直、政治の世界も分からない。ああだこうだとグチグチ言葉遊びをする連中だと思っていた」
虚飾もなく本音を隠さない、とてもらしい言葉に政治家が失笑する。
「しかしだ、こうして臨席してみれば実情が見える。白黒、敵だ味方だと区別して備えるのは簡単だがね、実際は戦うよりも難しいことは多い。勉強させてもらった」
「それは重畳。どうだろう、皆の団結と協力を祝して一献というのは?」
城山が手を傾けるが、生憎と毒蛇の巣に長居は無用。
せっかく上手くいったのに、酒で藪蛇は勘弁願いたい。
「私たちはこれで失礼します」
一礼して立ち上がる。
突き刺さる視線を背に邸宅をでて、車まで戻れば気が抜ける。
何度か深呼吸をして、ようやく人心地着いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まだ大事な仕事が残っていますから」
隣に座る直虎さんの気遣いが有り難い。
ここで満足してはいられないからだ。
「一つ伺いたいのですが……榊殿はあの政治家のことを信用されているのですか?」
「本心まではわかりません。ですが、殿下や陛下への衷心は本物だと思います……いえ、私が思いたいのでしょう」
女剣士の問いに告解する。
一つ言えるとするのなら老政治家の目は死んでいない。
「政治家というのは信念が無ければできない。城山英雄の信念はなにか。辣腕と称され、自らの派閥を持ちながら七〇を迎えて総理大臣へ手が届かない。それでもなお政治家で居続ける理由は何なのか」
自分自身に政治家への野心がなく、理想を共有することができない。
経歴と軌跡をたどれば郷里への愛、もっと突き詰めればこれからへの危惧。愛するが故の心配と憂いがあるのではないか、と。
「これからの世界はますます混迷を極め、難しい時代になる。金だけでは、欲望だけでは解決できない問題が出てくるはずです。殿下や皇族の方々が必要とされるのはそのようなときだと私は思います。一年後、二年後のことを考えるのも大事ですが、一〇〇年後に誇れる時代であることも目指さねばなりません」
「榊殿こそ政治家のようです」
「ご冗談を。政治家なんて私では勤まりません。殿下を護ることで精いっぱいです」
瞼の裏に映るのはちび殿下、それに千景とノーラもいる。
三人の未来のためならば身などいくらでも奉げよう。
「さぁ、戻りましょう。きっと首を長くして待っています」
「ははっ」
活動報告にとらのあな様で専売となるタペストリーの画像を置きました。
本編でのシーンを切り取った場面となります。
ご覧ください。