一七話
数日振りに奥多摩にある近衛府が管理する収容所を訪れる。
車で約二時間の道のり、大変なので一人で来ようとしたのだが直虎さんの強い希望で同行になった。
目的は外務省、騎士王が手配してくれた大英帝国の資料から導き出したものの裏を取るためなのだが、
「榊殿、菓子は如何ですか? 鶏卵素麺、筑紫もち、博多通りもんもございますよ」
道中、助手席に座る立花直虎さんがしきりにお茶やお菓子を差し出してくるのには参ってしまった。
甘いものは得意ではないので断ると、
「……左様ですか」
と寂しそうにするのでタチが悪い。なんというか、最初会った時と比べると奔放で楽しんでいるようにも見える。
根負けして横を見れば美人の膝にはずらりとお菓子が並ぶ。どれもあまり見たことがないので関東のものではないのかもしれない。
「食べやすそうなものを……」
「でしたら松露饅頭をどうぞ」
「はぁ、どう……」
手を出したのに口に押し込まれてしまう。
ほぼ円形の饅頭を咀嚼すれば生地が解けて柔らかな餡が口に広がる。美味しいのだが、一つで十分な甘さだ。
「直虎さん、そろそろつきますから……」
「承知しています」
にこやかな美人というのは悪くない。押しが強いこと以外は。
広い駐車場に車を停め、二人で収容所へと足を踏み入れる。
相変わらず威圧感を感じる内装を進めば、独房に男はいた。
「来ると思ってたよ」
「……そうか」
囚人服に両手首、両足首に拘束具を付けた大陸の虎。
独房が開けられ、がらんとした室内に足を踏み入れれば独特の臭気が漂っていた。
「今日は聞きたいことがあってきた」
「女連れか? 交渉というからにはそれなりの世話も……」
ウイスキーに煙草、それに食事。
多めに持ってきた交渉材料をチラつかせる暇なく、下卑た笑みを浮かべた共和国の虎を、日本の猛虎が容赦なく蹴り飛ばす。
「黙れ。私は榊殿のように優しくはない」
「ぐっ!?」
足枷、手枷で動けない虎を女剣士が蹴り、髪を掴んで持ち上げると平手打ちを見舞い、そのまま壁に叩きつけてしまった。
こちらが呆気にとられている間にも日本の虎は制裁を加え続ける。
「貴様に拒否権はない。答えなければ足先から寸刻みにしてやる」
「お、おいっ!」
あまりの出来事に虎が俺に助けを乞う。
このままでは本当にやりかねないほどの勢いだった。
「直虎さん」
「ははっ」
美貌の女剣士は制止に従って手を止める。
内心でもあまりの変貌ぶりに驚いてしまった。
「な、なんだこいつは?」
「知らない方がいい。それで、答える気はあるか?」
持参したウイスキーと煙草を置く。
「ま、前と変わらないぞ?」
「食事の改善はできる。あとはお前の答え次第だ」
「……いってみろ」
問いかけに虎は俺と女剣士を交互に見つめてから吐き捨てる。
「白凱浬が日本に来ている」
「……へぇ」
目が驚きに見開く。
それまでへらへらしていたのに眼球がせわしなく動き、思案していることが伺えた。
「共和国の武官筆頭らしいな」
「本人が名乗ったのか?」
「情報によれば極彩色の猿面を被り、水を使うのは白凱浬だけ。どうだ?」
「へっ、さぁな」
「答えろ」
出し惜しみをすると女剣士が容赦なく殴る。
虎は何度か躊躇うような様子を見せ、渋々口を開いた。
「じょ、条件を付けさせてくれ」
「立場が分かっていないようだな……」
「直虎さん、ストップです。聞くだけ聞きましょう」
「榊殿が寛容であることに感謝しろ」
鬼の形相で凄む女剣士にこっちまで委縮してしまう。
これからは怒らせないように注意したい。
「それで、条件というのは?」
「俺を逃がせ。できれば米国、大英帝国辺りが良い」
「本気か?」
「ああ」
「……できるかどうかは別として、亡命しても自由は保証できない」
「構わんさ、白凱浬までこっちにいるということはいよいよだ。それに、向こうさんなら俺の情報を高く買ってくれる」
諦めか、それとも何か思惑があるのか、判断しかねる場面だ。
しかし、情報の真偽が判別できない状況で毒虎を殿下の近くに置きたくない。
「分かった」
「榊殿、よろしいのですか?」
「殺しても益はなく、置くにはリスクが高すぎます。第三国に委ねる方がいいでしょう」
「承知しました」
直虎さんは素直に従ってくれる。
どうでもいいが部下みたいな態度は止めてほしい。
「まずはそいつをくれないか?」
ペットボトルに入ったウイスキーを渡すと虎は一口含み、噛むよう咀嚼して飲み下す。煙草を差し出し、火を着けてやると限界まで吸い込み、紫煙を吐きだす。
何度かそれを繰り返せば、虎の顔からは生気が抜け落ちていた。
「で、なにが聞きたい?」
「白凱浬についてお前が知り得ることが聞きたい」
「名前と能力以外は分からないって自白しているようなものだな。話せよ、お互い信頼関係が大事だ」
少し躊躇われたが鷹司が相対したことを告げると、虎は心底愉快そうに笑う。
「鷹司ってのは雷帝を切った女だろう?」
「潜水艦を切ったのもあの人だ」
「っくっくっく、これは傑作だ。同胞が一矢報いてくれたわけだ」
祝杯だとウイスキーを傾ける虎に、女剣士が拳を握るのを辛うじて止める。
目は殴らせろと訴えているのだが、許しては元の木阿弥になる。
「確かに、日本にいるのは白凱浬で間違いない。猿面はヤツが好んで使う美猴王を模したものだ。あんな派手で前時代的な変装をするのは白凱浬しかいない」
「美猴王?」
聞きなれない単語に直虎さんと顔を見合わせる。
「斉天大聖だ。ヤツは皇帝の守護を自認していたからな」
「孫悟空、西遊記に出てくる猿か」
愉快そうに笑う虎に辟易しながら質問を続ける。
今回の起こり、事件のあらましを話せば虎は思案顔をする。
「妙な話だ。暴れまわっていた白凱浬を手懐けた皇帝陛下の長子、雨彤に誓いを立ててからはヤツは人殺しをしていない。水は確かに白凱浬だが、他にも水銀を用いるものがいる」
「別人が関与していると考えるのが妥当だな」
「そういうことだ」
鷹揚に頷き、ウイスキーを傾ける。
「最後だ。白凱浬が日本に来た理由が知りたい」
「知らん。ヤツとはもう何年も会っていない。探して、自分で聞くんだな」
「知らなくても予想くらいはつくだろう?」
「はっ、小賢しい貴様のことだ。欲しいのは裏付けじゃないのか?」
当たりだ。
あまり手の内を晒したくはないのだが、見破られては仕方ない。
「共和国では装備の近代化、組織の統制が進むにつれて武官の不要論がでている。どれほどの人数がいるのか分からないが、そこそこ名前の売れているお前でさえ外に出されるのは扱いが軽いからではないのか」
「……どうしてそう思う?」
「軍事費の増大が著しい。独裁国家がやるにしても急激すぎる。近いうちにどこかと一戦交えるとも考えたが、お前の言葉から周りへの牽制ではなく内部へ向けるものだとしたら……。武官が日本に来る理由も遠ざけるためだと思った」
「近衛対策、とは考えないのか?」
「それこそ愚策だ。大事なら孤立無援の敵陣で大駒を無くすことはしない」
「相変わらず口が回るな」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
虎の眼球が再び動く。
「どうだ?」
「……正解だ。共和国では武官は不要になりつつある。かつては二〇〇人以上いたが、半分軍属になり、もう半分は紛争地や国境地に送られている」
思った通り、共和国内では武官たちの弱体化が進んでいる。
個人が力を持つような状況を作り出さないようにしているのだろう。あとは保険、万が一にでも歯向かうことのないようにしている。
「白凱浬は?」
「やつを含め数人の武官だけが皇帝陛下と家族の傍にいるが実態は国の玩具だ。皇帝陛下は長子を人質に取られ、傀儡になっている」
「未だに皇帝を生かしておく理由は反乱を恐れていると考えていいのか?」
「いくら中央政府でも一〇億以上の人間を統治できない。都から遠ざかるほどに影響力は薄れ、軍閥が力を蓄えている。皇帝一族を殺せば、それを名目に人が集まるだろう。一つでも反乱を許せば、周りから食われることは明白だ」
ここまではほぼ予想通り。
あとは白凱浬の目的だけ。
「日本にいる連中の目的に心当たりは?」
「さぁな、さっきもいったが国の玩具だ。適当な命令で送り込まれたことも考えられる」
「……保留だな」
分からないことを無理に理由付けしても良いことはない。
潮時だ。そう思っていると、
「貴様らも遠からず我らと同じ運命をたどる」
虎が苦笑いと一緒に吐き捨てる。
かつては尊敬され、羨望の眼差しで見られたであろう武官は過去のもの。
時代に駆逐された敗者がくだを巻く。
「技術に呑まれ、大衆に引きずり落される。待っているのは惨めな未来だけだ」
「だからどうした?」
「せいぜい尽くせよ。近衛諸君」
「そうか」
虎に背を向けて収容所を後にする。
車まで戻ると、直虎さんは神妙な顔つきをしていた。
「……大丈夫ですか?」
「榊殿こそずいぶんと難しい顔をされている」
「虎の言い分も分かると思いましてね。兵器が発達し続ければ、やがて近衛も不要となるかもしれない。価値がなくなれば、いずれ同じ運命をたどるでしょう」
「不服ですか?」
「いいえ。今からでもお願いしたいくらいです。こんな危ない仕事、いつまでもしてはいられません」
「私は困ります。榊殿ならば近衛以外でも殿下と共にあることでしょうが、棒振りしか能のない我ら武士は路頭に迷う」
「そのようなことは……」
「今の時代、勉学を疎かにした者に行く先などありません。遠からず犯罪に手を染めるか、苦界に落ちる。それとも、榊殿が嫁にもらってくださるか?」
「……直虎さん」
言葉とは裏腹に女剣士の横顔に悲壮感はない。
彼女も次の時代への転換を待ちわびているようにも見えた。
「私は死ぬつもりで帝都に参りました。父からは白凱浬を討たずば戻ることは許さないといわれています」
「あまり逸らないでください。交渉が上手くいけば戦わずにすみます。殿下は誰の流血も望んでいません」
「ここ一年で最も血を流された榊殿が申されるか」
「私だからです。皆さんが傷付けば、殿下は悲しまれることでしょう。笑顔を作ることが私の役目、ならば任を全うして見せます」
「笑顔……ですか。そのための工作を今からなさる?」
「はい」
目指すは渋谷区松濤。
金持ち政治家の懐だった。
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