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一四話


「お久しぶりでございます」


 御所にある座敷で立花直虎が頭を下げる。

 目の前には鹿山小次郎と伊舞朝来。渋面の二人に対し、彼女は気負った様子がない。


「昨年の夏以来だな。勝頼殿は息災か?」

「お陰様で毎日のように遊び歩いております。母上が気の毒でなりません」

「相変わらずなわけね」


 実父の放蕩振りを語る娘に、伊舞が呆れた。

 鹿山と伊舞は立花家の隠居にして直虎の実父、宗忠からすれば義父にあたる人物を良く知っている。


 立花勝頼も近衛として仕えた過去があるのだが三〇年ほど前、共和国との小競り合いで右足を失ってからは一線を退き、一一年前に直虎が元服してからは刀を納めて九州に戻った。さらに二年前、由布家から宗忠を養子に迎えてからは隠居生活を送っている。豪放磊落の九州男児から肩の荷が下りれば結果は見えていた。


「此度の件、勝頼殿はなんと?」


 かつての戦友を思い出す鹿山の前に、直虎は懐から書状を取り出すと畳の上に置いた。


「見事果てて来い、と。白凱浬の首を取らずして立花家の敷居を跨ぐことはできません」

「あの御仁は……」

「そっちも相変わらずなのね」


 鹿山と伊舞、和らいだはずの表情が再び曇る。

 立花勝頼という人物はこと実子に厳しい面がある。男子を欲したのに子供は直虎ただ一人、規律を強く堅持し続ける現代武家にあっても人一倍の強情さをみせていた。


「これは委任状です。何かあれば宗忠にお渡しください」

「勝頼殿も気が早い。なにもこんな時に……」

「鹿山翁、相手は白凱浬です。鷹司副長、騎士王、それに雷帝と並ぶ兵なれば、当然かと」

「貴女を死なせるつもりはないわ」


 伊舞の言葉に直虎はわずかに首を振る。


「相応の覚悟で臨まねば相対することなどできません。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありましょう」

「むぅ……」


 美貌の女剣士の決意は固いと悟ったのか、年配二人はそれ以上の追及ができなかった。


「私は当主代行を離れ、一人の侍として参りました。刀にこの身を託せるは武士の本懐。嬉しく存じます」


 直虎の視線は少しだけ開いた障子戸の隙間から外へ向けられる。

 そこには千景、エレオノーレと遊ぶ日桜の姿があった。


「なんと睦まじい」


 目を細める。

 直虎の脳裏には幼少期の日桜が思い出されていた。


 元服をしたばかりの直虎が最初に任されたのが当時の皇太子妃と、生まれたばかりだった日桜の護衛。九州の片田舎から出てきたばかりの直虎は本部での慌ただしい毎日から一時とはいえ解放され、安堵したことを覚えている。


 皇太子妃は折に触れて直虎に日桜を抱かせた。武士であれ、剣士であれと強く言い含められてきた直虎にとって、女性という存在を意識させられた瞬間でもある。日桜の成長を見てきた直虎からすれば、今の状態がどれほど大切であるか分かる。理解者を得られたことは僥倖だ。


「鹿山翁、伊舞殿、この直虎、一命に代えましても白凱浬を討ち取ってご覧にいれます」


 女剣士は誓いを新たにするのだった。



     ◆



 情報とは多ければ多いほどいい。

 副長室にこもり、鷹司が集めていたもの、たどったであろう思考を読んでいく。陸軍からの資料、公安調査庁からの報告書、犠牲になった職員たちの検死結果。乱雑なだけの情報から共和国の狙いを絞るのは難しい。


 鷹司は部屋で書類を眺めていることでは事態の進展は図れないと踏み、実地へと至ったのだろう。それは間違いではなく、五里霧中の状態を打破することができた。

 ならば俺がするべきは発展。これまでの事実、今回の現場から得られたもの、そして白凱浬という存在から答えを導かねばならない。


「副長は外部への漏えいを気にして情報が十分とはいえなかった。補うべきは別の角度からのさらなる情報、と」


 共和国の狙い、そして暗躍の理由を探すために副長室に備え付けの電話に手を伸ばす。携帯で番号を確かめながらボタンを押し、待つこと数秒。


『鈴木です』


 外務大臣、鈴木寿夫がむっつりした声で応じる。

 政治家相手ということもあり、咳払いをして精一杯の威厳を込めて声を出した。


「近衛府の榊と申します。先日城山先生のお宅でご一緒させて頂きました。覚えていらっしゃいますか?」

『……ええ、勿論です。その後は如何ですか?』

「お陰様でなんとかやっております。大臣もご活躍のようですね。シンポジウムでの演説はお見事でした。自然エネルギーの活用、開発は国際社会にとって日本がリードできるものの一つであることを示せたと思います」

『君は……ずいぶんと人を喜ばせることが得意なようだ』

「事実を申し上げたまでです。殿下もさぞ喜ばれたことでしょう」


 外務大臣の言葉には驚きの色がある。

 しかし、このくらいの調べは当然だ。相手が政治家ならば殊更といえる。


『ふっ、用件はなにかな。まさか、私を褒めたかったわけではないだろう?」

「ご慧眼恐れ入ります。実は折り入ってお願いがあり、お電話をさせて頂きました。本来は秘書の方を通すべきなのでしょうが、急を要すことです」

『伺いましょう。ただ、今はあまり時間がない。手短にして頂けますか?』

「では単刀直入に申し上げます。共和国の、水に関する資料が必要です」


『水とは……また曖昧ですね。一口に水といっても多種多様、どのような水をご所望でしょうか』

「上水道、浄水技術に関するものです。特に瀋陽近辺のものがあれば精度が高くなるでしょう」

『瀋陽? 北京ではなく、ですか?』

「あまり深入りをしますと御身が危なくなります」

『警告ですか?』

「いえ、軍部も絡みますので一〇年後を考えるのならば止した方が賢明です。互いに腹の探り合いは気持ちの良いものではありませんでしょうから」

『……』


 外務大臣が黙る。

 一〇年後、という言葉に深い意味はない。こちらとしては想像力を利用して思わせぶりなことを並べているだけだ。


『わかった、用意しよう』

「ありがとうございます。お礼ですが、欧州関連のものがございます」

『欧州?』

「はい。日本からスエズ運河を経由してイスタンブールやアルバニアのドゥラスへ定期的に船便が就航しています。中古車や工業用品に紛れて禁輸品が渡っていることが考えられます。公安調査庁からの資料では水に麻薬が溶かし込まれているとありますから、飲用水に偽装して共和国からのものが持ち込まれているでしょう」


『正確なものですか? 藪蛇は困ります』

「確度は保証します。運輸局を突いて検査してみるとよろしいかと。国交省とは近しい間柄だったと記憶しています。欧州への渡航は来月ではありませんか?」

『わかりました。それが本当なら欧州連合への手土産ができます。イタリアやスペインでは出所不明の安価な薬物が出回っていると聞きますから、向こうは飛びつくでしょう』

「お役に立てるなら何よりです。お忙しいところありがとうございました」


『……榊殿』

「なにか?」

『また、よろしくお願いします』

「いえ、こちらこそ」


 礼を言って受話器を置く。

 ふう。

 大きく息を吐いて背もたれに体重を預ける。どうにも政治家相手は疲れる。

 白凱浬が日本にいる理由、共和国が狙うものが想像通りであるとするならば、十分に付け入る隙がある。確度をさらに高めるべく、受話器を取ってもう一つの番号を押した。


『菅原です』

「近衛府の榊と申します。参謀長、先日は不躾をいたしました」

『ああ、平蔵君か。いや、いいんだ。アタシたちこそ深入りをしてすまなかった』


 江戸っ子らしくさっぱりとした気質の菅原参謀長は話しやすくていい。

 政治家とは気苦労が違うからか、ある程度打ち解けて話すことができる。


「参謀長に折り入ってお願いがございます」

『君からお願い?』

「あまり身構えないでいただきたい。共和国の軍事費と装備の拡充についてです」

『それが今回に関わる、と?』


「懸念が的中すれば、です。我が国の、近衛の立ち位置にも関係すると申し上げればわかるかと存じますが」

『おっと、そいつは剣呑だ。我らでも皇族への疑問は禁忌だというのに……』

「共和国は伝統を捨てた国です。過去と禁忌のベールが無くなった今の比較が知りたいと思っています」


 参謀長が受話器の向こうで嘆息する。

 軍人である以上、考えたことの一度や二度はあるはずだ。それも、かつては近衛の肉の盾と揶揄された陸軍ならば尚のこと。


『君は不安ではないのか?』

「我が身は日桜殿下に奉げました。日桜殿下の望みは国家の安寧です」

『……若造が粋がるじゃないか。ついぞ聞かない台詞だ、気に入った。用意しよう』

「恐縮です」


『だが、一つ貸しにさせてもらうよ。目無し耳無しの近衛にくれてやるには惜しい代物なんでね。君以外の閲覧もなしだ』

「ご安心ください。現時点では私以外が見たとしても無価値です。猫に小判、豚に真珠、武士に数式……では言いすぎでしょうか」

『覚えておくよ』

「ありがとうございます」


 受話器を置いて一呼吸すれば肩が重くなっていることに気付いた。

 気軽な交渉などないことを思い出し、サラリーマン時代を思い出す。


「さて次は……」


 別の書類に手を伸ばそうとしたところで部屋のドアが叩かれる。

 顔を出したのは意外な人物。


「榊殿、こんなところに居られたのですか」


 妙に穏やかな顔の直虎さんに思わず背筋が伸びる。


「少しでも状況の整理を、と思いまして。直虎さんこそどうかしましたか?」

「私ではありません」


 微笑を浮かべる女剣士の後ろから頭が三つの覗く。

 下から殿下、ノーラ、千景の順番だ。


「……さかき、おしごとばかりで、しんぱい、です」

「難しい顔ばかりしています」

「休息も必要なのではなくて?」


 なるほど、こういうことか。

 矢面に立たされている直虎さんが少しばかり不憫だ。


「小腹がすいてくる頃かと思いまして、茶菓子を用意いたしました。如何でしょうか」

「頂戴します。御三方もどうぞ」


 頷けばちび三人は嬉しそうに顔を見合わせる。

 千景はこちらに駆け寄ってきそうだったので椅子から立ち、応接用のソファーへ移動する。

 資料を引っ掻き回されては面倒だ。


「直虎さん、それは?」

「これは野点籠です。伊舞殿からお借りしてきました」


 直虎さんが携えてきたのは木製の野点籠。

 屋外でお茶を飲むための道具箱とでもいえばいいのか。テーブルに置いて中を開けば、急須や小さな茶器、茶筒などの道具が出てくる。


「湯を用意しますのでしばしお待ちください」


 一旦部屋を出る直虎さんを尻目に、ちび三人は籠から出てきた茶器に興味津々だ。

 ノーラは籠を触り、千景は茶筒を手に取る。ちび殿下だけは茶菓子を見つけ、目を輝かせていた。


「携帯用のティーセットですか?」

「そうだね。俺もあまり詳しくはないけど、野点というのは茶道の世界で使う言葉だったと思うよ」


 ノーラは異国の、今は母国となった文化に興味があるのか、実に熱心だ。


「茶道なら抹茶だと思うのだけれど、これは普通のお茶の葉ね。急須もあるし、煎茶かしら」

「煎茶道は……あるのでしょうかね」

「平蔵も知らないことがあるの?」

「ありますよ。むしろ多いくらいです」

「ふぅん」


 千景の言葉に肩を竦めて見せる。

 お茶なんてカフェインが入っていて苦ければそれで成立すると思っているくらいだ。あまり味わって飲んだことはない。


「……さかき、つかれていますか?」

「大丈夫です。殿下こそ、無理をされていませんか? 食事はきちんと取れていらっしゃいますか?」

「……はい。だいじょうぶ、です」


 伸ばされた手を上下に揺すれば、ちび殿下はご満悦だ。

 まったく、幼児みたいで危なっかしい。


「お待たせしました」


 そうこうしている間に直虎さんが湯気の上る鉄瓶を持ってくる。

 優雅な手つきで盆に茶器を並べ、鉄瓶から急須や茶器に湯を注いで温め、


「先にお菓子をどうぞ」


 懐紙に乗せた練りきりを勧めてくれる。

 ちび殿下は無邪気にお菓子を頬張り、ノーラは初めての煎茶道に瞳を輝かせ、千景は眦を吊り上げていた。


「榊殿もどうぞ」

「恐縮です」


 あまり得意ではない練りきりを食べる間に、直虎さんは急須から器に茶を注ぎ、茶托へ乗せてそれぞれの前に置いた。


「八女のやぶきたです。少々渋いのですが旨味も濃い。お気に召していただけたら良いのですが」


 直虎さんの所作は丁寧で、とても優雅に映る。

 勧められるままに一口啜れば菓子の甘みを渋みが流し、あとからお茶の甘みが追いかけてくる。とても美味しい。


「日桜殿下、失礼します」

「……?」


 藍の手巾で口元を拭う姿は大和撫子といっていい。

 言動は男性的なのが余計にギャップがある。


「榊殿も如何ですか?」

「はい、とても美味しい……です」


 正直を口にすれば、テーブルの下で千景に足を踏まれていた。

 この子の将来が心配でならない。


「直虎さん、あとで私にも教えてください」

「勿論です、千景様」

「あっ、私もヘイゾウさんを釘付けにする方法が知りたいです」


 千景とノーラが直虎さんの袖を引っ張る。

 いつもは麗人然とした直虎さんが柔らかい表情をしているのが気になったが、俺の袖を引っ張る殿下に気付いて思考が中断される。


「……くぎづけ?」

「二人の勘違いです。殿下はそのままでいてください」

「……どういういみ、ですか?」

「見目麗しく存じます、ということです」

「……ごまかしました」


 頬を膨らませる姿に笑ってしまった。

 束の間の穏やかさに浸る。



第二巻の発売が五月二五日に決まりました。

来月上旬には書影も公開されます。

千景の姿をどうか見てやってください。

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