一三話
現代において情報とは武器そのもの。
この世に完璧な人間などいない。誰しもがどこかしらに歪みを持ちながら、時には押し殺し、時には解放しながら生きている。
何かを成すためには対象を知らねばならない。
調査と分析はサラリーマン、特に営業時代の必須項目。需要と供給、求めているものになら大金を払い、充実しているのなら一文だとしても引き出すのは難しい。砂漠でキンキンのコーラは高値で売れるだろうが、南極で氷を売ることは難しい。
相手の市場規模の調査、売り上げ、雇用人数、社長の気質、男女比、果ては購買担当の趣味嗜好、家族構成と情報はあるだけ良い。いざ交渉の場面になればどのカードが切り札になるか分からない。
白凱浬と、背後に蠢くであろう陰謀を暴くため向かったのは帝都から車で二時間、奥多摩にある近衛府が秘密裏に管理する収容所。
付近を山に囲まれ、人家のない場所に罪を犯した特殊な人間たちが収容されている。俺が聞かされているのは、この中に虎がいるということ。
「これはまた、すごい場所だな」
山と山の間、とでも表現すればよいのだろうか、三方を囲まれた小さな盆地のような場所にその建物はある。
鬱蒼とした木々の中に突然現れる赤いレンガ造りの建物、周辺を囲うのは幾重にも張り巡らされた高い鉄柵。入口に人の姿はなく、監視カメラとセンサーによって開く仕組みらしい。
「……」
異様な、まるで山岳信仰の一説にある迷い家のような外観に圧倒されながら職員用入口、と書かれた鉄製のドアを叩けば、
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
どこにでもいそうな刑務官服の男性に案内される。
「うっ……」
中に入ればレンガ造りの外観とは裏腹に、壁も天井も鈍色の金属で覆われている。あらゆる場所に監視カメラがあり、歩くたびに足音が反響する。圧迫感を感じてしまう造りをしていた。
「会話、行動はすべて録音、記録されます。面会時間は一〇分です。刀、刃物はここへ置いて行ってください」
「承知しました」
職員に刀を預け、通路内にもいくつかある鉄格子を通って目的の場所へとたどり着いた。
面会室などない。独房そのものの前に立ち、つながれた男を見る。
顔は頬の肉がこけて精悍さはない。両手首、両足には拘束具が付けられて身動きすら容易ではないのだろう。それでも男の顔には見覚えがあった。
「久しぶり、とでもいえばいいのか?」
俺の声に男がゆっくりと目を開ける。
「……貴様は」
かつて新潟で相対した虎は俺の顔を見るなり、大きく目を見開いてからしゃっくりでもするような声で笑う。
「……榊平蔵」
「覚えていてくれて嬉しいよ」
「忘れるものか。貴様のおかげでこの様なのだからな」
虎は両手の拘束具を見せつける。よくみれば虎の片目は白濁して、喋るたびに顎や喉が痙攣しているのが分かった。
「自分のか? それとも俺の方か?」
「貴様に決まっている。忘れたとはいわせない」
「自家中毒ってのは自然界でも往々にしてある。あまり決めつけないでくれ」
牢の前まで来ると虎の様子が良く分かる。
体に筋肉はなく、声はしわがれ、かつての面影はない。
「お前に聞きたいことがある。答えによっては色々な便宜が図れる」
「便宜? それよりもコレをどうにかしてくれ。痛くてたまらないんだ」
虎が手首を持ち上げる。両手首は拘束具によって傷付き、うっ血している。動くたびに金属が当たり、治ることがないのだろう。だが、それは俺の権限にはない。
「上に掛け合うことはしてやる。手付を持ってきたんだ」
「……」
「共和国のことについていくつか聞きたい」
「断るといったら?」
「お前次第だ」
置いたのは煙草とマッチ、ウイスキーの入ったペットボトル。気付いた虎の顔色が変わる。
無言のまま煙草の封を切り、一本取り出すと咥えて火を着けた。
俺自身は煙草を旨いとは思わないが、共和国の男は大多数が喫煙者。軍人は特に好きなはずだ。
「ふぅ」
紫煙を吐きだし、笑って見せる。重要なのはこちらからは積極的に話さないこと。交渉でどちらに主導権があるのか分からせなければならない。
「……」
「……」
虎の眼が俺と嗜好品との間で泳ぐ。
俺ならば何で悩むだろうか。
捕まったとして、情報を求められたらおいそれと口にはできない。仲間への裏切り、母国への背任、戻れたとしても立場がない。俺ならば手柄が欲しい。失敗を帳消しにするような大きな手柄が。
「残念だが、俺は酒も煙草も嫌いだ」
「そうかな? お前の喉はさっきから何回も動いているし、鼻だって同じだ。嫌いだったら顔を背けている」
「……ここでは珍しいからな」
言葉で遊ぶ間も鼻は大きく膨らみ、匂いを吸い込んでいる。
辛いであろう囚人生活の中で思い出されるのはやはり嗜好品や娯楽の類か。自分に置き換え、想像を膨らませながら言葉を選ぶ。
「お前にその気があるなら何度か通おうと思ったんだがな」
「はっ、口の回る奴だ。拷問された時は青ざめていたくせに」
「物事は結果が重要なんだよ。俺には自由がある。お前にはない」
煙草の煙を吹き付ければ、虎の顔は歪む。
「……」
「……」
無言のまま手の中で煙草の火だけが燃えて灰になっていく。
欲しいもの、目指すものを探り合い、時間だけが過ぎた。
「時間だ。縁がなかったな」
間もなく一〇分、煙草をもみ消してペットボトルを仕舞う。
「待てよ」
どうしたものか、と考えていたところで声がかかった。
振り向けば虎が笑みを浮かべている。
「先ずはそちらからだ。質問が分からなければ答えようがない。そうだな……事と次第によっては話してやらなくもない」
「どんな心変わりだ?」
「それはこちらのセリフだ。貴様がここへ来る意味が知りたくなったのさ」
嗜虐的な顔をする。
捕らえられ、牙を失っても虎は虎、駆け引きを分かっている。工作員としての腕は衰えていないらしい。
「生憎もう時間だ」
「通うつもりがあるんだろう? 手付ぐらい置いて行けよ」
「……なるほど」
今回のことで周囲からは拷問を提案された理由が分かった。だが、拷問で得られる情報は確度が低い。情報を確かめる術がないなら尚更。
このままでの交渉は不利。だとしたら、取るべき手段は一つ。
「そら」
もみ消した吸い殻だけを投げる。
それでも虎の顔は揺るがない。
「聞きたいことがあるにしては傲慢だな」
「心証が悪いんだから当然だ」
「そうかい。じゃあ、次に期待しよう」
虎は引き攣った顔のままで笑う。
この会話こそが彼の娯楽なのかもしれないと思ってしまうほどに。
睨んでも暖簾に腕押し。鷹司の顔が浮かんだが急いては事を仕損じる。情報を精査し、改めて臨むとしよう。
「……榊平蔵、また会おう」
背中への呼びかけを無視して監獄を後にする。
笑い声はいつまでも木霊していた。
◆
奥多摩から車を飛ばして帝都の中心部へ戻り、向かったのは東京駅丸の内口。
駅前の駐車場に車を着け、時計を見る。
「丁度かな」
時刻は一五時、予定ではそろそろのはず。
車を降りて駅へ向かおうとしたのに、気付いてしまった。
「相変わらず目立つ人だ」
駅の正面、人が殺到する出入り口にスーツ姿の女性が立っている。
紺色の上着に同色のパンツ、サングラスまでかけているのに異様に目立つのは整った容姿と、背中まで伸びる美しい髪のせいだろう。
「直虎さん」
手を上げ、声をかければ九州を代表する譜代武家の当主代行はサングラスをとって一礼する。
動作所作は男性、武士そのものなのに、この美貌の女剣士はどことなく艶がある。内面から溢れるもの、といえばよいのか、本部の女性陣からは感じられないものを持っている。
「お久しぶりです、榊殿。息災であられたか?」
「直接会うのは京都以来ですね。お陰様で、なんとかやっております」
この人と相対するとこちらの背筋まで伸びてしまう。
丁寧に頭を下げれば、女剣士の顔がわずかに綻んだ。
「通信では何度も顔を合わせていても、やはり目の前にすると違うものですね」
「そういうものですか?」
「はい。榊殿は会う度に大きくなられる。先が楽しみです」
「大きく……なってますかね?」
身長ということではないだろう。
人間的に、でも分からない。なっているだろうか。
「失礼した。困らせるつもりはありません」
「いえ、あまり言われ慣れないものですから。こちらへどうぞ」
車へ案内すると運転席に座ろうとするので首を振る。
「榊殿……」
「ここは帝都、それに私は後輩です」
無理やり後部座席へ座らせ、車を発進させた。
女性なのに紳士的すぎて困る。
「先ずは御所でよろしかったですか?」
「はい。日桜殿下にご挨拶せねばなりません」
「承知しました」
丸の内口から御所までは直線道路があり、ものの数分で到着する。
普段ならば近衛本部から行くのだが、正面から入るのはなかなかない。
「かなり物々しい警備ですね」
ルームミラーで様子を伺えば美貌の眉根に皺が寄っている。
無理もない、御所は今厳戒態勢、近衛でも例外なく正面の入口しか使えない。出入りがかなり制限されているからだ。
「帝都周辺には共和国の武官筆頭、白凱浬が潜んでいます。鷹司副長でも仕留めきれなかったのですから、このくらいはと」
「白凱浬……、私も噂でしか聞いたことがありません。榊殿は姿を見たのですか?」
「一瞬です。副長に切られた腕を持って逃げるところだけでした。あとは派手な猿のお面をかぶっていました。服装はダークスーツで体型は細身……くらい、でしょうか」
「……ふむ、直接相対してみないとわかりませんね」
御所の門をくぐったところで車を降りる。
警護を担当するのは第四大隊、見知った顔が何人か挨拶をするのだが、みんな直虎さんを見た途端、直立不動になる。
「日桜殿下はどちらに?」
「今の時間だと寝所にいらっしゃるかと。外へ出る予定は全てキャンセルですから、時間を持て余していると思います」
直虎さんと他愛ない話をしながら謁見や一般参賀で使われる広場を通り越し、林を抜けて寝所へと向かう。
ところどころに検問のように立つ第四大隊に挨拶をしながら進めば、背の高い人影がいる。
「おお、榊……と義姉上?」
「宗忠、任務大儀である」
「は、ははっ!」
義姉の登場にそれまで浮かべていた笑みを振り落とし、背筋を伸ばした立花宗忠が敬礼で迎えた。
「あ、義姉上、お久しぶりです」
「お前も、元気そうで何よりだ。だが、正月に戻ってこなかったことを父上は大層気にかけておられた」
「申し訳ありません。任務が重なりまして、あまり日数がとれなかったものですから……」
嘘だ。
立花は正月、一週間くらい休暇があった。どこへ出かける訳でもなく寮の自室でだらだらと過ごし、裂海に蹴られていたのを覚えている。
「私が謹慎期間だったものですから、彼には無理をお願いしました。申し訳ありません」
助け舟を出せば立花の顔が明るくなる。
分かりやすいにもほどがあるのだが、直虎さんは俺と義弟の顔を交互にみてから頷く。
「夏には一度戻るように。いいな?」
「承知しました!」
畏まってみせるがどうだか分かりはしない。
まぁ、こいつの場合、適当な理由を作って誤魔化しそうだが、俺も他人の家庭に口を出すほどお節介ではない。
「立花、殿下は寝所に?」
「あ、ああ」
かくかくと頷くので肩を叩く。
どうやら余程に義姉が苦手らしい。
「直虎さん、参りましょう」
「はい。宗忠、精進しろ」
「はっ!」
敬礼を交わしてから立花を置いて寝所へ向かう。
後ろを振り向けば苦笑いで手を振っていた。
「榊殿、アレのことを頼みます。どうにも危なっかしい」
「しっかりしていると思いますが……」
「嘘が下手です。貴方ほど弁が立つわけでもない」
「……それは褒め言葉ですか?」
「勿論です」
即答される。
さっきの嘘はバレているらしい。
苦笑いしながら歩いていると、殿下の寝所が見える。
玄関の前には三人、ちび殿下に千景、そしてノーラ。三人は林の中で以前保護した猫のミアと戯れていた。
「平蔵!」
最初に気付いたのは千景。立ち上がって俺と、直虎さんの顔を交互に見る。
「……さかき?」
「ヘイゾウさん」
殿下とノーラも気付き、こちらを見る。
俺の横では直虎さんが両手を前で組み、最敬礼をしていた。
「……なおとら」
「はい、日桜殿下。お久しぶりでございます」
「……なおとら!」
殿下が駆け寄り、直虎さんが膝を折って抱きしめた。
「……なおとら、きりひめが……きりひめが……」
「及ばずながら馳せ参じました。日桜殿下、あとはこの直虎めにお任せください」
直虎さんの抱きしめる手に力がこもる。
二人の絆を垣間見た瞬間だった。




