一二話
病院の会議室で、辛気臭い顔が四つも並べば空気は重くなる。
「この度は申し訳なかった」
「想定外の事態です」
頭を下げる参謀と法務大臣に鹿山翁が首を振り、
「我々にも油断があったということです。ただ、身に染みる結果になった。国内ならば、鷹司霧姫ならば、と過信したことがいけない。私であったなら棺桶が増えるところでした」
鹿山翁の眉が寄っていることも事態の深刻さを物語っていた。
「お二人には少し酷な話かもしれませんが……」
鹿山翁の言葉に陸軍参謀と法務大臣の顔がますます曇る。
二人とも鷹司の戦った相手が共和国の武官筆頭ということは想像すらしていなかっただろう。
「……小次郎さん、ここは連携を強めるべきだ。もう軍だの近衛だの言ってられない。法務省だって同じだろう?」
「勿論です。今こそ組織力を結集させるべきです」
「……うむ」
「犠牲が増えるだけよ」
理想を語る老人三人に、伊舞が冷や水をかける。
女はこうしたところに容赦がない。
「アンタたちくそジジイの情だけで物事は解決しない。連携はいいけど、結局は肉の盾にしかならないんだから、無駄なのよ」
「これ、朝来……」
他人が焦っているのを見てると、自分は逆に冷静にあることができる。
客観視ができる、とでもいうのだろうか。
慌てている場合ではない、と気付かせてくれる。
「ならばどのような解決策が……」
「警視庁、警察庁とも連携し国家の威信をかけて……」
解決策の見えない不毛ともいえる話し合いを聞いていると、懐のスマートフォンが震えて着信を知らせる。御歴々揃いなので確認すら躊躇われたのだが、俺のところにかけてくるのは片手くらい。
「……まぁ、そうなるか」
咳払いをするふりをして画面を覗けばちび殿下という表示。
時計の針は正午を指し、時間的にも心配する頃合いだ。
着信を見ながら思うのは鷹司にとって、ひいては殿下にとって何が最良なのか、ということ。
鷹司ならば自分に構わず事態の収拾にあたれといういうだろう。
殿下ならば自分のことよりも国民の安全を優先するはずだ。
二つを踏まえて自分ができることは何か。
簡単だ。
答えなど出ている
スマートフォンをテーブルの上に置き、ハンズフリーモードで通話ボタンを押した。
『……さかき?』
殿下の声に鹿山翁と伊舞は顔ごと振り向き、数瞬遅れて法務大臣が、つられる様に参謀が目を向け、話を止める。
「はい、榊です。殿下、連絡もせず申し訳ありません」
『……かまいません』
鹿山翁は渋面を曇らせ、伊舞はテーブルの下で蹴ってくるが気にしない。
老人たちの目を覚ますには劇薬も必要だ。
「殿下、本日の公務はどうなりましたか?」
『……えんき、とききました。そちらでなにか、あったのですね?』
「はい。残念ながら副長はしばらく近衛に戻ることができません」
『……っ!』
殿下の動揺がスピーカー越しでも伝わる。
通話を止めようとする伊舞の手を掴み、首を振る。
隠したところで殿下の耳にはいずれ入る。
聡明な殿下であれば察してくれるだろうが、同時に不信感も抱いてしまうはずだ。
皇族と近衛、まして近くにいる間柄ではわずかな不信ですら致命的になりえてしまう。殿下ならば乗り越えてくださると、まずこちらが信じなければならない。
「緊急を要する事態となったことをお詫び申し上げます。くわしくは御所に戻ってからの報告となりますが……」
『……さかき、わたしのことよりも、こくみんのあんぜんがさいゆうせん、です。よいですか?」
「承知しております」
やはり日桜殿下はこのくらいで狼狽える様な方ではない。
胸を撫で下ろすと同時に頼もしくなる。
「殿下、しばらくはご不便と存じますがご容赦ください。必ず解決をしてみせます」
『……はい。おまかせ、します」
事態を知ることができたからか、殿下の声にも落ち着きが戻る。
一呼吸、ため息とも深呼吸ともつかない間の後、
『……きりひめのことはわかりました。ですが、けさのようなおこしかたは、どうかとおもいます』
「はい?」
突然の苦言に語尾が上がる。
急いでいたので記憶が遠い。
枕を抱いたままの殿下をシーツで包んで、そのまま立花に持たせたのだが、お気に召さなかったらしい。
「御声掛けしても起きていただけませんでしたので、やむなく」
『……わたし、そんなにこどもでは、ありません』
「子供はみんなそう言います。何かに抱き着く癖は卒業された方がよろしいかと」
『……』
頬を膨らませている姿が容易に想像できてしまう。
あまりからかい過ぎると面倒なので潮時だ。
「それでは殿下、また後程」
『……うめあわせ、してくださいね』
「考えておきます」
『……やくそく、です』
やれやれ、安心させるつもりが安心してしまった。
ふと視線が気になって顔を上げれば、軍人と政治家は目を見開き、ジジイとババアからは睨まれる。
「失礼しました。私は殿下の側役、主からの連絡は最優先事項でしたので」
一応の断りと謝罪をする。
「今のはまさか……」
「はい、日桜殿下ご本人です」
「かぁ~~!」
参謀は自分の額を叩き、法務大臣は額に浮いた汗を拭く。
こういう時は殿下の、いや皇族の威光を思い出す。軍人や政権与党の政治家でも容易に会うことはできない。まぁ、それも考え物なのだが。
「榊、お前さん……」
「こちらに来る際、立花宗忠に伝言を頼みましたのでそのことかと」
「……」
伊舞が眼を細くする。
この人は俺の部屋にちび三人が揃ったことも知っている。
なにせ今はノーラの上司、ほとんど筒抜けのはずだ。
「お話を遮る形となり、申し訳ありませんでした。ですが、殿下のお言葉で方針は決まったものと存じます」
「しかし……良いのですか?」
法務大臣が言葉を濁す。
最も責任を感じている人なのだから仕方ないのだが、鷹司に意識があっても同じことを言うだろう。
そして、自分が採るべき選択も決まっている。
「僭越ながら鷹司の後任は私が……。翁、伊舞殿、御裁可を頂きたく思います」
「アンタなら三分も持たないわ。まだくたばり損ないのジジイの方がマシよ」
「事情ならば承知しております。昨年末から何かが起こっている、それが共和国絡みのことなのですね」
「推測をならべ……」
伊舞が口を挟もうとするのを強引に重ね、
「城山英雄先生、外務大臣の鈴木寿夫先生より関係各省庁、それに近衛府にも法務大臣からの要請があったことが分かっています。また、海軍の関係者から直接ではないにせよ市ヶ谷と朝霞が騒がしいことも伺いました。最後に、昨年末、私はお二人にお会いしています」
知り得る限りの全てを並べて見せる。
一つ一つは意味の分からない点でも、共通点があれば結びつき、導き出されるのは今後を左右するものだと断言できる。
「発端がどの組織かは存じませんが、日本国内で暗躍する共和国諜報員の内偵中に何かあった。それも、近衛を投入せざるを得ないもの、つまり向こうの能力者の関与が疑われた」
「……」
「……」
「その能力者が鷹司副長と互角、いえ少なくとも相打ち以上に追い詰めることができる相手であり、軍や公的なものでは対処ができない。ここまでで訂正はありますか?」
陸軍参謀は苦虫を噛み潰し、法務大臣は目を伏せる。
ジジイとババアはしかめっ面だ。
「でしたら、尚のこと私にお任せ頂きたい。実力では及びませんが相対することができれば副長を助けることができます」
「朝来……」
「あの子がまだ目を覚まさないのは、打ち込まれた成分の複合作用が考えられるわ。主成分は主に生薬、漢方薬として使われるもの。漢方薬は扱いがとても難しくて、配合されるものが一つでも違えば別の作用をもたらす。現時点で特定されているものだけで拮抗薬を作ろうとしても、効かない可能性だってあるし、下手をすれば悪化させる」
「やはり……」
「でもね、アンタに何かあったら、日桜はどうなるのよ。また不安定にさせたいの?」
「では護衛を付けてください」
「あーもう、好き勝手ばっかり言うんだから!」
伊舞が頭をかき、長煙管を取り出すと吸い口を噛む。
一方のジジイはしばらく考え込み、参謀と法務大臣、どちらとも目配せをしてから、仕方ないとでもいいたげに頷き、
「分かった、お前さんに任せる」
「ちょっとジジイ!」
「だが、他に方法がないのも事実だ。こうしたとき、今の近衛が猪武者ばかりなのが悔やまれる」
顎を撫でる姿は諦めも混じっているかもしれない。
「護衛は儂がやりたいところだが、相手が血気に逸る白凱浬では万に一つも勝てん。二人一緒に海の底に沈められるだろう」
「では……」
「うむ、直虎を呼ぶ」
「ちょっ!?」
意外な、というか全く想定外の人選にこちらが驚いてしまう。
ババアはさっきから驚きっぱなしだ。
「理由はあとで話すが、あの子なら何とかなる。お前さんに何かあっても腕の一本くらいは持ち帰ってくれるだろう」
「ジジイ……」
「冗談だ。まぁ、そのくらいの覚悟はせねばならん」
それだけ尋常ならざる事態ということだろう。
白凱浬についてもあとで調べる必要がありそうだ。
「菅原さん、川島大臣、よろしいか?」
「いや、もうお任せするしかない。小次郎殿、あたしは情報統制をかなり強めにやってきたつもりだったが、近衛さんにそこまで漏れ聞こえているとは思わなかった。恥ずかしくて言い分なんて……」
陸軍参謀は手で顔を隠す。
朝霞の警備体制、陸軍内部の情報統制と自負があったのが余計に堪えたのだろう。
それが人の噂話、海軍から漏れたのだから笑えない。
「私も異論はない。しかし、城山先生や鈴木君とも所縁がある方にお任せするのは心苦しくもある」
法務大臣は冷や汗とも脂汗ともつかないものを拭きながら背筋を伸ばしていた。
俺が同じ立場ならあの狸ジジイこと城山英雄に借りを作ったようで後が怖い。何か仕掛けられるかもしれない、という懸念がストレスになる。
「決まりだな。副長の代理は儂がやる。朝来は日桜殿下の側役を頼むぞ」
「……分かってるわよ」
「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきます」
御歴々に頭を下げ、それから鷹司のいる集中治療室を向き、
――――今しばらくお待ちください。
そう祈るばかりだった。
◆
「はぁ……はぁ……はぁ……」
室内に響くのは苦痛を押し殺す声。
傷口が熱を帯びて痛いというよりも熱かった。
「くっ……」
数分刻みで訪れる波のような倦怠、嘔吐感に苛まれる。
神奈川県厚木市、住宅街にあるアパートの一室でダークスーツは痛みに耐えていた。
「どうなっている……」
数時間前、偶然とはいえ鉢合わせてしまった鷹司霧姫との遭遇戦、必殺の一撃と引き換えに切断された右腕が上手く接合できない。
上着を脱いで晒した白い肌には玉のような汗が浮かぶ。
肩口からの切断面に回収できた己の腕を押し付けるのだが癒着が遅い。普段ならば数分で表皮部分からつながり、数時間も経てば骨と神経も元通りになるはずなのに、遅々として進まなかった。
「うっ……っく……」
何度目か分からない痛みの波に体を震わせて耐える。
不意に、ドアが叩かれ、部屋に人が入ってくる。
ダークスーツは身動き一つしない。いや、できない。
「なんと、これはこれは……」
入ってきたのは黒髪に背の高い、紺色のスーツを着た男性。
どこにでもいそうなサラリーマン然としているのに、目つきだけが異様に鋭く爬虫類のような印象を抱かせる。
「……貴様か」
「傷を負ったというので飛んできました。まさか、白さんともあろう方が手傷を、それも腕を落とされるなんて……」
「相手は近衛副長、鷹司霧姫だ」
「ほう、それはまた、大物と出会いましたね」
爬虫類顔の男はダークスーツ、白凱浬に近付くと未だ血の滴る腕を触る。
「それでこれ、ですか」
「かわりに……貴様が調合した天王丸を……体に埋め、た。今頃、は……うぶっ……」
えずき、胃の中身を逆流させる白凱浬に爬虫類顔が背中をさする。
「今はあなたの方が問題です。これでは移動もままならない」
「ならば薬を……寄越せ」
「分かっています。そのために来たのですから」
下を向き、荒い呼吸を繰り返す白凱浬に、爬虫類顔が薬包を差し出す。
ひったくるようにして紙を破き、中の粉末を口にすると白凱浬は大きく深呼吸を繰り返した。
「失礼」
爬虫類顔は白凱浬の瞼を押し上げ、眼球の状態を確かめる。続いて頬を掴んで口を開けさせ、舌を引っ張って表面を親指でなぞった。
「触れるな」
「診察です。それとも、このまま死にたいですか?」
白凱浬は舌打ちをして顔を背ける。
「今のは鎮痛だけです。あとで治癒を促進させるもの、血を増やすものを届けましょう」
「……ああ」
「明日の夜にはここを離れます。あなたが戦ったということは、我々の意図を読まれた可能性がある。ここへ手が伸びるのも時間の問題でしょう」
「……」
「用意はこちらでしますから、あなたは治療に専念してください」
顔から喉、首、肩、腹と触られても白凱浬は抵抗しない。
それを満足そうに見届けると爬虫類顔は立ち上がった。
「ふふ……ではまた」
不気味な笑みを残して行ってしまう。
足音が聞こえなくなるのを待って、白凱浬は大きく息を吐いた。
痛みが引いたことで膨れ上がった感情が歯を軋ませる。
白い犬歯を見せながら怒りに顔を歪ませていた。
「! ダメだ。これでは……」
目的を思い出し、激情を振りほどいて首を振る。
脱ぎ捨てたダークスーツの内側から写真を取り出すと、一瞬躊躇ってから胸に寄せ、
「雨様……」
祈るように囁くのだった。




