一〇話
「長引かせるわけにはいかないか」
意識を宗近へ注ぎ込めば光が渦巻き、同時に全身の気力や熱量が吸われていく感覚に見舞われる。
鷹司霧姫にとって愛刀宗近は諸刃の剣、絶対の切り札にして命を吸い取るもの。髪が銀色に変わるのは宗近を使用することで極度に消耗するからに他ならない。
伊舞朝来は根源的な生命力の喪失と説明していた。
鷹司は笑う。
使うほどに命を消耗するのならば、この体はあと何度耐えられるのだろうか。これが最後か、あるいは次か。どちらにせよ長くないと直感が告げている。
鷹司より以前に宗近を使った人間は少ない。なにせ命を吸う曰く付の刀、使用者は大きな足跡を残したものの、悉く短命で散っていった。
妖刀、魔刀と揶揄された一振りを手にしたのは女でありながら覚めてしまった引け目だろう。まして、武家の生まれではない鷹司が近衛で存在感を示すには選択肢がなかったからともいえる。
「日桜殿下」
親愛なる君主の膝元でこれ以上の騒乱は望ましくない。
早期の解決を図るため、鷹司は光の刃を開放する。
「……!」
相対する白凱浬も尋常ではない鷹司の姿にわずかな躊躇いを見せる。
それでも構えを解かないどころか殺気を漲らせ、光の刃を構える鷹司から引こうとしない。
宗近から伸びる光の刃が轟音をたてて天井を突き破れば、白凱浬の周囲には足元を濡らしていた水が寄り集まっていく。音を立てて渦を巻き、段ボールやコンクリートの破片までも取り込み巨大化する水塊が出現する。
「宗近よ、万物の流転をみせろ!」
「水龍啊給我吞噬掉敵人吧!」
光の刃と龍と化した水が激突して大きな音を立てた。
膨大な水煙が噴き上がり、鷹司の視界を奪う。
「やったか?」
手応えを感じた鷹司に一瞬の隙が生まれる。
その瞬間を見計らい、水煙を引き裂いて白凱浬が迫った。
「まさか!?」
「!」
湾曲刀を手放した白凱浬の左掌底を鷹司は直前で逸らし、心臓への直撃を免れる。
なおも追撃を試みる白凱浬を蹴り飛ばせば、極彩色の猿面にはヒビが入り、右腕が肩口からない。
鷹司が切ったのは腕だった。
「ちっ」
鷹司が膝をつく。
致命傷は避けても宗近の使用で衰弱した体では踏ん張りがきかない。
白凱浬は倒れかけた体を壁に預けて耐えている。
呼吸は荒く、猿面の下からは粘度のある血が滴っていた。
「……还没有」
白凱浬は生命線である腕を失っても戦おうとすれば、鷹司も立ち上がることで応じる。
どちらかが命を失うまで続きそうな戦いを、近付いてきた足音が遮った。
「副長!」
聞き覚えのある声に鷹司が目を逸らし、不利を悟った白凱浬がその隙に後ろへ飛ぶ。
駆け寄る部下の姿を見つけると鷹司の体から力が抜け、壁に寄りかかった。
「待て、榊」
後を追おうとする部下を静止した。
安堵感から喋ることも億劫になってくる。
「ですが、このままでは……」
手負いでも白凱浬ならばひ弱で考えの甘い部下など一瞬で殺されてしまう。
下手に追跡して近衛にとっての逸材を失うわけにはいかない。
「私が行きます。ヘイゾー、副長をお願い!」
「優呼もダメだ」
「えー、私でもですか?」
当然だ。裂海優呼は近衛の将来、一〇年後を背負って立つ隊長候補となる。
万が一などあってはならない。
「相手は共和国筆頭……白凱浬。第三大隊にも厳命、しろ……決して単独で動く……な」
鷹司は自分の息が荒くなっていくのを感じる。
宗近を使った反動か、白凱浬の一撃が原因なのかは本人にも分からない。
「副長、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。久しぶりの立ち合いで……疲れてしま……」
「副長!」
体から熱が消える。
重たい体を支えていられなくなり、膝から崩れた。
「防御を疎かにしたツケだな」
倒れ、目を閉じる。
心配の声は届かない。
◆
荒川を挟んで帝都側に警視庁、対岸を埼玉県警の車両がひしめき合う。
朝靄も煙る午前四時三〇分、一帯は物々しい雰囲気の中にあった。
「ふあー、結構な数がいるのね」
近衛仕様の国産車を降りた裂海優呼が声を上げる。
車のエンジンを止め外に出るとパトカーや消防、救急車の赤色灯が見える。
春とはいえ朝の空気は刺すように冷たい。徹夜明けには丁度良いのだろうか。
「当然とはいえ、厳戒態勢だな」
「帝都御所のすぐ近くだからね。朝霞や飯田橋から陸軍が出張ってくるのも時間の問題じゃない?」
「逆に助かるよ。何かあれば警察の処理能力を超える。軍の組織力が使えるなら儲けものだ」
「ヘイゾーの書き物が増えるわ」
「そのくらいで事が済むなら安いものだ。安全は紙束で買えないからな」
裂海と軽口を交わしながら荒川土手を歩けば、先行していた第三大隊長卯木尚人と警察、消防の関係者が言葉を交わしていた。
「お疲れ様です」
「様ですっ!」
「ああ、待っていた」
敬礼をすれば卯木が応じ、気軽にも程がある裂海の後ろ頭を叩きながら会話に入る。
第三大隊長卯木尚人はやや小柄ではあるものの、精悍な顔立ちと意志の強そうな眉、何よりも特徴的なのは右目を縦断する刀傷。覚めても残るその傷は幼少期に同じく近衛であったという父親の苛烈な訓練によって刻まれたものらしい。
「こちらは公安調査庁の方々、今回の件を知らせてくれた」
「副長代理、榊と申します」
「第三大隊所属、裂海優呼です!」
スーツ姿の公安調査庁職員たちと挨拶を交わす。
「どのような状況でしょうか?」
「事態が切迫しておりますので省かせていただきますが……」
彼らは昨晩からの経緯を話してくれる。
要約すれば、事態が進展しないことに焦れた鷹司が虱潰しの調査を提言し、彼らがそれに乗った、までは良かった。だが、一つ目で当たりを引いてしまったらしい。
「それは……鷹司がご迷惑をお掛けしました」
苦笑いを浮かべながら頭を下げると公安調査庁の二人は恐縮する。
卯木は眼を細め、裂海が彼の背中側の裾を引っ張っているのが見えてしまったのだが気にしない。
「この手配はあなた方が?」
「鷹司様からは厳戒態勢を、とのことでしたので」
「ありがとうございます。引き継ぎますのでこちらでお待ちください」
公安調査庁の二人に頭を下げると、卯木が先に行ってしまう。
裂海に尻を蹴り上げられながら後を追えば、第三大隊長殿はご立腹だった。
「榊、我らは近衛だ。公権力に頭を垂れるな」
「申し訳ありません。市井の癖です」
近衛全体にいえることだが自分たちは特別だという考え方が根底にあるため協調性がない。
代々近衛のトップが頭を悩ませている事例の一つでもある。
「ヘイゾー、卯木さんも、今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ!」
「分かっている。副長代理殿、配置はどうする?」
「私が副長の援護に行きます。外はお任せしますが何人か貸していただけると……」
「優呼」
「はーい、分かってます!」
卯木は踵を返し、第三大隊に指揮をし始めた。
俺と裂海はそのまま鷹司が向かったという倉庫に入る。
「もうちょっと気を使いなさいよ!」
「珍しいな、お前がそんなことを言うなんて」
「外に気を遣うのと同じように身内にも使いなさい! 反感買うような真似してどうするの!」
「外では上こそ頭を下げるものなんだ。プライドばかりじゃ組織運営は立ち行かない。近衛は副長に頼り過ぎなんだよ」
蹴られ、横腹を殴られるが気にしない。
鷹司の苦労が身に染みるようだ。
「お前こそいいのか? 隊長の裾を引っ張るなんて大胆な真似するな」
「卯木さんは同門だからいいの」
「同門? 裂海流の?」
「そう。でも入門は遅いのよ。無外流と念流を収めてから来てるし、うちで三つめだったかな」
「剣術の流派ってそんなに変えていいのか?」
「ん~、あんまりいないけど、なくはないわね。大成しないってジンクスがあるの」
「第三大隊長ってのは大成にならないのか?」
「固有があるからじゃない? ヘイゾーだって大隊長でしょう」
今度は足を踏まれる。
裂海は裂海で思うところがあるのか、口調は強めだ。
やはりどこでも人間関係は複雑だと思いながら進んでいると、前方から大きな振動が駆け抜ける。
「優呼!」
「うん、副長の宗近だわ!」
顔を見合わせ走れば、少し広い空間に出た。
床一面に段ボールが散乱し、水浸しになっている。天井には大きく亀裂が入って光が差し込んでいた。
「副長!」
裂海がいち早く見つけ、壁に寄りかかる鷹司に駆け寄る。
ほぼ同時に足音が聞こえ、俺たちが入ってきたのとは反対側、未だ夜の闇が残る方へ人影が走り抜ける。
ダークスーツ姿で中肉中背、異様な極彩色の猿面を被った人物が右腕から血を流しながら、いや血の吹き出す右手を抱えていた。
「!」
「待て、榊」
追いかけようとすると鷹司に静止される。
扉を蹴り破ったダークスーツは足音だけを残して消えてしまった。
「追えば返り討ちになるだけだ」
「ですが、このままでは……」
周辺に展開している第三大隊や警察、消防関係者が危険にさらされる。
外にいる卯木に連絡しようか迷っていると裂海が手を挙げた。
「私が行きます。ヘイゾー、副長をお願い!」
「優呼もダメだ」
「えー、私でもですか?」
鷹司の判断に裂海はあからさまに不機嫌そうな目でこちらを見ながら不満を口にする。
俺と同列に扱われたことにご立腹らしい。
「相手は共和国筆頭……白凱浬。第三大隊にも厳命、しろ……決して単独で動く……な」
鷹司の息が荒い。
宗近を杖代わりに立っているのも辛そうだ。
「副長、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。久しぶりの立ち合いで……疲れてしま……」
「副長!」
膝から崩れるのを辛うじて抱き止めると血が滴る。
裂海が近衛服の上着をめくれば、下の白シャツが真っ赤に染まっていた。
「ヘイゾー!」
「あ、ああ、伊舞さんに連絡する。お前は副長を頼む」
「分かったわ!」
裂海が鷹司を抱え走った。
スマートフォンを取り出し、近衛本部にコールをしながら猿面のダークスーツが消えた先を覗き込む。
地下へと通ずるであろう階段からは何も聞こえない。
ただ、深淵のような闇がぽっかりと口を開けていた。