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七話


 美味しさとはなんであろうか。

 手にしたサンドイッチをまじまじと見つめながら鷹司は考える。


 こうした考えをするときは疲れているときなのだが、一度気になったものは仕方ない。

 公安調査庁が置かれる合同庁舎、その一室で用意された食事を一人で食べながら考えを巡らせる。


 一口齧れば丁度良い焦げ目がついたベーコンが香り、咀嚼をすればレタスの瑞々しさとトマトの旨味が口の中で混然一体となる。

 近衛本部で食べるものに勝るとも劣らない。


 片手で食べられるからと注文したサンドイッチには贅が尽くされ、一緒に用意されたバニラシェイクも悪くない。

 しかし、何かが欠けている。

 有体に言えば物足りない。


「味は……悪くないのだがな」


 考えても思い当たるものがない。

 鷹司の場合、食事はたいてい一人。食堂から出前を頼み、執務室で済ませることが常。

 ここで食べるのと同じようにパンが多い。

 

 材料が遜色ないのに物足りなさを感じるのは何故か。

 味は悪くないのに美味しくないと思ってしまうのはどうしてか。考えるほどに分からなくなる。


「まぁいい、仕事が先だ」


 鷹司はサンドイッチ片手に部下である榊平蔵に用意させた共和国の資料を読み進める。

 今回の騒動。陸軍、警察、公安から抽出された統合組織、国家保安局の母体となるべき調査員たちの失踪、いや失踪に見せかけた殺害を行ったのは共和国だと踏んでいた。


 理由はいくつもあるが、鷹司の直感が告げている。

 ロマノフが相手ならばここまでまどろっこしい真似はしない。もっと直接的な手段に出てくるはずだ。


「さて、問題はその先なのだが……」


 彼の国が抱える問題は多く国境、人口、格差、多民族、経済とあげつらえばキリがない。

 まぁ、問題がない国家というのは存在しないわけではあるが。


「外交は表面上穏やかだ。となると内政が絡んでいることは間違いない。しかし、そこから我が国に関わることを抽出することは困難だな」


 外務省にいる共和国の専門家や大学教授を集めて論議を重ねれば出てくるかもしれないが、それを待ってもいられない。鷹司としては考えが及ぶ範囲で目星をつけるしかなかった。


「移民……植民化……先端工学……特許」


 思い当たるところを書き連ねていくがピンとこない。

 別室にいる公安の連中にも話を聞こうかと思っていると懐で携帯電話が震えた。


「……ん」


 何世代も前の、今どきの計算機でももう少し愛嬌がありそうな白黒の画面に部下の名前が表示されている。

 パソコンでないところをみると執務室ではないのだろうか。

 訝しみつつ通話ボタンを押す。


「私だ」

『榊です。ご指定の資料は届きましたか?』


「今読んでいたところだ。相変わらず用意が良い」

『恐縮です』


 電話の向こう側で部下、榊平蔵が笑みを浮かべた、ように思えた。

 昨年末、彼の謹慎からほとんど四六時中一緒にいたせいか顔が想像できてしまう。


「ご苦労だった。そちらは変わりないか?」

『ありません、と申し上げたいところですが一刻も早いお帰りをお願いしたいところです』


 時計を見れば時刻は二一時。

 さして遅くもない時間なのに声にハリがない。


「貴様にしては殊勝だな。仕事は終わったのか?」

 問い返せば、若干の間が空く。


『……きりひめ』

「殿下!」


 主君である日桜の声に鷹司が気色ばむ。

 疲れた心には何よりのものだ。

 次の言葉を待っていると再び間が空き、


『自室にいるのですが四六時中べったりです。ノーラもいますし、私の身が持ちません』


 心底うんざりといった部下に激昂しかけ、ならば替われと喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「お食事は?」

『先ほど終わりました。大丈夫です』


「そうか。部隊長とのやりとりはどうだ?」

『滞りなく。ですが皆さん副長の不在を気にしておられます』


「……分かっている」


 鷹司は嘆息する。

 榊平蔵は優秀だ。洞察力に長け、元サラリーマンという経歴から人の間で立ち回ることを得意としている。組織の内部に必要不可欠の存在といえるだろう。

一方で強烈なリーダーシップに欠ける。近衛の特殊な上下関係に頭を悩ませていることも想像ができた。


「できるなら今すぐ戻りたい。こちらの問題もお前の方が上手く解決するかもしれんが、トラブルメーカーだからな。関わると問題がややこしくなる」


『私自身もできればちび殿下のお供くらいが丁度良いと思っているところです。切った張ったは好きになれません』


「ふっ、己が分かっているようだ。殿下への非礼はあとで罰しよう。しかし、心がけは悪くない。少しでも早く戻れるように努力する」

『お願いします』


 部下の声にいつもの皮肉がない。

 精神的な負荷に弱いことを記憶に留めながら、鷹司の顔は笑っていた。


「もうお前の声はいいから、今一度殿下に替わってくれ。御声が聞きたい。それからノーラにもだ」

『承知しました』


 三度間が空き、主君と言葉を交わす。


『……きりひめ、むりをして、いませんか?』

「滅相も。私こそお詫びしなければなりません。早急に片付けて戻りますゆえ、今しばらくお待ちください」


『……はい。まっています。のーらちゃんにかわりますね』


 日桜の言葉を噛み締め、鷹司は決意を新たにする。


『お電話変わりました。エレオノーレです』

「ノーラ、君に重要な任務を頼みたい」


『まぁ、鷹司副長から私へ、ですか?』

「二人きりにさせるな」


『ふふっ、畏まりました。お任せください』


 今、最も信頼できる部下の一人に任を託し、通話を切る。

 俄然やる気が沸いてきたのは目標ができたからだろう。


「よし、漠然と全体を追うよりも虱潰しにしよう」


 頬を叩き、書類へと向き直る。

 問題をシンプルな方向へと置き換えることにする。

 鷹司としてはこちらの方が気が楽だ。


「先ずは昨年の件を片付けよう」


 昨年末、千葉県木更津港で共和国工作員と能力者の確保に協力した。

 経過までは詳細に追っていないものの、関連企業の内偵や協力する日本企業の調べが進んでいることは予想ができる。

 共和国絡みなら手掛かりくらいはあるかもしれない。


「昨年末の件は水と麻薬だったな」


 あの時も大して強くもなかったが能力者が絡んでいた。

 これらが継続しているとするならば、と仮定することにする。


「大陸の内政問題は多々ある。その中で水が絡むものもある。だが、たかが水にそこまでの執着をする理由が分からない」


 水は重要だ。

 しかし水そのものをそれほど欲するだろうか。現物は物資としては間に合わせでしかない。近場で水源を手に入れるか、浄水技術を開発した方が簡単だ。


「……浄水もあるか」


 そちらも警戒すべき事案だろう。

 日本の浄水技術はかなり高い水準にあり、これの流出があれば国益を害する。

 相手が共和国であり暗躍を阻止するなら関係機関による高いレベルでの連携が必要だ。


「水、麻薬、エフェドリン、プソイドエフェドリン」


 共通点もある。

 水は調査員の殺害方法にも使われ、麻薬も二種類のエフェドリンもアルカロイド系物質。


「水源地を買い、採水し、ボトリング。持ち出そうとしていたことは明白と考えていい。麻薬は……資金源か活動費。乾燥剤だけではなく水に溶かして輸出ということはあるか」


 大陸産の安価な麻薬を米国や欧州に持ち込めば莫大な利益が得られる。

 水は重く、航空機での輸出はリスクがあり何より高額になる。多くを持ち出すとなれば必然的に海路ということになる。


「……そういえば、あのバカがスエズがどうのこうの、と言っていたな」


 四カ月近く前に見た書類の内容を思い出す。

 たしか、スエズ運河を通る共和国船籍の船が増えているといったものだったように思う。

 直結するかは分からないが、頭の片隅に留め置くことにした。


「さて、これらを輸出するには船が必要となる。しかし、福島から三重、太平洋側の主要港は監視が強化され、重要港を避けても小さな港に外国船籍の船が寄港すれば目立つ。なによりも同じ愚を繰り返すことはしないだろう。だとしたら日本海側か、より大陸に近い山陽地方……。いやそれは厳しいか」


 彼の地を束ねるのは立花直虎率いる第六大隊。

 高い士気と高度な連携を誇る海防の要。彼女の眼を潜り抜けるのは容易なことではない。


「新潟も無理だな」


 新潟は共和国が一度失敗を犯した地であり、政治家城山英雄の地盤。

 皇族信奉者である彼が、自分の土地でこれ以上の失態を演じるはずがない。


「主要港で、なおかつ外国船籍が目立たないのは……石川富山山形秋田あたりか」


 地図をなぞる指が止まったのは金沢港、富山港、酒田港、能代港。

 重要港湾であり外国船籍の船も多く寄港する。ひとまずこの四つに狙いを絞ることにした。


「あとは集積地、個々に送ることは考えにくい。日本海側への物流拠点とするなら関越道に近い埼玉の戸田、石川ならば名古屋経由で神奈川の厚木」


 そこで鷹司は内線電話を手に取って別室にいる公安職員に事のあらましを告げる。

 鷹司が目星をつけたのは中小の運送会社が使う倉庫。

 戸田、厚木の中でも共同で借りているものを探してほしいというものだった。


「でしたら……」


 職員が早々にリストアップしてくれる。諜報部署だけあって手際がいい。近衛にも専門部署がほしいくらいだ。


「随分早いな」

「私たちに出来ることはこれくらいです」


 申し訳なさそうに頭を下げる。

 狙われる立場である彼らには自由があまりない。

 これ以上の損失を避ける苦肉の策だった。


「鹿山翁にもお伝えしてくれ。それから、今日はもう遅い。みな早く帰るように。ご家族が心配する」


 立ち上がり、上着を羽織った鷹司に職員は驚いていた。

 明らかにホテルへ戻る顔ではないからだ。


「ど、どちらへ?」

「戸田ならばここから一時間もかからん。地図もあるからな。少しばかり見てくる」


「これからですか?」

「夜の方がいい。相手は油断するだろうし、姿も隠せる。それにこのままでは後手に回る一方だ。座っているだけというのも性に合わないからな」


 ごくり、と職員の喉が鳴り、意を決したように内線を取った。


「何人残ってる? 独身がいい……それから」


 簡単なやり取りの後に受話器を置いた。


「我々もお供いたします。私を含め、志願者は独身を募りました」

「なにかあれば法務大臣に合わせる顔がない」


「仲間の仇は討たねばなりません!」

「心意気は買うが……」


「お願いします」


 頭を下げられ、鷹司は答えに窮した。

 能力者が絡むとなれば安全の保障ができない。


 しかし、真っ直ぐな目には誰かが重なって見えた。

 諭しても付いてくるだろう。


「分かった」


 鷹司が折れるしかない。


「ありがとうございます!」

 準備のためにと走り去る後姿に嘆息した。


 青い。だが、嫌いではない。

 そう思っていると腹が鳴った。


 忘れていた、半分乾いたサンドイッチを口に詰め込み、すっかり温くなったバニラシェイクで押し流す。美味くはないが、悪くもない。


 デスクワークで凝り固まった肩を鳴らし、背筋を伸ばした。

 瞼の裏には日桜の顔が浮かび、同時に小生意気な部下、榊の顔が並ぶ。


「早く戻りたいものだ」


 鷹司の顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。 


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