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五話


 千代田区霞が関一丁目一番一号。

 法務省管轄にある公安調査庁の本部が置かれた場所。

 将来は日本版連邦捜査局、法務大臣の川島は国家保安局という名称を考えていたようだが、その組織も今は苦境に立たされている。

 

 法務大臣が駆け回り、陸軍、警察、そして公安調査庁から選抜された調査員が一九人も消えた。

 それぞれが優秀な、愛国心を備えた人員であっただけに一九人の損失が相当の痛手だったことは想像に難くない。


「はぁ……」


 合同庁舎の最奥部で鷹司は悩む。

 ここ何日かは合同庁舎とホテルの行き来、先日は遺体が一〇人まとめて見つかった栃木県の現場を確かめたりと近衛に顔を出せていない。


 この件にはどうやら鹿山も関わっていたらしく、近衛としても貸しを作っておきたいということで参加となった。鹿山小次郎は残る九人の失踪を探るべく、調査員たちと行動を共にしている。


「一刻も早く解決せねば」


 浮かぶのは日桜と、なぜか小憎たらしい榊平蔵の顔。

 近衛はいつでも忙しいのだが、最近は上手く回っている。自分がいなくても対処できるだろうとは思っていても、やはり不安だ。


「……様、鷹司様」

「あ、ああ、すまない。どうした?」


 秘書役にと付けられた女性職員が差し出すお茶に気付く。


「ご不便をおかけします。どうかお許しください」

「いや、君の責任ではない。私も仕事だ。ありがとう」


 湯呑を受け取り、心配ないとばかりに勢いよく飲めば熱さで咽せそうになる。一礼してから去っていく女性職員を見送ってから盛大にせき込んだのは言うまでもない。

 日桜がいれば背中をさすり、榊がいればハンカチを差し出したであろう場面も一人で乗り越えるしかなかった。


「やるか」


 気を取り直し、要点をまとめていく。

 調査員たちが失踪した時刻や場所。

 年齢や出身組織、経歴まで分かる情報は全て並べ、分析をしていく。

 

 公安調査庁の出身者が九名、陸軍からは六名、警察関係者からは四名が抜擢。公安調査庁はまだしも、陸軍からの六名はかなり実戦的な訓練にも参加し、二人は南西諸島での実務経験もある。

 

 警察関係者も特殊制圧部隊に所属経験がある人間も混じっていることから、そうそう後れを取るとも考えにくい。


「この面子なら共和国軍の諜報員相手でも対等以上に渡り合える。自国内ということも含めれば揺るがないはずだ」


 たとえ能力者相手でも支給品にスタングレネードまであることから、逃げることだけに徹すれば不可能ではない。


「しかし、見つかった遺体は全て胸部の傷が致命傷となっている。不意の一撃や逃げているときのものではない。つまり……処刑か」


 処刑の意味するところは見せしめ、警告、恐怖。

 遺体が発見されることも想定した上での犯行ということになる。


 相手は能力者、それもかなり狡猾で手慣れている。加えて容赦がなく、危険極まりない。新潟での一件、共和国の虎 浩然(フー ハオラン)が入り込んでいただけに、今回も大物が予想された。


「ふむ」


 鷹司がもう一つ引っかかるのは遺体の血液から採取された成分。

 一〇人のうち半数から検出されたエフェドリンとプソイドエフェドリン。

 

 交感神経に作用して興奮や集中状態を作り出すもので、一昔前までは広く使われた。

 しかし、乱用の危険性があり多用すれば精神依存や高血圧、脳卒中などの副作用が懸念され、今では規制対象になっている。

 

 そのエフェドリン、プソイドエフェドリンがかなりの濃度で検出された。

 支給品にそういった類の薬はない。まれに気管支喘息の治療薬としても処方されるが、調査員に該当する人間はいなかった。


「……不可解だ。もしかしたらこの二つ以外にもなにか含まれているのではないだろうか」


 鷹司の脳裏に浮かぶのは大陸の能力者たち。

 神経毒、出血毒など複数の毒素を操る存在がいるとしたら、他にも複数の劇薬を用いる能力者がいても不思議ではない。


「軍直轄の分析機関で再調査、あるいは鷹司本家の機関でもいいかもしれん」


 まだ何かが隠されている。

 そんな気がして鷹司は眉間に皺を寄せた。


「共和国の能力者に関する資料も持ってくるべきだったな」


 資料があれば調査も一気に進むかもしれない。

 取りに行きたいのは山々だが、ここを離れることは難しい。


「持ってこさせるか」


 仕方ない、そう思って携帯電話を取り出し、自らの執務室へとかける。

 一回、二回、三回とコールが重なっても応答がない。

 留守か、そう思った頃。


『お待たせしました。鷹司です』


 小生意気そうな声が聞こえる。


「私だ」

『どうかなさいましたか?』


「用意してほしい資料がある。上から二段目の引き出しにあるファイルと、資料室からイ二〇番、二一番、二二番だ』

『急がれますか?』


「そうだな。できれば今日中が良い」

『承知しました。引き出しのファイルは見つけましたので、あとは資料室からご指名のものを探しておきます』


 こうしたあたりは秘書役として本当に優秀だ。

 サラリーマンだったのが疑わしく、今でも近衛に似つかわしくない。

 政治家の秘書か官僚に近いタイプといえる。


「あとは……伊舞さんに薬科全集を借りてきてくれ。エフェドリン、プソイドエフェドリンについて詳しく記述があるものも欲しい。何に使用するのか、製造方法から国内に出回るものの製造元に関するものがあると有り難い」

『調べておきます』


 お得意のお小言一つない。

 詮索をしてくるかとも思ったが、今日はやけに素直だ。


「珍しいな。何のために、とは聞かないのか?」

『私はそこまで野暮ではありません。送り先は霞が関でよろしいですか?』

「むっ……」


 どこまでかは分からないが知っている。


『買い被らないでいただきたいのですが、私が知っていることは副長が霞が関にいらっしゃることまで。方々から噂は聞きますがお話にならないということは知らなくても良いことだと判断しました』

「随分と殊勝だな。デスクワークは性に合っているか?」

『ご冗談を。副長の不在を嘆くばかりです。お早いお戻りをお待ちしております』

「ぬかせ」


 回りくどさに笑ってしまった。

 本心は分からないが詮索され、干渉されるよりはいい。

 あとは一刻も早く事態の収拾をはかろう、そう思っていると、


『……たのしそう、です』

「! で、殿下?」


 日桜の声が聞こえた。

 それもかなりはっきりと。


『……きりひめ、だいじょうぶ、ですか?』


 労いを嬉しいと思いながらもどうしてそこに、とは聞けない。

 それこそ野暮というもの。諫める人間がいないのだから当然ともいえる。


「くっ!」

『……きりひめ?』


 鷹司は言葉を飲み込む。

 不自由はないか、不都合なことなどないかと問いたかったのだが、口に出せなかった。

 どうせ答えなど決まっている。


「殿下、今しばらくお待ちください。事が終われば疾く馳せ参じます」

『……よくわかりませんが、むりはしないでください』

「ははっ!」


 誰も見ていないのに頭を下げる。

 榊が見たら失笑していただろう。


『もういいですか?』

「うるさい。貴様は仕事をしろ。資料を忘れるなよ」

『はぁ。分かりました。それでは……』


 通話が切れ、ため息が出た。

 これ以上の離席は致命的な状況を招きかねない。

 一刻も早く解決しなければという気概が沸いてくる。


「早く解決せねば!」


 自らの頬を叩き、鷹司は資料へと向かう。

 解決までは程遠いことを彼女はまだ知らない。



     ◇ 



 サラリーマンだった頃からデスクワークは得意だった。

 見積り、上申書、意見書、クレーム報告書、会議用の資料。

 サラリーマンは兎角書類を作る。紙っぺら一枚ないと仕事が始まらない。

 だから真っ先に覚え、磨いたものだ。


「……しんがたの、ぼうだん、ぼうじんせんいについての、いけんしょ」


 胸元ではちび殿下がひっついたままパソコン画面を読み上げ、


「殿下、もうすぐ交代です。お膝は三〇分ですよ!」


 背中に抱き着いたノーラが首に手を回している。

 いつから副長室は学級崩壊を起こしたのだろうか。頭が痛い。


「あーお二人とも。よろしいですか?」

「……はい」

「なんですか?」


 殿下は上を向き、ノーラは頬をすり寄せる。


「私、仕事中なのですが」

「……?」

「知っています」


 それがどうした、と言わんばかりの二人に頭痛すら覚えてくる。

 これでは仕事にならない。

 どうにかしなければと思っていると備え付けの電話が鳴る。


「少しの間、御静かに」


 唇に指を当てる。


「……はい」

「大丈夫です」


 返事だけは元気だ。

 嘆息しつつも受話器を取って耳に当て、


「お待たせしました。鷹司です」


 精一杯の声で応対したのに、


『私だ』


 聞こえてきたのはこの部屋の主にして機嫌の悪さが分かるほどの鷹司。

 面倒事と厄介事はどうにも重なる。

 ちび二人さえいなければ悪態の一つも付きたいところだが、ここは大人としての対応を心がけるとしよう。


「どうかなさいましたか?」

『用意してほしい資料がある。上から二段目の引き出しにあるファイルと、資料室からイ二〇番、二一番、二二番だ』


 相変わらずの単刀直入。

 しかし、声にはハリがなく疲れが感じられる。鷹司自身も厄介事の渦中にいることだろう。

 

 考えながらも指定された引き出しを開ければ青いファイルを見つけた。中身は各国の能力者に関する資料(極秘)とある。


「急がれますか?」

『そうだな。できれば今日中が良い』


「承知しました。引き出しのファイルは見つけましたので、あとは資料室からご指名のものを探しておきます」


 中身までは覚えていないがイ二〇番から三〇番までは共和国の資料を意味する。

 どうやら今件は共和国が絡んでいるらしい。


『あとは……伊舞さんに薬科全集を借りてきてくれ。エフェドリン、プソイドエフェドリンについて詳しく記述があるものも欲しい。何に使用するのか、製造方法から国内に出回るものの製造元に関するものがあると有り難い』


「調べておきます」


 エフェドリンにプソイドエフェドリンという単語が鷹司の口から出てくるには少々違和感がある。

 二つが事件に関与しているとすれば共和国が日本国内でメタンフェタミンの製造でもしているのだろうか。


 考えを巡らせるが答えに行き着かない。

 やはり、当事者でない以上は首を突っ込むべきではないのだろうか。


『珍しいな。何のために、とは聞かないのか?』

「私はそこまで野暮ではありません。送り先は霞が関でよろしいですか?」

『むっ……』


 思わず口にしてしまった言葉に鷹司が反応する。

 マズい、気を抜いてしまった。

 なにか適当な言い訳を考えなければ。


「買い被らないでいただきたいのですが、私が知っていることは副長が霞が関にいらっしゃることまで。方々から噂は聞きますがお話にならないということは知らなくても良いことだと判断しました」


『随分と殊勝だな。デスクワークは性に合っているか?』


 言葉にトゲがある。

 こんな気を遣う仕事なんてできればやりたくない。


「ご冗談を。副長の不在を嘆くばかりです。お早いお戻りをお待ちしております」

『ぬかせ』


 冗談交じりの会話をしていると、膝の上で見上げていたちび殿下が頬を膨らませる。

 立ち上がり、腕にぶら下がりながら揺さぶり、


「……たのしそう、です」

『! で、殿下?』


 不満を口にすれば、耳元では鷹司が反応する。

 いよいよマズいと思う反面、少しはガス抜きになるかとも考えてしまう。


 鷹司のストレスの原因は大概ちび殿下とのスキンシップの少なさだ。

 やれやれ、と受話器を殿下に渡し、ノーラにはもう一度唇に指を当てる。


「……?」

「副長です。どうぞ」


「……よいのですか?」

「ええ、勿論です。寂しがっておいでですよ」


「……きりひめ、だいじょうぶ、ですか?」


 まぁ、殿下も心配性だ。


「鷹司さんですか?」

「ああ。ちょっとお疲れのようだからね。気晴らしだよ」


 ノーラの目配せに頷く。

 鷹司の溺愛はこの子も知っている。

 いったいどんな話をしているのやら、興味はあるが真剣に聞きたいとも思わない。


「……よくわかりませんが、むりはしないでください」


 殿下が受話器を戻してくる。

 耳に当てれば、


『貴様は仕事をしろ。資料を忘れるなよ』

「はぁ。分かりました。それでは……」


 鷹司はすっかり元の調子を取り戻していた。

 これなら心配ないだろう。


 受話器を置き、いつもの仏頂面を想像すると笑えた。

 さて、指定された資料の用意をしよう。

 ついでにちび二人から逃れたい。時計を見れば一五時を回っている。


「殿下、今日は夕方から内務があったはずです。お時間ではないのですか?」

「……まだすこし、だいじょうぶです」

「そうです。私はまだ一回しかお膝に座っていません」


 案の定反対されるがこれ以上は業務に支障をきたす。

 無理にでもお引き取り願わなければならない。


「準備もあるだろうから早めに戻った方が良いでしょう。御送りしますから」

「でも、私の順番……」

「……わたしもまだ、じかんがあります」


 ノーラが眦を下げ、殿下は近衛服のシャツを引っ張る。

 最近は三人でいるとこんな調子だ。

 面倒なことこの上ない。


「こんな甘えん坊では千景様に笑われますよ。今頃は授業中、お二人も励まれなければ勝てなくなります」


 あからさまな釘を刺せば、二人の背筋が伸びる。

 努力家の千景は二人にとって良い意味での刺激だ。


「お送りします。腕は二本ありますから、片方ずつどうぞ」

「……!」

「嬉しいです!」


 鷹司がいればもう少しピリっとするのだろうが、今は仕方ないと思うことにしよう。


「では参りましょう」


 腕に座ると、二人は手を首に回す。

 腹話術の人形を抱きかかえているような気分になりながら執務室をでる。

 エレベーターを使って一階に降り、御所へと向かおうした、その時だった。


「榊殿」


 後ろから呼び止められる。

 振り返れば三人の若い近衛が立っていた。


「なにか御用ですか?」


 三人の眼が殿下、それからノーラを捉え細くなる。

 思い当たることはあるが、こんなにも露骨なものを向けられたのは久しぶりかも知れない。


「あとで少しお話があるのですが」

「承知しました」


 一礼して去っていく。

 ちび二人は不思議そうに首を傾げているが、ああいうのは分かりやすい。

 鷹司のお使いは少しだけ先延ばしになりそうだ。



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