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序章


 昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか

 


                             フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


 


「……むー」


 季節は木の芽が膨らみを増した頃、穏やかな朝の陽光が差し込む近衛副長、鷹司霧姫の執務室からは苦悩の声が聞こえる。


「どうかなさいましたか?」

「……むずかしいものが、ありました」


 柳眉を寄せ、手には花押を持ったまま、大きな瞳は並べられた紙に向けられていた。

 内容は国内での外国企業における土地売買についての意見書。

 ここ一年で多くの土地が外国企業に買われている現状を危惧したものとなっている。


「……」


 様子を伺えば完全に手が、いや仕事が止まっている。

 政治的実権を持たない皇族が悩んだところでどうにもできないものを、第一皇女である日桜殿下は難しい顔で睨みつけていた。

 

 想定通りではあるのだが、これでは後の仕事にまで影響する。

 主のいない、間借りしている椅子から立ち上がり、ちび殿下の前まで行く。


「どれですか?」

「……これ、です」


「国交省水資源政策課からのものですね。水源地を外国企業が盛んに買い、ボトリングをして輸出までされている。輸出先は中東、アフリカ、そして共和国」


 改めて考えれば妙なものではある。

 水が欲しいのならばボトリングされたものを日本の企業から買えばいい。

 

 それをわざわざ土地を買い、設備を買い、人を雇ってやっている。非効率的なことこの上ない。

 これが発展途上国ならば問題もあるのだろうが、いささか不自然ではある。

 

 さらに不自然さを増長しているのが各都道府県に分散しているところ。関東近郊だけではなく太平洋、日本海側と万遍なくある。

 見かたによっては国土の侵食ともとれた。


「かなり不自然なものであることは分かりますが、殿下がお考えになるレベルではありません」

「……ですが、しんぱい、です。いとがみえません」


「そうですね。土地が欲しいのなら回りくどい、水が欲しいのならば無駄ともいえる投資。水源地と山林を買えば目を付けられることは分かり切っている。無駄を嫌う外資系のすることとは思えない」


 推論を並べると、ちび殿下の大きな瞳がこちらを見つめている。

 聡い子の前で不用意だったのは俺の方だ。


「……しっていたの、ですか?」

「聞きかじり程度です」


「……さかきは、うそをついています」

「まさか、ご冗談を」


「……じょうぜつになるときは、あやしい、です」

「観察力は向上しているようですが、あまり褒められたものではありませんね」


 額を突っつけば頬を膨らませる。

 鷹司がいれば咎められるだろうが、今は、いや最近では不在にしていることが多い。


「……」


 無言で抗議される。

 機嫌が悪くなっては面倒だ。

 諸手を挙げて降参の意を伝える。


「訂正します。知ってはいました。ですが声高に申し上げることでもありませんでしたので」

「……そういうところ、いじわる、です」


 人聞きの悪い、いじわるなど微塵もしていないというのに。


「……それに、これ」

「那須高原の件ですね。殿下とご一緒した工房も今は場所を移転して、宇都宮に近い物件で営業を再開するそうです。喜ばしいことだと、私は思っております」


「……どうして、しっていますか?」

「ハガキを頂きました。新装した際にはまたお立ち寄りください、と」


 ちび殿下の眼差しが鋭くなる。

 それもそのはず、今回問題となっている水源地の一つに殿下と訪れた工房も含まれるからだ。


 ここからは予想でしかないものの、あのあと年内にでも土地売買の商談がまとまったのだろう。宇都宮に近い場所が確保できたということは、相当な価格で売れたはずだ。


 しかし、そこに罪や咎めるものはない。

 正式で正当な売買、結果として今回の書類に記載されてしまっただけ。


「……いつから、ですか?」

「殿下、具体性がない質問にはお答えできません」


「……どこまで、しっていますか?」

「なんのことやら、私にはさっぱりです」


 丁寧に会釈をする。


「……さかき」

「はい?」

「……こっち、です」


 膨れっ面のまま、ちび殿下が自身の太ももをぺしぺしする。

 最近は不満があるとすぐこれだ。しかし、まだ公務中。甘やかすわけにはいかない。


「殿下、その書類は後回しにしましょう。他が詰まっては審議に影響をきたします。時間は限られていますから」

「……さいきん、してないです」


「第一皇女ともあろう御方が、あまり安売りをされるものではありません。さぁ、どうぞ」


 眉をハの字にして唇を尖らせるものの、説き伏せる様に念を押し、書類へと向き直らせ、こちらも作業へと戻る。

 国交省の懸念だけではない。

 

 同じような懸念は地方自治体からもでている。

 太平洋側では福島、栃木、静岡。日本海側だと福井、石川、富山、新潟、山形。

 

 首都圏を避けてはいるものの、真綿で首を締めるようにじわじわと包囲されているように思えてならない。

 日本の背後に忍び寄る闇、その囁きが聞こえてくるような気がした。



     ◆



 窓を開ければ心地良い風が入ってくる。

 雲雀東風とでも表現すればよいのだろうか、少し強い風は冬の名残を浚っていくようで気持ちがいい。


「平和だ」


 主不在の副長室で一人ぼやく。

 近衛になって一年弱、昨年を思い返せば激動だった。


 梅雨明けに近衛になり、夏から初秋にかけては京都にいた。

 帝都に戻ってからも晩秋から初冬にかけては騎士王との一件がある。


 半年の間に死にかけた回数は片手を超えたのに、年が明けてからは穏やかな日々が続いていた。

 穏やかとはいっても、不審船は太平洋と日本海に出没し、今回のような土地買収もある。それでも大事件がないだけマシだった。


「毎日書類整理ばかりだとダレてくるな」


 ここ一か月ほどは不在が多くなった鷹司に代わって仕事をこなす日々。

 各種手配に申請、関係各所との連携、新素材のチェック、各大隊から提出される日報の整理など、元々得意なこともあってか拍子抜けだ。


「第一大隊への支給品は……フリーズドライ食品に耐久用に作った発光器、発電機に水電池、カプセル型のテント、ソーラーパネル……」


 北海道の奥尻島で空軍と連携する近衛第一大隊は最も消耗を強いられる。

 加えて北海道の離島ということもあり、天候が荒れると物理的な行き来すら不可能になってしまう。

 

 空軍との連携もあり、物資の共有も頻繁に行われているらしい。

 支給品は過剰なくらいでちょうどよかった。

 書類には代理として榊の名前で署名を入れ、鷹司の花押をする。


「次は……新しくなった防弾、防刃繊維の評価試験か」


 積まれた折箱の一つから制服を取り出す。見た目は同じなのだが、近衛が出資して帝国大学と陸軍で合同開発した新素材でできている。

 これまでと比べても二割ほど性能が向上しているらしい。


「手触りは……若干ごわごわしている気がしなくもない。伸縮性は……あまり変わらないか」


 自分が着ている上着と比較してみる。

 襟や袖の部分は厚くなり、全体からすると重みも増している。

 

 機能向上はいいが、これはあまり良いとは言えない。

 とりあえず着てみるが、やはり従来のものと比べると重い。 


「兵は神速を貴ぶ。近衛用に機能重視をしたんだろうが、重くなったのはマイナスかな。いずれは全軍に標準装備したいものだから、改善要求をしておこう」


 肘や肩を伸ばしたり曲げたりしていると部屋のドアがノックされ、


「裂海優呼、入ります!」


 蹴り破りそうな勢いで裂海が入ってくる。


「ノックしたなら返事くらい待てよ」

「およ、またヘイゾーだけ?」


 珍しく紙束を抱えた裂海が首を傾げる。


「副長なら外出中だ。用件なら代わりに聞くぞ」

「ここ最近ずっとね。どこ行っているの?」


「霞が関らしい。それも鹿山翁と一緒だ」

「ふーん、霞が関かぁ」


 裂海の眼が鋭く光る。

 こいつがこうした目をするときはなにか思い当たるところがある事が多い。


「なにか心当たりでも?」

「うーん、喋っていいのかちょっと悩むのよね」


 珍しく勿体ぶる。

 裂海が躊躇うということは機密に関わることか。

 

 スルーしてもいいのだが、鷹司の不在で一番割を食っているのは俺だ。

 聞いておいても損はない。


「書類はこっちで預かるから、とりあえず座れよ。試作品もあるぞ」

「わーい!」


 ソファーに座らせ、缶詰とアルミのパッケージに入った試作品をテーブルの上に並べる。


「開けていいの?」

「勿論。味の方も試験項目だからしっかり頼む」

「はーい!」


 裂海は早速缶詰の蓋を開け、中身を引っ張り出す。

 円柱型の缶に入っていたのは焦げ茶色の塊。


「これは……パン?」

「ああ。ご飯は食べるときに箸やスプーンが要るだろ? 素手で食べられて、手も汚さないものをコンセプトに開発してもらった」


「へー、なんか贅沢ね。それでこっちがジャム?」

「アルミの中なら劣化も遅いし糖度が高ければ保存性も増す。賞味期限は五年くらいかな」


 ライターほどの大きさで小分けになったアルミの包みを切れば、イチゴ独特の香りが漂う。

 栄養価も味も近年の技術革新には驚かされるばかりだ。

 

 裂海はパンの天辺に垂れる寸前までジャムを落としてからかぶりつく。

 握り拳ほどのパンは一瞬で無くなった。


「うん、美味しいわ! でも、ちょっと甘すぎない?」

「平時だとそう思うかもしれんが、防災や緊急時用だからこのくらいがいいらしい。口が甘くなったら次はコレだ」


 ペットボトルを手渡す。

 中身は殺菌処理された普通の水。これだけだとあまり美味しくない。

 

 そこで開発されたのが底の部分に付けられているプラスチックの包み。

 中身は柚子の粉末が入っている。


「ずいぶん凝ったものをつくったのね」

「最初はレモンだったらしいが、国産のイメージを損ねたくないらしくて柚子になった。香りも穏やかだし、なにより馴染み易い」


 水に粉末を入れ、振って混ぜ合わせる。

 熱加工品なら溶けるまでに時間を要しそうなものだがフリーズドライ品なので問題ない。そのままぐびぐびと飲む姿はコマーシャルにでも使えそうだ。


「うん、これなら温めてもよさそうね。パンにジャム、それに水だけだと味気ないかと思ったけど悪くないわ」


 戦友が試作品を次々に平らげていく間に持ってきた書類に目を通す。

 彼女が持ってきたのは現代刀の試し切り記録。


 現代の名工が作ったものから工業用のプレス機で造られた量産刀、人間国宝が打ったものまで万遍なく試している。

 書類には一刀ごとに項目があり、○や◎など記号が書き入れてある。

 大概はこれで事足りるのだが、裂海が書いた備考欄には問題があった。


「備考欄が子供なんだよな」


 例えば、人間国宝の打った一振りには「すごいけど、ちょっと頼りない!」とある。

 プレス機で造られたものにいたっては「包丁と一緒! でも使えそう」だ。


「なぁ、優呼」

「はによ?」


 白桃の缶詰を流し込んでいる同僚にわざとらしく書類を叩いて見せる。


「最近、わざとこうしてないか? 面倒だからって俺に押し付けるなよ」

「えへへ、霞が関の件と交換にしない?」


 前言撤回、確信犯だ。

 きっと鷹司の不在は織り込み済みなのだろう。


「お前には負けるよ」

「褒めないでよ!」


 強かさに肩を竦める。

 御したつもりが逆だったらしい。


「それで、霞が関がどうしたんだ?」


 柚子粉末を入れたペットボトルを取り上げて残りを飲み干し、手を付けようとしていた黄桃の缶詰を奪う。


「あっ、ちょっと、それはひどくない!」

「いいから話せ」

「もう、ヘイゾーじゃなかったら切り捨てているんだから!」


 半眼で睨まれるが気にしない。


「情報源は軍部。この前一緒になった海軍の人に聞いたんだけど、陸軍が騒がしいらしいの」

「……陸軍が?」


「そう。陸軍の情報部と公安調査庁が合同でしている作戦があるみたい。その本部が霞が関らしいわ」

「どうして海軍がその情報を?」


「士官学校の同期が陸軍にいるんだって。その人も中央通信隊群の所属で、市ヶ谷でも結構噂になっているみたい」


 ドライフルーツの奪い合いをしながら考えを巡らせる。

 軍部と省庁機関はそれほど接点がないにもかかわらず、合同で作戦を展開し、調査している。


「公安調査庁ってことは法務省管轄。陸軍、法務省……」


 記憶の海から顔を出したのは年末、鹿山翁の運転手として訪れた陸軍の朝霞駐屯地での出来事。

 陸軍の菅原参謀長と川島法務大臣と鉢合わせた瞬間が蘇る。


「なにか思い当たるの?」

「いや、今のところさっぱりなんだが、陸軍に法務省、それに近衛か重なるとキナ臭く、いや怪しく感じるな」


「ふふ……」


 不意に裂海が笑う。

 ナッツを頬いっぱいに溜め込んでいなければ可愛く見えたのかもしれない。


「やっぱりヘイゾーはその方が似合うわね。ぼんやり事務処理なんてらしくないのよ!」

「心配してくれたのか?」

「戦友なんだし当然でしょ!」


 人差し指を向けられる。

 まったく、こいつにはいつも驚かされる。


「分かった。副長の不在は近衛にも影響が出始めてる。調べておく」

「頼むわね!」


 試作品をあらかた食べ終わったところで再びドアがノックされる。


「どうぞ」


 促せば入ってきたのは万年若作りババアの伊舞朝来。


「あら、坊やと優呼だけ? 霧姫は?」

「鹿山翁と外出中です。なにか御用ですか?」

「……いいわ。また今度にするから」


 愛用の長煙管を振りながら踵を返そうとする。

 丁度いい、カマをかけてみよう。


「霞が関の件ですか?」


 動きが一瞬だけ止まる。

 それからゆっくりと伊舞が睨みつける様な顔で振り向き、


「それを問う権限はないのよ、第九大隊長さん」


 釘を刺される。


「アンタたちは自分の仕事を全うしなさい」

「失礼しました」


 頭を下げれば、伊舞はそのまま出ていく。

 乱暴に閉じられたドアと、遠ざかる足音に苦笑いが浮かんだ。


「厄介みたいね」

「ああ、退屈しのぎにはなるかな」


 裂海と笑いあう。

 どうやら思った以上に事態は深刻らしかった。


今日から第四部の掲載開始となりますが、その前に一つご報告です。

みなさんのお力添えにより、続刊が可能となりました。

お礼を申し上げます。


第四部についてですが、週一回の更新でしばらくやらせていただければと思います。

第二巻、第四部と今しばらくお付き合いいただければ幸いです。

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