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短編 榊平蔵のある一日(午後編)


 午後、運転手兼付き人として近衛顧問である鹿山翁に同行する。

 行先である朝霞駐屯地は帝都の北西部に位置し、市ヶ谷と並んで陸軍の重要施設。


 統合司令部が置かれ、市ヶ谷が落ちても朝霞があるといわれるほどの規模と練度を誇る。総司令部と並んで配備されているのは東部方面総監部。関東一円、そして甲信越にまたがる地域を統括する場所。


「はぁ、広いもんですね」

「近衛の施設と比べると、どうしてもな」


 鹿山翁と駐屯地を歩く。

 目立たないようスーツに着替えたのだが、鹿山翁は普段通りの和装。


 軍の施設内では目立つことこの上ない。

 朝霞にどんな用事かと思えば、ジジイ曰く世間話らしい。


「以前、陸軍と近衛の関係はあまりよくないと伺いましたが……」

「近代兵器が完成するまで御所と帝都の守りは近衛が担っていた。陸軍はその露払い、肉の盾だといわれ続けてきた歴史がある」


 難しい顔でジジイが唸る。

 まぁ、分からない話でもない。


「今でこそ共に国防を担うが、軽んじられてきた軍の上層部には未だ近衛に良い感情を持たない面々がいることも事実だ。しかし、状況が複雑化の一途をたどる中、近衛だけあるいは陸軍だけで対処できない場面が増えている」


「我が国は伝統的に海軍が重視されていますからね。陸軍は災害派遣が主な任務、とまで揶揄されているようですし」


「あまり大声で言うな。敵を作りたいのか?」


「失礼、元サラリーマンとしての認識を申し上げたまでです」


「世間一般からはそうかもしれん。だが、今は参謀長の肝煎りで諜報部が強化されている。国内で跋扈する大陸諜報員の捕縛で成果を上げている」


 話しながら検問を抜けて施設内に入る。

 特に何もしているわけではないが、すれ違う連中が敬礼をしていることから、鹿山翁の顔見知りだと思ったのだが、どうにも違うらしい。


「……監視カメラ、ですか?」

「なんだ、目端が利くな」


 翁は快活に笑い、隠そうともしない。

 先ほどから施設のいたる所にレンズの反射光が見えた。

 天井からぶら下がる分かりやすいものから、植木や置物に偽装してあるものまで多種多様にある。


「これも昨年就いた参謀長の新しい試みという奴だな」

「翁と参謀長殿とはどのような御関係で?」


「共和国勃興期に南西諸島で上陸部隊とやりあったことがある。その折に迅彦殿と儂、それに当時ヤツが率いた部隊で連携をして、撃退をしたことがあった。それ以来だな」


「裂海迅彦が現役の頃といえば半世紀ほど前ですね」

「バカモン、四五年前だ」


 大して変わらないと思うがジジイにとって五年は大事らしい。

 軽口を叩きながら歩くこと数分、施設内の内奥部にある参謀本部へとたどり着き、プレートもない部屋のドアの前に立つと、


「開いてますよ」


 声が聞こえた。

 鹿山翁はノックをすることもなくドアを開けて中に入る。

 勝手知ったるなんとやら、だ。


「やぁ、菅原さん。ご無沙汰をしております」

「小次郎殿、ようこそお越しくださいました。さぁ、こちらへ。それから……」


 参謀長の眼がこちらを向く。

 値踏みをする、いや、試し挑むような色が見て取れた。


「本日の運転手を仰せつかりました、榊と申します」

「良く来なすった。アタシは菅原利明だ。榊君、下の名前は何だい?」


「平蔵と申します」

「良い名だ。親御さんに感謝しないとな。さぁ、こちらへどうぞ」


 笑顔と握手で歓迎される。

 対面式のソファーに促され、鹿山翁の隣へ座らされる。


 参謀長が座るかどうか、というところでドアがノックされ、軍服を着た女性がお盆を手に入室し、湯呑と落雁を置いて静々と去っていく。


「アタシは堅苦しいのが嫌いでね。さぁ、気楽にしてください」

「相変わらずですな」

「お互い様ですよ、小次郎殿」


 参謀長は人懐っこい笑みを浮かべる。

 鹿山翁とほぼ同じくらいの年齢にもかかわらず、明らかに目下である俺への態度は好感を抱かせる。

 監視カメラ云々を忘れてしまいそうなほどに。


「さて、どこからにしましょうかね。ああそうだ、つい先日穴水の事務所から妙な報告がありましてね」

「穴水といえば石川、能登半島の拠点ですな」

「ええ、輪島の空軍が騒がしいと報告を受けたんですよ」


 二人が話し始めるのでこちらは適当に相槌を打ちつつ出されたお茶を啜り、落雁を含む。

 濃いめに淹れられた煎茶とさらりと溶ける落雁の取り合わせは悪くない。


「レーダーに映らない不審船?」

「木造船のようです。それもかなりの小型と……」


 端々に聞こえる会話から推察するに、日本海では木造の不審船が頻繁に目撃されているらしい。

 外洋の航海ができないほど、となれば収容するものがある。


「菅原利明陸軍参謀長か……」


 白熱する二人を尻目に聞こえないよう呟く。

 気さくな人柄とは裏腹に諜報に重きを置く、加えて施設内の監視体制は厳重そのもの。

 一筋縄ではいかないタイプらしい。

 戻ってから一度調べよう、そう思っていると備え付けの電話が鳴った。


「おっと失礼……」

「なんの、構いません」


 すまない、という仕草をして参謀長が受話器を取る。


「なに、もうお着きになった? 随分とせっかちだな。まだ通……なに?」


 腕時計を見れば話し始めてから一時間近く経過している。

 次の面談の時間が来たのだろう。


「菅原殿、今日はここまでにしよう。また来ることにします」


 立ち上がるジジイに続こうとすると、ドアがノックされ、背の高い初老の男性が入ってくる。


「せっかち大臣が来なすった」


 ぼやく参謀長に配慮して、鹿山翁が向き直る。

 しかし、闖入者の顔には警戒の色があった。


「川島さん、ずいぶんと早いお着きだね」


 参謀長の言葉で男性が会釈をする。

 目配せをされ、ジジイが丁寧に頭を下げた。

 

 こちらも倣うが、男性の顔には見覚えがある。

 法務大臣だ。


「火急の用と申されたのは参謀長だったと思いますが、こちらは?」


 法務大臣の目は値踏みと警戒の色が強い。

 当然といえば当然、大臣は公共の人間。一方的に知られる側だが、こちらのことは分からない。不利な立場にある。


「参謀長、私がここに来ることは内密にしたかったのですが……」

「ああいや、申し訳ない。私が少し長居をしてしまった。利明殿、次はゆるりと酒でも酌み交わそう」


「小次郎さん、すまねぇ」

「なんのなんの。さて、行こうか榊」

「はっ」


 鹿山翁と歩調を合わせ、法務大臣と秘書と思しき男性に会釈する。


「平蔵君も今度は気軽に顔を出してくれ」

「ありがとうございます」


 菅原参謀長は非常に気さく、いや人心掌握が上手い。

 気取ったところがなく気風の良い江戸っ子そのまま。慕いたくもなる。


「榊……平蔵?」


 法務大臣の顔がこちらを向き、鋭い眼差しに射貫かれて動きが止まってしまう。

 同時に秘書と思しき男性が大臣へ耳打ちをした。

 一瞬にして変貌してしまった雰囲気に、敏感な反応を示したのは誰でもない菅原参謀長だった。


「大臣、彼がどうかしたかい?」

「……」


 大臣が逡巡する。

 すると、秘書と思しき男性が再度囁いた。


「人違いであったら申し訳ない。君の名は榊平蔵というのか?」

「はい」


「鈴木寿夫外務大臣との御関係は?」

「外務大臣? なにか勘違いをなさっているものと思いますが私は一般人。政治家と関係などありません」


 努めて丁寧に、感情を表に出すことなく答える。

 ノーラ、いや騎士王との件で現内閣には俺の顔が知れ渡っている。

 法務大臣が総理と同じ派閥かは分からないが警戒しておくに越したことはない。


「しかしだね、私の秘書が、君を知っているというのだ」


 大臣に促されるように前に出た男性が菅原参謀長、鹿山翁、そして俺に会釈をする。


「川島の秘書を務めます佐屋代と申します」


 年の頃は俺と同じ、二〇代中盤といった所だろうか。雰囲気は細面の優男、なのに眼光が鋭すぎる。辛うじて直視に耐えられるのは眼鏡のせいかもしれない。

 佐屋代と名乗る秘書が言葉を続ける。


「先月、大英帝国の特使であるジョルジオ・エミリウス・ニールセンが極秘来日した折、ある写真が政界を流れました。一つは我が国に潜伏しながらも事故死した旧トランシルヴァニアの遺児エレオノーレ・クルジュナ・トランシルヴァニア。そしてもう一つが正体不明の榊平蔵という男性のものです」


 騎士王の名前に菅原参謀長まで目を細める。

 どうやら雲行きが怪しい。


「エレオノーレ嬢については言わずもがなではありますが、この榊平蔵という男性は名前以外の経歴が一切不明です。同姓同名を当たっても写真に該当する人物はいません」


「なにかの間違いでは?」


「ですが、外務省の監視カメラには姿が映っています。姿形は貴方にそっくりです」


「他人の空似ではありませんか?世の中、似ている人間が三人はいると聞きます。それに、その榊平蔵がなにかしたのですか?」


 微笑みを交えて返せば、佐屋代と名乗る秘書官の眼は糸のようになる。

 現内閣がどのくらいの情報を掴んでいたかは知らないが、ノーラを匿っていた程度の認識だろう。

 あとは近衛の分厚いベールが包んでいるはずだ。


「榊平蔵には国際的な指名手配犯を匿った犯人蔵匿罪の疑いがあります」

「犯人蔵匿は国内法、国際的な指名手配犯を匿ったところで罪に該当しません」


「榊平蔵がエレオノーレを匿ったことで日本は不利益を被りました。欧州連合との貿易摩擦がどれほど深刻であるか彼は知らないのです」


 眼光に鋭さが増す。

 この秘書なりの正義感か、あるいは別の思惑で俺を探しているらしい。

 しかし、正直に名乗り出る必要がない。確証がないようなので適当にあしらうに限る。


「不利益を被ったからなんだというのでしょうか。その大英帝国の特使からなにか言われたのですか? 私とその榊平蔵が同一人物である証拠もないのに、犯人扱いとは……」


「でしたら貴方の身分証明を見せてください。先ほども申し上げましたが、全国の榊平蔵は調べました。その中に貴方のものがあるか、確かめたいのです」


「個人情報です。法務大臣の秘書官は一般人に素性を問うのですか?」


「なにもなければ答えられると思いますが、なにか疚しい部分でも?」


「なるほど、疚しくなければ答えられる……誘導尋問ですね。そのような詭弁を弄するとは、実に嘆かわしい」


 残念ながら顔写真と記憶力だけで事実は証明できない。 


「佐屋代君、そこまでだ。確かに我らにそのような権限はない」

「しかし……」


 尚も食い下がろうとする佐屋代を法務大臣が制した。

 なるほど、二人には相応の信頼関係があるらしい。


「秘書が失礼をしました。謹んでお詫びします」


 法務大臣ともあろう人が頭を下げる。

 いや、政治家だからこそ人に頭を下げるのは得意なのかもしれない。


「こちらをどうぞ。なにかあればご連絡ください」


 差し出されたのは代議士川島と印刷された名刺。

 自らの名刺を差し出すというのは異例だが、受け取らなければ失礼に当たる。

 鹿山翁に目配せをすればやれやれ、と苦笑いを浮かべた。


「大臣、こちらこそ失礼した。菅原殿、よろしいか?」

「鹿山さん、私はその……構わないのだが、いいのかい?」


「こやつは少し前に暴れまわって迷惑を掛けた張本人だ。これ以上心証を悪くするわけにもいかんからな。お前さんもいいな?」


「……拒否権はありますか?」


「あるわけなかろう」


 こちらの意見を一蹴し、鹿山翁は姿勢を正す。


「いつも久瀬が世話になっております。顧問の鹿山です」

「! やはり近衛師団でいらしたか」


 そう、立花の所属する第四大隊は現内閣や内外の要人を警護する役割にある。大臣も近衛という存在は知っている。


「その節はご迷惑をお掛けしました。第九大隊長を拝命しております榊です」

「第九大隊? それじゃあ、霧姫さんの後任……」


 今度は菅原参謀長が驚く。

 どうにも鷹司は有名過ぎる。


「榊、お暇をしようか」

「はっ、失礼します」


 近衛式の敬礼をしてから翁に続いて退出をする。

 ドアが閉まったあとで溜息が出た。


「ホレ、お前さんがこしらえたツケだ。反省せい」

「申し訳ありません」


「反省はしても後悔はしていないという面だ」

「ご冗談を。私のせいで殿下が動かれたのです。返す言葉もございません」


「日桜に関しては真面目だな」

「常に真面目だと自負しております」


「口の減らないやつだ」

「恐縮です」


 再び軽口を叩きながら車へと戻る。

 法務大臣との対面が後々に影響を及ぼすなど、この時は思いもしない。



     ◆



 陽光の傾きも早く、近衛本部に戻る頃には空は朱に焼ける。


「無駄に疲れたな」


 ジジイを送り届け、近衛寮に戻る。

 お偉方と会うのは肩が凝った。


 自分の肩を揉みながら自室の前まで来ると中には人の気配。

 鍵はかけていたのだが、最近では意味を成していない。


「……さかき」


 部屋に入ればちび殿下がいる。

 朝とは違う出で立ち、白い洋装でいると年頃の女の子に見えた。


「殿下、お早いですね。もうそんな時間ですか?」


 時計に目をやれば午後五時を少し過ぎた頃。

 ネクタイを外し、上着を脱ごうとすると、とことことやってきたちび殿下が袖を引っ張った。


「……すーつ、かっこいいです。そのままが、いいです」

「これがですか?」

「……はい」


 前もそうだったが、ちび殿下はスーツ姿がお好みの様子。

 普段見慣れないからだろうか、御機嫌取りのために覚えておこう。


「殿下もお綺麗ですよ」

「…………はい」


 褒めれば微笑んでくれる。

 こうした表情は悪くない。


「さて、夕食にはまだ早いと存じますが……」

「……おはなし、したいです。さいきん、ゆっくりできません」

「はぁ、まぁ、殿下がそれでよろしいのならば」


 袖を引っ張られ、ソファーに二人で座る。

 対面ではなく、隣というのが引っかかりはするが、


「……さかきは、きょうなにしましたか?」

「朝も申し上げましたが、午前中は事務処理です。午後からは鹿山翁の運転手として朝霞に行ってきました」


「……あさか?」

「軍の駐屯地がありますから。殿下はなにをなさいましたか?」


 他愛もない言葉を交わす。

 どうでもいい、報告にもならないやり取りなのに体から疲れが抜けていくように思う。

 こんな時間がいつまでも続けばいい、そう願ってしまうほどに。


「……さかき、こっち、です」


 ちび殿下が自分の膝を叩く。

 隣に座った意図が分かった。どうやらこれがしたかったらしい。


「ご遠慮申し上げたいのですが……」

「……だめ、です。さいきんしていません」


「ですから、労って頂くほどの仕事はしていませんよ?」

「……こっち、です」


 執拗にぺしぺしし始める。

 こうなったらもうお手上げだ。


「少しだけですよ?」

「……はやく」


 諦めて体を寝かせ、ちび殿下の膝枕にあずかる。

 心地良くはあるのだが、未だ遠慮がある。


「……だいじょうぶ、ですか? からだは、いたくないですか?」

「ご心配頂くほどではありません」

「……うで、なおりませんね」


 心配しているのは少しばかり膨らんだ左腕。

 金属の心棒と複合装甲が入っているが、違和感はほとんどない。


「仕方ありません。気長に付き合いますよ」

「……わたしが、かわってあげられたら、よいのですが」


 悲しげな瞳のまま髪を撫でてくる。

 ちび殿下が覗き込むように覆いかぶさってくるので、手を伸ばした。


「大丈夫です」

「……ほんとう、ですか?」


 綺麗だ、と口にしそうになる自分を諫める。

 ただ触れようとした手で、ちび殿下の頬を引っ張る。

 この雰囲気はよろしくない。


「……はに、ひまふか?」

「あまり思いつめた顔をなさらないでください。このくらいがお似合いです」

「……ひふれい、へふ」


 殿下の手も俺の頬を引っ張る。

 危なかった、と思ったのも束の間、


「やっほー!」

「お邪魔します」


 ドアを蹴り破りそうな勢いで裂海が、後ろにはノーラが続く。

 どうしてこうも騒々しいのだろうか。


「ちょっと何してるのよ!」

「お二人とも、そこまでです」


 裂海とノーラに引っぺがされる。

 正直助かった。


「みんなでご飯に行きましょう!」

「賛成です」

「……さいきん、こればかり、です」


 三者三様の顔に笑ってしまう。

 こんな日が続けばいい。

 そう願わずにはいられなかった。



短編は今回で終わりとなります。

次回の更新は第四部となる予定です。

年内に始められたら、と考えていますので土曜日のこの時間になったらちょくちょく見に来てください。


書籍の続刊についてはまだ未定です。

ご協力いただいた方々のため、読んでくださる方々のためにも続けたいと思っております。

引き続き応援いただけたらと思います。

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