短編 鷹司霧姫(前)
発端はフランス大統領を招いての食事会。
久方ぶりのドレス、ヒールの高い靴、鷹司家の息女という立場は肩が凝った。
それでも近衛副長として立ち回るよりは楽だと感じてしまう。なにせ、鷹司家息女であれば笑顔を振りまいているだけでいい。あれだけ嫌だったお飾りの日々を懐かしむ自分に、日々の苛烈さを思ってしまう。
「霧姫様」
スーツ姿で会釈をするのは鷹司財閥に身を置く男性で、諜報部門に所属するため少なからずやり取りがある。
「こんなところまでどうした?」
「ご依頼いただいた資料が揃いましたので、お届けにあがりました」
「資料? 依頼?」
身内の言葉に眉を顰める。
依頼も資料も身に覚えがない。
「榊様から早急の案件と伺いましたが……」
困ったような顔をするのをそのままにできず、手を出した。
「すまなかった。思い出したよ」
「勿体ないお言葉です」
「苦労をかけるが、今後も頼む」
「ありがとうございます」
会釈をして去る背中をみながら嘆息する。
すぐにでも受け取った封筒を開きたかったのだが、
「霧姫様」
「……ああ」
返事をして封筒を持ったまま挨拶へと向かう。
◆
近衛内で問題児といえば一人しかいない。
もともと武家で構成された近衛は非常に統制がとれていることもあり、風紀の乱れや内部抗争は表立っているわけではない。
勿論、それぞれが腹に一物抱えているのだろうが、今のところは上手くいっているように見えた。
しかし、ここ数か月で近衛を騒がせている人間がいる。
食事会が終わり、自らの執務室で封筒の中身を目にした時は頭が痛くなった。
「アイツは、どうしてこんなものを……」
資料の中には日本に進出している大陸資本企業の概要や業種、出資先や事業展開などが事細かにあった。大陸からの企業誘致は財界が主導で行い、かなり厳しい審査を実施している。
それをこうも丁寧に、いや執拗に調べているというのが引っかかった。
分厚い資料の束をめくっていると、部屋の扉が叩かれる。
「開いている」
「失礼します」
入ってきたのは件の問題児、榊平蔵。
涼しげな表情が燕尾服と相まって紳士然としてはいるが、顔の幼さが場違いを強調している。大学生が無理をしているように見えなくもない。
「こんな夜中までご苦労だな」
「副長こそ、ずいぶんと召し上がられていたようですが大丈夫ですか?」
指摘され、顔に手を当てる。
そんなに飲んだだろうかと思いつつも、妙な観察力に舌打ちをして、話題を逸らしにかかった。
「殿下はどうした?」
「明朝も公務がありますので床へ押し込んできました」
動きそうになった右腕を諫める。
コイツの場合、言葉は乱暴だがその実は丁寧だということが分かっている。
一々構っていたのでは心が持たない。
「さて、本題に戻ろうか。貴様が探しているのはこれだな?」
「はい。先ほど問い合わせたところ、副長に渡して頂いたようですので、受け取りにまいりました」
「殿下の護衛からも貴様が……なにやら嗅ぎまわっているとは聞いていた」
「……大したことではありません」
「ならば、話せ」
立ち上がり、謹慎中にもかかわらず自由気ままに動き回る部下へ詰め寄る。
謹慎の意味が分かっているのか疑わしいところだ。
「どうした? 早くしろ」
ヒールの先端で小突くと、問題児は観念したように一礼する。
「先日、殿下と一緒に那須高原のチーズ工房を訪れた際に土地買収の話を伺いました」
知っている。
ほぼ丸一日を使い、予定を無理やり空けさせた。侍従からの文句を聴いたのはヤツではない。
「那須高原は肥沃な土地であり、酪農や牧畜、農業に適した重要な場所です。同時に関東、首都圏への水瓶でもあります。その価値は計り知れません」
「……まどろっこしいな。結論から話せ」
「土地買収を進めている会社の出資元はシンガポール系の企業であることが判明しました。それも大陸系が筆頭株主となっているところばかりです」
「……シンガポールか」
大陸における経済の中心地であり、魑魅魍魎が跋扈する危険地帯でもある。
何かを隠すことにこれほど適した国もない。
「先の事件でも報告しましたが、シンガポールは現在各国の暗躍が活発な地域です。共和国における国籍ロンダリングの疑いもあります。今回集めて頂いた資料は裏付けのためのものです」
「共和国が水源を買っている」
あまり良いことではない。
近衛にしてもあの場所は御用邸がある。
「ご存じのことと思いますが、我が国では外国人の土地売買を規制する法律はありません。安全保障上の問題としては重要です」
「水源地に外資系の施設が立つだけでも厄介だ」
「水が奪われ、土地が奪われては日本の根幹が揺るぎます。ですが、今回の買収は合法的に進められたもので規制が難しい。各自治体へ懸念を伝えるべきかもしれません」
合法的に進められているものを取り締まることは難しい。
こうした土地買収には大企業、ひいては地方財界が関わっている場合が多い。
懸念を伝えるという表現は藪蛇を突くまいとの配慮なのだろう。
「それで本家を使ったわけか」
「部下だと申し上げたところ快く引き受けてくださいました」
「貴様という奴は……」
減らず口が憎らしくもある。
いったい、どこでその度胸を手に入れたのか。
「今後は林野庁とも仲良くしていかなければなりません」
「バカを言え。今は少しでも安い木材を、外国から輸入する時代だ。林野庁など当てになるか」
「ですが、自治体や省庁の協力を仰がなければ買収は防げません」
「貴様にしては夢見がちな意見ではないか。今この国は不況の中にある。誰しも金が欲しい時勢、高値の買収案など抗しようがない。林野庁からは煙たがられて終わりだ」
榊が黙る。
彼の欠点は性善説を信じ、他人の善意を前提に動いている節があるところだ。
協力を仰いだところで省庁は応じることの方が少ない。
今は瞬間的な利益が最優先であり未来を憂う余裕などないのが実情といえる。
「榊、貴様が見つけた問題は根深いものだ。武力での解決など到底望めない。故に殿下……いや皇族方々のお力が必要なのだ」
「慧眼ご尤もです」
「この件は私に任せろ。悪いようにはしない」
「よろしいのですか? 副長もお忙しいと思いますが……」
「謹慎中の誰かが事務処理を引き受けてくれたおかげで余裕ができたからな」
嘘だ。
コイツが好き勝手動き回ったのでは林野庁や国交省にまで乗り込みかねない。
そうなれば近衛は政争へと巻き込まれてしまうだろう。
今でさえ保守派の重鎮である城山や外務省の鈴木とパイプを作ってしまっている。
これ以上の厄介ごとはご免被りたかった。
「承知しました。では、お任せをします」
「貴様がこれまで集めた資料も出せ。正確な情報が欲しいからな」
「……はい」
若干嫌そうにするが、知ったことではない。
「話は終わりだ。さっさと部屋へ戻れ」
「失礼します」
ひらひと手を振って追い出す。
これが思った以上の事件の引き金になるとは、この時は思いもしない。
◆
面倒事、というのは畳み掛ける様にやってくる。
榊平蔵から大陸系企業の調査を引き継いでから数日、事態は思わぬ方向へと転がり始めていた。
「公安が?」
電話の向こうでは鷹司本家の諜報部から調査の途中で公安調査庁と鉢合わせたことを知らされる。
『現場では一悶着あったそうですが、双方が誤解と分かり引いたようです』
「なぜ公安が出てくる。対象となるような企業はないはずだが……」
『霧姫様、どうされますか? 調査の続行は可能ですが……』
「いや、今回はそれ以上踏み込むな。公安とやりあっても益がない」
『承知しました』
受話器を置いて一人考えに耽る。
公安が出てきたということは、榊の懸念が少なからず的中しているのだろうか。
なぜ、どうしてと思うと同時に公安に貸しを作るチャンスでもあった。
「手を打っておく必要があるな」
おもむろに電話をかける。
『はい』
「お久しぶりです。鷹司です」
『これはこれは、珍しい方からの連絡ですね』
通話の相手は件の公安調査庁の人間。
過去の文化財、主に刀剣の国外持ち出しについて協議をしたことがある。
男性で、年齢は四〇代半ばということしか知らない。
「単刀直入に言います。大陸系企業調査の件です。どこまでご存じですか?」
『……なるほど、近衛が絡んでいたのですか。あれは私の管轄ではないのですが……』
やはり知っている。
公安内部では問題視されているのだろう。鷹司本家と敵対することは公安としても望まないはずだ。
「手柄は差し上げましょう。私が欲しいのは情報だけです」
『さすがは鷹司殿、お話が早くて助かります。では互いに情報交換としましょう。隠し事はなしでお願いしますよ』
「それはこちらのセリフです」
榊が調べ上げたことを話し、推論を並べる。
向こうからの情報と合致する部分が多い。
『驚きました。まさか、水についてもご存じとは……』
「輸出入が増えれば妙なものまで混じるのは明白です。トルコやサンフランシスコと同じことになります」
『武器、そして麻薬の密輸ですね』
「沖縄や南西諸島、日本海側は海保と連携してかなり厳しく取締をしていますが、太平洋は手薄。今は潜水艦騒動もありますから、芽は小さいうちに摘み取っておく必要がありましょう」
『いや、ご尤もです。それにしても……近衛は耳なしと伺いましたが、撤回せねばなりませんな』
近衛に耳なし。守るものは見えるものだけ。
そう揶揄されていることも事実。
否定するつもりはないが、肯定したくもない。たかが一〇〇名、バックアップをしてくれる職員を含めても五〇〇人に届かない組織では限界がある。
「進展がありましたらご連絡ください。では」
返事を待つことなく通話を切る。
受話器を置けば疲れが噴き出した。やはりこうした交渉事は好きではない。
「……ふう」
一息ついていると携帯電話が震えた。
「鷹司です」
また面倒事だろうか、そう思いながらも通話ボタンを押すと、
『……きりひめ』
「で、殿下!」
柔らかな声音、蕩ける様な美声を聞き間違えはしない。
しかし、あまりに意外な連絡に慌ててしまう。
「このような時間に、どうかされましたか?」
『……えっと、あのね……。いま、じかんありますか?』
恐る恐る、いや多分に遠慮を含んだ問いかけだが関係はない。
返事など決まっている。
「暇です」
『……よかった。じゃあ、へやまで、きてほしい、です』
「疾く伺います」
久方ぶりの呼び出しに心躍らせて殿下の自室まで赴くが、
「殿下これは?」
「……きりひめ!」
少し照れを含んだ日桜は愛らしかったが、なにやら意味深に微笑むエレオノーレには嫌な予感しかせず、もう一人の珍客は挑むような目つきでこちらを見ていた。
「お招きいただき、ありがとうございます。朱膳寺千景です」
立ち上がり、丁寧な動作で挨拶をする。
なるほど、良くできた子だ。
「鷹司霧姫です。あのバカの上司とは私のことです。以後お見知りおきを」
バカ、と口にしたところで柳眉が跳ね上がった。
どうやらよほどの信頼を置いているらしい。
「……きりひめ、だめです」
「失礼しました。それで……どのような御用件でしょうか。湯殿のお誘いではなさそうですが」
期待をしてきたのに、肩透かしを食らった気分になる。
それに、殿下の部屋でも榊の顔を見ることになるとは思いもしない。
「……みんなで、さかきのかんしょうかい、してました」
「鑑賞会?」
自然と語尾が跳ね上がる。
モニターには榊がサラリーマンだった頃のものが流されていた。
どうやら三人はこの映像を見ていたらしい。
「どうしてまた、このようなものを……」
悪趣味な、と言いかけて止めた。
三人の眼には恐ろしいまでの真剣さがあった。
「……きりひめは、さかきのこと、わかりますか?」
「?」
殿下が指すのは監視カメラに映る榊。
どうやらタブレットで株価をチェックしている場面のようだ。
久しぶりに見るが癪に障る。
「分からないのは指の動きです。どうしてあのような動きをしているのでしょうか」
エレオノーレが解説をしてくれる。
確かに榊の指は数を数える様な動きをしたり、音を鳴らす様に弾く動作をしたりしている。
「このときはヤツが買った株が値上がりした頃でしょうから、上手くいったことでの高揚感と、あとは自己顕示欲。人間上手くいけば自慢したくもなる」
「……じゃあ、これは?」
次に映し出されたのは榊が勤めていた商社の内部資料、会議の様子が議事録と一緒に映像として残されているものだ。
その中でヤツは失言をして上司から怒られている。
なのに、数十秒後には会議そのものを支配するように一人で弁舌を振るうまでになっていた。
「失言して怒られているはずなのに、どうしてこんなことができるのか、分からなくて……。彼ならもっと上手くやれると思うわ」
朱膳寺千景は買い被りすぎて、いや真っ当に見過ぎている。
ヤツの思惑は一つしかない。
「初歩的な心理学です。失言をすれば注目をされますから、それを逆手に取っているわけです。見てください、黙っていろと怒鳴られているにも関わらずしゃべり続けます。そうすると、大人の世界ではまず聞こうということになる。勿論、一歩間違えれば立場を危うくしますから、おいそれとは使えませんが」
「……すごい、です」
なぜか殿下が目を輝かせる。
しまった。妙なスイッチが入っているらしい。
「つまりヘイゾウさんは全部考えたうえでやったということですね」
「当然よ、そのくらいしてもらわないと困るわ」
幼女たちの反応に苦笑いすら浮かぶ。
どうやら女の子の魔法がかかっているらしい。
「……きりひめ、これはなんですか?」
「まだあるのですか?」
部屋に引っ張り込まれ、座布団に腰を下ろせば、三人があれやこれやと榊について解説を求め、あるいはこうでもないああでもない、と議論を交わす。
質問に答えるほど増していく殿下からの信頼と、エレオノーレからの疑惑、千景からの嫉妬を感じつつ、夜は更けていった。
今週は11月17日土曜日に前編、翌18日日曜日に後編を掲載します。
お楽しみいただければ幸いです。