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短編 朱膳寺千景(前)

 

 曇天から雪が落ちてくる。

 冬でも晴れの日が多い帝都には珍しい。

 帝都の玄関口、レトロな外観の東京駅の丸の内口に車を停めて人を待つ。


「ふぅ」


 見つけやすいように、と車外に出て駅の出口を見つめる。

 ロングコートを着ていても風が吹けば身震いするほど寒い。


「もう少し厚着をしてくるべきだった」


 今日に限って悪くなった天気に悪態をつきながら腕時計を見る。

 時間的にはそろそろだ。

 人でごった返す丸の内口を注視していると、一際目立つオフホワイトのコートを纏った人影が出てくる。


「おいおい」


 思わず苦笑いが浮かぶ。

 赤みがかった髪に大きな瞳、薄い口唇。コートの下には学校の制服、足元はブーツ。

 手にはキャスター付きのキャリーケース。

 容姿もさることながら独特の存在感を放っている。目立つことこの上ない。


「千景様」

「!」


 待ち人である朱膳寺千景に手を振ればすぐに気付いて、でも駆け寄ってはこない。

 澄ました顔のままこちらへやってくる。


 殿下がうさぎだとしたら、この子は猫だ。

 それもロシアンブルーやシャルトリューのような気品に溢れるタイプだろう。

 目の前まで来ると姿勢を正し、上手に会釈をして見せる。


「お久しぶりです、榊大尉。いえ、第九大隊長殿」

「ご無沙汰をしております、千景様。僭越ながら、そのような気取った言葉遣いはお似合いになりませんよ」


 会釈によって角度の付いた額に人差し指を押し当て、ゆっくりと顔を上げさせれば、不満そうな元ご主人様がいた。


「気取っているのは平蔵でしょう?」

「私が、ですか?」


 指摘されて自分の姿を見る。

 紺色のスーツに黒のロングコート、革靴と普通のサラリーマンと同じ装いをしているつもりだ。


「千景様にご同行ということで真っ当なコーディネートをしたつもりなのですが」

「京都ではそんな恰好していなかったじゃない」


 記憶を探る。

 初日はスーツを着ていたが、暑さで上着を脱いでいたように思う。


 それ以降は近くの量販店で買ったシャツとジーンズやスラックスが多かったような気もする。

 確かにあの頃と比べれば、今は少しばかり気取っているかもしれない。


「お言葉を返すようですが本日は学校見学です。あまりラフでは千景様の品格が問われることとなります」

「……他人行儀みたいで嫌なのよ。私は護衛としての榊平蔵を望んでいるわけじゃないわ」

「なるほど。そんなつもりはありませんでしたが、失礼しました」


 コートを脱いでネクタイも外す。

 シャツのボタンも二つばかり開けてから向き直り、


「これでよろしいですか?」

「ええ、素敵よ」


 ようやく微笑んでくれる。

 まったく、注文の多い元ご主人様だ。


「久しぶりね。私もお爺様も元気よ。平蔵は?」

「おかげ様で」

「そう、ならいいわ」


 真っ直ぐに見つめられると、別れのシーンと重なる。

 帝都に戻ってから約三か月。

 あれからも色々あった。


「さぁ、お車へどうぞ。荷物はこちらへ」

「ありがとう」


 キャリーケースを預かり、後部のトランクルームを開ける。持ってみるとずいぶん重たい。

 山へ行った時もそうだったが、何が入っているのか疑問が尽きない。

 

 気遣いができる子だ。案外お土産が詰まっているのかもしれない。

 これからの予定では学校へ挨拶へ行って、城山先生のところに顔をだして、あとはスカイツリーでも見ていけばいい。

 トランクルームを閉じて運転席へ戻ると、千景は隣にいた。


「千景様、後ろの方が広いですよ?」

「帝都って初めてきたから、よく見ておきたいの」

「左様ですか」


 リクエストにお応えして車をゆっくりと走らせる。

 丸の内はオフィス街、立ち並ぶのは整然としたビルばかり。


「帝都っていっても、京都とあまり変わらないわね」

「同じ大都市というカテゴリーですから。建物があって人がいるということには変わりません」


「味気ないことをいうのね。でも、少し変だわ」

「変、ですか?」


 違和感の答えを探すように千景は視線を泳がせる。

 こちらとしては京都と比べて変なところなどあっただろうか、と思うばかりだ。


「ビルが……いいえ、建物全部が低いのね。だから空が広いんだわ」

「ああ、そういうことですか。その違和感にはすぐにお答えできますよ」

「? どういうこと……」


 千景の言葉が途中で途切れる。

 東京駅の丸の内方面から車を少し走らせれば、それは見えてくるからだ。


「御所を中心に一定範囲の建物には高さ制限がありますから」

「……あそこに、日桜殿下がいらっしゃるのね」


「本日は赤坂の迎賓館でお仕事をされています」

「そう」


 唇が引き結ばれ、眼は細くなる。

 彼女自身、皇位継承権を持つものとして想うところがあるのだろう。


 個人的なことを言うのであれば第一位も一九位も変わらない。

 皇族としての心の在り方が大事だとは思う。


「あまり気にし過ぎるのは良くありません。千景様は千景様、殿下は殿下です」

「……そうね」


 溜息が聞こえてから袖を引っ張られる。


「今の言葉、忘れないから」


 意思の籠った瞳に肩を竦める。

 お子様は真面目でいけない。


「お好きにどうぞ」

「ええ、そうするわ」


 こんな言葉も瞬間も、時間が等しく風化してくれる。

 思い出の中にでもあれば、それでいい。


「さぁ、まずは学校からですよ」


 目指すのは目白台にある全寮制の学校。



     ◆



 帝都にある全寮制の学校といえば一つしかない。

 国立でありながら幼等部から初等、中等、高等、大学まである。

 華族や有力武家の子息を受け入れるばかりではなく、学力や運動の特待生まで受け入れるかなり開けた学校でもある。


「ご足労いただき、ありがとうございます」


 案内をしてくれるのは学生時代、近衛顧問の鹿山小次郎と同期だったという男性。

 学長という立場ながら今回、案内役を買って出てくれた。


「こちらこそ、お手数をお掛けします」

「いえいえ、我校としても優秀な生徒を受け入れることができて光栄です」


 学長と言葉を交わしながら敷地内を歩く。

 冬休みだからか人影はない。


「右手側が中等部、左手側が初等部の校舎になります。他にも専門的な設備のある実習棟や部活動のための棟、図書館が独立してあります」

「大学の施設みたいですね」


 全体にかなり広々としてゆとりが感じられる。

 俺の通った小学校や中学は街中にあったので校舎そのものが小さかった。


「如何です、千景様?」

「とても雰囲気の良いところね。今の学校よりも広いし、綺麗だわ」

「ここよりも広くて綺麗な場所はそうそうないでしょう。なにせ、皇族の御用達ですから」


 そう、この学校は皇族が通う学校でもある。

 今でこそ緩和されたものの、入学には厳しい審査があることでも有名だ。

 生徒数もそこまで多くなく、少数精鋭が特徴でもある。


「日桜殿下も幼等部までは通っておられました。今も初等部に籍だけはありますが、復学は難しいでしょうなぁ」


 殿下の名前が出たところで千景の動きが止まった。

 校舎を見渡し、視線を遊ばせる。


「学長殿、入学にあたり、一つお願いがあります」

「なんでしょう」

「私が皇位継承権を持つことは秘密にしてほしいんです。特別扱いを望みません」


 振り返り、意思を込めた眼差しで千景が学長を見る。

 この子らしいといえばらしいが、少し変だ。


「私どもとしては構いませんが、よろしいのですか?」


 学長がこちらを見る。

 俺としても本人が望む以上はどうしようもない。

 広重さんあたりは複雑だろうが、千景は意見を変えないだろう。そういう気性の子だ。


「構いません。より厳しい環境に身を置くことで見えるものもあるでしょう」

「わかりました。では、そのように」


 学長も苦笑いだ。

 皇族と分かっていれば周囲も気を遣うだろうが、それをしないということは陰で支えなければならない。

 申し訳ないので副長に申請して学校へ援助金を出してもらおう。

 それからも施設内を一通り見て回り、最後に駐車場まで見送りをしてもらう。


「では千景様……いえ、千景さん。春に会えるのを楽しみにしています」

「こちらこそありがとうございました。失礼します」


 丁寧に頭を下げ、車へ乗り込む。

 車を発進させ、しばらく経っても千景の眉間には皺が寄ったまま。


「なにか気になることでも?」

「いいの、私個人のことだから」


 ご機嫌斜めらしい。

 何かは知らないが、思うところがあるのなら仕方ない。


「では城山先生の御宅に参りましょう。食事はそのあとでよろしいですか?」

「構わないわ」


 千景の視線はずっと開けた空を向いている。


「千景様」

「なに?」

「こちらをどうぞ」


 スーツの内ポケットから和紙の包みを何個か取り出して渡す。

 中身は殿下も大好きな蜂蜜の飴。


「あら、気が利くのね」

「考え事には糖分が必要ですから。お飲み物は後部座席にありますよ」


 千景は包みを開き、飴を口にする。


「美味しい。でも、ずいぶん小さいわ」

「口の中にあっても目立たないように作りましたので。でも持ちはいいんですよ」


「目立たない……」

「ええ、それがなにか?」


 ちらりと視線を向けると頬が膨らんでいる。

 そして、ドリンクホルダーにあった半分減ったペットボトルに手を伸ばす。


「それは私のですが」

「このくらい別にいいでしょう? 平蔵は嫌なの?」

「ご随意に」


 かなり硬いはずの飴をバリバリとかみ砕き、


「……甘すぎるのよ」


 小さくつぶやいた。

 思春期の子は考えが複雑で困る。

 殿下くらい分かり易ければ、いや、あれだと心配が優るか。


 無言のまま車を走らせること十数分、目白台から松濤の城山邸までたどり着く。

 門の前に車を停め、キャリーケースから土産だけを出して持たせ、千景を送り出す。


「平蔵は来ないの?」

「一癖ある御方でして、あまり顔を合わせたくありません」

「ふぅん」


 睨みつけられるが、こればかりは勘弁願いたい。

 今なら鷹司の心境が分かる。なにせあれだけ老獪な政治家だ。会う度に面倒を押し付けられ、借りを作る羽目になってしまう。

 

 こちらを試すような眼も苦手だ。

 もう少し胆力を付けるまでは顔を合わせない方がいい。


「いいわ、臣下のわがままを聴くのも務めだもの。一人で行ってきます」

「ごゆっくり」


 門の前にはあの、妙齢の女性がいる。

 彼女に目配せをして座席を倒し、空気の入れ替えにとウインドウを開ける。


 刺すような冷気も空調と合わされば心地良い。

 早起きをしたので少し眼を閉じようかと思ったが、胸元で携帯電話が震える。

 画面には裂海の文字。


「はい?」

『車酔いってどの薬飲ませればいいの? 三種類あるでしょ?』


 挨拶もなく本題直球とは、彼女らしい。


「何か食べたのか?」

『水を少しだけ』


「お前から見て重そうか?」

『そこまでじゃないと思うけど、顔色が悪いからそれだけが気掛かりね』


 昨晩は夜更かしをしていた。

 資料を読むのを止めなかったから、裂海が取り上げて布団に押し込んだらしい。

 そのためか、朝は眠そうだった。

 睡眠不足で強い薬は使いたくない。


「なら青い錠剤だ。そのままだと多いから、割って半分くらいでいい」

『オッケー!』


 酔い止めには大きく分けて抗ヒスタミン系、キサンチン系、抗アセチルコリン系がある。

 どの薬も一長一短あるが、抗アセチルコリン系で副作用の少ないスコポラミンを主成分とするものを選んだ。それも半分の量なら胃を傷めることもない。


「優呼、あとは話しかけて、なるべく気を紛らわせてやってくれ。お子様にはそれが一番だ」

『そういうのは私よりも適役がいるでしょ!』

「適役?」


 疑問符を浮かべていると、


『……さかき?』


 聞こえてきたのは殿下の声。

 同僚は面倒をこちらに押し付けやがった。


「どうも、殿下。今朝方ぶりですね。お元気ですか?」

『……はい。さかきも、げんき、ですか?』


「お陰様で。公務はよろしいのですか? 伺っていた予定では赤坂にいらっしゃるはずですが」

『……よていが、かわりました。しながわへむかっています』


「左様で。変更は間々あることですからね……」

『……さかきは、きょうなにをしていますか?』


「謹慎中ですが許可を頂まして、今は松濤におります」

『……しょうとう……しぶやく、ですね』


「その通りです。さすがは帝都生まれ、帝都育ちでいらっしゃいます」

『……えっへん』


 口数が多い。この分なら酔い止めはいらなかったかもしれない。

 そのあとも他愛ない話を重ねる。

 毎日会っているのに言葉がすらすら出てくるから不思議だ。


『……そろそろ、つきます』

「酔いはもうよろしいですか?」


『……はい。さかき、ありがとう』

「いいえ、これも側役の務めですので」


 御役御免だとシートを起こせば、ドアの向こうには千景がいる。

 戻ってきたのなら言えばいいのに。そう思っていると、切れ長の瞳に炎があった。


「千景様?」

『……!』


 思わず漏れた言葉に、電話の向こうでは殿下が息を飲む。

 何故かは分からないが、背中に冷や汗が流れた気がした。


「殿下、申し訳ありませんが続きはまた夜にでも」

『……あっ、さかき』


 通話を切り、体を伸ばしてドアを開けると、千景は無言のまま乗り込んでくる。


「お戻りになったのなら言って下さればよろしいのに」

「随分、楽しそうだったから」


 どうしてだろうか、言葉が固い。


「城山先生とのお話は如何でしたか?」


 質問をしても答えてくれない。ただ虚空を見据え、考え込んでいるように見えた。


「あの、千景様?」

「平蔵、私……」


 意を決したかのように、千景が頷きこちらに真っ直ぐな瞳を向ける。


「今日は帰りたくないわ」

「……」


 一日で終わるはずの予定だったのに、面倒事が増えてしまった。


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