短編 裂海優呼(後)
考えても分からないのならば、調べるしかない。
榊平蔵といえば日桜殿下の側役であると同時に近衛副長、鷹司霧姫の秘書役でもある。
加えて、鷹司の執務室は機密や報告書の集積地。
「榊平蔵、身長一七三センチ、体重六〇キロ、血液型はA型。右利き、特殊な性癖はなし、ネットワークの閲覧履歴は株式投資と電子書籍のみ」
「優呼、なにをしているんだ?」
「ヘイゾーのことを調べています」
「……自分の仕事はどうした?」
「今日は非番なんです。働き過ぎだからって、隊長に言われちゃいました」
鷹司の執務室で彼の資料を漁る。
彼の資料はサラリーマン時代のものから京都での報告書、最近の動向についてもかなり詳しく記してある。
日桜殿下との外出記録にはご丁寧に写真や音声のメモまであった。
「ふくちょう~」
「なんだ?」
「なんでヘイゾーの資料って事細かく書かれているんですか?」
「それはだな……」
「もしかして、まだ認められてないとか?」
「お前はいつも真っ直ぐだな」
溜息と共に鷹司が読んでいた書類を机に置く。
「まだ市井がどうとか、家柄がどうとか言うんですね」
「榊の場合は特別だ。新潟での一件、京都でのいざこざ、そして騎士王との一騎打ち。良くも悪くも話題には事欠かん」
彼が入って半年余り、短期間でこれだけの話題を提供した人間といえば前例がない。
それでもこの監視具合は酷い。プライベートも何もあったものではない。
「そこに第九大隊長と副長の懐刀が付随するとなると、厳しくせざるを得ないってことですね」
「……その通りだ」
妥当な、いやこれでも寛大な措置というところか。
ただでさえ彼には見えない嫉妬が付きまとっている。
固有持ちで出世の最短記録を更新し、殿下のお気に入り。
燻ぶっている連中からすれば引きずり降ろしたくてたまらないだろう。
「本人は知っているんですか?」
「こちらから伝える前に探りを入れられた。なにを切っ掛けに掴んだのかは分からんが、ああ見えてかなり神経質なタイプだからな」
神経質なのは知っている。
まぁ、鷹司以上の鈍感はあまりいない。
恐竜並み、との揶揄も知らぬは本人ばかりなり、だ。
「だから、あんな態度なのかな」
「あんな?」
ぽつり、と出た言葉に恐竜が反応する。
肉食恐竜だからか、殿下のことになると嗅覚が鋭い。
「いえ、なんでもありませーん」
「おい、優呼!」
資料をファイルに戻して逃げる様に鷹司の執務室を出る。
彼は針の筵のような組織の中で、嫌になったりはしないのだろうか。
投げ出したいとは思わないのだろうか。そこまでする理由が知りたくなった。
足は自然に近衛寮へ向いていた。
◆
勘が鋭く神経質、気配りができて笑顔を絶やさない、というのは表向き。
腹黒で計算高くて強引で独善的、気取っていて独断専行が得意で自信家が本性。
「……さいきん、つめたいです」
「そうですか?」
声が聞こえて息を飲む。
彼の部屋の前、普段の生活をこっそりと覗き見ようと入ったのに、思わぬ状況に出くわしてしまった。
「昼餉はご一緒しましたが、殿下は午後の公務もあります。このようなところで油を売っていて良いのですか?」
「……かまいません。さかきにだって、ぷらいべーと、ひつようです」
「そう仰るのであれば一人にして頂きたいものです」
リビングのソファーで彼は横になり、彼女は頭を抱いている。
あれが噂に聞く膝枕。
「私の心配など無用です。殿下はご自分の覇道を往かれるのがよろしいかと」
「……」
直感が彼女は知っている、と告げている。
きっと、自分といることで監視の目を少しでもどうにかしようとしているのだろう。
締め付けが強くなる中で、彼がこの仕事を嫌になってしまわないように、何とかつなぎとめておきたいと考えているのかもしれなかった。
「事務作業とはいえ、周囲を待たせるものではありませんよ」
「……さかき」
彼女の眉根が寄る。
「まだなにか?」
「……さかきがくるしいと、わたしは、かなしいです」
「有り難いお言葉ですが、謹慎の原因はすべて私にあります。責任は自ら背負うものです」
「……でも」
心臓が高鳴る。
逢瀬の閨に潜り込んでいるようで、酷く居心地が悪かった。
「大丈夫ですから……」
彼の手が幼い頬を撫でる。
胸の苦しさに耐えかねて、声を背に逃げる様に部屋を出た。
こんな不可解な気持ちは初めてだ。
◆
「なにしてんだろ」
近衛寮の屋上で、傾く陽を浴びながらつぶやく。
風が冷たい。
食事をしていないので腹は鳴るのだが、少しも食べたいと思わない。
胸がもやもやして気分が悪い。
「珍しいのがいるな」
「っ!」
声に驚いて振り向けば彼がいた。
白いワイシャツにスラックス、髪がぼさぼさなのは、きっと――――。
「なに黄昏てんだ?」
「うるさいわね。私だって考え事くらいするわ」
反射的に言葉が出てくる。
驚きを隠したくて大きく手を広げ、表情を作ってみる。
「ヘイゾーこそ何やってんの?」
「気分転換だよ。一日中閉じ籠っているとうつ病になりそうだ」
「ふ、ふ~ん、そうなんだ」
会話が続かない。
どうしよう、と思っていると彼が横に並ぶ。
「き、謹慎中って何をやってるの?」
「色々だよ。有り難いことに副長が自分の仕事を押し付けてくれたからな。暇はしてない」
「じゃあ事務仕事ばかりじゃなくて稽古もしなさい。今のままじゃ騎士王どころか、私にだって届かないわよ?」
「ああ……まぁ、そうだな」
バツが悪そうなのが気に入らない。
悩むよりも動いた方がマシだろうに。
「なによ、そうやってうじうじしてるからいつまでたっても腕があがらないんじゃない!」
「返す言葉もないよ」
「もし自分が敵わない相手が出てきたらどうするのよ! いつだって助けてあげられるわけじゃないんだからね!」
鬱屈が噴き出す。
自分でも不思議なくらい語尾が強くなり、挑発的な口調になっている。
それでも、彼の表情は変わらない。
「戦わない」
「! 放棄するってこと?」
「正確には戦わずに済む方法を探す」
意味が分からない。
敵である以上、相対するならば屍を超えるのが武士だ。
「そんな顔をしないでくれ。別に勝つことを諦めたわけじゃないさ」
「じゃあどういうことなのか説明しなさいよ!」
責める様に問うてしまう。
それでも彼は嫌な顔一つしない。
「俺はそこまで自信家でも自惚れでもない。限界がどこか、伸びしろがどこまであるのか、そのくらい分かる」
嘘だ、と言いかけて思い留まる。
彼ほどの自信家はあまり見たことがない。
「今の限界と、未来の限界が一緒とは限らないでしょ?」
「お前は……いつも変わらないな」
努力の放棄、というわけではないようだ。
「怒らずに聞いてくれると有り難いんだが、俺はそこまで強くなる必要はないと思っているんだ。弱者の視点も必要なんじゃないか……ってな」
「弱者の視点?」
「護られる側の視点だよ」
弱者、つまりは彼女と同じ視点でありたい。
それが戦わないことにどうつながるというのだろうか。
「良く分からないわ。具体的にどうするの?」
「そうだな、分かりやすいのは敵の上を説得すること。優呼だって隊長や副長に言われたら思い留まるだろう?」
「どうやってその上を説得するのよ。あと上役が分からない場合は?」
「それを考えるんだ。騎士王の個人情報が一切公開されない理由も、これと同じだしな」
人質。
あまり褒められたものではない。
「卑怯だわ」
「そんな目で見ないでくれ。説明するから」
困ったように、どこか親しみを込めた声色で弁明を始める。
彼は本当に人誑しなようだ。
「卑怯だと思うのは当然なんだが、第三者からは分からないんだよ。結局、歴史は勝った人間が作る。どうにかして勝者にならなければいけない」
「そのための手段は問わないって事でしょ?」
「ニュアンスが難しい。積極策として採るものじゃないってことは俺にだって分かる。でも、必要に迫られれば、そうした選択肢も考えるってことだ」
「殿下が喜ぶと思うの?」
「従来の近衛の方針なら、お前の言葉も間違っていない。でもな、殿下の意思を尊重するのならば俺たちが第一に考えることは国の存続であり、国民の安全を護ることにある。今後はそうした選択肢も含めて考えなければならない」
国の存続、国民の安全。
そんなこと、考えもしなかった。
今の近衛は皇族の先に国民を見てはいない。
「……近衛は皇族のためにあるのよ」
「それは近衛、覚めたものという異物を社会に置くためのシステムでしかない。存在を隠すのは生き残るため。匿える存在が日本だと皇族くらいだということになる」
祖父や周囲からも皇族の為、国の為、とは聞かされてきた。
しかし、国と皇族は同じだと考えている自分がいる。
皇族に仕えることが武家の務めであり、当然だと思っていた。
その根幹が揺らぐ。
「崇高なもの、神秘的なものを護るっていうのは気持ちがいいものだ。自分の優位性を確かめられるし、意味があるように思える。でも、俺は違うと思うんだよ」
「自己満足だっていいたいのね?」
「端的に言えば、な」
めきめきと奥歯が軋むのが自分でもわかった。
「今の近衛に必要なのは、盲目的に従うことをせず、主君と理想を共有することにあると思う。古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ、てのはサラリーマン時代の上司の言葉だ」
「そのためには卑怯なこともするのね」
「必要なら……。優呼、もし皇族と一般人が天秤にかけられたらどっちをとる?」
当然皇族だろう。
疑問の余地はない。
「だから、そんな目をしないでくれ。今はネットワークやソーシャルメディアが発達した時代だ。天秤にかけ、皇族をとった場合には少なからず批判が起こる。一度目なら納得させられるかもしれない、二度目は誤魔化せるだろう。でも、続くほどに信用は失われる」
「そんなことをさせないのが近衛の役目よ」
「結論を急ぐなよ。せっかちだな」
「うるさいわね!」
声が大きくなる。
自分でも怒りの矛先が分からない。
「皇族が支持されるのは祭事を司るから、ではないってことだ。迷信の時代は終わって、祭事では天気も未来も左右できない。でも、今なお続けるのはどうしてか。国民に幸せであってほしいからだ。有り難い話じゃないか、頼んでもいないのに自分の為に祈ってくれている」
多少茶化したような口調ではある。
それが本意ではないことも、察しがついた。
「誰も有り難がらない。だからなんだ、それがどうした、と誹りを受けるだろう。それでも構わないと祈ることに意味がある。その姿勢こそ、現代に必要なんだと思うんだよ」
「矛盾しているわ。祈りではなにも左右できないのに、祈りが大事だなんて!」
「誰もが辛く、苦しい瞬間がある。そんな時に自分のことを想ってくれる人がいる、祈ってくれる人がいるだけで、人間は頑張れたり出来るものじゃないか?」
「……海外の宗教みたいね」
「祈ってくれるのが実在する人間だから尊いんだ。迷いもする、間違いだってある、一緒に悩むのならそのくらいの方が愛らしい」
「そう思うのはヘイゾーだけでしょ?」
「否定はしないな」
「自己満足はヘイゾーじゃない! 自分の理想を押し付けないでよ!」
「そうだな。それも否定できない」
彼の視線が空を向く。
言葉の意味を探しているのか、彼自身もまだ何かを探している様でもあった。
「正直に言えば俺が心配しているのは、ちび殿下の未来だ。さっきも言ったがネットワークやソーシャルメディアの発達に伴って、皇族の動きも監視される方向にある。これからは姿勢に一貫性がなければ攻撃の的にされる。それからでは遅い」
「ヘイゾーは殿下に祈るものとしての立場を押し付けるのね」
「殿下とは考えを共有しているつもりだ。あの子が憂うこと、望むこと、描くことを踏まえると今はどうしても祈ることに行き着いてしまう」
実権のないお飾りの立場、いや象徴としての現状ではそれも仕方がないのか。
後を考えれば、せめて姿勢だけは一貫しておくべきだと――――。
「優呼、さっきは俺の自己満足だって言ったろ?」
「……言ったわ」
「だったら、お前も殿下と話してほしい。明日でも、来週のことだっていい。殿下だって不安なんだ。少しでも誰かの言葉が欲しい」
「私たち近衛が皇族に口出しすることなんてできないわ!」
「最終的な取捨選択は向こうがする。誰も責任を求めたりはしない」
「でも……」
畏れ多いし、差し出がましいとも思う。
今のままではいけないのだろうか。
「時代は変わり続ける。今のままでいられるのならそれが一番だ。だが、変わる可能性だって否定できない。変わってからでは遅い」
希望的観測はしない。
それが彼のスタンス。
「そっか……。ヘイゾーってそういうヤツよね」
「今更なにを……」
鼻で笑われる。
追い求める先は違っていても、彼と自分は似ているのかもしれない。
妥協ができず、自分の思う通りにしたい。迷いも、悩みもする。
「少しだけ分かったわ」
「何がだ?」
「ヘイゾーのこと!」
彼の言葉を借りるのならば近衛は、いや自分は古人の跡ばかりを求めてきた。
前例を踏襲し、強さこそが第一であるという固定観念に囚われている。
それを彼は変えようとしていた。
古人の求めるところ、主君と未来を共有することで、新しい国のあり方を模索しているのだろう。
それは、これまでの近衛にはできないことだった。
「あはっ!」
出会った頃は金金金、と俗世に塗れていたのに今では立派な近衛だ。
そうさせたのは他でもない彼女の存在なのだろう。
二人がどんな言葉を交わして現在に至ったのか、いつか聞いてみたい。
「もういいのか?」
「分からないことだらけよ! でも、ヘイゾーは殿下を大切に想っているのね」
「俺に金銭欲を捨てさせて、人生を狂わせた張本人だからな」
「素直じゃないんだから」
心の靄が晴れると同時に腹の虫が鳴く。
体は正直だ。
「もうそんな時間か?」
「人のお腹を時計代わりにしないでよ!」
「正確だろ?」
「うっさいわね!」
尻を蹴り上げ、背中を押して出入り口へと向かう。
「人を悩ませたお詫びをしなさい。ご飯に付き合うのよ!」
「お前はまた強引だな」
単なる滅私奉公ではない。
彼の姿に新しい武士道を見た気がした。
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