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短編 裂海優呼(前)


「……」

「……」


 無言の対峙が緊迫の状況を助長する。

 裂海優呼はこの瞬間が嫌いではない。

 

 肌を焦がすような緊張感は心を昂らせてくれる。

 剣筋には人格が現れ、剣戟は会話にも似ている。


「……」

「……」


 対峙する彼、榊平蔵は足の指に力を籠めれば、相手は重心を低くする。

 いつの間にそれほどの注意力を得たのか。いや、ここ半年間の事件を思えば無理からぬことかもしれない。


 摺り足で近付こうとしても、一定の間合いを保とうとしている。

 本能か、あるいは危機意識か。


「確かめてあげる」


 喜々として飛び出し、腰溜めに構えた鞘から刃を抜き放つ。

 狙うのは首、と見せかけて胸元。


 今は訓練であって、命のやり取りではない。

 それに、以前の彼ならばこれで十分だった。

 なのに――――。


「っ!」


 甲高い金属音、腕を揺さぶる衝撃。

 重い、それでいてブレない。

 威力だけは必殺ともいえる一撃を受けて見せた。


「あはっ!」


 喜悦が湧きあがる。

 彼は成長している。それも加速度的に。

 振りぬいた勢いのまま刃を胸元まで戻し、腕を畳んで力を蓄え、


「じゃあ、次はこれ!」


 正真正銘、喉を狙った一突き。

 タイミング的には間に合わない一撃に、彼の眼は瞬時に覚悟を決めていた。


「っ!」


 血飛沫と手応え。

 鋼を通して伝わるのは肉を裂く柔らかさだけ。


「眼、閉じなかったんだ」


 彼の眼は切っ先の目標を見極め、刹那のタイミングで頸椎を逃がした。

 避けられないのなら、被害は最小限に抑える。

 訓練の日々で言い続けたことを彼は忠実に守っていた。


「優呼!」


 動きが止まったところで筒袖を引っ張られ、体重にモノを言わせて揺さぶられる。

 これほど強引な手は以前の彼にはない。


「なぁに?」

「す、少しは動じろよ」

「やだ!」


 どれだけ揺すられても体の軸さえ保っていれば問題ない。

 かといって揺さぶられ続けるのは好きではない。刃を引き戻し、筒袖を掴む手を柄で殴った。


 これも以前なら骨折していたはずなのに、硬いものに当たる。

 騎士王との戦いで腕に埋め込んだという軍用機の複合装甲かチタン製の心棒なのだろう。これでは折ることができず、逃げられない。


「逃がさないぜ」

「ふふっ」


 場所が場所ならばさぞ情熱的な台詞だろう。

 しかし、ここは道場で、畳の上。密着状態での乱打戦ともなれば体格、体重共に不利は否めない。


 袖を引っ張り、刀を持ったままで殴りかかってくる。

 狙っているのは鉢金。自分には厳しいくせに、人には甘い。

 とてもらしい選択に思えた。だから、


「もう、ヘイゾーってば優しいなぁ」


 向かってくる拳に対して倒れる様に跳び退く。

 顔のすぐ上を通過する腕を抱き込み、捻りを加えて引きずり倒した。

 予想していなかった投げ技に彼は受け身すら取れず、畳に転がる。


「捕まえた」

「……参ったよ」


 降参、と肩を叩いてくる。

 素直なところは相変わらずだった。



     ◆



「はーい、今回の採点です。最初の一太刀を受けきってみせたのは良くできました。次の突きを避けられなかったのは減点対象だけど、リカバリーができていたのでこれも合格」


 飛び散った血の掃除をさせながら採点を並べていく。

 雑巾でふき取り、バケツで洗えば透明だった水は赤黒く染まる。

 最初に比べれば、大分少なくなったものだ。


「刺された後も防御に転じず、攻撃に徹したのもポイント高いかな」

「それでも、お前には及ばないな」

「及ばれたら困るのよ! 私がどれだけ時間を費やして身に付けたと思っているの?」


 時間もそうだが、流した血も夥しい。

 この半年間で彼が流した血の量など、微々たるものだ。

 武家に生まれた裂海優呼は幼い頃から、それこそ流血の中で過ごしてきた。


「悪い。今のは忘れてくれ」


 彼はバツが悪そうに目を伏せる。


「もう、別に怒ってるわけじゃないんだからね!」

「それは分かっているよ。でも、少し思うところがあってな」


 苦悩に眉を寄せている。

 今日の訓練も、彼からの申し出があったからだ。

 普段の彼ならば自分から訓練を、まして模擬戦をしようなどとは言わない。


 自分は自分の得意分野を、というのが彼の言い分であり、もともと武家の出身でもなければ実戦部隊にいるわけでもないので技量を求められることもない。

 日桜殿下の側役、鷹司霧姫の秘書役でもあることから免除されている。


「思うっていうのはノーラの、いいえ、騎士王とのことでしょ?」

「改めて思い知らされたよ。お前以外にも届かない人間がいるってのは」


「あら、褒め言葉?」

「最大限の、な」


 苦々しく笑っている。

 当然だ。そもそも騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセンに及ぶ人間の方が少ない。

 鷹司霧姫以外の近衛なら、持てる力を出し切ったところで勝てるかどうかわからない相手だというのに。


「でも、膝を着かせたんでしょ?」

「これ以上ないタイミングで顎を殴ってもそれが限界だった」

「まぁ、そうでしょうけど、だからってこれはないわ」


 左腕に目を向ける。

 一見すれば普通、ではない。

 右腕と左腕、太さが違うからだ。


「そうか?」

「そうよ、ちょっと見せて」


 やや強引に彼の左腕を触れば、皮膚の真下には硬いものがある。

 手首をなぞって指を押し込めば異様な質感のものが埋まっている。


 切断された腕を半液化させて、断面から軍用機の複合装甲とチタン合金の心棒を入れたというのだから正気の沙汰ではない。

 いや、戦闘に関してはまだ素人同然なので子供じみているといった方が適切かもしれない。


「確かに重さも強度もあるけど……」


 人体改造ではなく悪戯のレベル。

 技術が伴わないのならば基本性能で優るしかない。

 しかし、相手はあの騎士王。有機物の肉体を上回ることを考えると、金属と考えるのは無理もないのだろうか。


「これってもう痛くないの? 違和感とかは?」

「大丈夫だ」


「拒絶反応とかあったでしょ?」

「今は問題ない」

「本当?」


 不自然に重く、硬い。

 日常生活で支障はないのだろうか。普通の人間ならば心身のバランスに異常をきたすだろう。

 腕だけではなくそれを支える首や背中の筋肉疲労もあるはずだ。


「もういいだろ?」


 こんなにも自然体でいられるものなのだろうか。

 ちらりと見ても、彼は訝しむだけ。


「結局これでも届かなかったんだ。恥ずかしいからあまりじろじろ見ないでくれ」

「よくやった、っていうのはヘイゾーの慰めにはならないのよね」

「そうだな」


 榊は慰めを必要としていない。

 気休めも励ましも欲していない。


「う~~~ん」

「なんだよ?」


 思わず榊をまじまじと見てしまう。 

 不思議だ。武士ならば必死に研鑽に励むだろう。届かないまでも一矢報いるために、と思うはずだ。

 

 周囲はそうだったし自分自身も同じだ。

 朝から晩まで刀を振って、少しでもと相手を呪いながら毎日を過ごす。

 

 しかし、榊にそういった様子はない。むしろ勝てないことを再確認しているようですらある。諦めたのだろうかとも思ったが、そういうタイプではない。

 だとしたら何を考え、何を想うのか。


「面白いわ」

「なにがだ?」


 榊がどのような考えをもっているのか、全く想像ができない。

 武家社会で育った優呼にとって、榊は珍獣の様に思えてならなかった。

 分からないのならば調べるしかない。


「ねぇ、ヘイゾー!」

「なんだよ」


「観察していい?」

「はぁ?」


 心底困ったような顔も可愛かった。



     ◆ 



 榊平蔵の朝は早い。

 午前六時には起床して身支度を整え、挨拶に向かう。


「なんだよ、なんでお前がいるんだ?」

「観察するって言ったでしょ?」


「了承した覚えはないんだが……」

「拒否権あると思う? 実力で訴える?」

「…………好きにしろ」


 諦めたようなので後ろに続く。

 近衛寮を出て敷地内を抜け、向かうのは御所だ。


「ねーねー、謹慎中なのに行くの?」

「顔を出さないと殿下がうるさい。それに、御所の連中は揃いも揃って気が利かないからな。スケジュール管理や食事の献立はみておく必要がある」


 母親か! 

 と、出掛かった言葉を飲み込む。

 

 それにしても、気が利かないは言い過ぎだ。

 加えて彼の世話の焼き方は皇族へのものと違いすぎる。

 あんなにぞんざいに、第一皇女殿下を扱う人間を見たことがない。


「ずいぶんと気に掛けるのね」

「側役だからな」


 やれやれ、とでも言いたげに曖昧な顔をする。

 どこまでが本気なのか、真意はどこにあるのか、彼の行動からは見えてこなかった。


「殿下、おはようございます」

「……はい。おはようございます。さかき」


 御所の奥、皇族の寝所まで赴けば日桜殿下が出迎える。

 縁側に招かれ、冬だというのに日光浴をしながらの挨拶となる。


「寒いのになんで?」

「体内時計の調節、新陳代謝の向上、ビタミンDの合成。抗鬱も期待できる」


 要するに殿下を心配してのことらしい。


「……きょうは、ゆうこもいっしょ、ですか?」

「おはようございます殿下。ちょっとヘイゾーを観察したくなって、きちゃいました」


「……かんさつ、ですか?」

「そうです。ヘイゾーって何考えているか分からないんですもん!」


 正直を口にすれば彼は嫌そうな顔をする。

 しかし、


「……わかります」


 幼い殿下は同意してくれる。

 小さな手をぎゅっ、と握り、神妙な面持ちで深く頷いていた。


「……ゆうこ、わたしのぶんも、おねがいします」

「承知しました!」


 彼は呆れている。

 どうやらお気に召さないらしい。


「勝手にしろ。それよりも殿下、今日のスケジュールですが……」


 打ち合わせを始める。

 正座する殿下と気兼ねしない彼は奇異に映った。


「展覧会に同行するのは第四大隊、立花の同僚です。気遣いはできますが、やや口数が少ないところがあります。展覧会の滞在時間は一時間ですが、会場は暖房もあってかなり乾燥していることでしょう。事前にこちらを口に含んでください」


 小さな薬包を手渡している。


「なにそれ?」

「蜂蜜を板状に引き延ばしたものだ。空気が乾燥すると殿下はすぐに喉を傷める。そうなったら夜には熱が出て、明日の予定は全部キャンセルだ」

「……ごめんなさい」


 彼の解説に主君は頭を下げる。

 副長がみたら激怒しそうな光景だ。


「でも、飴を口に入れていたらバレない?」

「そうならないようにしてある。ほら……」


 手渡された薬包を開ければ、本当に小さくて薄い、飴というよりはフィルムに近いものがある。


「上顎にでも張っておけば分からない」

「でもこれだと少ないんじゃない? 結構薄いわ」


「お前のバカでかい口ならそうだろうが、殿下だと一五分は持つ。あとは御子服の袖にでももう一枚入れておけば問題な……っ!」


 失礼なので殴っておく。

 武家社会は実力が重視される。弱者は理不尽を甘んじて受け入れなければならない。


「なにかしら?」

「私の思い違いでした。とても小さく可愛らしいです」


「ふふん」

「……ゆうこ、さかきも……」


 殿下が苦笑いをしている。

 珍しいものを見てしまった。


「それにしても……よく考えつくわね」


 気を取り直しつつ、感心、いや呆れに近い感情を抱きながら飴を口に入れる。

 確かに薄いのだが、蜂蜜がじんわりと溶け出して口内を覆ってくれる。

 適度な粘度があるので余韻も長かった。


「殿下、本日は忌日です。外でお食事は控えた方がよろしいでしょう。あとはこちらをご用意いたしました」


 またしても薬包。それも今度はピンク、いや桜色。


「サプリメントです。護送車の冷蔵庫に寒天が入った飲料を入れておきましたので、それで持たせてください」


 ゼリーは動物性タンパク質なので避けたのだろう。

 周到なことこの上ない。


「……めんどうをかけます」

「まったくです。予備は護衛に渡しておきますので必要に応じて使ってください」


「……はい」

「午後からは御所での事務作業となりますので、お食事は戻ってからにしましょう」


「……いっしょ、ですか?」

「残念ながら」

「……うれしい、です」


 嬉しそうな殿下と嘆息する彼が対照的ですらある。

 普通は逆だというのに。今のところ、彼の真意も考えも読めない。


 面倒と口にしながらも気配りは非常に細やか。環境、周囲の状況、個人の資質を考慮に入れている。

 今日だって朝の早い時間から身支度まで整えて顔を出している。言動と行動が一致しない。


「う~~~~~ん」

「……ゆうこ、どうかしましたか?」

「いえ、別に……」


 今のところ理解不能なままだった。


次週、一〇月二五日が第一巻の発売日となります。

よしくお願いします。


Twitterで色々とやっておりますのでご覧いただければと思います。

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