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三一話


 全身打撲、左鎖骨開放骨折、左肺損傷、左腕断裂と異物埋設による拒絶反応、多量失血。

 近衛本部にある医務室へ運ばれてきた患者の惨状に伊舞朝来は匙を投げた。


「お手上げよ」


 虫の息、いつ死んでもおかしくない。

 いや、生きているのが不思議な状態ともいえる。


「伊舞殿!」

「直虎、残念だけれど、人には出来ることと出来ないことがあるわ。コイツを治療することは不可能よ」


 立花直虎の懇願を伊舞は一蹴する。

 如何に覚めたものの回復力があっても、損傷個所が広すぎる。

 心臓の動きも微弱だ。この状態でメスを入れればショック死してしまうかもしれない。まさに手の施しようがない状態といえた。


「私にできることは、コイツの苦痛を少しでも取り去ってやること。モルヒネは……効かないから、心臓を握りつぶしてやることかしら」


 伊舞の言葉はあながち冗談ともいえない。

 彼女の見立てでは持って数時間。その間に日桜へ連絡すべきか、終わってからにするかを思案しているくらいだ。


「伊舞殿、お願い致します。どうか!」

「な、なによ、直虎。アンタにしては噛みつくわね。言っておくけど、私は万能じゃないわ。覚めていても治るものと治らないものがあるの。それくらい分かるでしょう?」

「義姉上、伊舞さんの言う通り……」


 義弟の言葉に、直虎は悪鬼の形相で睨む。

 普段は冷静沈着な直虎が見せる激情に、伊舞も義弟も二の句が継げなかった。


「伊舞殿、榊殿は日桜殿下にとって必要不可欠な御方です。それは幼少のみぎりよりお仕えした貴女にもお分かりのはずです」

「アンタが日桜に入れ込む理由も分かるわ。だからといって、不可能を可能にはできないのよ」

「……くっ」


 直虎は押し黙る。

 迷うように、自らに問うように懊悩し、ややあってから絞り出すように口を開く。


「この状況でも榊殿ならば、あるいは……」

「あるいはって、どういうこと? なにかあるの?」

「京都で榊殿は心停止と敗血症の炎症ショック、致命的な臓器損傷から生還を果たしています」

「なにそれ。聞いてないわよ?」


 伊舞の目が細くなる。

 報告書では裂傷と全身打撲だったはずだ。


「余りにも現実からかい離したものでしたので、私も報告を躊躇ってしまいました。このことが知れたら、榊殿は人体実験の標的とされてしまうやもしれません」

「私からもお願いします!」

「優呼、アンタまで?」


 黙っていた裂海優呼も口を開く。


「私、本当の報告書を読みました。ヘイゾーなら、助かるかもしれません!」

「ああもう、どいつもこいつも……。いいわ、出来るだけやりましょう。その代り、これで死んでも文句言わないでよね」


 伊舞は上着を脱ぎ捨て、青い手術服を手に取る。


「直虎は手伝いなさい。あとはやりながらでいいから、京都での状況説明。宗忠、アンタは助手と輸血要員よ。優呼は……正座でもしていなさい」

「そ、そんな! 私だけ酷くないですか?」


 青年の体がストレッチャーから台へと移され、準備が急速に進む。

 伊舞がメスを握り、医務室の入口は閉ざされ、出入りを禁ずる表示がされた。

 昼過ぎから始まった手術は、深夜にまで及ぶことになる。



     ◆



 米軍基地での後処理を終え、鷹司霧姫が近衛本部に戻ったのは午前0時を過ぎていた。

 騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセンの取り計らいにより、基地での一件は米軍を狙ったテロリストによるものとして処理されることとなる。


 それはいい。

 もとより榊平蔵が用意していた既定路線に乗ったに過ぎない。

 彼がもし、万が一でも勝っていたら、政治家主導の下、そのような処理がなされていただろう。

 

 主導がすり替わっただけ、というのが鷹司には面白くない。

 騎士王手配が余りにもスムーズだったからだ。


「あのバカが……」


 榊は果たしてどこまでの情報を騎士王へ開示していたのか。

 城山英雄からの調査依頼を鷹司も承諾し、成果を報告書として提出させた。


 そこには大英帝国と共和国の陰謀論から旧トランシルヴァニア、現在のルーマニアに眠る地下資源にまで及ぶ。あれを、そのまま見せていたのだろうか。


 騎士王の手際からすると、お互いの決着後までを見越していたように思えてならない。

 今回の結末は、あまりに出来すぎていた。


「はぁ……」


 考えるほどに疑問がわいてくる。

 重い足取りのまま 医務室へと向う。死んだ、という一報は今のところない。


「鷹司です」


 ノックをしても返事がない。

 入れば別の意味で死屍累々だった。


 立花宗忠は白目をむいて倒れ、伊舞朝来は床に突っ伏している。

 裂海優呼は正座したまま気を失い、唯一意識がある立花直虎ですらぐったりと椅子にもたれかかっていた。

 誰もが疲弊する中で、治療された榊平蔵は全身に点滴の管を通されながらも生きていた。


「戻られたのですね」

「ああ、事後処理をしてきた。それにしても……」


 榊の状態は思った以上にひどい。

 多くの傷が集中した左半身は包帯とテープでぐるぐる巻きにされ、特に損傷の大きかった左胸は未だ血が滲んでいる。

 金属と複合装甲を埋め込んだ腕は石こうで固められ、外目からはどうなったかを伺い知ることはできない。


「見た目では、生きているのが不思議なくらいだな」


「……はい。最初は失血性のショックで生死の境を彷徨いましたが、外傷の縫合が終わり、輸血をしてからは一転して驚異的な回復力を見せています。呼吸が安定したことから左胸、特に肺はほぼ潰れた状態でしたが復元したものと思われます」


「報告書にはあったが、まさかこれほどとは……」


 鷹司は横たわる青年の頬をつまみ、引っ張った。

 起きる気配は微塵もない。


「直虎、お前の私見で構わない。コイツの固有はなにか、聞かせてくれ」

「よろしいのですか? 不確定事項がお嫌いなのは副長も同じでしょうに」


「構わんさ。どちらにせよ、報告書には記載する必要がある。出鱈目かでっち上げ、どちらもさして変わらん」

「承知しました」


 直虎が思案する。

 武家出身である彼女がこうしたものを形容するには難しいのかしばらく悩む。


「私は医者でも、ましてや学者でもありません。適切な表現を探すことが難しいのですが……最初は不死であるかのように思いました。しかし、それにしては不可解な点も多い。となれば適応、あるいは変化でしょうか」


「ほう」


「人体に有害なものは効きはしますが、死には至っていません。京都では腐敗菌の炎症反応を耐え、臓器損傷からも回復した。死なないために、いえ、死なせないために体内で何かしらの変化が起こったのではないか……」


「ふむ」


「此度も彼の左腕は異物が入り込んだことに耐えました。常人ならば肉が腐りましょう」


 鷹司も唇に指を押し当て、思案する。


「私は幼い頃、高いところから落ちて鎖骨を折ったことがある」

「それは……さぞ痛かったことでありましょう」


 鷹司の意外な告白に直虎は目を丸くする。

 これまでは過去を語ったことなどほとんどない。


「笑うな。両親、特に母は嫁入り前だということもあって、手術を勧めてきた。鎖骨を折るとそのまま放置したのでは歪んでしまう。そこで骨折部分を切開し、折れた部分を綺麗にして真っ直ぐに接合するのだ」


「そのような治療があるのですか。我々には想像もできませぬ」


「当時の私は両親に逆らうなどできない。言われるがままに手術を受けたのだが、そのあとで何日も熱が出た。骨折、手術だけでも体は様々な変化を起こす。しかし、この馬鹿はそれがごく短期間で収束する」


 鷹司は青年の首に触れる。ほぼ平熱と変わらず、脈拍は安定している。

 腕を覆う石こうを剥がし、表皮を押してみれば薄い肉の奥に硬い複合装甲があった。


「私も京都での一件から免疫系の変化なのではないかと考えてはいた。だが、それだけでは説明できない。我々が知り得ない、何かが起こっていると考えるべきだろう」


 伊舞にも意見を求め、必要ならば外部へ協力を要請しなければならない。

 面倒が増える現状に嘆息が呆れに変わる。


「このまま危機を重ね続ければ、榊殿は死から遠い存在となるかもしれません。しかし……」

「人間とはかけ離れた存在へとなってしまう可能性もある、か」


「仰る通りです」

「たしかに、コイツの存在が内外へ露見すれば研究材料として命を狙われることになるだろう。あらゆる毒、病を克服できる可能性がある。いっそのこと米国辺りにでも売りつければ財政の足しになるだろう」


 鷹司の悪ふざけに直虎が少しだけ笑った。

 そんなことをすれば、結果がどうなるか目に見えているからだ。


「疾くお知らせください。首を長くしてお待ちでしょうから」

「分かっている。苦労をかけるな、直虎」


「滅相も。日桜殿下の喜びこそが私の喜び。それは副長も同じでありましょう」

「分かった」


 同志の肩を叩き、部下の頭を叩いて立ち上がる。

 医務室を出た鷹司が向かうのは御所。

 もう寝ているだろうか、とも思いながら、日桜の私室へと向かった鷹司は明かりのない建物へと入る。


「殿下……?」


 おかしい。私室には人の気配がない。

 それどころか、座布団や湯呑など日桜が普段使うものすら片付けられている。


「殿下!」


 嫌な予感がして鷹司は走った。

 最初は近衛寮にある榊の部屋かと思ったが、違う。


 ならば、と思い当たる場所を片っ端から探したのだが見つからない。

 最後にたどり着いたのが御所の最奥、祭事に使われる社だった。


「殿下!」


 あろうことか、日桜は神殿の前で禊をしていた。

 浅葱色の装束に長い髪を背中でまとめ、水を被っては祝詞を奉げる。


 一二月初旬といっても深夜にもなれば吐く息は白くなるほど寒い。周囲では神官たちがおろおろと、ただ見つめるばかり。鷹司の驚きと怒りは頂点に達した。


「馬鹿者! なぜお止めせぬのだ!」


 円陣を割って日桜の元へと駆け寄る。


「殿下、おやめください! このようなこと」

「……きりひめ、とめないでください」


 振り返った日桜の瞳に宿る決意に、鷹司は思わずたじろいだ。

 普段は優しく垂れた眦が、今は跳ね上がっている。


 引き結ばれた唇は青くなり、よくみれば身体も小刻みに震えていた。

 日桜は鷹司の手を振り払い、水を被って一心不乱に祈りを奉げる。


「高天原に神留ま坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集えに集え賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂の國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし國中に 荒振る神等をば……」


「殿下、もういいのです。お体に障ります」


「……けいべつしてください。こっかのためにいのるべきわたくしが、おもいびとのためにいのるのです」


 血が滲むほどに唇を噛み、凍るような水を頭から被る。

 懺悔であり、自らを傷つける様な姿に、鷹司は胸が締め付けられた。

 小さな体に思わず抱き着き、その冷たさに驚愕する。


「榊もエレオノーレも無事です。ですから、このような無理はお止めください」


「……きりひめ、はなしさない。ふたりがぶじならば、わがつみをそそぎ、たみへといのらねばなりません」


「殿下!」


 小さな体のどこにそんな力があるのか。

 腕を跳ね除けようとする力に鷹司も慌てた。


「さ、榊もエレオノーレも等しく民でありますれば、これ以上は必要ありません!」


「……きりひめ、それはほんしんですか?」


「っ!」


 瞳の奥には鋭さがある。

 普段の日桜からは想像もできない言葉に動揺しながらも、鷹司は必死で考えを巡らせた。


「恐れながら皇族にとって分け隔てなどありませぬ。殿下は天下国家と民のために祈ったのです。思い違いをされてはいけません」

「……」

「殿下……どうか!」


 説き伏せる、というよりは願い倒すように縋る。

 数秒、数十秒と経過してから、日桜はようやく体の力を抜いた。


「……わかりました」

「あ、ありがとうございます」


 良かった。

 安堵の息が漏れた。

 これ以上の負荷は小さな体には致命的となる。早く湯浴みをさせ、床に就かせなければならない。


「湯殿の支度をしろ。あとは葛湯の準備だ」


 神官や侍従たちに指示をしながら小さな体を抱き、立ち上がる。

 明日の予定は全てキャンセルしよう、鷹司がそう思っていると、


「……きりひめは、さかきに、にてきましたね」


 とんでもないことを言い始める日桜に、鷹司は苦笑いを浮かべた。 


「ご冗談を。あのような口八丁と一緒にされては困ります」

「……じかく、ないのですか?」

「お止めください」


 似ているなんて心外だ。

 ヤツの言葉は上っ面でしかない。決して人の深層には手を出さず、都合のよい解釈ばかりをさせる。

 卑怯で賢しく、小狡いものでしかない。


「……でも、そっくり……です」


 日桜の呼吸が荒くなる。

 首元に手を当てれば、鼓動が早くなっているのが分かった。


「殿下? 殿下! いかん、伊舞殿を呼べ!」


 医務室で突っ伏していたが、それすら忘れて鷹司は叫ぶ。

 腕の中で瞳を閉じる日桜は顔色こそ蒼白だったもの、口元には笑みが浮かんでいた。

 


いつも拙作を読んで頂き、ありがとうございます。

活動報告にも書きましたが、オーバーラップ文庫様より書籍化となりました。イラストを担当してくださるのはBou先生です。

これも読んで頂く皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。


発売日や書籍化に伴う告知はオーバーラップ文庫の公式ホームページ、オーバーラップ広報室並びに逆波のTwitterでしていきます。興味がありましたらご覧ください。


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