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三〇話


騎士王を前に最後の抵抗を試みるべく、自らの腕を差し出す。


「これを……」

 

 ノーラの持つ護身刀を、切断された左腕の断面に突き刺せば筋繊維が膨れ、丸みを帯びる。数秒の後に腕はゼリーのように弛緩した筋肉と骨格とが混在した状態になっていた。


「うっ……」


 ノーラが顔を顰める。

 当然だろう、目の前にあるのは最早人間の手からはかけ離れた存在になっていたからだ。


「持っていてくれ」

「は……はい」


 断面の両端を引っ張り、中身を零さないように持ってくれた。

 緩くなった筋繊維と骨の間にチタン合金を突っ込み、割った積層装甲を手の甲の皮目に沿って滑り込ませる。

 悪い冗談の様な光景、これをもう一度肉体に接合するというのだから悪趣味だ。


「そのまま……動かさないでくれ」

「ヘ、ヘイゾウさん」


 躊躇いを見せるノーラを余所に、肘の断面を押し当て、金属片を折り曲げて切断面を横断するように突き刺し、簡易的な楔とする。

 ぶくぶくと血泡が溢れ、外傷部分を修復しても左腕に感覚は戻らない。


「ぐっ!?」


 急激に左腕に熱を感じる。

 接合した部分から嚢胞が膨れ上がり、弾けて白い膿が流れ出る。


「げほっ、えほっ!?」


 強烈な吐き気と痛みに立ち眩みさえしてくる。

 左腕の毛穴という毛穴から液体が染み出し、皮膚全体が爛れてどす黒く変色した。

 肘を通して激痛は心臓にまでたどり着き、鼓動を狂わせる。


「はっ、ははっ!」

「ヘイゾウさん、もう……もういいですから!」


 悲痛な叫びも耳に届かない。痛みをアドレナリンとエンドルフィン、ドーパミンが緩和して声がでる。

 脳内で痛みと快楽がせめぎ合うなかで、左腕には感覚がよみがえりつつあった。


「……そういう……ことか」


 京都で、あの腐敗菌を体内に入れられた時と同じだ。

 俺の体は、鷹司が説明したような内分泌ではない。

 

 もっと別のものであり、内分泌は固有の一部でしかなかった。

 緩かった腕の輪郭に筋繊維が浮かび、血管が這い回る。変色した腕が急速に元の色を取り戻す。


「ぶ……不格好、だな」


 左手は歪になっているものの、重く、硬く、それでいて自由に動かせる。


「五分、いや、三分でいいんだ。持ちこたえてくれよ」

「ヘイゾウさん!」


 悲鳴を背に、ようやく体を起こした騎士王へと近付く。

 氷の眼は俺ではなく後ろにいるノーラへと注がれていた。

 液状化を見られたのでは当然ともいえる。


「彼女が手にしたのは刀か……」

「ぐ、偶然……でした。彼女が……望んだわ、けでは、ありません。原因……は全て、私に……ある」


「話してくれても、良かったのではないかな?」

「……騎士団に、でもは、入れと? そこでなら……守って、やれる、悪いよう、にはしないと仰るのでしょう。ご、ご冗談を……。彼女……をこれ以上、政治の……道具に、す、するのは……お断りです」


 喋るだけでも体力を使う。

 視界は揺れてこうしているだけでも精一杯だ。


「争うと……仰ったのは、貴方だ」

「……承知した」


 倒れる前に終わらせなければ。

 もう、あまり時間がない。


「ふっ!」


 騎士王の一閃を逆手に握った“防人”安吉で受け、左腕を振るう。

 大きな腕は歪な拳を受けるが、明らかに先ほどまでとは違う質量に反応が追い付かない。

 感覚のズレは戸惑いを生む。それは一秒にも満たない時間かも知れない。だが、それで十分だった。


「っ!」


 伸ばした左手を開き、今度は俺が騎士王の儀礼服を掴み、渾身の力で引っ張る。僅かに流れた体勢に刀の切っ先を騎士王の心臓へと向けた。同時に掴んでいた服から手を放し、再び拳を握る。


 切っ先を避け、上体の流れた騎士王の顔面を握りなおした拳で狙う。

 しかし、騎士王もまた意図を察し、上段高々と上げた剣を振り下ろす。

 刹那の交錯、


「ぐっ!?」


 騎士王の剣はこちらの肋骨を砕き、片肺を潰したところで止まる。

 俺が振りぬいた拳が、美丈夫の顎を砕いていたからだ。


「はっ、存外……打たれ弱い」


 渾身の一撃にも、ジョルジオ・エミリウス・ニールセンは沈まなかった。

 俺はもう、立っているだけで精一杯。一歩でも踏み出せば倒れてしまうだろう。


「こ、こっちは……まだ、ごふっ……大丈夫、だ」


 もうできることがない。

 喋りたくても肺から血液が逆流して口から滴るだけ。

 顔は笑っているだろうか。それだけが心配だった。


「榊殿、すまないがこれ以上は加減できない……」


 こちらの虚勢に、騎士王の持つ剣を中心に風が渦巻き、一直線に伸びる。

 空気中の塵や散乱する瓦礫まで巻き込み、音を立てて収束。長大な、空まで伸びる風の剣を形成する。

 

 それはまるで、新潟県での一件、鷹司霧姫が日本海で潜水艦を沈めて見せた、あの一刀を思わせた。

 風の柱が颶風まで切り散らし、空には光が見える。


「……これが」


 騎士王の切り札。

 膨大な風の剣で振り下ろされたら抗いようがない。


「ノーラ……」


 どうやら君を助けてあげられそうにない。

 これからは辛く、苦しい選択が待っているだろう。でも、どうか希望を見失わないでほしい。

 想うことはできても、言葉にできず立ち尽くす。


 騎士王が剣を掲げ、そして――――。


「息災で」

「ヘイゾウさん!」


 大気の一閃が落ちてくる。

 記憶は、そこで途絶えてしまった。

 


     ◆



 加減ができなくなった。

 その言葉に偽りはない。


 目の前の青年に抗う力が残されていないことは明白だ。

 早く処置しなければ命が危うい。しかし、ここで止めてしまえば約束を違えることになる。

 已む無しと自らの切り札を顕現させ、


「我は導く、風の……」

「待たれよ、騎士王殿!」


 振り下ろそうとしたところで青年との間に小柄な少女が割り込んだ。

 それも一人や二人ではない。同じ顔の、複製された人形の様に同じ背格好、同じ顔の少女がジョルジオを中心に刀を構えている。


「日本国第一皇女、日桜殿下よりの天命である。双方、刃を引け!」

「貴殿は……裂海迅彦殿の……」

「お懐かしく存じます」


 彼女とは初対面ではない。

 空切りの末裔として、ジョルジオがまだ騎士王と呼ばれる前に顔を合わせている。

 だからといって剣を引くことはない。


「裂海……優呼殿であったな。天命と申されたか?」

「如何にも! 我らが主君、日桜殿下よりの天命であります!」


「私は欧州、大英帝国の人間だ。貴国の勅命に従う道理はない」

「エレオノーレはすでに我が国の近衛、即ち殿下の所有物であります。国外へ持ち出すことはまかりなりません」


「日本国籍を持たない人間を国有化することはできない筈だが、如何か?」

「保護者を失ったエレオノーレは城山英雄の養子となり、日本国籍の取得に向けて動いております。同時に、近衛第九大隊長榊の婚約者でもあります」

「その口ぶりでは国籍の申請はしても取得はしていない。婚姻ではなく婚約もまた然り。何も拘束力はない」


 裂海が歯噛みをする。

 言葉を弄することは彼女の本分ではない。やはり無理がある。


「優呼殿、残念だ」

「……こちらもです」


 双方が剣と刀を構える。

 大多数を相手にできる裂海優呼の固有能力だが、大規模かつ長大な射程距離を誇る騎士王相手には分が悪い。


 一触即発。

 じりじりと間合いを詰める二人の間に雷が落ちた。


「近衛第六大隊長立花直虎、義により推参仕る」

「同じく立花宗忠」


 愛刀千鳥を掲げ、宙に浮かびながら紫電を纏う立花直虎と、全身を白亜の鎧で覆った立花宗忠が騎士王へと立ちはだかる。

 そして――――


「お久しぶりです、騎士王殿」

 最後に風の向こうから現れたのは近衛副長、鷹司霧姫。


「戦女神までお出ましとは……」

「その呼び方は分不相応。止して頂きたい」


 鷹司が青年の真横まで来ると首を触り、続いて目に手を押し当てるが、反応はない。


「副長! 来てくれたんですね!」

「バカ、私はお前を止めに来ただけだ」

「えっ?」


 裂海が喜んだのも束の間、鷹司は意外な言葉を口にする。


「お前だけは勢いで割り込みかねない。そうなれば、我らは大きな戦力を失ってしまう。近衛を預かるものとして容認できない」

「そんな! 副長はヘイゾーが殺されても……」

「本人が選んだ道ならば、仕方あるまい。実際、覚悟もあったようだ」


 鷹司は懐から封筒を取り出しひらひらさせる。

 表題には退職届とあるのが、いかにも榊らしかった。


「部下がご無礼をいたしました。ご容赦ください」

「今のお言葉からすると、日本政府は立場を変えたわけではないのですね?」


 荒い息をしても、騎士王の問いには理性がある。

 眼差しは鋭いままで、声には殺気すらあった。


 氷の眼が見据えるのは鷹司霧姫ただ一人。

 紫電を纏う立花直虎も、全身を白亜の鎧で覆う立花宗忠も、無数に分かれた裂海優呼も一顧だにしない。必要とあらば三人を一触して鷹司へと向かう覚悟が見えた。


「残念ながら国としての見解はかえられません。現内閣は今件を欧州との経済摩擦の緩衝材料として使ってしまった。撤回をすれば非難にさらされることになるでしょう。それは避けねばなりません」

「……」


「根回し、手配、布石、やれることは全てこの馬鹿がやってしまいました。私個人としては……先ほども申しました通り、結果として榊が貴方に討たれることも仕方のないことだと思っております」


 近衛副長の言葉に裂海優呼は目を見開き、立花宗忠は苦しそうな顔をする。

 ただ一人、立花直虎だけは表情を変えることなく騎士王を見据えていた。


「ですが、私にも知らない事実がありました」

 そこで鷹司は裂海へと目を向ける。


「お前は先ほど、天命といったな。なぜだ?」

「っ! で、殿下から騎士王殿へ書状を預かってきました!」


「お前のことだ、どうせ頭に血が上って忘れたのだろう。役割を果たせ」

「しょ、承知しました」


 裂海が頷き、刀を収める。無数の、衣服をまとわない裂海優呼たちが一人に殺到し、吸い込まれていく。

 自らを飲み込み終えると少女は姿勢を正し、膝を折ると、懐の書状を騎士王へ差し出した。


「騎士王殿、先ほどのご無礼をお許しください。これなるは主君、日桜殿下よりの書状でございます」

「拝見致します」


 騎士王は柄を咥え、両手で書状を受け取る。

 目礼をしてから書状を開き、目を通す。


「……優呼殿、この書状はご覧に?」

「滅相もありません。その書状は殿下が騎士王殿へ宛てられたもの。私が目を通すなど、できないものです」


「鷹司殿は?」

「私は優呼を止めに来ただけです。殿下が書状をお書きになったことすら知りませんでした」


 鷹司の言葉に騎士王は大きく息を吐いて書状を畳み、剣を収めた。


「殿下の御意思、騎士王の名において承った」

 言葉に従うように風は消え去り、凪に戻る。

 放たれていた殺気も消え失せ、ようやく張りつめていた空気が緩んだ。


「ご配慮痛み入る」

「それよりも早急に彼の治療を。このままでは命が危ない」

「承知しました。直虎」

「はっ!」


 鷹司の目配せに立花姉弟が青年を抱えて走り去る。


「優呼、お前も行け。事情はあとで聞くから、それなりの覚悟をしておけよ」

「! わ、わかりました」


 裂海も立花姉弟のあとを追う。

 残されたのは三人。


「重ね重ね申し訳ない。この借りはいずれお返しいたしましょう」

「……つかぬ事を伺う。鷹司殿は榊殿がやってきたことをご存じだった。ならばどうして割り込まなかったのですか? 貴女なら、私を一刀のもとに伏すこともできたはずだ」


 騎士王の問いに鷹司は答えに窮した。


「……確かに、私ならば騎士王殿と互角に渡り合う事ができたかもしれません。ですが、それは政治家への過剰な肩入れと同じです」

「文書にあった城山英雄ですね」


「ええ。確かにエレオノーレには同情の余地がある。しかし、現内閣と権力を争う城山の身内を助けては、近衛全体が彼に味方するものとして捉えられてしまうでしょう。それが分かるからこそ私は直接的に動けなかった。ヤツも、こんなものまで用意したわけです」


 退職届を用意したのは名目上とはいえ一個人としての選択である強調。

 理由などどうにでもできるだろうという青年の思惑が見てとれた。


「それに、義憤に駆られたのはヤツ自身です。私は哀れだと思ったに過ぎません。ですが、殿下はその様な書状までご用意なさった。許されるのであれば、内容をお伺いしたいものです」

「取引です。次の渡欧の際、欧州連合理事オットーハイム伯爵、評議会長のベルンハルト殿と会談に応じてくださる」

「むっ……」


 件の名前に鷹司の顔が曇る。

 二人は欧州連合と日本の経済、貿易摩擦の急先鋒。通産省、外務省でさえ手を焼く存在であり、以前から現内閣からは皇族へ仲介の要請が入っていた。


 特に大英帝国のオットーハイムは現帝と面識がある。つまり、政府は皇族の政治利用を容認していることになる。現帝は拒否し続けてきたものを殿下が受けるとなれば、これは事だ。


 政府、それに欧州連合との取引材料としてこれ以上のものはない。

 しかし、裏を返せば政府への逃げ道を作ってしまったことになる。何かあっても責任を負わず、皇族へと押し付ければよい、という悪しき慣例の前哨となってしまう危険があった。


「ですが、今件は私の胸の内に仕舞っておきましょう。榊殿へは借りもある」

「借り、ですか」


「彼の行動力ならば、外交官を通じてロマノフへの密告もできたはずだ。現に、彼は一度正規ルートで私にアポイントメントを取っている。同じ要請をすれば、雷帝とて応じただろう」

「……道理ではありますが、それでは殿下の御意思に反する。オットーハイム伯爵には宜しく伝えられよ」


 鷹司は溜息をついた。

 日桜が決意をもって認めた書状を反故にすることはできない。これも将来のための勉強だと考えなければならない。


「よろしいのですか?」

「構いません。殿下の御心、どうかお受け取りください」

「承知しました」


 会釈をした二人が後ろで固まっていた少女へと目を向ける。


「エレオノーレ、こちらへ」

「は、はい!」

「勝敗は決した。しかし、日桜殿下からの書状もある。あとは君次第だ」


 騎士王はエレオノーレへ書状を手渡す。

 恐る恐る書状を開き、


「わ、私は……」


 答えを口にする。

 少女の瞳からは涙が溢れた。


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