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二九話



「なんだ?」


 騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセンは眉を顰める。

 榊平蔵が掲げる刀から光が空へと伸び、雲の渦を作っていた。

 手にした両刃の長剣が纏う竜巻も吸い寄せられるかのように風が逃げていく。


「ほう……」


 原理は分からないが、あの刀は風を操ることができるらしい。

 それも自らのものより規模が大きいものを、だ。


「暴風……いや颶風だな」


 轟々と音を立て、見渡す限りの景色を風雨に変える。空は曇天となって、風は嘶き、大気が悲鳴を上げている。欧州ではめったにお目にかかれない南洋の風がそこにある。


 竜巻と雨は相性が良くない。

 水という重石を巻き込んだのでは風速を維持できず、ただでさえ短い竜巻の寿命をさらに縮めることになる。加えて大気の状態が不安定となれば形状の維持すら難しい。


「なるほど、これが切り札という訳か」


 騎士王は驚嘆する。

 小細工は予想していたものの、まさかこれほどまでに抵抗するとは思っていなかったからだ。

 少し遊んでやれば面子も立つ、あとは力及ばす嘆きながらエレオノーレを手放すだろう、と。しかし、それは違っていた。


 世界中を見渡しても自分と互角に戦える人物など数えるほどしかいない。

 過去にロマノフの雷帝は二つ名の由来でもある雷の威力をもって嵐を相殺し、共和国の特殊暗殺部隊の長は多数の犠牲を承知しながら洪水で押し流して見せた。


 防がれたことはある。それもでも狩人の嵐を無力化されたことなどない。

 これが任官、いや覚めてから半年しか経っていないという人間のなせるものなのだろうか。


「そうか、私と争ってくれるか」


 騎士王の顔には喜悦が浮かんでいた。



     ◆



「はっ……」


 体中から体力が急速に消えていくのを感じる。

 同時に身震いをするほどの熱が湧きあがる。長くは持たないと思いながらも騎士王を睨んだ。


「い、くぞ!」


 暴風雨の中で騎士王と肉薄、互いに振りかざした刃が激突して火花を散らす。

 一合、二合と剣戟を重ねても、湧きあがる熱のお陰で力負けはしない。瞬きのたびに騎士王の剣の軌道がこれまで戦った虎や、訓練で刃を交えた裂海のものと重なる。引きずりだされた記憶が体を導いてくれる。


 騎士王が顔面に向けて放った突きを頬を切らせながら寸前で避け、“防人”安吉の刃を水平に振るう。騎士王の膝が跳ね上がり、刀を持つ俺の手を弾き、引き戻された剣が今度は胴体に狙いを定める。


 こちらは弾かれ、跳ね上がってしまった“防人”安吉の柄を逆手に握り直し、振り下ろすことで迫る剣先を辛うじて逸らした。

 がりがりと音を立てて迫る剣の向こうに、騎士王の形相をみる。


「なにが、そんなに楽しいんだ」


 アイスブルーの眼は喜悦に歪み、口元には白い歯が見えた。

 一瞬の拮抗に大きな手が近衛服を掴み、力任せに揺さぶる。こちらは左腕がないので防ぎようがなく、

されるがままに体勢を崩され、


「っ!」


 丸太の如く太い膝が迫ってくる。軌道からして狙われているのは胸部、肺か心臓を潰して動きを止めようという算段か。

 軌道が分かってもこちらは防ぎようがない。

 体を捻って受けるにしても肩では骨が砕けてしまう。


「だったら!」


 頭を振り下せば膝と激突して鈍い音がする。

 避けることができないのならば、と額で受けたのが功を奏して最悪の事態を免れたのだが、相手は許してくれない。


 跳ね上がった顔を、今度は拳打が襲う。巨岩の一撃に顎が砕けて意識が遠のきそうになりながらも倒れる様に飛び退き、間合いを取るが、


「どこへ行く?」


 騎士王の手が先端のない左肘を掴み、握力で押しつぶす。


「うあぁっぁ!?」


 激痛に声が上がり、痛みに膝が折れたところを、前蹴りが腹部を抉って吹っ飛ばされた。


「がはっ……げほっ……」


 滑走路に転がり、せり上がった胃液をぶちまけ、視界が真っ白になる。

 斬撃による一瞬の痛みではなく、殴打という原始的な一撃は内臓に重大な損傷を与える。ただでさえ覚めても内部損傷は治りにくいというのに、これを何度も食らったら動けなくなってしまう。


「身長……体重、リーチ、どれも及ばないことは……最初から分かって、いたはず……だ」


 いつまでも倒れてはいられない。

 自分を奮い立たせ、体を起こし、痛みの残るままで突っ込み、左腕を探しながら騎士王の懐へと戻る。

 何とかして左腕を取り戻さなければ一方的にやられるばかりだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……くそっ!」


 突き、払い、振り下ろしても騎士王は簡単に捌いてしまう。

 これでは注意を逸らすことなどできない。どうにかしなければ、と思い、目配せをした瞬間だった。


「手元が疎かだ」


 騎士王が足元に転がった腕を蹴り、明後日の方向へと飛ばしてしまう。


「これで余計なことに気を使わずに済む」

「う……るせぇ!」


 歯噛みをしながらも腹を括るしかない。

 気持ちを切り替える間にも剣と刀を絡み合わせれば、騎士王は再び左手を伸ばしてくる。


「ワンパターンなんだよ!」

「っ!」


 無い左腕、未だ出血する肘の断面で美丈夫の頬を殴る。これにはさすがの騎士王も面を食らったらしく、間が生まれる。しかし、質量もない打撃は有効打にならない。

 続けざまに刀を振り下ろしたのだが、


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「どうした、終わりか?」


 “防人”安吉の刀身は騎士王の肩に浅く食い込んで止まる。

 暴風雨の中で竜巻からは逃れることができた。しかし、決定的な技量と、質量の差は埋まらない。加えて刻一刻と消えていく体力が拍車をかけていた。


「貴殿はよくやった。だが……」


 胸座をつかまれ、吊し上げられる。

 体力を考えば暴風雨を止めるしかない。それをやってしまうとワイルドハントを防ぐことが難しい。


「辞世の句は決まったか?」

 剣先が喉元へと突き付けられる。



     ◆



 爆発に暴風雨、信じられない現象が目の前で起こっている。

 物陰から二人の激突を見ていたエレオノーレは戦いの凄惨さに震えていた。


「……血が、あんなに」


 遠目でも分かるほどに榊平蔵は血をまき散らしている。

 あの日、城山邸で知ることとなった赤く、生暖かく、命を司る液体が雨に流されていく。

 エレオノーレの目には榊の命そのものが流されていくように思えてならなかった。


「神様……お父様……」


 祈りをささげながら榊の言葉の真意を今以て理解する。

 争いなど、自分にできるはずがない。激情のままに他人を傷つけていたら、きっと後悔で自分の喉を掻き切っていたかもしれなかった。


「……ヘイゾウさん」


 もうやめてほしい。

 自分さえ戻るといえば、騎士王は引いてくれるだろう。でも、それは戦ってくれる青年への冒涜に他ならない。

 ならば、せめて目は閉じまい、逸らすまいと唇を噛み、押し付けられた護身刀を握りしめる。


「ああっ……!」


 彼の一挙手一投足に声が出てしまう。

 明らかに余裕がある騎士王とは対照的に、榊平蔵は必死だ。

 子供の目から見ても根本的な力量差があり、彼は明らかに足りていない。いや、騎士王が凄すぎるのだ。経験値、引き出しの数が違いすぎる。


「っ!」


 暴風に乗ってエレオノーレの目の前に何かが転がる。

 人間の腕、それも自分を撫でてくれた優しい彼のものだということに、心が激しく乱された。

 

 胃から何かがせり上がり、反射的に口を押えたが、遅い。

 現実を受け入れることができず、目の前の現実と、自らが噛んで出血した血の味にすら耐えられずに吐いてしまった。


「……ヘイゾウさん」


 怖い。

 どうしようもなく怖くて、恐ろしくてたまらなかった。

 縋るものが欲しくて、優しかったものに手を伸ばす。


「っ!」


 触れれば、それはまだ熱を持っていた。

 それどころか、


「う、動いている」

 指は未だ意思を持っているかのように揺れ、切断面の筋繊維はまるで別の生き物であるかのように蠢く。

 

 エレオノーレに考えが浮かんだ。

 城山英雄の屋敷で榊が自らの首を切らせたとき、傷が急速に回復することを目の当たりにした。覚めれば、常識では計り知れないことが可能となる。

 

 もし、この腕を彼に届けることができたのならば、接合することができるのではないか。いや、現実でも切断された指や腕を縫合することができたはずだ。

 

 届けさえすれば、なんとかなる。

 そのためには彼のもとに行かなければならない。近付いただけで粉々にされそうな暴力の応酬に足が竦んだ。


「       !     !」


 彼の叫び声が耳に届く。

 このままではいられない。懐には彼が持たせてくれた刀がある。

 再びせり上がる胃液を決意で飲み下し、エレオノーレは護身刀を抜いた。


「わ、私にだって……できるはず」


 刃に意識を集中すれば、

「っ!」


 体中に快楽が湧きあがり、指先を通して刀全体から流れ込んでくる心地良さにエレオノーレは陶酔を覚えた。

 そのまま快楽に浸っていたい。堪能したい。味わい尽くしたい。

 欲望がかま首をもたげるが、降り注ぐ雨と、


「   !  !」

 彼の苦鳴に意識が引き戻される。


「い、いけない!」


 頭を振り、自らの頬を叩く。

 こんなことをしている場合ではない。自分がやるべきはこの腕を届けること。

 押し寄せる快楽を舌を噛んで殺し、再び刃に意識を集中させる。

 

 ドクン

 

 心臓にも似た鼓動が護身刀から発せられるのが分かった。


「……刺せというの?」


 本能か、はたまた未知なる神の啓示か、エレオノーレは導かれるように刃を地面に突き立てる。

 


     ◆



「辞世の句は決まったか?」


 騎士王の言葉に歯ぎしりをする。

 どうにもならないのか、何とかならないのか。

 喉元に突き付けられた剣先を凝視したまま、思考を巡らせる。


「っ!?」


 不意に、アイスブルーの眼が歪み、同時に騎士王の足元が揺らぐ。

 地面が揺れ、波打ち、コンクリートに覆われた滑走路にヒビが入って水が噴き出す。

 これは液状化、ノーラが渋谷で見せた固有能力。


「なんだ?」


 不意の事態に騎士王が驚愕し、注意が一瞬逸れる。


「っ!」


 太い腹を蹴って離脱、揺れる地面に降り立てば、真っ青な瞳は俺ではなく別のものを見ていた。


「どういうことだ?」


 美丈夫の口からでたのは驚愕、視線の先には小さな人影がある。

 あろうことか、彼女は俺の腕を抱きかかえてこちらに駆け寄ってきていた。


「来るな!」

「……榊殿?」

「ちっ!」


 騎士王の疑問符に心が逸る。

 バレたら、いや、それ以前にこんなもの使ってはダメだ。君は、穢れてはいけない。

 脳を灼くほどの感情が溢れ、揺れる地面を蹴って騎士王に肉薄する。


「どけ!」

「むぅっ!?」


 満身の力を籠め、感情のままに突き出された右手は美丈夫の顔面を打ち抜いてくれた。しかし、騎士王もそれだけではすませてくれない。太い腕が薙ぎ払うように腹部を撃ちすえ、吹っ飛ばされてしまう。


 数秒の浮遊感の後、背中の衝撃と痛みが襲ってくる。

 白と黒を交互に繰り返す視界の中で声が聞こえた。


「……さん、ヘイゾウさん!」

「ノ、ノーラ?」

「血が、血がこんなに……」


 覗き込む小さな顔に涙が見える。

 涙に濡れる声が、消えようとする意識を辛うじてつなぎとめていた。


「だ、大丈夫だ」

「そんなわけありません!」


 腕を携えてはいても、彼女の真意は感じ取れる。

 本音では止めろといいたいはずだ。こちらの意図をくみ取って言葉にしないだけ。

 子供に慮られるとは大人失格もいいところだ。


「心配、しないでくれ」


 体を起こす。

 背中には灰色の装甲、どうやら軍用機に当たって止まったらしい。


「……」


 騎士王は膝を折り、こちらを睨んでいた。

 あの一発はお気に召したらしい。


「な……んだ、効くじゃないか」


 ようやく希望が見える。

 自分も人間ならば、相手も人間。ダメージがないわけではない。

 当てることができたら、騎士王の打倒も夢ではない。夢ではないが、その前にこちらの命が尽きてしまう。


「ヘイゾウさん、これを……」


 ノーラが腕を差し出してくれる。

 これがあれば少なくとも手数で負けることはない。それでも、こちらには致命的な弱点があった。


 体中を見渡しても、骨折や裂傷で正常な部分を探す方が難しい。

 立ち上がろうとすれば肺に激痛が走って口から血が漏れる。


 今の激突でろっ骨が折れて肺に刺さっているのか、あるいは肺そのものがダメになっているのかわからない。

 それでも、健気に外傷の修復は始まる。

 血泡が沸き、瘡蓋を作るが、外側だけを取り繕っても意味がない。内部損傷をどうにかしなければ、これ以上は走ることすら難しかった。


「足りないものは……なんだ?」


 質量、頑丈な骨格、それに防御力。

 どれも一朝一夕で手に入れることができないものばかり。

 先人たちはこれらをどうにかするために技術を磨いたのだろう。

 

 無いならば、どうする。

 ふと、足元に落ちた軍用機の装甲が目に入った。


 激突の時に剥がれ落ちたであろうそれを手に取れば重く硬いもの。

 身体がこのくらい頑丈であったら。あるいは、骨格がもっと丈夫ならば――――。


「っ!」


 一つの可能性にたどり着く。

 装甲、金属。もし、これらを体内に取り込むことができたら問題が解決する。

 質量も骨格も、防御力も同時に手に入る。

 しかし、どうやって入れる。骨格に埋め込むにしても悠長に切開している暇はない。


「ヘイゾウさん?」


 ノーラの声、先ほどの液状化と思考が合わさる。

 成功する可能性は低い。危険な賭けだが、今を打破するにはそれしかなかった。


「ノーラ、この腕を……」 


 自らを保つために、思考が巡り始める。

 差し出された腕を受け取るも、まだ細胞の蠢く断面を彼女に向けた。



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