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二八話

 

 機先を制する、という言葉がある。

 相手より先に行動し、気勢をくじき、実力を発揮する前に畳み掛けることを指す。

 

 奇襲、急襲、不意打ち。類する言葉を並べても良い意味がない。

 本来の実力では到底及ばないとしても勝ちたいのなら、実力を出させなければいい。


「はぁ……はぁ……」


 自分の呼吸音が頭に響く。

 手の中はじっとりと汗ばみ、小刻みに震えていた。


 騎士王が初めて腰の剣を抜く。

 十字の形をした両刃の長剣を空に掲げ、ゆっくりと切っ先をこちらへ向ける。


「貴殿が私に勝てると、驕ったことだ」 


 勝てるなんて思っていない。

 ただ一瞬でいい、上回りさえすれば、それで。


「覚悟しろ」


 口から出た言葉は騎士王に対してのものか、あるいは自分へのものか。

 駆けだすと同時に後生大事に持っていたスーツケースを騎士王めがけて投げ、隠し持っていた起爆スイッチを押した。


「っ!」

 真っ白な閃光は閉じていた瞼ごと網膜を灼いて、轟音が鼓膜を裂き、爆風が肌を千々にする。


「い、くぞ!」

 布石のための白墨を口に含み、走り出した勢いのまま、未だ煙る騎士王へと肉薄する。


「ま、さか……」


 辛うじて爆風を防いだ騎士王の眼には驚愕の色がある。

 そうだろう、まさか自爆にも等しい戦術を採られるとは思いもしないはずだ。


 スーツケースの中に入っていたのは二種類の火薬。

 爆風を生み出したのは花火に使う火薬を球状にした通称「星」と呼ばれるもの。

 轟音は信号用の工業用雷管が炸裂したもの。

 

 二つとも広範囲に影響を及ぼすものではない。

 所詮は花火用の火薬と雷管。どちらも一〇〇メートル、いや五〇メートルも離れてしまえば効果のほとんどを失ってしまう。

 二つともこの至近距離だからこそ有効となるもの。


「――――っ!」

 

 肩口を狙って全力で振り下ろせば、騎士王は剣で受ける。

 金属音と火花が飛び散り、瞬間的に動きが止まった。

 

 アイスブルーの瞳は焦点が定まらず小刻みに揺れている。

 青い目は遺伝的な劣性を意味し、強い光に弱い。欧米人の多くがサングラスを使う理由はこれだ。


 耳から流れている血は鼓膜が破れたことを示している。

 人種による鼓膜の強弱はない。単純に至近距離で衝撃波を受ければ破れる。

 

 騎士王が視覚と聴覚を一時的に失ったことを確信し、刀を引き戻して腰溜めに構え、体ごとぶつかるように突進した。


「…………」


 手には重たく、粘つい感触がある。胴体の真ん中、臍を狙ったのに刺した場所は騎士王の左脇腹。

 刀身は恐らく半分も入っていない。


 原因を探せば、すぐに見つかる。右手の甲から肘までにかけての肉がごっそりと無かった。爆散したスーツケースの破片で削ぎ取られたのだろう。

 ぽたぽたと地面に落ちる血は俺の耳から顔を伝って落ちている。

 

 臍を狙ったのにズレたのは視界が半分ないからだ。破片でも刺さったか、爆風で焼いて見えない。

 咄嗟とはいえ防御姿勢をとれた騎士王とは対照的に、こちらは先制のためにダメージを無視した。当然、爆発の被害を受けることになる。

 

 眼は一応庇ったつもりだったのだが、騎士王に与える影響ばかりを気にして予想以上の威力に自分のダメージを考慮していなかった。

 口の中の白墨をかみ砕きながら、震える手で刀を押し込む。


 まるでチンピラ、やくざ映画の世界だ。武士の誇りも気概もない。

 しかし、これ以外採れる方法がなかった。

 

 視覚、聴覚を潰すのは近衛の正式所属をかけて裂海と戦った時と同じ方法。

 今はあの時以上に手段を選んでいられない。


「それで終わりか?」


 信じられないことにわき腹を刺されても騎士王の口は弧を描いている。

 大きな手が刀身を掴み、それ以上の侵入を許してはくれない。


「ぶふっ!」

「なにを!?」


 今度はかみ砕いておいた白墨を騎士王の顔めがけて吹き付ければ、真っ白い粉が騎士王の視界を覆う。


「げほっ、がはっ」


 こちらも炭酸カルシウムで咽ながら、目を細めた騎士王を観察する。

 ごく短時間にも拘わらず目の焦点は戻っている。


「うあぁぁぁぁ!」


 渾身の力を込めて刀を捻り、巨体を持ち上げ、同時に引き抜く。

 騎士王の踵がわずかに浮いたところで袈裟掛けに一閃、返り血が噴き出すほどに深く切り裂いた。


「勝った!」


 騎士王が膝を付く。剣を杖の様にして倒れるのを堪えているようにも見えた。 

 ここまではほぼプラン通り、あとは引き際を迫るだけ。


「騎士王殿、私は貴方を殺したくはない」


 刀を突き付け、大声で虚勢を張った。

 異物が突き刺さったままの右目は修復が始まらず、骨が折れてひしゃげた手は激痛を発している。


「先だって申し上げた通り金ならば差し上げる。互いのため、引いては頂けませんか?」


 だから頼む。

 祈る様な気持ちのまま叫んだ。


「ふっ、よもや、このような手段に訴えるとは思いもしなかった」


 騎士王の口には再びの笑みが浮かんでいた。 


「……う、嘘だろ」


 刀を突き付けているにもかかわらず、背筋を嫌な汗が伝う。

 顔を上げた騎士王に気圧され、思わず足がすくんだ。


「先制攻撃は予見できた。スーツケースをエレオノーレに持たせなかったことから何かに使うだろうというのはわかったが、まさか、自爆にも等しい攻撃とは、貴殿の覚悟を少々甘く見ていた」


 立ち上がり、まるでダメージなどないかのように騎士王は自らの首を指す。


「一見すると出血は派手だが、重要血管に届いていない。動脈を狙わなければ、行動不能にするのは難しい。貴殿の場合、私に死なない程度の重傷を与え、且つ、再度の交渉をせねばならないのだから、当然ともいえるか」


「くっ……」


「なにを驚いた顔をしている。貴殿の狙いなど、少し考えればわかることだ。刺された場所が肝臓であったなら、私も慌てただろうが、それは回避できた」


 指摘に心臓が鳴る。

 早期決着は実現しない。それどころか、こちらの狙いまでバレてしまった。


「私の顔に吹き付けたものは……石灰か? あれが一番驚いた。目つぶしか毒かと疑ったが、まさか平衡知覚を狂わせ、防御姿勢を取らせないとは斬新だ」


 騎士王が喋る間に首の傷は出血が止まる。

 刺したはずの脇腹も同じだ。


「平衡知覚は内耳が司るもの。視覚と三半規管、皮膚感覚が重要となる。最初の白煙で視界を惑わし、爆発の音で聴覚と内耳を麻痺させる。それだけならば平衡知覚は狂わないが、最後に持ち上げられたことで失ってしまった。私も人間、地面という拠り所を失えば慌てもする。見事だった」


 騎士王が拍手をする。こちらの目論見は全て露見したといっていい。

空まで覆わせた大量の煙幕で地面と視界を白一色に染めた。爆発と閃光は感覚の麻痺を狙ったもの。上下左右を分からない状態にして一瞬でも足が地面から離れたら危機感から平衡感覚は狂う、いや、狂わせることができた。三重の罠、だったはず。

 視覚、聴覚、さらには平衡感覚まで奪ったのに、騎士王は倒れてくれなかった。


「さて榊殿、先ほどの言葉だがやはり受け取ることはできない。争いはまだこれからだ」

「どうして、そこまでして……」

「強者としての矜持なれば、引くことなどできまい」


 騎士王の剣が向けられる。

 争いが続くと知った俺の体は、緊張か昂りか、心臓が大きく脈打ち始める。


 傷という傷から血が溢れ、肉が盛り上がり、瘡蓋ができて剥がれ落ちる。

 ダメージは消えないものの、肉体の修復が急速に進んでいく。


「榊殿、私がなぜ騎士王などと呼ばれるか、知っているかな?」

「さぁ……知らないね」

「私が伝説を再現できるからだ」


 渦巻く大気の密度が増す。膨大な風が渦を巻き、収束し、周囲の瓦礫や砂塵まで巻き込み、剣に纏わりつく。

 低く、遠い風音は空に向かって吠える狼の咆哮がごとき唸りを上げて、解き放たれる瞬間を待っていた。


「母国イングランドにはこんな伝説がある。風の強い冬の夜には、アーサー王が猟犬を従えて大罪人を追うのだと」

「……ワ、ワイルドハント」

「ほう、博識だな」


 ワイルドハントは欧州全域にわたって存在する伝説の一つ。猟師の一団が道具を携え、馬や猟犬と共に空や大地を駆けるというもの。

 

 ある時は不幸と禍の象徴であり、ある時は正義の執行者でもある。

 どちらも共通するのは命を奪う存在であること。


「一年前、私の前に立った近衛隊長である連城殿は未だ目覚めぬと聞く」

「だから?」

「貴殿は耐えられるだろうか。私の見込み違いでなければいいのだが」


 騎士王は掲げていた剣をゆっくりとこちらへ向ける。

 風が渦を巻き、竜巻となって瓦礫を巻き込み音を立てる。


「なるほど、腹の中を刃物でシェイクされた状態か……」


 伊舞の言葉を思い出す。

 近衛隊長、連城を治療した際に内臓と背骨がズタズタだったと証言していた。

 もし、この竜巻に金属やガラス片が混じっていたとしたら、渦を巻いて殺到する無数の刃によって切り裂かれてしまうだろう。


 どうする、どうすればいい。

 恐怖に心拍数が跳ね上がり、恐慌を防ぐためにアドレナリンとエンドルフィンが脳内を満たす。

 ドーパミンの過剰分泌が心身を興奮状態へ導き、セロトニンが思考を加速させる。


「我は嵐の王、死を司りし猟犬の咢!」

「くっ!」


 怖気に駆られ、なりふり構わず跳ぶが間に合わない。

 両足が竜巻に飲まれ、引きずられる。


「嘘だろ?」


 刀を地面に突き立て、残る指をアスファルトに食い込ませて津波の様な風に抗う。

 がりがりと地面に痕を残しながら耐えること数十秒。

 駆け抜けた風の奔流はさっきまで俺がいた場所を穿孔機の如く削り、膝から下を激しく打ち据えていた。


「い、一歩間違えばひき肉だな」


 防弾防刃繊維でできた近衛服は無事でも、その中にある肉体はただでは済まない。

 骨折しなかったのが不思議なくらいだ。

 

 肉体の損傷ならば数秒で回復する。

 痛みを残したままでも立ち上がることができたが、騎士王の手には新たな風が生まれていた。


「連続展開?」


 息つく間もなく走り、跳ぶ。

 騎士王が剣を振るう度に竜巻が生まれ、地面を削る。

 すると、削られた地面はさらなる風によって巻き上げられ、威力を増していく。


「ジ、ジリ貧だな……」


 反撃の手段がなく、一方的にされるばかりで消耗が激しい。

 これではなぶり殺しもいいところだ。


「よく見ろ、竜巻そのものはそこまで速くない。威力と範囲を見極めれば……」

「確かに、風だけならば避けられるだろう」


 粉塵の向こうから巨体が現れる。

 俺よりも頭一つ高い場所から掲げられた剣が打ち下ろされ、


「っ!」


 瀑布の一撃を刀の靭性が受け止めるのだが、衝撃までは殺し切れずに膝が軋んで踵が地面に食い込んだ。

 刃が拮抗したのは一瞬、そこから腕力にモノを言わせた騎士王に左右に振られ、投げ出されたところに蹴りが飛んでくる。


 脇腹を強か打たれ、地面に転がりながらも勢いを利用して体を起こした。

 そうでもしなければ迫りくる次の竜巻を避けることができない。


「ヤバっ……!」


 本能が警告を発し、体を逃がそうとする。

 しかし、


「逃げてばかりか?」


 眼前には騎士王が迫り、尚も剣を振り上げていた。

 竜巻と刃、片方を避けてももう片方がある。


「くっ!」


 刹那に頭を過るのは京都での夜、矢矧家の長子がとった迎撃。

 差し出した左腕を切らせ、切っ先を外す。

 狙うのは喉の奥、中枢神経の集まる頸椎に刃を突きだすのだが、


「貴殿は素直だ」


 騎士王が首を逸らし、刺せたのは頸動脈。全力で刀を振りぬいて切り裂けば、太い首から血が噴水の様に溢れた。


「ど、どうだ!」


 飛び退いて間合いをとる。

 今回は大ダメージだと喜びもつかの間、目の前に切られた自分の腕が落ちた。


「ふっ、やるではないか。今のは面白かったぞ」

「そ、それは……どうも」


 騎士王は傷に手を当て、出血を無理やり抑え込んでいる。

 こちらは刀を杖の様に地面に突き刺し、体勢を整えることで精いっぱい。


 呼吸のたびに痛みが腕を登って脳を灼き、脈動のたびに切断面からは血が噴き出して、千切れた筋繊維が伸びて腕を探している。


「そ、そんなに……焦るなよ」


 近衛服の裾を破って紐状にする。

 その間にも騎士王が迫った。


「まだ意思は変わらないのか?」

「あ、当たり前だ。このくらいで勝った気でいるのか?」


 虚勢を張る。


「残念だ」


 剣には次弾となる嵐が纏わりつき、解き放たれるのを待っている。


「……くそが」


 刀を咥え、残る右手で切断面を絞り上げる様に掴み、急場の止血をする。

 どうにかして腕を回収しなければまともに戦うこともできない。


「我は嵐の王……」


 騎士王が言葉を紡ぐ。

 風が膨れ上がり、規模が先ほどの数倍にも達し、轟々と音を立てた。


ーーーー殿下……お約束を違えることになりそうです


 心に浮かぶのは惜別。

 それでもあの子だけは、ノーラだけは生かしてやりたい。


「……捨てた、来い!」

 勝てないのならば相打ちしかない。

 そう思った時だった。


 

 ――――ドクン



 手にしている刀、“防人”安吉が脈打つ。

 心臓が二つになったかのような鼓動が刀から発せられる。


「……なんだよ、今になって」


 この現象に出会うのは二度目。

 一度目は大陸の虎と相対したとき、大型のフェリーを沈没させるのではないかという嵐を引き起こした。

 

 この“防人”は、千年を経ても外敵を討つべく嵐を呼ぶ。

 今になって持ち主の危機を察したのか、あるいは騎士王を外敵と認めたのかは定かではないが、好機には違いなかった。


「いいぜ、ワイルドハント。そっちが狩人の嵐ならこっちは国難を打ち払う神風だ」


 出続けるアドレナリンのままに言葉が口から出る。

 “防人”安吉を掲げれば光の柱が空へと昇り、吸い寄せられるように雲が渦を巻き始めた。



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