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二七話


 朝が来る。

 どんなに望んでも、拒んでも、等しく朝はやってくる。


 御所の前に車を停め、ボンネットに腰掛けて缶コーヒーのプルトップを開ける。一口含んでルーフの部分に置いた。

 普段なら砂糖やミルクたっぷりの甘いコーヒーは飲まない。でも、今日ばかりは糖分が染みる。


 食事をとっている暇がないので、これと試作品の栄養バーを腹に押し込んでしのぐしかない。一〇個も食べれば熱量的に十分、なのに味が貧弱過ぎて満足感の欠片もないのが欠点か。


「往復二時間の運転は応えるな。それをこれからもう一回、不安要素が重なるばかりだ」


 初冬の風に身を任せ、物思いに耽る。

 子供の頃は未来を描くことを当然だと思っていた。


 明日は何をしよう、明後日は、明々後日は、と。一週間後の予定を考え、一か月の目標を立てる。

 年月を経るごとにもっと先の未来を思い描いた。三か月、半年、一年、将来へと想像を巡らせるのは若さの特権だろう。


「初めて……かもな」


 苦笑いで誤魔化す。

 二五年生きて、初めて明日が想像できない自分がいる。

 予定はあるのにそこにいる自分を思い描くことができない。


 一時間後の自分は、まだ生きているだろう。

 では、半日後は? 一日後は?


「真面目に訓練しておけばよかったか」


 嘯いていると御所の門が開く。

 影は二つ、紺色のスーツに身を包んだノーラと、白と青紫の御子服の殿下。見送りはない。


「……おまたせしましたか?」

「いえ、時間通りです」


 ボンネットから体を起し、務めて笑顔を浮かべる。


「ノーラ、良く寝れたかい?」

「殿下のお陰でぐっすりでした」

「……えっへん」


 ちび殿下とノーラの瞼は少し腫れぼったい。

 早起きをしたのか、それともあの寝息が嘘だったのか。

 俺の眼も案外節穴だったらしい。


「……さかき、ねむそうですね」

「滅相もありません。この通り元気溌剌としております」

「……さかきは、うそをつくと、かためをとじます」


 前にも指摘された覚えがあるのに、意識していなかった。

 まぁ、構わないだろう。ここに至ってはどうにもならない。


「慧眼恐れ入りますが、妙なところばかり鋭くなるのは考え物ですね」

「……さかきのまね、です」

「私の真似などなさらず、殿下にはもっと良いものを見て頂きたいものです。貴女の一挙手一投足を国民が見ているのですから」


 腰を落として殿下の頬に触れれば、すり寄せる様に体を預けてくる。

 まったく、第一皇女殿下としての自覚が薄すぎて心配になる。


「……? どうか、しましたか?」


 ちび殿下が首を傾げる。

 無意識に頬を撫でていた手が、背中へと回ろうとしていたことに気付き引っ込めた。


「いえ、お気になさらず」

「……?」


 俺が殿下へ遺せるものは友人だけ。

 たった一人であれ、理解者さえいれば歩いていける。


「さぁ、時間です。殿下も公務があります。それまでは今しばらくお部屋でお休みください」

「……わかりました」


 立ち上がって目礼をし、


「ノーラ、行こうか」

「はい」


 ノーラの表情には怯えも不安もない。

 信じてくれているのだろうか。だとしたら、あとは俺の問題だ。


「お世話になりました」

「……いいえ。あなたはまた、ここへもどります」

「殿下」


 感謝を口にするノーラに、ちび殿下が首を振る。


「……あなたは、いきるのです。わたくしは、まっています」

「わかりました。では、行って参ります」


 二人は抱擁を交わす。

 身長はノーラの方が高いはずなのに、包み込む殿下の姿が大きく見えた。


「……さかき、のーらちゃんを、たのみます」

「はっ、お任せください」


 呼びかけに姿勢を正し、久方ぶりに敬礼をする。交わる視線に温度を感じて、逸らしてしまった。

 ノーラを助手席へ乗せ、ルーフに置いたままだった缶コーヒーを飲み干す。出そうになる溜息を押し殺し、缶を握りつぶしたところで殿下が袖を引いた。


「……ぽいすて、だめです」

「捨てませんよ」

「……どうぞ」


 手を差し出してくるのは、置いて行けということなのだろう。


「わかりました。お願いします」

「……はい」


 殿下が缶を受け取ってさがるのを見届けてから運転席に乗り込み、エンジンをかけた。

 アクセルを踏み込み、騎士王が待ち受ける横須賀を目指す。



     ◆



 行ってしまった。止めることが、できなかった。

 走り去る車を見送りながら、日桜は己の無力さを噛み締める。

 こんな立場でなければ。

 日桜は自らの境遇に憤りを覚える。同時に、今の立場でなければ彼とも、彼女とも出会えなかっただろう。

 せめて、もっと大人だったら。

 一般に皇族は一三歳で元服を迎え、それからさまざまな権限が与えられる。

 現在の日桜は例外中の例外。現帝である父親が倒れ、皇后である母を伴って静養していることもあり、名代として行っているに過ぎない。国会への出席も第一皇女という立場があってのこと。忌憚のない言い方をすればお飾りに他ならない。

 日桜は榊平蔵から受け取った缶コーヒーに口を付ける。

「……にがい」

 彼にしては珍しく砂糖もミルクもたっぷり入ったもの。それでも日桜にはこれから起こる未来を暗示しているかのようで、苦く感じた。

 朝焼けの中で、痛々しいまでに打ちひしがれた小さな姿に影が寄り添う。

 日桜は振り返り、

「……ふたりを、どうか」

 頭を下げた。

 


     ◆



 帝都から車で約一時間、到着したのは横須賀にある米軍基地。

 ゲート前に到着するとご丁寧に警備員が出迎えてくれる。

 ウインドウを開け、努めて笑顔で応じた。


「おはようございます。近衛より参りました榊と申します」

「お話は伺っております」


 警備員が敬礼をしてくれるので、こちらも返す。


「恐縮ではございますが、車はこちらで預からせていただきます。これも規則でして……」

「構いません」


 車から降り、トランクルームから大きめのスーツケースを取り出す。

「お持ちします」

 係員がスーツケースに手を差し出すのを制し、


「ノーラ、おいで」

「はい」


 小さな手を取り、係員の誘導に従って歩く。

 指示に従いながら歩くこと数分、たどり着いたのは滑走路の前。

 近くには軍用輸送機、これに乗って欧州、いやルーマニアへと向かうことになるのだろう。


「っ!」


 何かを見つけて息をのむノーラ。

 視線の先にはあの夜と同じ黒の儀礼服に身を包んだ騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセン。

 無論、騎士王一人ではない。

 滑走路の周辺には無数の兵士たちが突撃銃の紐を肩にかけた状態で並んでいた。


「ああ、気にすることはない。君はいつも通りでいいんだ」

「……はい」


 握る手が震える。

 返事はしてもノーラの視線は俺と騎士王の両方を行き来していた。


「心配はいらない」

「ヘイゾウさん」


 腰を落とし、同じ目線になって頭を撫でても、震えが納まらない。


「心許ないのは理解している。でも、信じてくれ」

「私は……貴方にすべてをお任せしました。だから、どうか……無理をしないで」

「ありがとう。じゃあ行こうか」


 立ち上がり、二人で歩を進める。

 滑走路の向こうにある空は青く、吹く風も穏やかだ。

 一歩、また一歩と騎士王へと近づき、互いの息遣いが聞こえる距離になる。


「おはようございます。お待たせしましたか?」

「いや、時間通りだ」


 緊張を隠すため少し大仰な挨拶をする。なのに、騎士王の眼はこちらすら向かない。

 アイスブルーの眼はスーツ姿のノーラを注意深く観察していた。


「さぁ、騎士王様へご挨拶だ」

「お、お初にお目にかかります、エレオノーレ・クルジュナ・トランシルヴァニアと申します」


 ノーラが丁寧に頭を下げるのを見届けると、騎士王はようやく相貌を崩す。

 替え玉でも疑っていたのだろうか。なんとも用心深いことだ。


「エレオノーレ殿、私はジョルジオ・エミリウス・ニールセンにございます。この度は御父上並びに貴国の現状に騎士団を代表して哀悼の意を表します」

「お心遣い感謝いたします」


「このような結果となってしまったこと、無念とは存じます。ですが、どうか御心を強く持たれますようお願いを申し上げる」


 騎士王の言葉には熱があった。

 傍から見れば争いを肯定し、犠牲が必要だと口にしても、人としての感情は残している。ただ、騎士王としての立場が色々なものを邪魔しているに過ぎない、そう思わせるものだ。

 しかし、俺の眼には正義をはき違える、ただの勘違い野郎にしか見えなかった。


「榊殿もよく決断された。貴殿の心痛は騎士王が引き受けよう」


 騎士王がノーラへ手を差し出す。来い、ということなのだろう。

 憂いと迷いを深呼吸と共に吐きだし、二人の間に割って入った。


「騎士王殿、勘違いして頂いては困ります。私は彼女を引き渡すために来たのではありません」


 俺の言葉に騎士王の眼が鋭くなる。


「榊殿、どういうつもりだ?」

「言葉通りです。エレオノーレの引き渡しを拒絶させていただきます」


「日本国政府並びに近衛府からは引き渡しと伺った。貴殿も先日、承諾したのではなかったか?」

「騎士王殿、お言葉を返すようですが私は結論を出さなかったはずです。それについては貴方もご存じのはずだ」


 視線が交錯する。

 怒りとも呆れともつかない感情が騎士王からは見て取れた。


「当初より私は争うことを選択しました。しかし、猶予は貴方が作ったのです。それを承諾などと……思い違いも甚だしい」


「確かに、私は猶予を作った。しかし、貴殿からは音沙汰一つない。我らにとって沈黙は肯定と同意、故に引き渡しに応じたものと解釈した」


「ですから、私は今引き渡しを拒否すると宣言させて頂いた。期限は設けられていませんでしたからね。貴国の解釈を我が国にまで持ち込まないでいただきたい」


「詭弁を弄するな、恐怖に竦んだ小僧がなにを宣う。私はエレオノーレが帰還に応じれば協力するとまで申した。それを無下にするのか?」


 騎士王からは怒気が膨れ上がる。

 早鐘を打つ心臓を隠し、無理にでも笑みを浮かべて見せる。


「金のための道具である貴方の言葉を、どのように信用しろと仰るのか。母国に意見もできぬまま、唯々諾々と日本に来た貴方に、なにを期待しろというのか」


「……繰り返しだな。もはや言葉は不要」


「ええ、もとよりそのつもりです」


 騎士王の圧力を受け止めつつ、片手で携帯電話を取り出し通話ボタンを押す。


「ところで騎士王殿、最近、新聞はお読みになっていますか?」

「新聞?」


「ええ、できれば日本の新聞をお読みいただいていたら話が早いのですが」

「どういう意味かな?」


 騎士王が訝しむ間に複数の口笛にも似た風の嘶きと、乾いた破裂音がいくつも重なる。


「砲撃だ!」


 一人の米兵の言葉に、全員が身構え、身を低くして辺りを警戒する。

 断続的に続く破裂音、警戒を強める米兵たちとは対照的に、騎士王の眼は俺だけを見ていた。


「榊殿、これは一体……」

「つい数日前から新聞各紙ではこう報じられています。大陸の反米系テロリストが日本国内に潜入し、機会を伺っている。不幸にも、我々はそれに巻き込まれてしまったようです」


 足元には拳大の玉が転がり、破裂して白煙をまき散らす。

 それが見渡す限り、滑走路だけではなく米軍基地全体で起こっていた。


「テロリスト? 冗談は止していただこう。この音は打ち上げ花火のものだ。実際の砲撃はこんなものではない」

「さすがに実戦を経験された方は違いますね。ご明察ですが、それが分かるのは貴方だけです」


 ひと際大きな破裂音に米兵は身を伏せ、あるいは屋根のある施設まで後退を始める。

 そう、騎士王の言葉通りこれは砲撃ではない。城山に手配してもらった花火だ。


 日本の花火は種類も多く、工夫に富んでいる。

 大きさは最小のものでは直径九センチの三号玉から、一二〇センチの四尺玉までが存在し、破裂のタイミングや煙の量まで調節が可能だ。火薬に混合する元素の種類を変えればほとんどの色を再現できる。

 

 騎士王はこの横須賀基地から入国をしている。となれば、出国も同じはず。何度も下見を繰り返し、周辺の主だった商業施設の屋上を貸し切って打ち上げ花火の準備をした。


 城山は花火だけではなく打ち上げ技師まで手配してくれたので地図さえあれば問題ない。加えて最近の花火は電気着火式を採用している。用意だけして、あとは指一本で仕掛けが可能となる。


「ノーラ、これを持ってさがるんだ」

「っ! わかりました」


 護身刀を握らせ、背中を押す。


「……なるほど、新聞も君の手配か」

「エレオノーレは爆破テロに巻き込まれて死亡した。後は貴方だけだ」


 刀を抜き、正眼に構えた。


「っくっくっく」


 騎士王が顔を片手で覆い、さも楽しそうに笑った。

 それもつかの間、数秒後には真顔に戻る。


「策略もここまで手が込めば寸劇となる。楽しませてもらい恐縮だが、貴殿は一つ失念している」


 騎士王が初めて腰の剣を抜く。

 十字の形をした両刃の長剣を空に掲げ、ゆっくりと切っ先をこちらへ向けた。


「貴殿が私に勝てると、驕ったことだ」 


 戦いが始まる。


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