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二六話


「朝か……」


 時刻は午前五時、東の空が白み星の光が陰り始める。


「榊、ご苦労だった」

「副長こそお疲れ様です。共和国の領海侵犯は久しぶりですね」

「二週間だ。もう少し大人しくしてくれてもいいだろうに」


 言葉を交わしながら事務作業で固まった身体を伸ばす。

 三時間ほど前、沖縄近海で共和国と思しき船舶が領海に入り、鷹司と一緒に呼び出されて対応に当たった。

 以前はあれだけ苦痛だったのに、深夜の呼び出しにも慣れてしまったから不思議だ。


「ふぁ……」


 鷹司が口元に手を当て、欠伸を隠す。

 血色が良くなってきたとはいえ、鷹司の多忙は相変わらず、疲れはとれていない。

 近衛の戦力そのものを削るなら睡眠妨害が最も効果的だと思ってしまう。


「食堂で珈琲をもらってきます」

「ああ……いや、もう戻っていいぞ」

「すぐですからお気になさらず」


 遠慮も気にせず部屋を出る。

 食堂で沸き立つ珈琲を二つ、ついでに鷹司の好物であるドーナツを何種類かバスケットに入れて貰い、朝刊各紙を小脇に挟んで戻る。

 ドアが開けられないのでノックすれば、


「なんだ、ずいぶんと持ってきたな」

「疲労回復には甘いものと思いまして」


 複雑そうな顔でカップとバスケットを持ってくれる。

 執務室で鷹司は自らの椅子に座り、俺はソファーで珈琲を飲みながら朝刊をめくった。


「むぅ、由々しき事態だ。ただでさえ我が国は共和国と争う最前線だというのに、テロ組織までは手が回らんぞ」


 鷹司が懸念したのは新聞各紙が一面で報じた工作員の存在。

 国内にかなりの数が潜入し、在日米軍へのテロを計画しているというもの。昨今では宗教上の対立に経済での対立と争いのタネは尽きない。


「在日米軍は対共和国、対ロマノフの要ですからね。彼らの協力なしでは南シナ海やオホーツク海までをカバーできません」


「その通りだ。近頃は東南アジアで宗教系テロリストの跳梁が激しくなっていると聞く。そうした連中が沖縄へ小型船舶で密入国を試みる例も増えているとも聞くからな……。早急に法整備を急がねばならん。しかし、現内閣は経済優先、取りあってくれるだろうか」


「こうして取り上げられるくらいですから日本でもテロは時間の問題かもしれません」


 鷹の眼がこちらを向く。

 ドーナツを肉食獣のように貪りながら、パウダーシュガーを口の周りに付けるという間抜けがこの人なりの愛敬だ。


「妙な言い方をするな」

「一般論を申し上げたまでです」


 軽く受け流す。

 あまり探られても本末転倒なので切り上げ時が大事だ。


「副長、明日は私一人で送り届けてきます」

「っ!」


 明日、というのはノーラの返還だ。

 騎士王へと引き渡し、そのまま出国となる。


「八方手を尽くしましたが、力及びませんでした。申し訳ありません」

「やはりダメか……?」


「政治的な圧力は抗いがたいものがあります。外圧を誤魔化せたとしても国内の協力がなければすぐに露呈するでしょう。今回は味方が少なすぎました」

「……残念だ」


 絞り出すような声に沈痛の表情。


「城山先生が欧州連合内の反大英帝国派へ呼びかけをしてくださいました。直ぐにルーマニアへ引き渡されることがないよう手配していただいているはずです」

「それは……有り難い。戻れば先は見えてしまうからな。これからはできるだけ引き延ばし、世論へ訴えることが重要となる」

「仰る通りです」


 これは気休めに過ぎない。

 大英帝国の思惑を垣間見た人間として楽観視など微塵もできない。

 しかし、鷹司には嘘が必要となる。心優しき副長殿にはこれしかなかった。


「榊、経緯は褒められたものではない。だが、よくやった」

「結果が伴わなければ意味がありません。私ができることは今件を教訓とすること。日本が同じ轍を踏まないようにするだけです」


「……すまなかった」

「ご配慮ありがとうございます」


 頭を下げる。

 珈琲を飲み干し、立ち上がる。


「私はこれで失礼します」

「ああ、今日はもういいぞ。好きにしろ」


 敬礼をして部屋を出る。

 鷹司の寂しげな顔が脳裏に張り付いたままになった。



     ◆



 食事とは活力である。

 ともすれば散漫になりがちな日常を引き締め、同時に潤いを与えてくれる。

 ノーラの引き渡しを朝に控えた夜、晩餐にと御所の調理場に立つ。


「主菜に副菜、汁物、あとは香の物か」


 手元のフライパンでハンバーグを焼きつつ、献立を思い浮かべる。

 主菜は殿下のリクエストでハンバーグ、副菜は温野菜のサラダ、汁物は食堂から持ってきたコンソメスープに豆腐と葱を浮かべた。

 

 洋風で香の物、漬物といえばピクルスが該当するのだが、今はないので大根と人参を薄く切り、合わせ酢で揉み即席を用意する。


「タンパク質、脂質、炭水化物、食物繊維、ビタミン、ミネラル……あとは果物か」


 コンロの火を止め、フランパンに蓋をして冷蔵庫を開ける。

 秋という季節柄、献上品は果物が多い。巨峰に和梨、洋梨、柿と種類には事欠かない。


「梨は剥くのが面倒だからパス、柿も同じ。消去法で巨峰だな」


 桐箱から巨峰を一房取り出し、笊に入れて流し台に置く。


「……さかき」


 とことこと調理場に殿下がやってくる。

 今日はもう出かける用事もないので寝間着にエプロンという珍妙なスタイルをしている。食事が終われば歯を磨かせて布団に放り込めるという画期的な格好なのだが、なぜか周囲からの評判が良くない。


「……おてつだい、したいです」

「では、ハンバーグを盛る器を用意してください」


「……はい。どのようなものが、よいですか?」

「乗ればなんでも結構です」

「……では、こちらで」


 テーブルの上に置かれたのは古九谷の銀彩、葵模様。

 自分で言っておいてなんだが、美しい青地に銀箔をあしらった絵皿に焼き上がったハンバーグを置くのは少し躊躇われる。


「殿下、これは勿体ないと思いますが……」

「……うつわは、しょせんうつわ、です」

「左様で」


 ちび殿下にかかれば、一皿数百万の古九谷でさえただの器になるらしい。

 いわれた通りにハンバーグを盛り付け、付け合わせにグラッセした人参を置いてパセリで飾る。


「運んでおいてください」

「……はい」


 ちんちくりん殿下が器を両手で持って私室へと向かう。

 こんな光景を鷹司や世話役に見られようものなら大目玉を食らいそうだが、お引き取り願っている。

 何事も経験、必要ないと思うことでもやっておくことが大事だ。


「俺が与えてあげられるのは、このくらいか」


 落さないように、と皿を凝視しながら、よたよたと歩く後姿に苦笑いが浮かぶ。

 明日に迫ったノーラの返還を前に三人と一匹でささやかな晩餐を催した。

 裂海や立花を呼んでも良かったのだが、二人とも仕事だ。


「巨峰は軽くでいいか」


 汚れは見えないので大きな房を笊のまま流水を回しかけてから皿に盛り、温野菜の入った鉢と一緒に殿下の私室まで運ぶ。


「私もお手伝いします」

「いいから、主賓は座っててくれ」

「……そう、です」


 申し訳なさそうなノーラに、ちんちくりん殿下がない胸を張る。

 足元では子猫のミアが走り回り、重くなりがちな空気を和らげてくれた。


「殿下、ちゃぶ台の上を拭いておいてください」

「……はい」


 何度か調理場と殿下の部屋を往復してスープの入った鍋とおひつ、三人分のお椀や茶碗を用意する。

 今日は何もかもが特別、普段は殿下の私室で食事などしない。


 食事とは楽しくあるべき、というのが持論。お行儀良く膳やテーブルを前に畏まって頂くことも大事だが同じ皿から分け、同じものを口にするというのは思い出の共有に他ならない。


「殿下、どうぞ」

「……しゅひんから、です」


 ごはんをよそった茶碗を渡そうとすると、殿下は頬を膨らませる。


「ノーラ、君が受け取ってくれないと食べられないみたいだ」

「日桜殿下、ありがとうございます」

「……だいじょうぶ、です」


 用意が終わると車座になり、小さなちゃぶ台を囲み、殿下の合掌、ノーラの十字を切る仕草で食事の始まりとなる。 


「このハンブルグ、とても美味しいです」

「ありがとう」


 湯気の立ち昇るハンバーグを口にしたノーラの眼が丸くなる。

 まぁ、材料だけならば超一級だ。味が悪いはずがない。


「……はんばーぐは、さかきの、とくいりょうりです」

「ヘイゾウさんは何でもできるんですね」


 なぜか得意げな殿下と、伏し目がちにこちらを見るノーラ。

 別にハンバーグが得意料理という訳ではないし、以前、殿下に作ったのは粗食ばかりだったからだ。

 悪癖のような伝統に縛られ、このちんちくりんは未だに平均体重よりも軽い。


「……のーらちゃん、ごはん、おいしくないですか?」

「いいえ、そういうわけではないのですが……」


 食事が進むにつれ、ペースが落ちるノーラに殿下が気付く。

 無理もない。これからを考えれば食欲がないのは分かる。


「……どうぞ」

「ひ、日桜殿下?」


 殿下が自分の箸でハンバーグをつまみ、ノーラの口元へと持っていく。


「……あーん」

「えっと……」


 ノーラがこちらを見る。

 ここはちんちくりん殿下に乗るのが吉だろう。

 俺も自分のハンバーグを小さめに切り分け、殿下の口元へ運ぶ。


「どうぞ」

「……! あーん」


 殿下はノーラに箸を差し出したまま、自分は雛鳥の様に口を開けてハンバーグを食べる。

 アホ面ではあるが実に幸せそうである。子供にはいつもこんな顔をしてもらいたい。


「……のーらちゃんも、どうぞ」

「あーん、ん……おいしい……です」

「……よかった、です。もっと、たべてください」

「殿下……でんか……」


 ノーラの眼に涙が溜まる。


「……いいのです」


 箸を置き、ちんちくりん殿下が自分よりも大きなノーラを抱きしめる。

 そこからは二人とも言葉にならない。


 泣いて、笑って、食べる。

 かなりの量があったはずの食卓は、綺麗になくなっていた。


「ごちそうさまでした」

「……けぷ」


「さぁ、二人とも歯を磨いてきてください」

「はい」

「……はい」


 食器を片付けつつチビ二人の洗面所へと送り出す。

 時計をみれば、時間には余裕がある。あとはチビ二人を寝かせるだけだ。


「……さかき」


 考え事をしていると殿下の声に振り返る。

 ちんちくりんの手にはトランプ。寝る前はこれで遊ぶことが多いので好都合だ。


「終わりましたか? では参りましょう」

「……はい」


 私室に戻り、殿下とノーラは枕を並べる。

 俺も誘われたのだが当然断った。


「……きょうは、ばばぬき、です」

「ばばぬき?」

「Alte Jungferのことだよ」

「なるほど、わかりました」


 トランプゲームの中でも古いものなので、ドイツ語訳をするだけでノーラは理解してくれる。


「では配ります」

「……きょうは、まけません」


 ゲームを始めると三〇分としないうちに二人とも寝息を立て始めた。

 無理もない。あれだけの量を食べれば眠くなる。まぁ、そう思って少し余計に用意したわけだが。


「殿下、お健やかに」


 頭を撫で、肩まで布団を掛けると部屋から出た。

 時計を見れば、時刻は二二時。夜明けまではギリギリだが間に合うだろう。

 自分としても心地良い一時を過ごせてよかった。


「行くか」


 暗闇を走る。

 先に朝日があると信じて。



     ◆



 お健やかに。

 言葉は慈愛に満ちて、遠い記憶を呼び起こし、額と髪を撫でる指の優しさは離れ離れに暮らす父母を思わせる。

 足音が遠ざかるまで安らかな寝息を演じていた。


「……のーらちゃん」

「はい。殿下」


 二人きり、真っ暗になった部屋の中で呼べば、すぐに答えてくれる。

 隣の布団へと手を伸ばし、温度に触れる。


「……さかきは、なにかをたくらんでいる。そうですね?」

「多分……。私にも詳しいことは教えてくれません」


「……かれは、あなたに、なんと?」

「はい、申し上げます」


 エレオノーレが彼から聞いたことを教えてくれる。

 騎士王と会ったこと、日本で生きろといってくれたこと、すべてを彼に任せると誓ったこと。


「……わたしも、あなたをうしないたくありません」

「勿体ないお言葉です」


 日桜の頭には裂海優呼と読んだ京都での報告書があった。

 そこから推察すれば彼の行動は想像に難くない。 


 彼はきっと騎士王と相対する。そして、結果は苦しいものとなるだろう。

 それは未然に防がねばならなかった。


「……のーらちゃん」

「はい、殿下」


 手を取り合い、鼓動を重ねる。

 これを最後にはしたくない。

 夜はそれぞれの想いを溶かしながら更けていく。



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