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二四話



 季節は晩秋から初冬へ移り、風が吹けば身を震わせる。朝晩は吐く息が白く、手足は冷えやすくなる。かといって厚着をすれば日中の暖かさに汗を書いてしまう。

 子供にとっては風邪を引きやすく、なかなかに厄介な時節といえるだろう。


 早朝七時、御所の入口では慌ただしく人が動き、車が集まっている。

 横浜で行われる国際的な経済会議で挨拶をするべく、殿下が出発の準備をしていた。


「殿下、肌着の替えは持ちましたか?」

「……にまい、あります」


「結構です。今は少し肌寒いですが建物の中は二〇度近くに設定されているでしょう。面倒ではありますが汗をかいたら着替えてください。御子服は風通しが良いですから、すぐに冷えてしまいます」

「……はい」


 今は黒を基調としたスカートにドレスシャツ、薄手のコートを着ているが会場に入るときには着替えねばならない。


 各国から代表が集まるということで専用のリムジンには着替えの入ったトランクが三つ、それぞれに衣装が入っており、挨拶用、会食用、記念撮影用となっている。


「髪飾りや手拭いなどの小物類はこちらにあります。今日は空気が乾燥していますのでリップクリームをお忘れのないように」

「……はい」


 小さなポーチサイズの小物入れを手渡し、殿下の頬に触る。

 肌触りも申し分ない。これなら化粧も薄くて済むだろう。

 あまり濃いものを使うと肌荒れの原因になる。このちび殿下は皮膚が薄いので刺激はなるべく少ないことが好ましい。


「本日は忌日ではありませんので、お食事は出されたものをお召し上がりいただいて大丈夫です。横浜ですので海産物が美味しいですよ」

「……はい」


 一通りの確認作業を終え、殿下の横に並ぶノーラへと向き直る。

 今日はスーツではなく近衛服を着て、髪を後ろで縛っている。

 もう立派な近衛のようで、俺としては感慨深い。


「ノーラ、後を頼むよ。殿下のお着換えを助けられるのは君だけだ」

「私で良いのでしょうか……」


「御子服は着るのが大変だ。会食用のドレスも、撮影用の着物も殿下一人で着るのは時間がかかる。あとはこれを、マニュアルも入っているから目を通しておいてくれ」


 小さな巾着袋を手渡す。

 中身は酔い止めやのど飴、目薬など諸々。殿下専用のファーストエイドキットのようなもの。


「あの、私が言うことではないのですが……」

「なんでヘイゾーが来ないのよ! 殿下の側役はヘイゾーでしょうが!」


 困った顔をしているノーラの後ろで裂海優呼が吠える。

 今日の護衛は彼女が担当するらしい。


「別件で仕事がある」

「なによ、仕事って! 側役の仕事はいっしょにいることでしょうが!」

「もうすぐ終わるから、気にしないでくれ」

「っ!」


 もうすぐ終わる、の辺りで裂海が察する。

 それ以外ないのでこちらは肩を竦めるだけだ。


「それに、俺が行っても殿下の着替えを手伝うことはできないだろ?」

「き、着替えなんて手伝わせるわけないでしょう! まさか、脱がせたいの?」

「楽しく脱がせられるのなら志願もするが、そういうわけにもいかない」


 沈みかけた雰囲気を、今度は空気を読んで盛り返してくれる。

 気苦労が絶えないやつだ。

 軽口を叩いていると、小さな主様が袖を引き、


「……ぬがせることが、たのしいのですか?」


 ちび殿下の問いに周囲にいた護衛や車の運転手、女中たちの動きが一瞬止まる

 気持ちは分からなくもないので誤魔化すことにしよう。



「どうでしょう、人それぞれとしか申し上げられません」

「……それぞれ? どういうこと、ですか?」

「いえ、あの……」

「で、殿下にはまだ、早いのかな!」


 殿下が澄んだ水面の様な瞳を裂海とノーラに向ければ、視線をそらしながらお茶を濁す。

 二人も見習ってほしい。お子様というのはこのくらいでいいのだと。


 携帯電話のアラームが鳴る。

 楽しいおしゃべりはここまでだ。


「さぁ、時間です。今日は長丁場となるでしょうが、今後の日本にとって重要なものとなるでしょう」

「……はい」


 殿下が頷き、未だ何か言いたそうな裂海が衣装の入ったトランクを持ってリムジンへと入る。


「ノーラ、スケジュールの管理は君に任せる。優呼はかなり大雑把だから、助けてやってほしい」

「分かりました」


 ノーラが一礼してリムジンへと乗り込む。


「……さかき」

「何ですか?」

「……きょうも、いっしょでは、ないのですね」


 殿下が俯く。

 確かにここ二、三日は公務に同行していない。

 

 仕事というのも本当なのだが、本音を言えばノーラの帰国予定を間近に控え、余裕がないからだ。

 騎士王と争うには時間も手段も足りない。


「申し訳ありません。殿下もご存じのとおり、いささか立て込んでおります。今件に区切りが付けば、また同行いたしますので、どうかご容赦ください」

「……むりを、していませんか?」


「私がですか? ご冗談を」

「……わたしに、できることは、ありませんか?」


「ございません。殿下はご自身のお役目を全うされるのがよろしいかと存じます」

「……わかりました」


 どうにか頷いてくれる。

 殿下はこうした部分に聡い。思う所もあるのだろう。


「大丈夫です。これが終わればクリスマスが待っています。パーティーでもやりましょうか」

「……のーらちゃんも、いっしょに、ですか?」


「勿論です」

「……たのしみ、です」


 背中を押し、リムジンへ乗り込ませるとドアを閉めた。

 ガラス越しに向けられる瞳のまぶしさに目を細めてしまう。

 走り去る車を見届けたところで、懐の携帯電話が振動した。


「はい、榊です」

『城山です。お時間を少し頂けるかな?』

「勿論です」


 どこかで見張られているかのようなタイミングの良さだ。


『頼まれた花火の手配が終わったよ。祝電も明日の朝から掲載が始まるが……』

「ありがとうございます。今件も含め、城山先生には二度も無理をお聞き入れ頂きました。お詫び申し上げます」


『なんだか、別れの挨拶みたいだね』

「そう聞こえるのは先生がお年を召したからです」


『……私もできる限りのことをしている。ドイツのベルンハルト首相は友人だ。スペイン外相のイオニア大臣も古くから付き合いがある。最悪の場合、ルーマニアには引き渡さず、欧州連合内で引き留められるよう尽力をしてもらう』

「心強いお言葉です。引き続きよろしくお願いします」


 城山も独自に動き、事態の収束を模索してくれている。

 だが、密約がある以上、大英帝国は強行してくるだろう。日本から出しては終わりだ。


「城山先生、無理を承知でお願いがあります。騎士王のことを調べて頂きたいのです。個人的なこと、家族のこと、なんでも構いません」


『聖ジョージ卿のことを? 今さら、彼に関することを調べても取引の条件にはなりえないと思うのだが……』


「失礼を、遠回りでした。率直に申し上げるならば騎士王の戦っている様子が知りたいのです。使う剣技、体術、些細なことでも構いません」


『……まさかとは思うが、刃を交えるつもりかね? それには外交上、あまり賛成できない。騎士王との対立は欧州連合との対立そのものだ。陣営を同じくするものとしての内紛は極力避けたい』


「ご心配いは及びません。すでに一度、相対してしまいました」

『むぅ……』


 老政治家が唸る。

 城山も外務大臣を通して手紙を送ったことは知っているだろうが内容までは知り得ない。

 この上ない不意打ちになっただろう。まぁ、俺自身もこんな結果になるとは思いもしなかったのだが。


「結果だけを申し上げるのならば、騎士王と争うことになります。故に、少しでも情報が欲しいところなのです。近衛には騎士王と戦った記録がほとんどありません。唯一の記録として残るのが一昨年前、連城隊長が戦って腹に風穴を開けられ、内臓と背骨を損傷しているものだけです」


『君を誤解していたようだ。ずいぶんと老成していると思ったのだが、心は血気盛んな若人というわけか』

「お恥ずかしい限りです」


『構わない。向こう見ずも時には必要だろう。資料の方は欧州に頼むことにする』

「申し訳ありません」


『だが、一つだけ約束をしてほしい。万が一、君が騎士王を追い詰めることがあれば、慈悲を見せてほしい。決して手にかけてはいけない』

「そのようになれば僥倖ですが、私の技量ではそもそも刃が届くかどうかが怪しいところです」


『死に急いではいかんよ』

「わかっています」


 城山の言葉が迫る。

 万が一、の部分だけ心外だが、評価はおおむねその通りなのだろう。

 俺も勝てるとは思っていない。せめて、引き分けくらいには持ち込みたいところだ。


『結構だ。ノーラの返還まであと四日、私からする連絡は最後だろう』

「私も手筈さえ整えば、問題ありません。お手数をおかけしました」


『榊君、ノーラを頼んだよ』

「お任せください。では、失礼いたします」


 通話が切れる。

 これでしばらくは老政治家と会うこともない。

 せいぜい次に会うのが地獄でないことを祈るばかりだ。


「さぁ、俺は俺の仕事だ」


 もう見えなくなった車を一瞥して近衛本部へ戻る。

 今を後悔しないために、できることをするだけだった。



     ◆



 三人寄れば姦しい。

 女という字を三つ重ねることろに、この漢字を考えた人間の皮肉が伺える。

 それなのに、榊平蔵に見送られ、御所をあとにしたリムジンの車内は姦しさからは程遠かった。


「……」

「……」

「……」


 日桜、エレオノーレ、優呼、三人ともギクシャクしている。

 原因は主に三つ。


 一つはエレオノーレの処遇。

 彼女の返還が決まったことで、あまり和気藹々とできない雰囲気がある。

 近衛内でも話題となり、優呼も知っている。


 二つ目は榊平蔵の不在。

 日桜と優呼は接点がある。しかし、エレオノーレと優呼は会ってから時間が経過していない。上っ面の会話ができるほど、二人とも積極的でもない。これに一つ目の原因が絡みつき、口が開きにくい。

 


 最後は優呼の苦悩。

 普段なら積極的に場を引っ張るはずの優呼が考え込んでしまっている。

 

 彼女の脳内は今、榊のことで一杯だ、無論、好いた惚れたなんて甘いものではない。

 彼が何を考えているのか分からず、エレオノーレを含めてどうするのか問い質したいのにできないという状況にある。


「……」

「……」

「……」


 三人が無言のまま、車は帝都の中央を抜け、臨海方面へと向かう。

 首都高に乗ったことで車の速度が安定し、揺れも少なくなるのだが、慣れない人間はいるものだ。


「……ううっ」

「で、殿下? 顔色が悪いですよ?」


「……よ、よってしまいました」

「車酔いですね。少しお待ちください」


 エレオノーレが榊から渡されたポーチの中から丸薬が入ったケースを取り出す。

 ご丁寧に説明書付きだ。


「えっと、一回一錠とあります。お水を……」

「それならこっちにあるわ」


 優呼が備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、キャップを軽くひねってから日桜へ渡す。


「……ゆうこ、のーらちゃん、ありがとう、ございます」

「殿下、ゆっくりです」

「……はい」


 エレオノーレに支えられながら日桜が酔い止めを飲む。

 ひらり、とエレオノーレの足元に落ちたメモ書きを拾った優呼の眼が大きく見開かれた。


「なにこれ」

「……ゆうこ、どうか、しましたか?」


「ヘイゾーが書いたものだと思うんですけど……」

「……?」


 そこには薬の用法容量は勿論、日桜に飲ませるためのアドバイスが書き連ねてある。

 驚くべきはのど飴から胃薬、栄養剤に至るまで一〇種類が事細かくあった。


「ちょっと細かすぎない?」

「そう……でしょうか。私にはわかりません。殿下は如何ですか?」


 メモ書きを渡された日桜はその文字をまじまじと見つめ、最後は胸に抱いて目を閉じる。

 その姿に優呼が顔を引き攣らせたのをエレオノーレは見逃さなかった。


「……さかきからの、おもいを、かんじます」

「お、想い、ですか?」


「……はい。さかきは、こんなにもわたしのことを、かんがえてくれています」


 うっとりと、文字を指でなぞる日桜に、優呼は勿論、エレオノーレも若干引いている。


「ヘイゾーってば、こういうことばかりに気が回るんだから」

「でも、それが嬉しくもあります。ああ、ちゃんと見ていてくれるんだな、って」


 優呼の言葉にノーラが答える。

 二人が笑い合う。

 互いに思うことがあっても直接的には口にできない。

 

「ノーラ、怖くはないのね?」

「はい。私はヘイゾウさんに全てを委ねました。こうして殿下と一緒にいさせて頂けるのも、思い出づくりではなく、今後を見据えてのことなのだと思っています」


「あなたがそこまで考えているのであれば、私から言うことはないわ」

「はい」


「殿下もヘイゾーを信じているってことですよね?」

「……はい」


 二人の決意を見届け、優呼は頷く。

 彼女の中でもなにかが決まったらしい。


「格好つけちゃって」


 一人呟いて、榊平蔵が書き記したメモを見る。

 想いは伝わるが、優呼からすれば少し過保護に映った。


「でも、さすがにこれはちょっと気持ち悪くないですか? ストーカーっぽいというか」

「私はそこまで思いません。でも、行き過ぎている気はします」

「……?」


 否定的な優呼に半分同意が混じるエレオノーレ。


「殿下、いくら側役でも相手が四六時中自分のことを考えていたとしたら、普通じゃないですよ?」

「……ふつうとはなんですか?」

「えっ?」


 優呼の軽口に、日桜が首を傾げる。

 しくじった、普通の概念が薄いのだと気付いても遅い。


「で、殿下はまだ経験が浅いからそう思うだけです! 男女というのは想い想われるものですが、過剰になってはダメなんです! ねっ、ノーラ!」

「えっと、私もよくわかりません」


 優呼は他人から、具体的に言えば彼女に愚痴を吹き込む第八大隊長陽上の言葉をそっくりそのまま使っているだけで、彼女自身に確信的な部分はない。


 経験がない中で、年下二人を前に見栄を張ったに等しい。

 しかも、エレオノーレに話を振っても暖簾に腕押し糠に釘。

 同意を得られないばかりか、


「……ゆうこ、もっとききたいです」

「もっと、ですか?」


「私も、お伺いしたいです。今後のために」

「マジ?」


 お子様二人から興味津々な眼差しで迫られ、引くに引けない状態となってしまった。


「……ゆうこ、さかきは、どういうつもりですか?」

「ヘイゾウさんのこと、私も聞きたいです」

「うっくく……」


 じりじりと近づく二人。

 藪蛇を突いた近衛屈指の切り込み隊長の答えは、もう決まっていた。


「い、いいかしら、二人とも、よく聞きなさい。ヘイゾーって人間の本性を!」


 声に拍手が重なる。

 こうして始まった優呼による独演会は車内どころか会場へ付いてからも続き、あらぬ誤解を二人に植え付けることになるのだが、それはまた別の話である。



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