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二三話


 夜の波止場で対峙するのは騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセン。

 こちらが差し出した報告書を読み終えると海へと投げ捨て、向けられる視線が厳しくなる。


「榊殿、私に母国の謀略を語って如何にする」

「ご容赦ください。ご存じか、そうでないかで私の選択が違ってきます。まずは確かめさせていただきたいと思い、お見せした次第です」


「ほう、どう変わるのか後学のために聞かせてもらおうか」

「前者ならば貴方の良心に縋りたいと思っておりました。後者であるならば、残念ながら……」


 これ以上を言葉にできない。

 後者、騎士王が一連の騒動を知らずにここへ来た場合、俺が予想しうる最悪の事態が待っている。


「貴殿は人として正しい選択をしている。同時に、とても巧妙だ」

「巧妙などと、私は……」

「恍けてもらっては困る。こんなにも私を試すような布石をばら撒き、あまつさえ挑発するとは無礼にもほどがあろう」


 怒気を孕んだ声に最大の懸念が消える。

 予想しうる最悪の事態とは、騎士王がただの飼い犬であることだ。

 

 事の推移も知らず、また考えもせず、ただ言われるがままに動く存在であれば交渉の余地などない。

 しかし、そうではなかった。


「お詫びは如何様にも。ですが、それだけの懸念があったことをご理解ください。私は事の解決に向けてあらゆる選択を考えねばなりません」

「私の誇りを蔑ろにしてもか?」

「申し訳ありません」


 今さら世辞を並べても仕方がない。俺にはこれ以外、方法がなかった。

 結果として賭けには勝ち、企みは成功したといえる。


 騎士王は今件の概要をほぼ正確に知っている。少なくとも、報告書に書いてあったことは知っていた。

 ならば、次の段階に話しを進めなければならない。


「貴方の誇りを買い取らせていただきたいのです」

「……目的はなんだ?」


 猛禽類を思わせる眼光がこちらを射貫く。

 話しは聞いてくれるらしい。


「率直に申し上げます。エレオノーレ・クルジュナ・トランシルヴァニアを助けたいのです」

「助ける、とは?」


「現在のルーマニアに戻れば、彼女は裁判にかけられる。待っているのは断頭台か首吊り縄しかないのは貴方もご存じのはずです」

「……」


 思わず語気が強くなる。

 なのに、騎士王は無表情のまま。


「彼女は被害者です。欧州内の派閥争い、共和国、オスマントルコ、ロマノフ連邦、あらゆる国の思惑を一身に浴びている。理不尽であり、許容していいものではありません」

「言いたいことはそれだけか?」

「っ!」


 騎士王が言葉を遮り、冷たい眼をこちらに向ける。


「悲しいが、食うか食われるかの世界にあって、犠牲者は必然だ」

「必然……これがですか?」

「起こってしまった事実は必然だろう」


 騎士王の言葉に感情が沸き立つ。

 頭では冷静でありたいと思うのに、感情が先行してしまう。


「貴方の言葉通り、犠牲は必然だとしてもトランシルヴァニア王だけで十分のはずだ。親を惨たらしく殺された彼女の気持ちはどうなるのです!」

「残念でならない。心からの哀悼を表しよう」


「哀悼?」

「世界は犠牲を求めている」


 騎士王は高らかに宣言し、俺の胃の奥がだんだんと熱くなる。


「トランシルヴァニアが、エレオノーレが被害者であることは認めよう。だが、それが何だというのだ。今の世界では誰しもが加害者であり、被害者でもある。己が幸せを感じるときは誰かの不幸で成り立っていると考えねばならない。それほどに世界はひっ迫している」


「だからといて、罪もない子供を衆愚の玩具にするのですか? それが騎士王と呼ばれるあなたの言葉……」

「榊殿、誰もが笑って暮らせる世界などないのだ」


 反論の言葉を騎士王が遮る。


「増え続ける人口、蔓延する病、拡大する貧富の差、問題を挙げ始めればキリがない。故に奪うしかない。あるものを、限られているものを。正しいか、正しくないかなど、もはやどうでも良い。今は、富める者が真理であり勝者。誰も敗者になどなりたくはあるまい?」


「くっ」 


 かつての自分も、同じ考えだった。

 富とは金、金とは絶対の力、世界を支配するのは金に他ならない。

 だが、これに屈しては交渉ができない。反論の糸口を探す必要がある。


「榊殿、人は争うものだ。争うことでしか解決ができない。トランシルヴァニアも争った結果。君が今さら裁定を下すことではない」

「……では、貴方はエレオノーレをルーマニアへと差し出すというのですか?」


「私は欧州連合が望むことをするだけだ」

「エレオノーレを引き渡す際に支払われる金額は五〇万ポンドと伺いましたが間違いありませんか?」


 初めて、僅かながら騎士王の眉が動く。

 五〇万ポンドは日本円で一億五〇〇〇万、これだけで大英帝国が動くとは考えられない。


「さる筋からの情報では、エレオノーレが持つスイス銀行の個人口座には一〇〇億ドルを超える額がある。欧州連合の加盟国で取り合うには少ない。しかし、騎士王を派遣する大英帝国の取り分は、どのくらいでしょうか」


 ルーマニアが真に狙うのはノーラの命ではなく、彼女が持つ莫大な資産にあるとみて間違いない。

 俺の予想はこうだ。


 シンガポールにおける抗争の中で大英帝国が共和国が狙う鉱物資源を知り得たように共和国もまた、大英帝国の現状をつぶさに調べたに違いない。

 大英帝国が不況に喘いでいることも知っているはずだ。


 俺が共和国の人間ならばルーマニアにこう入れ知恵をするだろう、あの国に頼めば引き受けてくれる、と。

 表だって介入できない共和国がルーマニアを通じて欧州連合には陳情を出し、大英帝国だけに金の話しをする。


 こうすれば大英帝国は欧州連合として介入ができる。

 あとは鷹司を理由に騎士王を派遣すれば双方丸く収まる。


 あるいは、順序が逆なのかもしれない。

 ルーマニアの状況を大英帝国が察知し、ノーラ奪還を条件に見返りを要求したことも考えられる。


「一見すれば貴方の派遣は大事です。しかし、実際にかかる費用を考えるとリターンが大きい。唯一の懸念はロマノフの雷帝、だからこそ極秘で来日をされた。貴方は金のための道具と成り果てたわけです」


「勘違いしてもらっては困る。私は今でも道具でしかない。国民の財産を守り、国益を守る。すべては金のためだ」


 鼻で笑われる。

 動揺を誘おうとしたのだが、崩れてくれない。

 しかし、否定しない以上は的を射ているということなのだろう。


「金がほしいのならば差し上げます。エレオノーレが持つ一〇〇億ドルも、引き渡し金の五〇万ポンドもこちらがご用意しましょう。ですからエレオノーレは、彼女の引き渡しだけはご配慮いただきたいのです」


「それでは欧州連合のメンツが立たない。私を派遣して空振りでは誰も納得はしないだろう」


「エレオノーレが日本に潜伏していることは報道されました。各国もそれは把握しています。ですが、詳細は知らないはずです」


 一拍の間が開く。


「……古典的だな。すでに死亡したことにすればいい、ということか」

「その通りです。火葬すればDNA鑑定はできない。個人を特定する方法はありません。本人である保証を貴方にして頂ければ、真相は闇の中です」


 祈る様な気持ちで問う。

 頼むから引き受けるといってほしい。

 

 雷帝という布石での脅しはしないことで誠意も見せている。

 騎士王さえ頷いてくれれば、それで済む話だ。


「いくつか聞きたいことがある」

「何なりと」


「エレオノーレはどこまで知っているのか?」

「すべて、です」 


 騎士王の眼が細くなるが気にしない。

 こちらから動揺や焦りは見せてはいけない。


「いいだろう、二つ目だ。エレオノーレを生かしてどうする」

「どう、とは?」


「質問に質問を返すのはフェアではない」

「失礼、あまりにも曖昧だったものですから。彼女には日本で暮らしてもらいます。彼女の親族が日本にいますので、その方の庇護下で生活をすることになるでしょう」


「親族? 日本にトランシルヴァニアの王族がいるのか?」

「正確にはトランシルヴァニアの系図に日本人がいます。名前は城山智美、半世紀前に東欧の地へと渡った日本人です。こちらをどうぞ」


 城山家の写真、トランシルヴァニアでの結婚式や夫婦で写ったもの、城山英雄と今は亡きトランシルヴァニア王とが写ったものを渡す。

 騎士王は写真を凝視し、思案する様に動く。


「三つ目だ。貴殿はなぜそこまでする。縁故もない、異国の子供に近衛が動くということが私にとって驚きでしかない。理由をきかせてくれないか?」

「理由が必要ですか。そうですね……私も、最初は国を巻き込んだ大事になるとは思いもしませんでした」


 ノーラのことは殿下が拾った、あの子猫の世話となんら変わりなかったはずだ。

 それが、今はこうして自分の命すら天秤に掛けようとしている。


「彼女が物事の分別や判断ができる年齢であったならば、私もここまではしなかったでしょう。未来は自分で選ぶべきだ。しかしながら、そうではなかった」

「子供だから、という訳か」

「端的に言えばそうなります」

 

 もっと掘り下げれば境遇や情もある。

 並べる理由に不足はないのだが、憚られた。

 数を口にすれば褪せてしまいそうだからだ。


「貴殿の言い分は分かった」

「でしたら……」


「残念だが、私の考えは違う。生きることが助かることへと直結するわけではない。父親の陰惨な死を忘れても、エレオノーレは助かったといえるのか? 生きたいと思えるのか?」


 鋭い問いが向けられる。

 それはノーラ自身も悩んでいるところだろう。


 俺が彼女のすべてを代弁できるとは考えていない。

 それでも、彼女の未来を案じるものとして受けて立つ必要がある。

 抗弁しようと視線を交えれば、騎士王が先んじる。


「人を人たらしめているのは誇りだ。エレオノーレが復讐を望むのならば、私も手を貸しただろう。しかし、君の言う通り日本で暮らすことを受け入れているのだとしたら、許容できない。誇りをなくせば、人は家畜と同じとなる」


「争いばかりが復讐ではありません。苦しくとも耐え、未来に希望を見出すのが人だと私は考えます。生き残れば、いつか報いることができる。一時的な感情だけで飛び出すのは賢明とは言い難い」


「トランシルヴァニアにはかつての王族を慕うものも多くいるだろう。彼らはどうなる? このまま共産圏に呑まれろというのか? 彼らと共に戦い、勝利を勝ち取るべきだ」


「国民同士で殺し合えと申されるのですか? 昨日まで手を取り合っていた人を討てと? それでは遺恨が残ります。憎しみは新たな憎しみを生み、連鎖の引き金となるだけだ」


「人の世に恨み辛みは当然、先ほども言ったはずだ。誰もが笑って暮らせる優しさなど、この世界にはない」


「騎士王、人はそれほど強くありません」

「榊殿、人とは強いものだ。今を生きようと思えば、強くなくてはならない」


「血塗れの手で掴んだとしても、未来は赤いままです」

「血の代償もやがては誇りとなる。取り戻せると証明することが重要だ」


 平行線。

 俺と騎士王では考え方が違いすぎる。


「……」

「……」


 無言のまま睨み合う。

 言葉が、意思が交わらなければ、方法は一つしかない。


「分かりました。騎士王、互いに引くことができないのならば、方法は一つしかない」

「ほう、如何にする?」

「私と争いましょう」


 決意を込めて刀を抜いた。

 最悪の事態を想定していたが、まさか現実のものになるとは思わない。


 ここまで意見や主張が食い違うとは想定していなかった。

 俺自身も少し己惚れていたのかもしれない。話せばわかるはずだ、と。


「互いに主張が異なるのならば、そのままではいられません。こちらには期限があり、偽装工作も途中です。貴方が首を縦に振ってくれないのならば、こうするより他はない」


「君が、か?」


「エレオノーレはまだ子供です。私が代理となります」


 ここにノーラがいたら、騎士王の言葉に従い祖国へ戻って剣を取ったかもしれない。

 それが防げただけでも良かったと思うことにする。


「ふっ、たった一人で私の相手をしようというのか」

「何か問題でも?」

「いいだろう。若人の心痛、聞き届けようではないか。だが……」


 金属音がしたと思えば、頬に鋭い痛みが走る。

 視線を逸らさぬまま触れば、ぬるりとした感触に鉄錆びの匂い。


「今のは警告だ。私を前に刀を抜くとは、不用意にもほどがある。欧州ならば首が落ちるぞ」


 騎士王の口調は優しい。諭すようであり、窘めるようでもある。

 頬の痛みがじわじわと押し寄せ、悪寒が全身を支配する。


「わ、私は今この場でも構いません」

「私も不都合はない。だが、エレオノーレ引き渡しまでは時間がある。貴殿が今死んでもその事実に変わりはない」


 背中を汗が伝う。


「君の申し出は受けた。覚悟ができたらいつでも連絡をしてくれ。それまではせいぜい、家族や友人たちと別れを惜しんでおくといい。無論、エレオノーレが自主的に私と一緒に来るというのなら止めはしない」


 騎士王の言葉に奥歯を噛む。

 コイツは暗に逃げてもいいといっている。

 命が惜しくばノーラを差し出せ、ともとれる。


「私とて近衛、とくに鷹司殿との対決は避けたい。まだ時間はある。貴殿がもう少し利口になることを願っている」


 騎士王が踵を返し、去っていく。

 その背中が見えなくなるまで、俺は刀を収めることができなかった。



     ◆



 騎士王との密会を終え、近衛の寮に戻ったのは午前零時を過ぎてからだった。

 車を降り、覚束ない足取りで歩く。


 放射された殺気を思い出すたび、背筋が寒くなり、苦笑いが浮かんだ。

 命など惜しくない、そう思ってはいてもいざ恐怖を目の前にすれば足が竦む。


「……どうする」


 予想しうる最悪の形で交渉を終えてしまった。

 しかも、主導権を握られたまま。

 重い足を引きずって部屋に戻れば、明かりはまだついていた。


「おかえりなさい」

「……ただいま」

 

 ノーラが子猫を抱いたまま迎えてくれる。


「大丈夫、ですか? 顔色が悪いです」


 幼い顔があのちび殿下と重なる。

 トランシルヴァニアで起こったことが、日本で起こらないという保証はどこにもない。

 このまま事態を放置すれば、次に泣くのは殿下かも知れないからだ。


「心配いらないよ。さぁ、もう遅い。ノーラも部屋に戻って」

 首を振り、


「一緒にいては、だめですか?」

「お子様とはいえ、女性が男と一緒の部屋にいるのは感心しないな」


「ヘイゾウさん、辛そうです」

「大丈夫だよ。だから……」

「私のために、これ以上してほしくないんです。面倒なら放り出してくれてもいいのに、あなたは、どうして……」


 諭そうとしてもノーラは譲ってくれない。

 俺が何をしてきたのか、彼女には分かってしまうのかも知れない。


「少し話をしようか。おいで」

「はい」


 小さな体を抱えてソファーに座る。


「騎士王と話をしてきた。あまり芳しい結果とは言い難いけどね」

「そう……ですか」


「正直に言えば、君の後ろに日本や殿下を重ねている。トランシルヴァニアで起こったことが日本でも水面下で進行している。決して他人事じゃない」

「……はい」


 起こったこと、これから起ころうとしていること、つい先ほどの騎士王の言葉も伝える。

 ノーラは黙って聞いてくれた。


「騎士王は君が国に戻り、反政府軍として戦うのであれば支援する用意があると言っていたよ」

「聖ジョージ卿が、ですか」


「でも突っぱねてやった。君は日本で生きる。ルーマニアには戻さない」

「……ヘイゾウさん」


 柔らかい髪を撫でる。

 女の子を血で血を洗う争いに差し出すことの、何が正しいのか。

 そんな誇りなど必要ない。


「君の出国は決まってしまったが、今までとプランは変わらない。良く食べて、よく眠って、殿下の相手をしてくれ。あとは俺が何とかする」


「わかりました。ヘイゾウさんにすべてをお任せします」

「ありがとう」


 そこでノーラが体を預けてくる。

 こちらを見上げる瞳には意思の光が見えた。


「じゃあ、今日はお開きだ」

「……はい」


 深呼吸をすると、ノーラは胸元のボタンを開け始める。

 こちらが訝しむ間に上着を脱いで薄いシャツだけになってしまった。



「ノーラ?」

「どうぞ」


 目を閉じて首を上げる。

 慌てて目をそむけ、


「馬鹿、どうしてそんな発想に……」

「私が差し出せるものは、これだけです」


 ノーラの姿が京都にいる千景と重なる。

 どうしてこうも最近の子供は発想が早熟なんだ。


「背伸びには早い。せめて副長くらいに育ってからにしてくれ」

「……しないの、ですか?」


「当たり前だ」

「あっ、ちょっ……」


 額を指で弾き、ノーラを寝室のベッドへ放り投げて、ドアを閉める。

 少しは純粋なちび殿下を見習ってほしい。


「やれやれ」


 叩かれるドアの振動を背に受けながら、ノーラが諦めてくれるのを待つより他なかった。




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