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二二話


 孤独とは贅沢品、と立花宗忠は思っている。

 近衛という場所は世間から隔離され、任務によっては数日から数週間を仲間と一緒に過ごす。

 任務での連帯感や達成感は嫌いではない。

 でも、暇な時くらいは一人でゆっくり、自分だけの時間を過ごしたい。


 この日、午後の任務が終わってからは特に用事もなく会議や報告書の類いもない。

 明日は午後まで非番、月に何度もない暇な瞬間といえる。


「最近はバタバタしていたしな。命の洗濯だ」


 食事を済ませて風呂に入り、缶ビールを一本空けてベッドに寝転がる。

 心地よい時間を味わっていると、部屋のドアが乱暴にノックされた。


「……誰だ?」


 微睡んでいたいのに、続けられるノックがそれを許してくれない。

 宗忠の部屋に来る人間は限られている。裂海優呼ならノックなどしない。榊平蔵ならインターホンを押すだろう。


「義姉上……は今隠岐だったはず」


 思い当たる節がないと思いながら、のろのろと立ち上がり、ドアを開けたところで動きが止まった。


「ああ、よかった。居てくれたか」

「ふ、副長?」


 ドアの前に立っていたのは誰でもない、近衛鬼神の副長こと鷹司霧姫。

 いつも通りバリッとした服装、小脇にはノートパソコンを抱えながら、いかにも急いできたような、独特ともいえる呼吸の乱れがある。


「休んでいるところすまない。少し頼みたいことがあってな」

「御用なら呼んでいただければ伺いますのに。まぁ、立ち話もなんですから、どうぞ」

「すまない」


 これが榊平蔵ならば常識非常識のやりとりでひと悶着あっただろうが、そこは宗忠、そつなく招き入れ、座布団をだしてからお茶の用意までする。

 

「かまわなくていい」

「そういうわけにはいきません」

「悪いな」


 宗忠がお茶を用意する間、鷹司は持ってきたノートパソコンを起動してキーボードに指を走らせる。


「どうぞ」

「ありがとう」


 湯呑を出せば鷹司は一息に飲み干す。

 それを見越して宗忠は温めに淹れておいた。この辺りも卒がない。


「それで、御用向きとは?」

「これなんだが……」


 鷹司がアルファベットと数字の羅列が書かれたメモ書きを渡してくる。


「これは……アドレスですか?」

「セキュリティ管理システムへのアクセスキーだ。近衛が所有する車両に車載カメラとレコーダーが付いているのを知っているな?」


「勿論です。危機意識の堅持と事件、事故に対応するための導入であったと思いますが」

「最近、それを悪用している輩がいてな。私はこの手のシステム解析が得意ではない。足跡をたどれずにいるヤツがいる」


 鷹司が苦笑いを浮かべる。

 そんな問題児は一人しかいない。


「榊が何かしたんですか?」

「乗る車をコロコロ変えては外出を繰り返している。今も出掛けたはずなのだが、足取りがつかめん。私には正直どこをいじっていいのか分からん」


「今もですか? こんな時間に?」

「先ほどまでは殿下たちと食事をしていたらしいが、もう近衛の敷地内にはいない」

「ちょっと失礼します」


 ノートパソコンを借り受け、宗忠はセキュリティ管理システムへとアクセスする。

 呼び出された画面には数字の羅列や記号が並ぶ。

 少しでもパソコンを齧ったことがある人間ならそれが車両の識別番号と行動記録であろうことには容易に気付けただろう。


「……副長、護送車の一台が港区芝浦方面に向かっているみたいです」

「間違いない。それだ」


 鷹司が身を寄せてくる。

 宗忠は運転席を写すカメラの映像を別ウインドウで呼び出し、拡大して見せる。

 そこには確かに運転する榊平蔵がいた。


「どこへ行くのでしょうか……」

「与党内からリークがあってな。コイツ、外務大臣の鈴木寿夫を通じて大英帝国大使館にアポイントメントを入れたらしい。恐らくそれだと思うのだが……」

「はぁ? が、外務大臣? それに大英帝国大使館って……」


 語尾が自然と跳ね上がる。

 政権与党からのリークというのも問題だが、近衛が外務大臣を使うというのも前代未聞。

 相手が大英帝国大使館というのがまたぶっ飛んでいる。

 

 大英帝国に外交ルート。

 榊の狙いはただ一つしかない。


「立花、貴様は榊に騎士王来日を教えたそうだな」

「わ、私にはなんのことやら……」


 宗忠の胃が急激に締め付けられる。


「軍部内のコネを使ったのが裏目に出たようだな。アレはもともと私が使っていたもの、次はもう少し上手くやれ。その点、あのバカは実に巧妙だぞ?」

「左様で……」


 鷹司が口角を上げる。

 褒めているのか貶しているのか分からない口ぶりだ。


「そう驚くな。別に咎めているわけではない。榊に城山先生とつながりがある以上、遅かれ早かれ露見している。問題は妙な入れ知恵をしてくれたことだ」

「何のことでしょう。私にはさっぱりです」


 今度は本当にさっぱりだ。

 助言などしただろうか、そう宗忠は記憶を巡らせる。


「榊はこれまで極力人を頼っていない。すべて自力での解決を前提としている。無論、どうにもならなくなれば助力を求めているようだが、これまでの選択肢は非常に狭く、行動も読み易いものだった」


「……確かに、その通りです」


「しかし、今回はかなり積極的に他人の力を使っている。これは今までになかったことだ」

「副長、それだけの事実で私が助言したというのは証明できないと思いますが……」


 宗忠が記憶を探せば、すぐにあった。

 それも致命的な一言。


「ヤツに影響を与えられる人間というのは少ない。そもそもヤツは自分が認めた相手にしか相談をしないからな。そう考えると選択肢は殿下か優呼、あとは貴様ということになる。殿下は言葉にはすまい。優呼はこうした謀略には向かん」


 少し強引ではあるがこうした鷹司の考えこそ榊に近しいものであるように宗忠は感じる。

 それでも指摘して怒らせるようなヘマはしない。

 すぐさま思考を切り替え、賢しい同僚へ合掌する。


「吐いてしまえ。今なら許すぞ」

「すみません。申し上げますので、義姉上にはどうか……」

「私も鬼ではないからな。検討してやる」


 鷹司の目が怖い。

 開き直ったのに重圧感で潰れそうだ。


「み、味方を作れ、と……」

「ほう……それで?」


「ひ、一人での解決は難しい、不利から逃げても有利にはなれない……」

「チっ」


 舌打ちに背筋が伸びる。

 鷹司の不評を買った。この事実が義姉に知られたら、本家に帰り辛くなるだろう。


「いいか立花、榊平蔵という男の根本を支えるのは強烈な自負にある。裏を返せば飛躍的な発想には至りにくい。地に足を付け、石橋を自分で作り、渡っていくタイプだ。だがな、今回貴様の助言で翼を作ってしまった」


「……翼、ですか?」


「本来、得るものと差し出すものは等価。政治家と相対したことで、榊は自らの価値を急速に自覚したのだろう。自分が差し出せるものの大きさ、得られるものの大きさは今までと比較にならないことを知ったはずだ」


「味方を作れ、という言葉だけでそこまでいくものですかね?」


 宗忠はごくり、と喉を鳴らす。

 鷹司の言葉こそ発想の飛躍といっていいのだが、妙な説得力もあった。


「知っての通り、ヤツの頭は悪くない。危機感から必要に迫られれば、考えられない話ではない」


 事実なのだとしたら、あの口八丁に辣腕が加わることになる。


「ちょっと早まりましたかね?」

「否定できないな。無論、責任は取ってもらう」


「ものによりますが……」

「直虎と、お前の力が必要となる。なに、直虎には黙っていよう。私は優しいからな」


 皮肉を並べる上司に引きつった顔で応じながら、宗忠は同僚を恨むのだった。



     ◆



 深夜の首都高速を九段下から一ツ橋、神田橋を抜けて中央区宝町に達する。

 時刻は二二時、約束は午前〇時なので余裕はあるものの、逸る気持ちを抑えきれずにいた。


「条件……取引……身代金」


 頭の中では会話のシミュレーションを何度も繰り返す。

 公式な発言はなく、相手の思考も思想も分からない状態では選択肢など無限に近い。

 それでもある程度の想定をしておかなければ言葉すら出てこないこともある。


「最善は……次善策は……」


 言葉を繰り返すうちに車は京橋、新富町をすり抜けて築地から汐留へと入る。

 恩賜公園の緑を横目に、ビルの向こうには真っ黒い海とレインボーブリッジが見えた。


 芝浦で高速を降り、倉庫街を走る。

 目指すのは品川を臨む臨海公園。街灯も少ない駐車場に車を停め、外に出る。


 少し歩けばもう海。昼間は多くの船舶が行き交う青い海原も、深夜ともなれば沖合に光が見える程度。

 波止場に影はなく、波の音が響くばかり。

 

 晩秋にもかかわらず虫の音も聞こえない。時計を見れば約束の時間まで一時間以上ある。

 早すぎたか、そう思った時だった。


「……いる」


 強烈な気配がある。

 夜の奥から足音が聞こえ、数メートル手前で止まった。


 ジッ、という摩擦音とともに赤い火と美丈夫の顔が浮かび上がる。

 紫煙を燻らせながら黒い儀礼服の男はそこにいた。


「騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセン殿とお見受けしますが、相違ありませんか?」

「相違ない。私がジョルジオ・エミリウス・ニールセンである。貴殿が榊平蔵殿か」


「第九大隊長を拝命しております榊です。騎士王殿、呼び出しに応じて頂き、感謝いたします」

「麗しき鷹司霧姫の後任となれば、応じるのが当然だろう」


 金色の髪、アイスブルーの眼、猛禽類を連想させる風貌のこの男が騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセン。

 大きい。身長は立花以上、俺よりも頭一つ以上ある。

 それでいて華奢ではない。腕や足が太い、体そのものが分厚く迫力がある。


「……」

「……」


 互いに、かどうかは分からないがこちらとしては出方を伺う。

 いや、正直に言えば緊張で機先を制することができない。

 この交渉がノーラの運命を左右すると考えれば、いくら俺でも慎重になる。


「君もどうかな?」

「頂戴します」


 騎士王が煙草を差し出してくる。

 少し迷ったが一本受け取り、咥えるとダンヒルライターで火をつけてくれる。

 深呼吸の様に吸い込み、溜息のように吐き出す。数年ぶりとなる紫煙は旨いものではない。


「欧州では健康を害すると吸わせてもらえなくてね」

「心中お察しします」


「愛煙家には生き辛い世になったものだ」

「煙草、酒、嗜好品はすべて規制の対象となるでしょう。税金が余ってしまいそうです」

「かもしれんが、かえってストレスが増えそうだ。余剰徴収分で国連にストレスの健康被害を調査させることにしよう」


 冗談を飛ばし合う。ここまでは頭の固いタイプには見えない。

 騎士王の気遣いで緊張は幾分ほぐれてくれた。ここからは相手そのものを探る必要がある。


「少し歩きませんか?」

「ああ、構わない」 


 海沿いの遊歩道を歩く。


「日本は良い国だな」

「欧州も素晴らしい国々ばかりです。古い街並みに人と自然が調和した景観はそれだけで価値があります」


「榊殿は渡航経験があるのか?」

「学生の頃にドイツ、スペインを回ったことがあります。残念ながら大英帝国へはまだなので、おすすめの料理をお伺いしたいです。できればフィッシュアンドチップス以外で」


「ビネガーをショーユに変えれば食べられる。なにせ、材料はテンプラと一緒だからな」

「考えておきましょう」


 騎士王が笑みを浮かべる。

 他愛ない会話を交わしながらタイミングを見計らう。


「極秘での来日、さぞ窮屈な思いをしていらっしゃることでしょう。鷹司に代わりお詫び申し上げます」

「そうでもない。夜になればこうして出歩ける。君の様に奇特な人間とも会える。非常に興味深い時間を過ごしているよ」


「奇特、ですか?」

「外交ルートを使いながら非公式での面談を要求、それも大使館内ではなくこんな人気のない夜の公園を指定する。あまり常識的とは言い難い」


 鋭くなる視線に息をのむ。しかし、これくらいの意趣返しはさせてほしい。

 こちらも騎士王自らがお出ましになるとは思いもしないのだから。


「ご無礼をお許しください。ですが、こうでもしなければ貴方と二人にはなれない」

「男には言われたくない台詞だな」

「私も、貴方相手に使いたくはない言葉です」


 海に突き出た防波堤の突端で足を止め、向き合う。

 距離は三メートルもない。息遣いすら聞こえてくる。


「さて、ここまでくれば隠れる場所もない。波の音で我らの会話は聞こえないだろう」

「言ってしまってよろしいのですか?」

「君も気付いているはずだ」


 騎士王が目配せをする。そう、駐車場の周辺や防風林の中には複数の気配があった。

 虫の音が聞こえないのは人が潜んでいたからだ。

 隠れる場所の無い防波堤なら一定以上近付かれることも、盗聴の危険も少ない。


「警戒心が高いのは当然だが、少しは私を信用してほしいものだな。国の意向に逆らい。こうして君の誘いに乗っているのだから」

「平にご容赦を」


「ふっ、君は武士にしては腰が低すぎる」

「ご明察です。私は市井の出、一般の近衛とは身分が違います」

「ほう」


 騎士王の目が大きくなる。

 興味を持ってくれればそれでいい。


「時間がありません。早速ですがこれをご覧ください。私が調べた、今件に関する報告書です」

「拝見する」


 持参した報告書の束を騎士王に渡す。

 レインボーブリッジが近いこの場所ならば月のない夜でも読むことができる。


「待っているだけでは暇だろう?」


 煙草とダンヒルライターを差し出される。


「お気遣い感謝します」


 それから旨いとも思わない煙草を吸いながら待つ。

 しばらくはページを捲るだけの時間が過ぎ、気が付けば渡された煙草は全部なくなっていた。


「ふむ」


 騎士王が顔を上げ、こちらを見る。

 報告書を読んでも騎士王の顔色は変わらない。知っているのか、あるいは顔に出さないだけなのか。

 どちらにせよ、こちらのプランに変更はない。


「内容は把握した。良く調べたものだな」

「鷹司の了承を得ています。近衛の見解とお考えください」

「そうか……」


 騎士王の視線が鋭くなり、次の瞬間、報告書が高々と宙を舞う。

 白い紙束はそのまま黒い海面に落ち、吸い込まれていった。


「まぁ、そうなるか」

 

 ため息とともにつぶやき背筋を伸ばす。

 交渉はここからが本番だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] この話数の前後で金額の桁が激しくぶれたまま修正がされてません。 最初は10億ドル、日本円で換算するとなぜか100億円という認識で話が進み騎士王との会話では何故か100億ドルという設定で交渉が…
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