二一話
大きなテーブルに並ぶのは大きな前菜のハム、クラシックスタイルのタルタルステーキ、シンプルにビネガーと塩だけのサラダ、温野菜に根菜の煮込み、メインはブルーレアに焼かれた霜降り肉。
さすが近衛の食堂を任されるおばちゃん達が作ってくれた献立だけあって味も香りも素晴らしい。
クラシカルなフレンチをここまで再現できる腕は勿論、日本人に配慮した味付けには繊細な心配りを感じる。
やはり、料理とは心だ。
作る人が食べる人を想う。逆も然りといえるだろう。
「殿下、パンのおかわりはどうですか?」
「……はい」
「ノーラは?」
「私はもう大丈夫です」
「そう? まだあるから、遠慮なく言うのよ!」
食卓というのは大勢で囲んでこそ価値がある。
同じ釜の飯を食うというのは連帯感や親近感に通じるからだ。尊敬するサラリーマン時代の上司の言葉を思い出す。
が、どうにもこうにも姦しい。
「ヘイゾーは食べるでしょ?」
「ああ、ありがとう」
給仕を取り仕切る裂海優呼が笑顔でバゲット一本を差し出してくる。
ここは俺の部屋なのに、テーブルを囲むのは四人。悪くはないのだがプライベートがない。
「殿下、お肉がまだありますから、どうぞ」
「……ゆうこ、わたしはこんなに、たべられません」
「案外ペロリとイケますよ。それに、食べないと大きくなれません」
「それはお前も同じだ。平原でももう少し起伏がある」
ピタリ、と裂海の動きが止まる。
「……さかき、いけません」
「殿下はもっと食べてください。フォアグラ用のガチョウとはいいませんが、せめて子豚くらいにはなってほしいところです。その真っ平らを少しでも平均に近づけるのが私の仕事ですから。タンパク質と脂質は成長に不可欠ですよ」
「ヘ、ヘイゾウさん……」
視線を横に向けるとノーラが気まずそうにしている。
「ヘイゾーのバカ!」
「……ひどいこ」
正面に座る殿下は涙目になり、斜向かいにいる裂海はテーブルの下で蹴ってくる。
自分としては正直に述べたつもりなのだが、お気に召さなかったようだ。
「今のはダメです」
「二人にこそハッキリという必要がある。なにせ、近衛一番の無鉄砲と第一皇女殿下だからね」
苦言を呈するノーラを諭していると、唇の端にソースが滲んでいるのに気付いてしまった。
「ノーラ」
「えっ? ちょっと……なんですか?」
「動かない」
膝に置いてあったナプキンで口元を拭えば顔を赤くする。
「美人になったよ」
「や、やめてください」
恥ずかしそうに身を捩る。
こうした顔をしているとようやく年相応か。普段の彼女はどうも大人びて見えてしまう。
ノーラの反応に満足して正面を向けば、殿下も裂海も頬を膨らませていた。
「ヘイゾーって、女の子に甘いわよね!」
「心外な。殿下にだって甘いし、お前にだって甘いだろう」
個人的には甘やかし過ぎているくらいだ。
なのに、二人の頬は膨らんだまま。釣り上げられた河豚のようですらある。
「ヘイゾーは胸が大きいのが好きなの?」
「はぁ?」
「ノーラくらいあればいいの? 副長くらい? それとも伊舞さんくらい?」
「あのなぁ……」
「だって、私じゃあ物足りないんでしょう? 平らって言ってるし!」
ほら、と裂海が自分の胸を寄せて見せる。
近衛服の上からなので、谷間など微塵もない。
「物足りるとか足りないとかじゃない。大事なのは健全かどうかだろ? お前は仕方ないとして、殿下は明らかに平均以下だろ」
「私だって仕方なくないもん! 食べても食べても太らないんだもん!」
「だから心配してる。わかったら俺にかまわずもっと食え。殿下もよろしいですね? 殿下?」
裂海と不毛な会話を続けている間に、殿下は自分の顔にステーキソースでお絵かきをしている。
いつからそんな面倒な趣味に目覚めてしまったのか。
子供とは不可解極まりない。
「優呼、殿下の顔を拭いてやってくれ。それじゃあ嫁の貰い手がいなくなる。陛下と皇后さまに合わせる顔がない」
「ヘイゾーのバカ!」
「……ひどいこ」
今度は殿下も一緒になって蹴られてしまった。
心配しているのに、恩を仇で返された気分になる。
にぎやかな食事は当分終わりそうになかった。
◆
「じゃあ、そろそろ行くわ」
時刻は二一時。
翌日も予定があるのか、裂海が立ち上がる。
「……わたしも、おいとま、します」
珍しく殿下も立ち上がる。
今日もノーラと泊まっていくのかと思ったが、御所へ戻ってくれるらしい。
「優呼、悪いんだが……」
「分かってる。殿下は私が送っていくから、ヘイゾーはゆっくりしてて」
「お見送りします」
「いーからいーから! ノーラも座ってなさいよ!」
裂海は上着を羽織り、靴下を履きなおしてから殿下を小脇に抱える。
「……ゆうこ、さすがにこれは」
「殿下に合わせて歩いたら夜が明けちゃいますから」
「……そんなことは、ありません」
「じゃあね!」
抗議するちび殿下を意に介さず、嵐の様に行ってしまう。
裂海のスタンスは一貫している。あれはあれで敬っているというか尊重している結果なので口は挟まない。
しばらくノーラと二人、無言のままテレビを見つめる。
この後はどうしようか。俺としては一人になりたい時間。
そんなことを考えていると懐で携帯電話が鳴った。画面には鷹司の文字。
「はい、榊です」
『私だ』
声のトーンが低い。
あまり良い連絡ではなさそうだ。
「これは鷹司副長殿、こんな夜分に私の様な木っ端へどのような御用向きでしょうか?」
『道化を演じさせたら一級品だな。殿下は近くにいらっしゃるのか?』
「先ほど優呼とお帰りになりました」
『好都合か……』
「その様子では、やはり引き渡すことになったようですね」
ノーラが顔を上げる。
引き渡し要求や各国への亡命申請が阻害されたことは彼女にも話している。
隠しておけることではなく、新聞や報道を目にすれば分かってしまう。
だとしたら、真実を聞かせてやるのが俺にできる全て。
『デメリットが大きすぎる。近衛云々よりも国際的な非難は避けたいというのが近衛府としての見解だ。すまないが、私にできるのはここまでだ』
「結果は見えていましたので、副長はお気になさらないようお願いします。むしろ、よく日にちを稼いでいただきました」
『……榊』
「なにか?」
『貴様はどうするつもりだ?』
「ですから、聞かないでください。私も動き辛くなります」
『…………』
沈黙が長い。鷹司は立場や倫理、国益に雁字搦めにされて動けない。
まぁ、それが周囲の狙いなのだろうというのは近頃分かってきたこと。
一人で国を左右するかもしれない存在を責任の軽い大隊長にしては置けない。
無理やり副長という立場を押し付け、緩衝材にすることで抑え込んでいる。人とはつくづく賢い。
「大丈夫です。上手くやりますから。私の交渉術については副長もご存じのことと思います」
『それだけに不安が募る。口が上手い奴ほど信用できないからな』
「褒め言葉と受け取っておきます」
『引き渡しは一週間後だ。これは城山先生の御助力もある』
「十分です。ありがとうございました」
『……近衛の年末年始は忙しい』
「はい?」
『人手が足りなくなるからな。四つも減らしてくれるなよ』
「承知しました」
通話が切れる。鷹司の甘さに笑ってしまった。
携帯電話をソファーに投げ捨て、ノーラへと向き直る。
「ノーラ、君には一度死んでもらうことになった。勿論、世間的には、だけれどね」
できるだけ軽めに言ってみたのだが、ノーラの表情はが強張る。
まぁ、仕方がない。
「おいで」
「はい」
手招きをして二人で先ほどまで食事をしていたテーブルへと移動する。
用意するのは刀。
「前にも話したが、君は近衛としての適性がある。覚めたものの最大の長所は回復力だ」
刀を抜き、腕に押し当てて引けば真っ赤な血が飛ぶ。
ノーラは顔色を悪くするが、背に腹は代えられない。血にも少なからず慣れておく必要がある。
「俺の場合、このくらいの切り傷なら一分もかからない」
喋る間に流れていた血が止まって固まり、傷口を瘡蓋が覆う。
剥がれ落ちれば痕も残らない。
「ある程度は治るということですね」
「ああ。だから、最悪の場合、自分で刺してもらうことになる。そうなる前にこれでカタが付けばいいんだが……」
部屋の片隅に置いてあるペットボトルを指さす。
中には白い粉が詰まっている。
「それ、なんですか?」
「カルシウム粉末だよ」
食堂で出た魚の骨やアサリの貝殻を焼いて砕いたもので、これを遺骨代わりに使おうと考えていたものだ。
最初はノーラをすでに死亡したことにして、城山からこれを遺骨として提出してもらうつもりだったのだが、政府の監視が強くなったことで難しくなった。
こちらが死亡を偽装しても検死や死亡診断書はやはり役所が作る必要性がある。
これらも偽装したとして政府との意見が違えば信憑性が薄い。
政府を抱き込めれば一番いいのだが、城山と敵対している以上難しい。
金で丸め込むのも限界がある。
「鍵は騎士王殿……か」
「えっ?」
「いや、なんでもない。続きだ。刺すのは帰国の当日、シチュエーションがどうなるか分からないから、準備だけしておくように」
「私は、今刺しても構わないんですよ?」
ノーラは伏し目がちにつぶやく。
そんな顔は見たくない。
「親の敵も取らず、祖国を捨てて生きるのですから」
「違う。ご両親を弔い、祖国に祈るために生きるんだ」
「日桜殿下も同じこと仰っていました」
弱々しく笑う姿は痛ましい。
気持ちが折れてしまうのが一番困る。
「ノーラ、殿下の御意思を無駄にはしないでほしいな」
「……怒らないのですか?」
「なにが?」
「私は貴方に嘘を付いて、日桜殿下に取り入ったんですよ? 騙して、手懐けて、利用してやろうと思ったんです」
ノーラの独白に、言葉が出てこない。
結果とは過程を問わないものなのだが、この子は違うのだろう。
「それで……お父様が助かるなら……そう、思っていました」
「結果として、そうはならなかった。殿下は騙されたといったか? 手懐けられたのか? 利用できたか?」
泣き出しそうな顔でノーラは首を振る。
懺悔、忸怩、慟哭、いずれか、いずれもかと綯交ぜにして、表情を作ろうとしている。
「私は……なんのために……、貴方を、貴方たちを……」
「もういいんだ」
小さな頭を撫でる。
ノーラの髪が柔らかい癖毛だということも、今の今まで気付けずにいた。
「君には感謝している。あのちんちくりん殿下の遊び相手を買って出てくれたんだ。今までは俺一人で大変だったんだぞ?」
「……本気ですか?」
「ああ、強情で意地っ張りで融通が利かなくて、おまけに我儘だ。これからも相手をしてもらわないと困るよ」
「最低です」
感情混ぜ合わせたぐしゃぐしゃの顔でも笑ってくれた。
それでいい。そうでなければ困る。
「いいか、君はまだ覚めて間もない。伊舞さんや優呼の話だと、幼いころは発現が不安定だから、無理に実験をする必要はない」
「じゃあ、なにをするのですか?」
「たくさん食べて、たくさん眠っておくことだ。大丈夫、俺に任せておけばいい。あとはミアの世話かな」
挨拶の様に小さな頭を軽く叩き、立ち上がる。
「どこへいくの?」
「野暮用だ。いいから寝ていてくれ。でないと殿下のところに連れて行くからな」
「……わかりました」
あきらめたように肩を落とすのを見届けてから部屋を出た。
向かうのは港区、芝居をするには役者が足りなかった。
◆
裂海優呼を一言で表すならば飾らない女、である。
外見上の問題ではなく、言葉や態度で虚飾をしない。良きも悪くも表裏がない。
「殿下、お付き合いいただき感謝します」
「……ゆうこにいわれては、ことわれません」
近衛寮の廊下を歩きながら、裂海と日桜は言葉を交わす。
二人が連れ立って部屋を出たのは裂海から日桜へとされた提案によるものだった。
「私思うんです。最近のヘイゾーはなんかおかしい、って」
「……はい」
「ヘンになったのは京都へ行ってから。妙に落ち着いている気がしませんか?」
「……おもいます」
裂海が制服の内側に手を入れ、取り出したのは紙束。
「そこで手に入れたのがこれです。ヘイゾーが書いた京都での報告書完全版」
「……かんぜんばん」
「私たちが閲覧できるものはかなり添削されたものです。ですから、こうして副長の部屋からちょろまかしてきました」
「……それは、いいのですか?」
「副長のお部屋を掃除したときたまたま見つけたので借りただけです。副長ってば殿下が掃除しないから今は私にさせるんですよ?」
「……ごめんなさい」
抱きかかえられながら日桜が謝る。
鷹司が聞いたら卒倒しそうな会話だ。
「で、ついでにこれも見つけちゃいました」
「……? あどれす、ですか?」
報告書の裏にはネットワークのアドレスらしきアルファベットと数字が羅列されている。
それだけだと日桜は分からない。
「近衛で使っている車にはすべて位置情報が記録されています。いつどこへ行ったのか、ここにアクセスすると分かるようになっています」
「……?」
「今回のことでヘイゾーは何か企んでいます。確実です。でも、それがどういった方向性なのか、私にはわかりません。殿下はお分かりになりますか?」
「……いいえ」
寮の敷地を出ると、裂海の足は御所ではなく近衛本部へと向く。
「ノーラを迎えに来ているのは騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセンです。ヘイゾーが何をするのか分からない以上、楽観ができません」
「……それは、ふあんにおもっていました」
「ですから二人で分析をしようというわけです。ヘイゾーの足取りをたどって行けば見えてくるものがあるはず。あとはこの報告書と殿下がいればヘイゾーの行動から考えを推察できるのではないかと思ってお連れしました」
「……なるほど」
二人がたどりついたのは鷹司霧姫の執務室、ここならば外部へ接続できるパソコンがある。
鍵が掛かっていないのは先刻承知。なにせ、鷹司霧姫はズボラだ。
「京都で何が起こったのか、そして今ヘイゾーは何をしようとしているのか、私は知りたいんです」
「……ゆうこ」
執務室に入ると裂海は鍵を締め、椅子へと腰掛ける。
日桜を膝に乗せ、パソコンを起動するとアドレスを打ち込み始めた。
「……ゆうこ」
「なんです?」
「……わたしは、さかきを、しんじたい、です。しんじるだけでは、だめ、ですか?」
「それは私も同じです。でも、信じることと、できることは別です」
「…………はい」
「少し大目に見てください。ヘイゾーも、ノーラも失いたくありませんから」
「……わかりました」
「ありがとうございます」
笑顔を交わして、二人は画面を注視する。
映し出された画面には複雑な記号や矢印、暗号と思しき単語が羅列されている。
どこをどう触っていいのか、二人が考えあぐねていると画面上に新たなメッセージが表示される。
クリックすると一台の車が動き出したことを知らせていた。
「護送車がこんな時間に?」
裂海はパソコンやネットワークに詳しくない。
それでも最近のシステムはかなり親切に作られている。クリックを重ねれば、画面の隅に動画が表示された。
「……ゆうこ、これ、さかきです」
「えっ?」
画質はあまりよくないものの、映し出されているのは車の進行方向とバックモニター。運転席を映したものには榊平蔵らしき男性が見えた。
「ヘイゾーは今、運転しているってことですか?」
「……そうだと、おもいます」
「さっきまで部屋にいたのに……」
音声が届くわけでもないのに、二人は息を殺して画面に見入る。