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九話



「まさか殿下が出てくるとは思わなかったな」


 散々だった午前が終わって午後は訓練。

 というわけで道場へ向かう。

「減俸にされなかっただけマシか」


 食事の件があったので注意程度ですんだのも不幸中の幸いだった。

 挽回とばかりに気合いを入れ直して午後に臨む。

 指定されたこの建物は近衛の敷地の端、とはいえ小さな家なら数個、庭付きで入ってしまうほどの広さがある。

 まだ時間はあるが早い分にはいいだろう。


「なにすんだろう……って」


 驚いたことに、中にはすでに人がいた。

 白髪にシワの多い顔、なのに妙な若々しさがある。

 白の筒袖に紺色の袴は時代劇にでも出てきそうな風体。

 いかにも前時代の頑固ジジイ。


「ほう、ずいぶんと早く来たな。最近の若いのにしてはよい心がけだ。ああ、靴はそこで脱げ、靴下もだ」

「は、はぁ、失礼します」


 言われたとおりブーツと靴下を脱いで畳敷きの道場へとあがる。

 い草の香りと一緒に何ともいえない汗と血が混じったような臭気が中に立ちこめていた。


「ワシは鹿山小次郎。近衛の顧問をしておる」

「榊平蔵と申します」

「まだ時間には早いが、ここではこの服装で稽古をする。稽古を受ける立場なら、どうやって待つか分かるな?」


 鹿山と名乗るジジイが自分の服装を指差す。

 これは体育会系にありがちなパターンといえるだろう。


「着替えてから待つ、でしょうか」

「その通りだ。時間通りにノコノコ来るようならケツの一つでも叩いてやろうと思ったが、時間前行動、しかもかなり余裕を持ってきたことは誉めてやる。一般社会というのも良い教訓があるようだな」

「あ、ありがとうございます」


 ジジイが快活に笑う。

 日頃の行いの良さに感謝する。

 次からは二〇分くらい前に行動しよう。


「その意欲に免じてなるべく優しく手ほどきをしてやろう。なるべく、だがな」

「……お手柔らかに」


 意地の悪い笑みを向けられるがあまり嬉しくない。

 ジジイにして欲しい手ほどきなんて一つもないが、とりあえず笑っておくことにした。


「さて、始めるぞ。とりあえず着ているものは全部脱げ」

 これも裂海の時と同じパターン。

 恥ずかしいと抵抗すれは身を滅ぼすことになる。


「今時褌か……」


 下の褌、腹は晒しをかなりキツく巻く。

 その上から筒袖、袴の順番で身につける。


「どうだ、いいか?」

「大丈夫です」

 仕方がない、高額な報酬をもらっているのだからこのくらいは甘んじよう。


「あら、もういる」

 着替えが終わる頃、道場に長身の妖艶ともいえる美女が現れる。

 白衣を身にまとってはいるが、その下には近衛の制服、腰にぶら下げているのは長刀。

 内巻きの髪で良く見えないが、目付きは鋭い。肌の感じからするとおそらく二十代後半、鷹司と同じくらいか。


「おお朝来。早いな」

「なんだ、もう始まってるの? 新人イジるの楽しみにしてたんだけど」

「こやつ、殊勝なことに早めに来てな。イビり損なったわ」

「なぁんだ」


 二人とも本気でつまらなそうにしている。

 良かった。早く来て本当に良かった。


「榊平蔵と申します」

伊舞朝来(いまいあさこ)よ」

 敬礼をすると首肯で返される。

 何となく偉そうな感じがする。


「それで、格好だけは整えたみたいだけど、これからどうすんの?」

「とりあえず適性を見ようかと思っての」

 鹿山のジジイはつかつかと歩いて道場の一番奥まで行くと台座に置いてあった一振りの刀を持ってくる。

「ホレ」

「適性って、そういうことですか?」

「当たり前だ。他に何がある」


 個人的には少し腰が引ける。

 鷹司の時もそうだったが、刀は心地良い反面、どこか怖い。

 自分が知らない自分になってしまうような気がしてしまう。

 下手をすれば本来の自分へは戻ってこれないのではないか、そんな不安すら抱いてしまう。


「なんだ、及び腰ではないか」

「怖いんでしょ? 最初なんてみんなそんなものよ」

 

 的確に言い当ててくる。

 二十歳をすぎた大人が怖いとかあまりいいたくない。

 しかし怖いものは怖い。察するなら黙ってて欲しい。


「心配ない。ここにはワシも、朝来もいる。暴走などしない。それどころか良い気分になれるぞ」

 

 ホレ、と押しつけられる。

 触れた瞬間、体の奥底から何かが溢れでる。

 湧き上がる熱のようでもあり、染み入る凍えのようでもある。

 刀を持っただけだというのに身体中が高揚する。

 こうしているだけで、どうにかなってしまいそうだ。


「深呼吸なさい。大丈夫よ、井上真改は小次郎のだし、良く慣れているわ」

 

 伊舞に促されるまま、とりあえず深呼吸をする。

 一呼吸ごとに快楽の波は薄れ、次第に落ち着いてくる。


「うむ、大丈夫そうだな」

「これで暴走したら立派よ」


 身も蓋もない。

 まぁ、下手に気を使われるよりは楽だ。


 改めて手の中にある刀、井上真改をみる。

 黒塗りの鞘に燻し銀の鍔、紺色の柄。

 重さは手に馴染むくらいで、確かに落ち着いた感じがある。なんというか、鷹司の刀とは少し違うような気がした。気性と言うか、持っている性格といえばいいのか、漠然とではあるが。


「よし、次だな。腰帯の間に刀を差せ。腹、反っている方を上に向けろ」

 いわれた通りにぎっちりと強めに巻かれた帯の間に鞘を差し込んで、反っている方を上に向ける。

 これだけで時代劇の気分だ。


「抜刀するときは鞘元を左手で軽く握る。柄は鍔元が良かろう。次は鯉口を切る」

「鯉口、ですか?」

「そうだ。柄を握ったまま鞘を少し引くんだ。よいか、鞘だぞ」

「こう、ですか?」


 柄を動かさず、鞘を引く。

 すると銀色の刀身が少しだけ見えた。


「っと……!」

 油断をするとここでも快楽の波に襲われる。

 気を引き締めるように腹に力を入れながらやることにしよう。


「鯉口を切ったら柄を前に引き出すように抜け」

 柄を持った手を前に出すと反っている峰の部分が重みでするりと動き、

「……抜けた」


 思わず感嘆の声がでる。

 井上真改の刀身は顔を映せそうなほど滑らかで、背筋が凍るような切れ味を予感させる。

 刀の表面、波を想わせる模様も綺麗だ。それに、持っているだけでどこか心地いい。


「どうだ、良いものだろう」

「はい」


 素直に感心してしまう。

 今まであまり興味はなかったのが不思議なくらい魅力的に思えてしまう。


「なによ、二人でニヤニヤしちゃって。こんなもの、ただの道具でしょ。使えりゃいいのよ」

「朝来、お主には美学がないのう」


 思わずジジイに同意してしまう。

 こんな綺麗なものを道具だとかいわれると少し傷つく。


「まぁいいわい。次は納刀だ。納めるときは鞘を大きく持ち上げて刃を迎えにいく。このとき切っ先がぶれて怪我をしないよう、初心者のうちは迎える方の人差し指を伸ばし、そこに峰を置いてから滑らせても良い」

「わかりました」

 

 今度はさっきの逆、鞘を伸ばして刀を納める。

 これも問題ない。


「どうだ、良かっただろう?」

「……はい」

「そうだろうそうだろう」


 ジジイがしたり顔で頷いている。

 悔しいが良かった。

 心地よさというか爽快感がある。


「触れたのだから、次は振ってみるか」

「振る? もう、ですか?」

「そうだ。だが、ただ振るのではないぞ。来なさい」


 ジジイに連れ出されたのは道場の鼻先、庭のような場所に黒い棒が何本も突き刺さっている。


「まず形はどうでもいい。これを切ってみろ」

「なんですか、これ?」

「気にするな」


 簡単に言われてもどうやったものか。

 とりあえず先ほど教わったように刀を抜き、時代劇のイメージで刀を構えてみる。

 しかし、この後がわからない。


「ほれ、どうした」

「ちゃっちゃとやってよね」


 ヤジが背中に突き刺さる。

 迷っていても仕方がない。


「いきます!」


 手にした井上真改を構えて呼吸を整え、黒い棒に振り下ろす。

「っ! なんだこれ?」


 異様な手応えに思わず腰を引きそうになる。

 それでも、体は勢いがつき、そのまま押し切った。

 分厚いスポンジとでもいえばいいのか、厚みのある柔らかな素材を包丁で切ったときのような、そんな感触が手に残る。

 地面に落ちた断面から覗くのは銀色の光沢。

 これは木や畳、植物性のものではない。金属の色。


「刀は納めていいぞ。どれどれ……」

 ジジイはしゃがむと切った方を手に取り、断面をまじまじと観察し始める。

 こちらはというと、さすがに驚いた。

 まさか金属を切らされた、いや切ったことに驚く。

 まじまじとみても刀身には刃こぼれも傷もない。


「どう?」

「ふぅむ、力は、まぁ合格の範囲だろう。だが、少し窮屈そうだったな。やはり打ち刀では少し短いか」

「身長が違うから仕方ないんじゃないの? リーチ的には太刀か野太刀くらいにみえたけど」


 伊舞も切り口に目を覗き込む。

 切れる、という事実を二人とも疑いもしない。


「刃長と腕がほとんど同じだからな。今時の若いモンは羨ましいものだ」

「ジジイのやっかみはいいのよ」

 二人で相談するのはいいが、こっちが置いてきぼりになる。少しは説明して欲しい。


「あの……どうでしょうか」

「おお、すまんな。お前さんの身長だと刀が少し短い感じがあってのう」

「短い? これで、ですか?」

「そう、井上真改ができたのは江戸時代。この頃の平均身長は一五七センチでアンタより頭一つ小さいの。重さも反りも当時の身長や体格に合わせて作られているから、窮屈そうに見えるのよ」

「はぁ、なるほど」


 個人的には違和感はないが、専門家がそういうのだからそうなのだろう。


「うむ、太刀を一振り使わせてみるか。待ってろ、今持ってこよう」

「私の使えば?」


 伊舞が腰を揺らす。

 尻に目が行きがちだが、ぶら下げた刀は井上真改よりも反りが強く、より刀らしい形をしている。


「疫病切か。お前さんの刀はちと物騒が過ぎるぞ」

「入隊式で霧姫の宗近触ってたんだから、大丈夫よ」

「そうかのう」


 ぼやくジジイとへらへら笑う伊舞。

 ジジイに年若い伊舞が敬語を使わないというのも違和感がある。

 これはこれで事情がありそうだ。


「聞いていたな、次はこれだ」

「……はい」

 

 井上真改をジジイに渡し伊舞の刀、疫病切を借りる。

 朱と黒に彩られた鞘にくすんだ金色の鍔、柄に至っては黒い斑点模様がおどろおどろしい。

 先ほどの井上真改よりも重く、長い。それに、どこか気分が悪くなるような、禍々しさと例えればいいのか、そんな気配が感じられた。


「気分が悪くなったらすぐに手を離せよ」

「わかりました」

 とりあえずは大丈夫、だとは思う。

「太刀を抜くときは反りを逆にして抜け」

「わかりました」

「ではもう一度だ」

「はい」


 疫病切を抜いて先ほどと同じく正面に構え、先ほど切った鉄柱にもう一度振り下ろす。

 重い衝撃。

 今度は金属バットで泥の固まりを打ち据えたような手応え。


「そこで腕を引け」

「っ!」


 ジジイの声に引き手を強くすると簡単に抵抗が消えた。

 するりと切断された鉄柱が地面に落ちた。


 切れる。

 それに、気持ちいい。

 刀自体が手に馴染むような感覚。

 

 そこに切ったという満足感が加わる。

 心地の良い酔い、といえばいいのか。

 神経の一本一本まで痺れる陶酔感といえばいいのか、不思議な感覚だ。


「やはり太刀だな。野太刀でも良さそうだが、長すぎては扱いにくいだろう」

「思ったよりも反応が早かったわね。運動をしていたのは数年前って報告書にはあったけど、勘はあるみたい。動きも結構スムーズだったし、骨の動きも悪くないわ」

「そうだな。なんとかなりそうだ」


 二つの刀に大きな違いは感じなかった。

 強いていうなら疫病切りの方が力が伝わりやすかったか、という程度のもの。


「今日はここまでとしよう。後はさっさと飯を食え」

「もういいんですか?」

「副長から聞いている。貴様には覚めたものとして基本的な知識を教えねばならん」


 食事の一件がもう伝わっているらしい。

 大事ならさっさと教えてほしいものだ。


「そんな顔をするな。悪かったと思っておる。しかしだな、市井から出てくるとは予想もしていなかったのだ」

「……よろしくお願いします。私も熱量不足で倒れたくはないですから」


 今はせいぜい皮肉をいうのが精一杯だった。



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