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一七話


 外務省から近衛寮に戻ったのは日も沈んだ頃。

 晩秋に差し掛かり、風は冷たくコートなしでは身震いしてしまう。


「ん?」


 部屋の前までたどり着き、鍵を取り出そうとすると中から声が聞こえた。

 別段隠すものもないのだが、外出するときは鍵はかけている。

 それが最低限のプライバシーだと思っているのだが、通用しないらしい。


「誰だよ、ったく」

 

 ドアを開けると、そこには立花がいた。

 リビングのソファーに座り、猫の相手をしている。


「よぉ、お帰り」

「ただいま」

「暗いぞ榊、人生はもっと楽しまなきゃな」

「だったら楽しめるような環境にいさせてくれ」


 若干の安心感を覚えつつ、革靴を脱ごうと思ったところで嫌なものを見てしまった。

 靴がある。それも何足も、だ。

 ため息をつきつつ、自室に上がる。


「俺は止めた」

「結果が伴わなければ過程の大半は無意味だと学校で教わらなかったか?」

「テストなら三角くらいはくれるさ」

「どうだか」


 他愛もない会話をしていると、立花が親指でキッチンを指す。

 そこには小さいのが二人。


「……さかき、おかえりなさい」

「おかえりなさい」


 殿下は真っ白いワンピース、ノーラはシャツにハーフパンツという部屋着スタイル。

 二人ともエプロン姿。


「……! さかきがすーつをきています」

「ああ、これですか? 所用がありまして」

「……かっこいい、です」


 褒められても別にどう、ということはない。

 かつての俺にとってスーツは普段着であり、同時に作業着でもあった。

 今回はその頃の自分を間借りしただけで感慨はない。


「それはどうも。殿下もお美しく存じますよ」

「……うれしい、です」

「ノーラも似合っているよ。とても殿下と同い年には見えないな」

「ありがとうございます。でも……」


 社交辞令でちび二人を褒めたのに、片方が膨れる。

 殿下は垂れ目を精一杯吊り上げるのだが迫力は皆無だ。


「……さかき、どこをみましたか?」

「はい?」

「……しんちょうですか? それとも……」

「無論どちらも、です」

「……ひどいこ」


 足を踏まれても痛くも痒くもない。

 精進料理の割合は減らしているのに、体重が増えないのが今の悩みだ。


「それよりも、何をしていたのですか? 想像に難くないですが……」

「……のーらちゃんと、ごはんをつくっていました」


 笑顔を咲かせる殿下に頷きつつ、ノーラを見る。


「日桜殿下があなたに食事をつくりたい、と」

「なぜ止めてくれなかったんだ」

「無理です」


 ノーラが苦笑いを浮かべる。

 このところ笑顔が少なかったのだが、今日は明るい。


「それで、何を作っていたんですか?」

「……はんばーぐ、です。ざいりょうは、もってきました」


 ちび殿下が手をこちらに差し出してくる。

 小さな白い手にはひき肉がべったりと付き、袖口まで及んでいる。


「包丁の使用は阻止したぞ」


 背中からは立花の声。

 なるほど、最低限の仕事はしたらしい。


「後は焼くだけなんですけど……」


 ノーラの目配せにシンクを見れば洗い物が山になっている。

 まぁ、不慣れなことをすれば目に見えていることだ。目くじらを立てることもない。

 しかし、教育は大事だ。上着を脱いでハンガーに掛け、シャツを捲る。


「殿下、私もお手伝いしますので、まずは一緒に洗い物からです。ご自分で使った分は洗うのが料理の鉄則、食事はそのあとにしましょう」

「……はい」


「ノーラ、君はリビングでテーブルの用意をしてくれ。立花、悪いが食堂からパンとサラダ、スープの調達を頼む。肉だけで済ませるわけにはいかないからな」

「わかりました」

「オッケーだ」


 きびきびと動き始める二人に感謝しつつ、殿下に手を洗わせる。

 すると、殿下が背伸びをして俺の耳元へ寄った。

 

「……さかき」

「はい?」

「……のーらちゃん、わらってくれました」

「そのようですね。ご配慮感謝いたします」


 一緒に手を洗い、次は殿下にスポンジを持たせて洗剤を付け、ひき肉や卵塗れとなったボウルや皿を洗っていく。


「殿下、今しばらくノーラのことをお願いします」

「……はい」

「ありがとうございます」


「……さかきも、むりをしないでください」

「私は大丈夫です」

「……でも、です」

「承知しました」


 返事をすれば花の様な笑顔を向けてくれる。

 官僚の園である外務省でのやり取りで殺伐としていた心が、ようやく平穏を取り戻す。


「榊、持ってきたぞ!」

「こちらも準備できました」


 洗い物を終えるころ、立花が戻り、リビングも支度が整う。


「……はんばーぐ、やきましょう」

「はいはい。ですが、焼くのは私、殿下は見学です。火傷されたら副長に首を切られますから」

「……けちんぼ」


 膨れる殿下に気まで抜ける。

 この時はまだ背後に忍び寄る闇を知らなかった。



     ◆



 松濤の城山邸では二人の政治家が顔を突き合わせていた。

 一人は家主である城山英雄、もう一人は外務大臣である鈴木寿夫。


 血飛沫で汚れた畳は一日を経て綺麗なものに替えられ、名残はわずかな鉄錆の匂いだけ。

 だが、政治家二人はたとえ血が見えようとも気にせず談笑をするだろう。


「城山先生、傑作でしたよ」

「やはりかね?」


 外務大臣鈴木寿夫は五〇がらみの、いかにも真面目そうな男だ。

 袖や首、顔の見える肌は真っ白でいかにも生気がない。

 なのに、ぎょろりとでっぱった大きな目は爛々としている。


「上村の顔といったら、真っ青でした。余程怖かったとみえます」

「彼は、確か中東アフリカ局にもいたことがあったね。銃弾飛び交うアフガニスタン大使館を経ても刀一本の近衛を恐れるか」


「人の眼ではない、といっていました。上村ほどの人間を畏怖させるような眼だとしたら、私も拝んでみたいものです」

「それは……止めた方がいいな。少なくともあと五年、いや一〇年は……ね」

「先生ともあろう御人が、出し渋るのですか?」


 鈴木の好奇心が騒ぐ。

 出世コースに乗る怖いもの知らずの上村を恫喝し、総裁選にまで名乗りを上げる城山を脅すとは、いったいどのような人物なのか。


 鈴木は榊平蔵本人を知らない。

 それでも部下からの報告、防犯カメラの映像から立ち振る舞いや所作には人となりは映る。

 若き外務大臣には武士というよりもサラリーマンといった方が馴染む青年の本性が分からなかった。


「君は総理大臣を狙うんだろう?」

「勿論です。政治家である以上、総理の椅子こそまさに本懐」

「だったら、なおさらだ。五〇では寿命が縮む。せめて六〇、自らの最後が見えなければあの眼と対峙するには苦しいと思うよ」


 突如として真剣な顔をした老政治家に、若き大臣は息を呑む。


「そ、それほど、ですか?」

「夏に会ったときは、甘っちょろい坊主だった。しかし、どうして見違える。今では本身を突きつけられている気分になるよ」


 城山が場を支配し、外務大臣の喉が鳴る。 

 鈴木は今の今まで言うべきか、言わざるべきか迷っていたが、ここまで聞かされては伝えないわけにはいかない。


「そのことですが、お耳に入れたいことが……」


 鈴木は部下から聞いた言葉をほとんどそのまま伝える。

 大陸派を容認するかのような問いかけに、刀での脅しともとれる行為。そして城山英雄本人をも害するような発言。


「っはっは」


 城山が声を上げる。

 あぐらをかいた膝を叩き、押さえようとするのだが、こらえきれずに溢れた、そんな声。


「それでか……上村君も肝を冷やしただろうね。そうか、彼は……そんなことを」

「笑い事ではありません。よもやとは思いますが、彼も大陸派ということは……」

「それはない。大丈夫だよ」

「そう……でしょうか」


 鈴木の心配性は長所でもあり短所でもある。

 城山にとって鈴木は派閥内の、優秀な手駒。


 政治家に友人はいない。

 鈴木の野心は城山の後釜であり、派閥継承によって外務大臣から幹事長、そして総裁を目論む。

 提言には耳を貸さねばなるまい。


「宣言だな」

「宣戦布告……ということですか?」


「いや、そこまでの意図はないだろう。自分がやるべきは派閥争いではない。巻き込むな。そういう宣言だ」

「城山先生にまで刃を向けるというのは、どうされますか?」


 危機感を訴える鈴木に城山は顎に手を当て思案する。

 単なる脅し、と捉えるのは簡単だ。

 しかし、人間というのは考えもしないことを口にはできない。つまり、榊平蔵は切ることを踏まえている。


 榊平蔵がその気ならば、躊躇うことはしないだろう。

 だとすると、今はまだ利用価値があるとみているのか。


「どうもなにも、今まで通りだ。近衛を使うとはそういうことだよ。なにせ、彼らは人の形をした軍隊だ。如何に政治家、官僚といえどものの数ではない」


 鈴木はごくり、と喉を鳴らす。

 人の背後に血を見た気がしたからだ。


「それよりも、せっかく榊君が手綱を付けてくれたんだ。今のうちに省内を掌握しておくように」

「は、はい、勿論です。官僚自らが助けを求めてくるなど、普通はありませんので、上手くやりたいと思っております」


「それがいい。官僚はとても優秀で、自己解決能力もある。しかし、それだけではどうにもならないことも自覚してもらう必要がある」

「そのようで」


 城山が目を細める。

 近衛、いや榊平蔵という現物を見たことで、外務省官僚たちの中には恐怖が植え付けられたことだろう。

 国家権力、法的効力、守るものが一切なく、丸裸の人間として強者と対峙すれば誰でも恐怖心を抱く。


「さて、我々は我々の仕事に戻るとしよう。頼んだよ」

「承知しております。では、失礼します」


 辞する外務大臣の背中を見送りながら、城山はほくそ笑むのだった。



     ◆



「城山に不穏な動き?」


 不快感を露わにしたのは現在の内閣総理大臣。

 首相官邸内にある会議室には彼を含め、派閥を同じくする官房長官、副総理、防衛大臣が首を揃えていた。


「確かな情報なのか?」

「外務省からリークがあり、入国管理局へも確認をしましたから、間違いないと思われます。旧トランシルヴァニア、現在の新生ルーマニア共和国から手配を受けている王女は日本にいます。それも、どうやら城山英雄の縁戚とか」


 官房長官の言葉にそれぞれの秘書からエレオノーレの写真が配られ、同時に商社を営んでいた城山の父、トランシルヴァニアへ嫁いだ城山の叔母との関係を記すメモが渡る。


「ふむ……」


 総理大臣が唸り、官房長官と副総理は視線を交わす。

 三人は同じ派閥であり、その長は総理大臣。

 しかし、城山英雄とは違う派閥だ。


「あの老いぼれは次の総裁選を目指している」


 どっかりと椅子に座り直し、顎に手を当てた。

 一期目の総理大臣は財界からの後押しを受け、経団連を取り込んでから足場を固めて総裁選に勝利した。

 年齢は五五歳とかなり若く、当然の再選を果たし、長期政権への足がかりとしたい。


 しかし、今は先行きが怪しくなってきている。

 後押しをしてくれた財界、特に関西の財界は城山への手出しをしたがらない。

 あれだけ田舎者だと罵っておきながら、先日行われた帝国軍へのレアメタル納入で競り負けてからは息を潜めてしまった。


 理由を問うても返事はない。

 あれを切っ掛けに城山は莫大な資金力を背景に影響力を関西や九州まで伸ばしている。

 経団連は儲かる方へ付くので当てにならない。


「実に厄介だな」


 派閥長の忌々し気な言葉に、官房長官と副総理は頷いて見せる。

 彼らからしても城山英雄の台頭は自らのポストと地位を失うことにもつながりかねない危険な存在だ。


「トランシルヴァニアのことについては新聞とニュースで聞いてはいた。だが、日本には関わりが薄い。党内での内紛を露呈するよりは見て見ぬふりを決め込むのが正解なのだが……」


「総理、これは好機です。国際社会への貢献は支持率の上昇につながります。後援が期待できない以上、世論を味方につけておかねばなりません」


「旧トランシルヴァニアは政権を追われた後、住民の虐殺をしたとの報道もあります。そんな王族を匿っていたのでは、露見したときに党としての支持率は大きく損なわれる」


「虐殺報道は私も見ている。官房長官、裏はとれているのか?」

「どうなんだ?」


 総理と副総理に問われた薄毛の官房長官は一度詰まり、秘書を見た。

 つまり、自分は知らない。


「総理、よろしいですか?」

「なんだね?」


 声を上げたのは官房長官の第一秘書。

 大蔵省出身の彼は黒縁眼鏡のブリッジを押し上げる。


「報道の真意を問う必要はありません。重要なのはこの件に欧州連合が関与していることにあります。こうなった以上、仮に報道が真実でなかったとしても、表に出ることはないと考えられます」


 官房長官の第一秘書は冷たい眼のまま続ける。


「真実が見えない以上は、迅速に動くべきです。逸早く情報を提供し、彼らへの貸しを作ることが肝要かと。今、欧州とは化成品の輸出問題で対立が続いています。今件が少しでも事態の進展へとつながるならば、経団連からの支持も期待できるでしょう」


「だがな、同じ党内の人間を我らから売れば遺恨が残る。城山は先の短い老いぼれだが、派閥内には外務省の鈴木や国交省の土井のような若い連中もいる。奴らを向こうに回すのは得策ではない」


 総理はかねてよりの懸念を口にする。

 警戒すべきは一人ではない。


「危惧されるのでしたら尚のこと早急に進めねばなりません。派閥も党も替えられます。城山英雄が去った後も皆さんは政治家なのですから」


 重鎮を前にしても押し迫る政策秘書に、議場は沈黙する。

 ただ一人、総理大臣だけは思案するように自らの指で額を叩いていた。


「君、策はあるのか?」

「大学の同期に野党の秘書が何人かいますので、それとなく話しておこうかと」


「あまり露骨では困るぞ?」

「野党へは城山英雄の身辺が臭う、という程度に留めます。同じ情報を各省庁にも流します。これで信憑性も増すはずです。欧州連合へは折りを見て総理から直接がよろしいかと」


 政治の世界において敵の敵は味方に等しい。

 利用できるものは何でも利用し、蹴落とすのも戦術。


「……わかった。私もたった一期で降りるのは避けたいからな。異論はあるか?」


 総理が見渡せば、首を横に振る人間はいない。

 異国の真実など誰もが無関心だった。



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