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一五話


 広いはずの自室が妙な圧迫感で包まれる

 時刻は二〇時、穏やかに過ごしたい時間である。


「……」

「……」

「……」

「……」


 キッチンの椅子には裂海と立花、リビングのソファーには殿下とノーラがいる。

 四つの視線が集中し、四つの意識が向けられる。呆れ、驚き、不信、笑み、そのどれもが俺を突き刺し、針の筵だ。

 悲しいかな、俺に寄り添ってくれるのは足元の子猫、ミアしかいない。


「ヘイゾー、一つ聞いていい? なんで殿下がいるの?」


 口火を切るのは裂海優呼、近衛を代表する切り込み隊長の顔には呆れが浮かんでいる。


「それには複雑な事情があってな。順を追って説明する」

「面倒だから短くまとめてね!」


 こいつはどうしてすぐに核心を突くのか。少しは遠慮してもらいたいものだ。体育会系は理不尽で困る。


「まずこの子はエレオノーレ・クルジュナ・トランシルヴァニア。東欧の革命運動、夜明けで崩壊したトランシルヴァニア王国の王女で、政治家城山英雄の縁戚にあたる」


 王女、という部分では揺らがなかった立花の表情が縁戚のあたりで曇る。

 遠い異国の、それも打倒された政権の関係者というよりも、この国で辣腕を振るう政治家の縁戚という方が気になるのは当然といえる。


「縁戚ってどれくらいの親等だ?」

「父親の妹の曾孫らしい」

「結構離れているな。城山英雄に子供はいないから、そのくらいならあり得るか」

 

 護衛部隊に所属する立花は政治家の細かい部分も知っている。


「彼女は東欧諸国で起こっている夜明けの被害者で城山先生からの依頼で匿っていたんだんだが、副長にバレた」

「なるほど。それで城山英雄からの正式な要請として榊の婚約者扱いで匿うことを継続する、と」

「正解だ」

 

 呑み込みが早くて助かる。

 裂海はといえば膨れっ面をしたままだ。


「なんで匿うのよ! 政治家がいるならウチである必要はないわ!」

「優呼、落ち着け」


 立花に袖を引っ張られつつも食堂での話を混ぜっ返す。

 こいつが怒っている理由は分からないが、まだ二人にもノーラが覚めたものであることは話せない。

 事情の複雑さが増すだけだからだ。


「京都での恩があって、そこからの城山先生のごり押しだよ。日本で一番安全な場所に置きたいらしい。そうでもなければ俺はともかく、副長が納得しないだろう?」

「本当? ヘイゾーが素直な時ってなーんか引っかかるのよね」

 

 正解だ。裂海の鋭さには舌を巻く。

 助けを求める様に視線を向ければ、立花が肩をすくめながらため息をついた。


「それで、殿下がいらっしゃるのはどうしてだ?」

「殿下には、副長よりも先にバレた」

「ぶふっ」

 

 立花が吹き、裂海は露骨に不機嫌そうな顔をする。

 俺だって部外者ならば同じリアクションをしただろう。しかし、当事者なので受け入れる。


「事情があったんだ。この子猫も含めて、色々、様々、奇々怪々と……」

「はー、榊はすごいな」

「なにがだよ」


「だって、この状況で生活してたって事だろ? 女の子がいて、殿下まで通ってきて」

「ま、まぁ……な」


 立花は驚きを隠くそうともせず、身を寄せ合う二人の幼女をチラ見する。

 殿下がいるので不躾にはしないものの、好奇心が潜んでいた。

 しかし、改めて言われると褒められた環境ではない。

 ただ一つ言い訳が許されるのであれば、俺自身が望んだことは何一つないことだ。


「……むねただ、さかきをせめては、いけません」

「はぁ、殿下がそう仰るのならば」

「……たいぎ、です」


 のほほん、とした笑みを浮かべる殿下。

 自分の存在が事態の混乱を招いていることを少しは自覚してほしい。

 俺としてはもう面倒なのでお引き取り願いたいところだ。


「殿下、良い子はもう寝る時間です。お部屋にお戻りください。ノーラも、自分の部屋があるだろう?」

「……さかき、そんなことをいってはいけません。のーらちゃん、かわいそうです」


 殿下は自分よりも大きなノーラを胸元へ抱き寄せる。

 俺が部屋に戻ってきてみれば、殿下とノーラはすでにいた。 

 どうやら別室にいたノーラを殿下が引っ張り込んだらしい。それからは髪を梳かしたり結ったりして遊んでいる。

 まるで、数日前からの日常を続けるかのようだ。その気遣いは分からなくもない。


「まぁ、なんだ……総括すると、榊は色々あって婚約者としてそのエレオノーレを匿う。殿下も知っている。ロリコンである、という理解でかまわないのか?」

「最後以外は概ね、な」


 多少のことでは驚かない立花が引いているのは俺としても心が痛い。

 日常はいつ戻ってきてくれるのだろうかと悲嘆に暮れる。


「質問なんだが、副長が了承したってことは、トランシルヴァニアのことで報道されているのはデマ?」

「副長と城山先生が調査中だが、デマが有力だ。あの国に化学兵器を作れるほどの施設はなかったらしい」

「この件における日本との関係、関連は? ただ匿うわけじゃないんだろ」

「欧州連合の動きが不可解でな。副長としては国際情勢を見据える腹積もりみたいだ」

「ふぅむ」

 

 立花も訝しんでいる。

 いくら事情があるとはいえ、ノーラを近衛で、しかも俺の婚約者として匿うのはかなり無理がある。

 これは城山を責めるしかない。


「とりあえずはノーラの亡命先が決まるまでの辛抱だ」

「なにが辛抱、よ!」


 立ち上がった裂海に蹴られる。

 理不尽極まりない。


「ムネムネ、行きましょう。ロリコンに付き合ってたらロリコンになるわよ」

「いいけど、お前も似たようなもんだろ? 胸とかガハっ!?」


 裂海に殴られる立花を見ながら苦笑いを浮かべるしかできない。

 きっと、近衛内での評価は似たようなものに違いないからだ。

 行ってしまった二人を尻目に、ミニマムへと向き直る。

 

「お伺いしますが、殿下はどこまでご存じなのですか?」

「……きりひめから、ききました」

「どの辺りまでですか?」

「……のーらちゃんが、さめていることも、おとうさまをなくされたことも、ぜんぶ、です」


 それはまた、難儀といえばいいのか、面倒が省けたと思えばいいのか。

 ちんちくりん殿下の眦が腫れぼったいのは一通り「何か」があった痕なのだろう。

 わざわざ聞きはしない。想像に難くはないからだ。


「では、婚約者というのも……」

「……しかたないこと、です」

「ご理解頂けてなによりです」


 ここだけは胸を撫で下ろす。 

 それにしてもありがたいのは鷹司だ。

 内心ではこの説明が一番面倒だと思っていたのだが、どうやら泥をかぶってくれたらしい。


「……さかき」

「なにか?」

「……どうか、よしなに」

「殿下」

 

 ちび殿下がノーラの手を握る。

 珍しい、どころではない。あまり感情や欲望を表に出さないのに、今は体中から滲んでいる。

 苦しいのだろう。それは俺も同じだ。


「殿下、お任せください」

「……はい。たのみます」


 意思を確認し合い、頷く。

 ただ一人、ノーラだけは殿下に抱かれたまま、宙を見つめていた。



     ◆



『榊君、少しいいかな?』


 ノーラを預かってから数日、城山からの待望の連絡は吉報とはならない。

 電話がかかってきたのは夜中、安眠を妨害されてしまった。


「先生の場合、ダメだと申し上げてもお聞き入れてはくださらないでしょう?」

『そうだね、じゃあ、率直に話そう。ノーラを預かってもらう期間が延びそうだ』


 向こうはざわついている。

 重なる声、争うような、それでいて囁くような応酬は会議室か何かだろうか。


「構いません、と申し上げたいところですが、刻一刻と私の評判が下がっている状況です」

『おや、まだ下がるのかい? もう地に落ちたと思ったんだけどね』

「地表を突き破って穿孔中、そのうちマントルまで到達してしまいます。いずれ地核で燃えつきそうです」

『それは大変だ』


 城山が声を殺して笑う。

 冗談じゃない、このままいったら俺は拭いきれない幼女性愛者の烙印を押されてしまう。


『実はね、シャム王国、東南アジア連合、ブラジル連邦、南アメリカ同盟、接触している各国から亡命を拒否された』

「……!」


 一転して重苦しい声の城山に思わず背筋が伸びる。


『ブラジルを含む南アメリカ同盟には大英帝国から圧力があったようだ。シャム王国には共和国とオスマントルコからの外交的圧力があったらしい』

「ノーラ一人のために、各国がですか?」


『信じがたい話だが事実だ。しかし、どうやら連携をしているわけではない。それぞれが、それぞれの都合で動いているといった状況だろう』

「……裏になにかがある、ということですね」

『それが分かれば苦労はしないんだが、仕方ないね』


 ため息が聞こえる。

 そうだろう、状況は悪くなる一方だ。


『榊君、私も情報を集めている最中だが、今件はかなり複雑な国際情勢の中にあるといっていい』

「単純な敵味方、西側東側ではないと?」

『一枚岩の組織や国などありはしないよ。誰もが己の利権を狙っている。世界は食うか、食われるか、それだけだ』


 政治家の言葉が重い。

 鷹司の執務室でみた報告書にも共和国の影があるとあった。

 実際には欧州連合内部での権力争いやオスマン帝国、北の覇者であるロマノフ連邦も思惑があるに違いない。


「先生、私も今回の件に共和国の主導ありという報告書を見たことがあります」

『ふむ、榊君はどこまで知っているのかな?』

「私の知り得る範囲など高が知れています。そこからは想像でしかありません」


 正直な白状に城山が黙る。

 互いに気付いている頃だが、情報の出し惜しみをしている場合ではない。

 だが、機密は機密だ。こうした会話も褒められたものではない。


『分かった。榊君、近衛には私から正式に依頼を出そう。鷹司君に掛け合うから、その上で情報の収集に当たってほしい。報告書には榊君の所見も付けてほしいな』

「私の想像を交えて、でよろしいですか?」

『勿論。今こちらにある情報もすべて提供するから、大いに想像力を膨らませてほしい』


 城山は俺に情報の統合を求めている。

 俺としても情報は多いに越したことはない。


「先生、一つお願いがあるのですが……」

『なんだい?』

「城山先生は確か、鈴木外務大臣と懇意にされていましたね?」

『ああ、彼が使い走りの弁護士をしていた時からだ。もう二〇年にもなるかな』


「まずは確実な情報がほしいところです。外務省の中・東欧課にアポを取れませんか?」

『伏魔殿にかね? あそこは政治家でも立ち入りが難しい官僚の園だ。下手をすると近衛にまで影響が出るよ?』

「そこは……何とかします」

『君の交渉力は知っているが、相手が悪くないかな。省庁というのは国の頭脳、帝国大学法学部出身のエリートがぞろぞろいるところだよ』


「ですが、虎穴に入らざれば虎子を得ずとも申します。日本で最も情報を持つのは省庁ですので、避けては通れないかと」

『決意は固そうだね。分かった、最大限の配慮をするよう求めてみよう』

「ありがとうございます」


 城山ですら渋々だ。

 それくらい官僚というのは手強く厄介な相手といえる。


『私の持っている資料は屋敷に用意させておこう。あとで取りにくるといい』

「承知しました。では、後ほど伺います。では……」

『…………榊君』


 通話を切ろうとしたところで留められる。


『ノーラを頼んだよ』

「お任せください」


 いつになく真剣な声音の城山に驚いてしまう。

 政治家も人であると改めて思わされた一面だった。



     ◆



「はぁ、これはまた、立派な伏魔殿だな」


 千代田区霞が関のど真ん中に立つ外務省庁舎は横長の長方形で、白い外壁にたくさんの窓ガラスが青い空を映している。とても伏魔殿には見えない。


 城山英雄、そして鷹司霧姫。

 二人の支援を受け、国際情勢を探るべく外務省の前にいる。


 深呼吸をして久しぶりに締めたネクタイを直す。

 今は近衛服を着ていない。その代りにネイビーブルーを基調としたピンストライプのスーツを用意した。不安だらけではあるが、この格好が気持ちを静めてくれる。


「さすがに気後れするもんだ」


 手には城山に用意してもらった紹介状があるのだが、国内最高峰である帝都大学法学部を卒業して、さらにキャリアを積み続けるような連中の相手をしようと思えば胃も痛くなる。

 いや、己を恥じるな。分からないのであれば意地を張らず、教えを請えばいい。


「いくか」


 腹を括って白亜の伏魔殿へ足を踏み入れる。

 サラリーマン時代も帝大や京大出身のエリートと言葉を交わしたことがある。

 勿論、競合だったこともあれば取引先だったこともある。あるのだが、それは自分の専門分野での戦いであり交渉だ。今回は門外漢でありアドバンテージがないことが不安に拍車をかける。


「自分で言い出したとはいえ、憂鬱になるな……」


 受付まで足を踏み入れれば、警備員が目を光らせている。

 天井には監視カメラ、雰囲気からして良くない。受付嬢が美人なのが唯一の救いだ。


「んん……、九段より参りました榊と申します。一五時より中・東欧課の上村課長とお約束をさせて頂いております」

「お待ちください」


 咳払いして、精一杯の声音で話すが、受け流され、受付嬢は手元の内線を手に取ってかけ始める。

 若干の肩透かしを感じながらバツの悪い時間を過ごす。

 数分の後、


「二階へお進みください。担当者がご案内します」


 エレベーターへと促される。

 一階から二階、階段でも良さそうなものだが、ここは従っておこう。

 一〇人単位でも楽々収まりそうなエレベーターに一人乗り込み、数秒。扉が開けば真面目を絵にかいたような男性職員が待ち構えていた。


「榊様ですね、こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」


 一礼をしてから続く。

 しかし、この男性職員もよくみれば地味だが仕立ての良いスーツに整った身なり、きっちりと撫でつけた髪に海外製と思しきデザイン眼鏡をしている。さすが省庁の序列上位に位置する外務省だけある。


「こちらへどうぞ」


 ほどなくして通されたのはいくつもある会議室の一つ。

 豪奢な椅子に腰かけると珈琲まで出してくれた。


「少々お待ちください」


 男性職員は終始低姿勢、最後まで笑みを絶やすことなく行ってしまった。

 これだけ徹底されるとお手上げだ。


「うっ、美味い……」


 コーヒーを飲めば、こちらも申し分ない。してやられた気分になる。

 通された部屋をぐるりと見てやろうかとも思ったが、どこにカメラや盗聴マイクがあるとも限らない。退屈を押し殺して、待つこと数分。ノックが聞こえた。


「お待たせしました」


 現れたのはバーコードの奥に光る頭皮がまぶしい男性。

 この人が中東欧課長の上村。四〇代といった風貌なのに滲み出る迫力がある。


「榊と申します。本日はお時間を頂き、ありがとうございます。」

「中・東欧課長の上村です」

 

 立ち上がって会釈をすれば、上村は穏やかな表情のまま頷いてくれる。

 ここからは未知の領域、最難関の交渉へと挑む。


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