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一三話


「どこから話すべきなのかな」


 お茶を啜ってから城山英雄が切り出す。

 四角い座卓の奥に城山、対面に鷹司、俺は鷹司から見て左側、当のノーラはなぜか俺の裾をつかんだまま隣にいる。


「鷹司君、榊君が覚めた時はどんな説明をしたんだい?」

「コイツの場合は記憶も、意識もしっかりしていたので発端となりました喉の傷を見せました」


 二人の視線が集中する。

 普段は隠しているのであまり目立たないが、俺の喉には切られた傷跡が残っている。


「……これです」


 襟を引っ張り、首を伸ばせば左右を両断する生々しい痕がある。

 覚めれば痕も残さず治るのにこれだけは未だにある。


「ふむ、そうか。ノーラ、君は昼間のことを覚えているかい?」

「ひ……るま?」

「渋谷で、一緒に買い物をしたね」


 努めて笑顔で、問いかける。


「そう……。楽しかったです……一緒に買い物を…………」


 途端にノーラの眼が見開く。

 思い出してしまったのだ。


「ノーラ、深呼吸だ」

「っ! でも……お、お父様が、あんなことに!」

「……少し落ち着くんだ」

「でも! あんな……あんなのは!」

「おいで」


 小さな肩を抱く。

 こうなるのも無理はない。自分の肉親が同じような目に遭ったら、きっとこうなる。

 だから間近にいる人間が止めてやらねばならない。


「君が暴れても、なにも解決しない」


 激情のまま、ノーラは畳に指を食い込ませる。

 堅く締まっているはずのイグサの束が音を立てて引き千切られる。

 ダメだ。やはり言葉では届かない。


「エレオノーレ」


 名を呼び、抱きしめる力を強くする。

 子供にしてやるように背中を叩き、落ち着けと繰り返した。


「お父様、おとうさま……」


 小さな体から力が抜ける。そこからは言葉にならない。

 ノーラの変化に城山はネクタイを緩め、正座から胡坐へと足を崩す。


「とても残念だ。これで、あの美しいトランシルヴァニアは消え去り、醜悪な傀儡国家へと変貌するのだろう」


 言葉は嘆きにも似ている。老人は眼を閉じ、大きく息を吐いた。

 俺と鷹司は黙っているしかない。二人の心情を想えば、沈黙せざるを得なかった。

 

 かといって、悔んでばかりもいられない。

 事態が動き始めた以上、座視というわけにはいかないからだ。


「城山先生」

「榊……」

「鷹司君、いいんだ。こうしてばかりもいられない」


 俺の言葉を鷹司は咎めるが、城山は頷く。


「ノーラ、少し苦しいだろうが聞いてほしい」

「ほら」


 肩を抱いていた手をほどき、一人で座らせる。

 視線は不安を表す様に俺と城山を行き来していた。


「君がとるべき選択肢はいくつかある。一つは国に戻り、反対勢力をまとめ上げて革命政権を打倒する。二つ目は伝えた通りの亡命だ。米国へは難しくなってしまったが、第三国へなら可能だろう」


 今はトランシルヴァニア王が亡くなった直後、ノーラが戻れば国内の反対派はまとまりやすい。

 だが、問題もある。

 内戦となれば自国民同士で殺し合いとなって確実に泥沼化する。

 もう一つの選択肢は、口ぶりからすると話し合ったことがあるのだろう。


「私としては後者を勧める。内戦は経済を疲弊させるばかりか国内に遺恨と軋轢を残す。それに、あの美しい街並みは二度と戻らない。時間はかかるが、外部からの働きかけを求める方が、賢明だと私は考える。普通ならばここまでなのだが……」

 

 そこで城山が俺を見る。


「先ほど、榊君から叱られてしまってね。君に事実を伝える。その結果次第では第三の選択肢も出てくるかもしれない」

「……選択?」


 ノーラが眉根を寄せたまま訝しむ。

 ここからは初耳のはずだ。顔に出るのも無理からぬことだろう。


「これからは私が説明します」


 鷹司が居住まいを正す。


「第三……といえるかどうかは分かりませんが、貴女には特別な力がある」

「聖ゲオルギウス、私たちと同じ力です」


 鷹司の説明に捕捉する。

 ノーラは最初から覚めたものについての知識があったから、理解はしやすいだろう。


「手元を見てください。普通の人間は畳をそんな風に毟れはしないのです」


 鷹司の指摘にノーラが手元をみれば、イグサがボロボロになっている。

 普通なら、いや俺の場合でも驚愕に見開かれたであろう眼は不自然に歪む。


「……この力があれば、お父様の敵が討てるというわけ?」


 ようやく思考力が戻ってきたのか、表情が歪む。

 感情を憎悪に変えて幼女が宗近を握る手に力を籠めた。


「いいえ。この国で、近衛として生きていくのです」

「……近衛? 私が? お父様の敵も討たずに、この国でのうのうと生きろというの?」

「はい」

「嫌よ。絶対に!」


 烈火のごとく怒りを見せる。


「落ち着きなさい。そうした選択肢もある、というだけだ。決めるのは君だ」

「ヒデオ、私は戻ります。戻って、お父様の敵を討ちます!」

「……ふぅ」


 ノーラの宣言に城山は難しい顔をする。仕方ない、死にに行くようなもの。

 ここまでの反応は城山も鷹司も予定通りだろう。

 二人が反対した理由はここにあるといっていい。


「……」


 ほら見ろ、といわんばかりに鷹司が視線を寄越す。

 まったく、二人とも一一歳にはもう少し優しくした方がいい。

 代わります、と視線で伝えれば鷹司は笑みを浮かべ、


「勘違いするなよ小娘、お前ごときに何ができる。打って出たとて、返り討ちが関の山だ」


 露骨に見下したような、蔑んだような眼をノーラに向ける。

 なんというか、この人は悪役が似合ってしまう。


「じゃあ、何のために教えたの?」


 本性を明らかにしたノーラが犬歯を見せる。

 憎悪を鷹司に向け、ズラリと宗近を抜き放つが、鷹司は意に介さない。


「……榊、貴様の見立ては間違っていたぞ。この小娘、頭の中身は阿呆そのものだ」

「もう少し配慮ができるかと考えましたが、難しかったようです。謹んでお詫びいたします」


 こちらも畏まってみせる。

 コンビ芸といえなくもない。


「二人で、なにをごちゃごちゃと!」

「お前の阿呆に胸焼けがしてきただけだ。榊、説明してやれ」

「はっ」


 立ち上がったノーラに向き直り、視線を向ける。

 ブラウンの瞳は悲しみと怒りに震え、今にも決壊しそうだ。

 

 父親があのような殺され方をすれば誰だってそうなる。増して、こんな状況だ。しかし、こんな状況だからこそ考えなければならず、感情を表に出してはいけない。

 

 力では解決しないと諭しても、無駄だろう。

 第三の選択肢を見せたのは、これからを踏まえてだ。


「抜いた刃はどうする?」

「どうするって、決まっているじゃない!」

「振り下ろすのか? 誰に?」

「お父様を殺し、辱めた奴ら全員よ!」


 感情は高ぶったままだ。

 沈めてやらなくては先へは進めない。


「ノーラ」

「こ、来ないで!」


 立ち上がって小さな腕をつかむ。

 覚めたばかりでも力は結構あるが、そこは数か月でも年季の差がある。

 刀を持った腕を掴み、宗近の刃を俺の首に押し当てた。


「ノーラ、君は人が殺せるのか?」

「殺せるわ! 殺してみせる! 下手な脅しは……」

「人を切ると、こんなことになるんだ」


 刃を首へと押し込めば、皮膚が裂けて肉、その下の血管へと達する。

 動脈を傷つけられ、噴水のように吹き出す血がノーラの腕に、体に浴びせられる。

「これは、君の父君に流れる血と同じだ。赤く、生暖かく、命を司るもの」


「……っ! い、いや! やめて! 離して!」

「人を殺すということは、君は父君を殺した連中と同じことに手を染めることになる。肉を割く感触は嫌なものだろう? 命を目の前にする気分は最悪だ。君はそんな風になってほしくはない」


「あ……ああ……ああああ!」

「復讐なんて止めろ。君は特別になった。でも、心はそのままだ」


 小さな手から宗近を取り上げ、座らせる。


「俺は、優しいままの君でいてほしい」

「わかった、わかったから、あなたの手当を!」

「こんなもの、すぐに治るさ」


 宗近を鷹司へ戻すと、指し示すように首を叩く。

 出血は派手だが、このくらいなら問題ない。筋繊維が伸び、見る間に修復してしまう。


「ほら、な」

 意地悪く笑って見せると、ノーラが俺の首を触る。

「大丈夫……なの?」


 安心したのか気が抜けたのか、そのまま座り込んでしまう。


「申し訳ありません城山先生、お部屋を汚してしまいました」

「……構わないよ。しかし、凄まじい光景を見てしまった」

「近衛の日常とはこのようなものです。先生も努々お忘れなきよう」


 あえて笑って見せる。これで政治家先生も少しは大人しくなるか。

 城山をけん制したあと、視線をノーラに戻す。

 選択肢は与えた。ここからは彼女の問題だ。


「ノーラ、少し休んだ方がいい。君は疲れている。眠って、休んで、答えを出すのはそれからでも遅くはない」


 畳に落ちる涙に心が痛んだ。

 自分は、最も困難な道を彼女に往かせようとしている。


「先生、私はいったん失礼します」

 私は、つまり、俺には残れということらしい。

「すまなかったね」

「いえ、こちらこそバカが粗相をしたこと、お詫び申し上げます」


 上司と政治家の会話に苦笑いがでてしまう。粗相という表現はあんまりだ。


「なにかあれば連絡しろ」

「はっ」


 敬礼をして鷹司を見送る。

 開いた障子戸から見えた空はまだ暗いままだった。



     ◆



 秋の空は高い。澄んだ空気が夜空を綺麗に見せてくれる。

 帝都の中央に位置する御所だと光が多すぎて見えない星も、渋谷区の外れ、ゆるやかな高台の住宅地にある松濤だとそれなりに見える。


「京都を思い出すな」


 そんな言葉が出てしまうのは、城山邸の中庭にいるからだ。

 最初は客間を用意されたのだが断った。


 なにせ護衛としているのだから寝てしまったら意味がない。加えて、屋敷の中も雑音がある。

 そこで中庭の大きな石の上に陣取り、周囲を警戒しつつ夜空を見ていた。


「しかし、城山先生も粋なもんだ」


 手元の小さな盆に一合の徳利と猪口、小皿には煎り豆とはまるで時代劇。

 酒は酔えないので断ったのだが、人生の先達曰く、「遊び心」らしい。


 猪口に注いだ酒を一口し、煎り豆をかみ砕く。

 夜空、中庭の景色、風の音、普段はあまり気にしないものが悪くないように思える。

 ジジイの世迷言も偶には聞いておくものだ。


「いつまで隠れているつもりなんだ?」


 屋敷に目を向ければ、障子戸の隙間から両眼が覗く。

 中庭に出てから数時間、視線はずっとこちらを向いていた。


「少し眠った方がいい、といっても無理か」


 手招きをすれば戸が開き、パジャマ姿のノーラがおぼつかない足取りでやってくる。


「どんなに願っても、祈っても、自分や誰かを恨んでも事実は変わらない。夢でもなければタチの悪い物語でもない。世の中が憎いだろう」

「知った風なことをいわないで」


 涙目のまま訴えられる。


「事実を述べたまでだ。最後のは想像だがな」

「だったら、なに! なにが言いたいの!」

「騒がないように、まだ夜だ」


 濡れた眼、喰いしばった歯、握りしめられたままの両手、どれもが痛々しい。

 この子がほしいものが何なのかはわかっている。


 抱きしめてやればいい、頭を撫でてやればいい。

 甘ったるい言葉をかけてやればいいのだが、悲しいかな、救われるのは一瞬。

 

 そのあとはなにをするにも甘い毒が必要になる。

 なければ死に至るかもしれない劇薬を安易に処方するわけにはいかない。

 それでなくともこの子はこの先、一人で生きていかなければならないのだから、甘え癖がついたのでは枷にしかならない。


「突っ立ってると疲れるぞ」

 手を引き、庭石に座らせる。


「みんな、みんないなくなったわ」

「そう……か」


 ノーラへ掛ける言葉に迷う。

 これ以上誘導するのは心苦しく、本人の意思を歪めるきっかけになりかねない。

 本来ならば時間をかけてでも自分で見つけてほしいものだ。


「……呑むか?」


 酒を注いだ猪口を渡せば、ノーラは口を付ける。

 未成年への飲酒ほう助は犯罪なので信じてもいない神様に懺悔する。


「おいしくない」

「俺もそう思う。こんなものの、何が美味いのか」


 掛ける言葉がみつからないとは思いながら、口が勝手に動く。

 これは病気のようなものだ。


「城山先生はこう仰った。酔えない酒も遊び心である、と。短絡的な発想ならば無意味でしかない。しかし、こうは考えられないだろうか。そのくらいの余裕を持ってもいい」

「そんなの……無理よ」

「そうだな。君の境遇を想えば難しい。だから、俺たちがいる。子供に手を差し伸べるのは大人の役割だ」


 減った猪口に酒を注ぐ。

 別に無理やり飲めというわけではない。

 このくらいのままごとに興じる余裕、いや、ゆとりや気分転換があってもいい。


「……」

「……」


 頬に風を感じる。

 夜空の星が綺麗だ。ノーラは気づいてくれるだろうか。


「…………貴方の首を切って、分かったことがあるの」


 ややあって、ノーラがぽつりとつぶやく。


「気持ち良かった、なんて言わないでくれよ」

「最低の感触……だからわかったの。私に、人殺しはできない」

「そうか」


 それに気付けただけでもやった価値があった。

 大人になってから気付いたとしたら、年月も相まって憎悪は膨れ上がり、見境がなくなっていただろう。


「ヒデオの言う通り、亡命するわ。そこでお父様の無実を訴える」

「賢明だ。大丈夫、君にならできるよ」


 頭を撫でる。


「でも、どうして私に貴方と同じ力があるって教えたの?」

「簡単だ。大人になってから、偶然のうちに気付いてしまったら、君はどうすると思う?」


「質問に質問で返すのはいけないことよ」

「すまない。でも、怒ることは目に見えている。次に何をするかも、ね」


 先ほどのように怒って、飛び出すだろう。そして復讐に走るはずだ。

 亡命中ならば城山もおらず、制止する人間もいない。


「……なによ、私のなにが分かるの?」

「つい数時間前、自分がなにをしたか覚えているだろう? それに、わずかな時間とはいえ、生活を共有したんだ。そのくらいはわかるさ」


 鼻の頭を人差し指で弾く。

 笑ってくれるかと思ったのだが、ノーラの眦には涙が溜まっていく。


「ノーラ、覚めたものとしての能力は隠して、平和に暮らしてくれ。君の御父上もそう願っているはずだ」

「貴方なんて……嫌いよ。簡単に優しくする人なんて……」


 そこからは声にならない。

 泣き続けるノーラを撫でながら見上げた空は白み始めていた。



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