一二話
夜の呼び出しにもかかわらず、鷹司霧姫はきっかり五分で現れた。
キッチリと近衛服に身を包み、腰には愛刀である宗近を下げている。
「お休み中のところ、申し訳ありません」
車から降りて敬礼するのだが、双眸が俺の顔と車の中を往復し、
「榊……いくら私でも未成年者略取はさすがに庇いきれんぞ?」
「は?」
突然ボケたことを口にする。
「それも外国人ではないか。国際問題になる前に戻して来い。金で解決できるならしてくるんだ。処分は追って伝える」
眠たそうな目のまま、それだけしゃべって帰ろうとするので慌てて引き留める。
「ち、違います。未成年者略取ではありません。副長は私がそんな人間に見えますか?」
「見える。先日、殿下と外出した際の報告書などは見るに堪えなかった。よもや公衆の面前で殿下に膝枕をさせるとは……」
「殿下のことは不可抗力です。順を追って話しますから、あらぬ誤解はやめてください」
怪訝そうな顔をする鷹司に経緯を話す。
件の殿下と出かけた日の夜に城山に呼び出されたこと、ノーラを預かったこと、数日ではあるものの自分の部屋に匿ったこと、そして今回の渋谷でのこと。
「……はぁ」
一通りの説明が終わると、鷹司は夜空を仰いだ。
「責任は取ります。腹でも掻っ捌きますか?」
「後にしろ。それよりも、城山先生は厄介な案件を持ち込んでくれたものだ」
「今件ですが、副長と城山先生どちらにお話ししようか迷いました。ですが、私は近衛でしたので副長にと思いまして」
「私としてはできれば知らずにいたかった。貴様が城山先生のところへ、その子を運んでさえくれれば何の問題もなかったわけだ」
「仰る通りです」
「しかし、だ。その子が覚めたものとしての適性があるのならば話は違ってくる」
鷹司は腕を組み、体を車に預ける。
眉間の皺は一層深くなり、視線は宙を泳いだ。
「榊、世界にはどれだけ覚めたものがいると思う?」
「……唐突ですね。質問の意図から察するに、極端に多いか、あるいは逆であると思います」
「相変わらず可愛げのない回答だな。我々が認識しているだけではあるが、欧州連合には二〇人ほど。大陸には連邦、共和国を含めても一〇〇人を超えない」
つまり、一〇〇人を超える覚めたものを有する日本は世界的に見ても他を圧倒している。
「このような質問をしていいのか分かりませんが、質はどうなのでしょうか。人数で優っていても質が劣っていれば有利にはなりにくいものです」
「そう……だな。比べる基準が難しいが、技量ならば上回っていると思いたいところだ。欧州は人数が少ない分、各国の徹底的なサポートがある。大陸は国家そのもので支えているといっても過言ではない」
「それはまた……豪勢ですね」
「覚めたものは権威の象徴でもある。我々が個々の単純な戦闘能力で上回ろうが、ほとんどの連中は必ず軍と一緒に運用する。面の制圧力では劣るだろう」
覚めたものだけで行動する近衛は展開力に優れ、軍と一緒に行動する大陸や欧州連合は面での制圧に優れる。
海洋国家である日本と陸続きの欧州では運用方法が違うらしい。
「話しが逸れたな、大陸のことはまた今度にしよう。結論から言えば、世界は覚めたものという強大な戦力を欲している。無論、我が国も……」
苦笑いを浮かべる鷹司の言葉には妙な含みがある。
「国益を考えると見過ごせない。ですが、副長ご自身は聞かなかったことにしたい」
「覚めてしまえば人生は歪む。常に戦いの道具にされ、普通の幸せを望むことは難しい。その子にとって、覚めたことが幸か不幸か判断しかねるところだ」
やはり、というか以前から少しずつわかってはいたが、鷹司は甘い。
近衛副長として厳しい判断を強いられてはいるが、鷹司霧姫を個人として見た場合は優しすぎる。
「人生で刀や宝剣に触れる機会などそうそうない。黙ってさえいればノーラ……エレオノーレは日常に戻れる。副長はそのようにお考えなのですね」
鷹司は女の顔で頷いた。
確かに、今ならこの事実を知っているのは俺と鷹司だけ。
やろうと思えば有耶無耶にできる。
「榊、貴様はそう考えなかったわけだ」
「はい。この子の今後を考えれば知っておいた方が……いえ、選択肢を用意すべきです」
「貴様はいつもそうだ。最良の未来があれば、どんな困難にも向かう」
「褒め言葉と受け取らせていただきます。あと、今更ではありますが……私の失態は貴女の失態であり、殿下の失態でもあります。やはり有耶無耶にはできません」
「……身勝手だな。仕方ない、貴様の意思を汲む。城山先生にアポを取れ。できればすぐにお会いしたい」
「承知しました」
携帯電話を取り出し、城山の番号にかける。
コールを一回するかどうかのところでつながった。
『城山です』
「榊です。先生、少しお時間を頂きたくお電話いたしました」
『その様子だと鷹司君あたりにバレてしまったのかな?』
「それもありますが、もっと重要な事実が発覚いたしました。できればこれから、すぐにでもお会いしたいのですが……」
『わかった。私も屋敷に戻ろう』
「ありがとうございます。鷹司も同行しますが、よろしいでしょうか?」
『構わないよ』
「それではお伺いいたします」
通話を切る。
鷹司に振り向けば、肩を竦めていた。
◆
鷹司を助手席に乗せ、眠ったままのノーラを連れて松濤の城山邸へ到着すると、本人はまだ戻ってきていなかった。
「お話は伺っております。どうぞ」
妙齢の女性に先導され、ノーラを抱きかかえながら屋敷に入る。
「すみません、この子を寝かせたいのですが」
「こちらをどうぞ」
俺が申し出れば妙齢の女性はすぐさま応じてくれる。
いつも思うが、できた方だ。
ノーラを用意された布団に寝かせ、鷹司と城山を待つ。
「やぁ、待たせたね」
ほどなくして城山が帰宅する。
着物姿ではなく上下を濃紺のスーツに身を包んだ政治家は精力的に見えた。
「お時間を頂き、ありがとうございます」
「榊君から重要な事実と聞いたけれど、何があったのかな?」
城山がお茶を一口啜ってから切り出す。
「実は……」
鷹司に目配せをしてから今日起こった事実を伝える。
ニュースで知ったノーラの父親の悲報。渋谷での一件、そして覚めたものとしての適性。
話し終わったあと、いつもは穏やかな笑みを絶やさない政治家の顔には思案の色が浮かんでいた。
「ノーラの父親の件は、私も確認中だった。今の外出もそのことに関わっている。それに加えてノーラが覚めたものとしての適性を……か。榊君、間違いはないのかな?」
「恐らく……」
あの状況から判断するに、その可能性が一番高い。
「城山先生、選択肢は二つあります」
「分かっているよ、鷹司君。私も同じことを考えている」
二人とも至る結論は同じらしい。
知らなかったことにするのか、あるいは――――。
「先生、一つお聞かせ願えませんか。ノーラをお預かりする際に貴方は父親が国の重役であると仰っていました。しかし、報道では王族とある。彼女の素性と、貴方が思案する理由をお教え願いたいのです」
「……いいのかな、知ってしまって。戻れなくなるよ?」
「もとより覚悟の上です。お預かりしたときから、その決意は変わりません」
「鷹司君もかね?」
「責任は取らせます」
「ふっ、お優しいことだ。いいだろう。その子はエレオノーレ・クルジュナ・トランシルヴァニア。先の革命によって打倒されたトランシルヴァニア王国の息女であり……」
城山の眼がノーラに向く。
「半世紀以上前、トランシルヴァニア王族に嫁いだ私の父の妹、その曽孫にあたる」
「嫁いだ……?」
「そう、私とノーラには血縁関係があるんだよ」
トランシルヴァニア王国は東欧で続く革命運動で崩壊した三つめの国。
父の妹とは叔母。
つまり、ノーラの祖父と城山は従兄弟、報道にあったトランシルヴァニア王は甥、友人どころではない。
「私の父は造り酒屋長男でね。その資本をもとに貿易商をしていたんだ。欧州と取引の折、若きトランシルヴァニア王子と出会い、交流を始めた」
どこか懐かしむように城山が言葉にする。
「叔母は当時としては珍しく語学が堪能で父の会社で通訳をしていた。ここまで話せばもう見えてくるだろう? 叔母と王子が恋仲になるまで時間はかからなかったようだ。城山家との付き合いもそれからだよ」
「……副長」
「私も初耳だ」
鷹司と顔を見合わせる。
ノーラを匿う理由も、近衛に預けた理由も、分かってしまった。
「君たちの想像通り、ノーラ、いやエレオノーレは祖国であるトランシルヴァニアから逃亡させ、私が匿った。御父上の要望でね。あとは知っての通り、榊平蔵を懐柔して近衛寮に入り込ませ、あわよくば搦め捕ってしまおうかと思った」
「搦め捕る?」
鷹司がこちらをみる。
俺は首を傾げるだけだ。
「ノーラに秘策を授けたんだ。榊君は小さい子が好きだ、ってね」
「っ! 貴様、まさか!」
政治家の言葉に鷹司がこちらを向く。
「出すわけないでしょう。私を何だと思っているのですか?」
「幼女性愛者だ」
「……ご冗談を」
「そうだね、結果的には搦め捕れなかった。勘違いしないでほしいのは、榊君が手を出すと考えたわけではないし、あくまで情を持ってほしいと思っただけだよ」
城山が笑う。
きっと、あの過剰ともいえるスキンシップはこの人の入れ知恵。
手を出す出さないは本当かどうか怪しい。
「そうこうしている間に、トランシルヴァニア王は苦境に立たされた。先日電話をした件は、そのことだったんだよ」
「そう……でしたか」
言葉にしてみようもない。ただ頷くだけだ。
「彼は、最後まで娘のことを案じていた。しかし、予想を上回る事態が起こりつつある。トランシルヴァニア王は死去し、米国への亡命を目指していたノーラは道を閉ざされた。どうやら欧州連合からの干渉があったようだ」
「亡命の申請に干渉ですか?」
「少し前に、米国大使から呼び出しがあってね。欧州連合から圧力があり、亡命は難しいとのことだった。なんでも、ルーマニア……新しい政権が欧州連合へ要請をだしたらしい」
「……欧州連合が?」
城山の言葉に鷹司が眉根を寄せる。
新しくなったばかりの政権を欧州連合が加入を許すのだろうか。
「副長、疑問なのですが、そのルーマニア政権の要請を欧州連合は受け付けるものなのでしょうか?」
「ない、とはいえない。トランシルヴァニア……ルーマニアは地理的に重要な場所だ。黒海を挟んでオスマン帝国と対峙し、すぐ北にはロマノフもある。欧州連合の柔らかい脇腹といっても過言ではない」
「そう、私もそこを疑っている。革命後とはいえ、民主化して欧州連合に参加するというのならば制約も付けられる。囲っておいて損はない。あとは、金だろう。トランシルヴァニアは資源も豊富な国だ。以前は環境破壊を嫌ってほとんど開発されなかったが、これからはやるだろうね」
確かに、それは一番簡単な答えで分かりやすい。
「さて、これらを踏まえたところで、まずは鷹司君の考えを聞きたいな」
「異国の王族といえど、城山先生の縁戚が亡くなったことについて哀悼を表したいと思います。そして、彼の王を慮るのならば、榊の報告は聞かなかったことにしたい」
鷹司は断言する。
まぁ、普通はそうなるか。
「榊君は、どうしたらいいと思うかね?」
話しを振られてしまう。
「私も、まずはトランシルヴァニア王へ哀悼を……」
短めではあるが黙祷する。
祖国を追われ、肉親まで失った悲しみは如何ばかりか。想像することすら難しい。
ここに覚めたものとしての人生を強要するとなれば、酷としか言いようがない。
普通の、想像しうる幸せを願うのならばノーラには伝えない方がいい。
このまま城山先生の庇護下にいることが良いのではないか、とも考えてしまう。
しかし、これは一般的な大人の考えだ。
自分勝手で身勝手な、大人の都合を押し付けただけの考えでしかない。
「私は、真実を伝えることが肝要だと考えます」
「覚めたことを、かね? 榊君、ノーラはまだ一一歳だ。少し酷ではないかな?」
「先ほども話したが、私も城山先生と同じ考えだ。知らなくてよいことも世の中にはある」
当然のように二人は反対する。
「私はお二人のようには思えません。他人に強要された選択の、如何に苦しいことか。すべてを知ったうえで自ら決断をすることが重要と考えます。年齢など、些細な問題でしかありません」
考えうる限りの言葉を口にする。
せめて選ばせてあげたい。自らの資質くらいは知っていた方がいい。
後々知らされるのであれば早い方が――――。
「……しかしだね、決められる問題と決められない問題がある。残酷でも、自分で選択することが幸せとは限らないよ?」
「このまま刀に触れないというのは、我々の願いにも等しい希望的観測でしかありません。無論、私も知らない方が幸せであるとは思います。しかし、何かの切っ掛けで知ってしまったらこの子は何を思うでしょうか。他人である我々に、この子の心を推し量ることは難しい。ならばできうる限りの選択肢を残してやるのが年長者の務めであるとは思っていただけませんか?」
今、ノーラは自分の足で立っている。
祖国を離れ、異国で一人になっても城山先生や俺に気を使い、家族を想って笑顔を作る。
そんな子から選択肢すら奪うというのは心苦しくあった。
「先生、若輩の具申ではございますが、どうか……」
頭を下げる。
わずかではあったが、共に過ごし、悲しみを目の当たりにした人間として言わなければならない。
頭を下げたまま、どのくらいの時間が経過しただろうか。
聞こえるのは古ぼけた時計の機械音だけ。
「……私も歳をとったものだ」
ぽつり、と城山が口にする。
「自分の考える幸せが他人の幸せであると、つい思ってしまう。押し付けであるとは思いもしない」
「城山先生、よろしいのですか?」
鷹司が確かめるような声音をする。
「榊君、顔を上げてくれないか」
「はっ」
「礼を言うよ。私はノーラに恨まれるところだったかもしれない」
「滅相もございません。無礼をお許しください」
顔を上げれば穏やかな顔の城山がいる。
恐らくではあるが政治家ではなく、ノーラの血縁者としての城山英雄ではないか、と思ってしまった。
「鷹司君、覚めたものだと確定するには、どうしたらいいのかな?」
「今すぐに、でしょうか?」
「早い方がいいだろう。事実を伝え、今後のことも決めねばならない」
「承知いたしました」
鷹司が立ち上がり、目を閉じるノーラの元へ行くと小さな手に自らの宗近を握らせる。
すると、宵闇の中に白い靄の様なものが浮き上がり、宗近からノーラの体へ流れ込んだ。
これは、俺の時と同じ。
「……ずいぶん神秘的な光景だね」
「すぐに慣れます」
浮き上がった靄のほとんどが小さな体に吸い込まれるのと同時に、ノーラの眼が開く。
「……Wo bin ich? Du?」
「すぐに分かる。城山先生」
「ノーラ、大丈夫かね?」
城山の声にノーラは上半身だけを起し、きょろきょろと周りを見渡す。
認識が追い付いていないのだろう。
「……ヒデオ? どうして? 私は……いったい……」
「少し、長くなりそうだね。新しいお茶の用意をしよう」
笑みを浮かべると、城山が手を叩く。障子戸を開いて妙齢の女性が頭を下げる。
長い夜の始まりだった。