一一話
「榊、休暇をやる」
「休暇……ですか?」
鷹司がそんなことを言い始めたのは、もう何度目かわからない深夜召集の後だった。
あまりの唐突さに槍が降るのではないかと窓の外をみる。
時刻は午前五時を少し回ったところ、薄曇りの空に太陽が顔を出していた。
「何だその顔は? 休みがほしくはないのか?」
「欲しくはありますが、その……いいのですか?」
人間、唐突な優しさには戸惑いを持ってしまうものだ。
魂胆がある……いや、あるのだろうが、鷹司の姿を見ていると理由が滲み出ている。
近衛服はパリッとしているのに、本人は疲れのためかしんなりしている。ついでに言えば唇と肌荒れがひどい。
「共和国からの干渉で人員、装備共に消耗が激しいからな、休めるうちに休ませておきたい」
「ほとんど日を置かずに、それも深夜から早朝にかけて、ですからね」
「実に厄介だ。しかも今後も続くことが予想される」
「お気遣い、有り難く頂戴します。副長も少しはお休みください。でないと、その荒れた唇は治りませんよ?」
「っ!?」
鷹司が口元に手を当てる。きっと隠している間に舐めて湿らせているに違いない。
これだからガサツは困る。
「肌荒れの原因はストレスと不規則な生活です。この状況で副長が眠れないのも無理からぬことではありますが、それを見た人はどう思いますか?」
「う、うるさいぞ、新米が……」
狼狽える鷹司に、ポケットから取り出したリップクリームを投げた。
「差し上げます。ご心配なく、未使用ですので」
「私は軍人だぞ。そんなこと、気にすると思うか?」
「軍人ではありますが、人でもあります。常在戦場も結構ですが、周囲からの視線を考えるのも長の配慮と存じます」
「分かっている。鹿山翁のようなことをいうな」
鷹司は俺から見えないように後ろを向く。
ばりばりと聞こえる音はリップクリームの包装を破いているのだろう。振り向いたときに顔が赤かったのは気にしない。
「これでいいか?」
「お美しく存じます」
「女誑しめ」
お世辞も部下の務めだ。
「あまり遠出はするなよ」
「承知しました」
一礼して退室する。さて、一眠りしたらノーラの気分転換もかねて外へ出よう。
ついでに買い物や溜まっていた雑事の消化にも当てられる。
気楽なつもりでいた。この時は、まだ――――。
◆
木を隠すには森の中、人を隠すにはやはり人の中に限る。
「すごい、こんなにたくさんの人がいるのですね……」
ノーラが目を丸くしている。
連れてきたのは渋谷。最初は原宿も考えたのだが、あそこは年齢層が若すぎてついていけない。
かといって新宿や池袋は近寄りがたい。渋谷は新古が入り混じる街であり、外国人も多い。ノーラの姿もまぎれるはずだ。
「ミアを置いてきて大丈夫でしょうか」
「食料も水も置いてきた。短い時間だし問題ないさ」
ミアとはあの子猫の名前。名付け親は殿下とノーラの二人。
ミアという名前は欧州ではかなりポピュラーであるらしい。
「っと、これは少し多すぎるな」
立ち止まっているのに人にぶつかりそうになる。
「私の国ではこんなに人が集まるのはカーニバルくらいです。でも、違うのでしょう?」
「平日だし、これでも少ない方だと思う」
「……すごいですね」
俺もエレオノーレも溜息が出る。
渋谷駅ハチ公前にいるのだが、人が多すぎてまともに歩けない。
「でも、とても楽しそうなところです。殿下もご一緒できれば良かったのですけれど」
「勘弁してくれ。殿下がこんな人ごみのなかで出歩くのはたくさんの護衛が必要だ。お忍びだとしても、突発的な事故を考えると難しい」
「そうですか。とても残念です」
「君が楽しめばいいさ。思い出を殿下に聞かせてあげてほしい」
「わかりました」
「じゃあ、行こう。とりあえず服でも見て回るか」
「はい」
ノーラが腕に抱き着いてくる。
はぐれてはいけないので、構わないだろう。
最初は無難に一〇九あたりからにしてみよう。そんなことを考えつつ渋谷散策は始まる。
渋谷とは不思議な街だ。灰色の髪を隠しているとはいえ、ノーラを連れ歩いても目立たない。
容姿の美しさはあるが、これだけの人間がいれば埋もれる。
「ねぇ、ヘイゾウさん、あれはなんのお店ですか?」
「古着屋……かな。入ってみる?」
「はい!」
奇怪なディスプレイがされた店に入れば、そこは古着はもちろんだがドラマやアニメにでも出てきそうな衣装や小道具まで置かれている。
仮面の様なサングラス、じゃらじゃらとチェーンが巻き付いたジーンズ、いたる所に切れ込みが入り、ほとんど肌が露出して隠れるのは胸元ばかりというシャツ。
「なんだよ、ここ……」
「これ、どうやって着るのですか?」
ノーラの手にあるのは一見すると着物の帯、いやかなり太めのベルトだろうか。
表面はエナメル調で光沢があり、長さは一メートルほど。端と端に金具があって留められることから身に着けるものだということはわかるのだが、そこから先の想像ができない。
「あの、ヘイゾウさん……あれ」
「なんだい……んん?」
視線の先には同じものを着けた女性の店員さんがいる。
問題は付けている部位だ。腰ならば納得できただろう、しかし、それは胸の部分にあった。
「凄い……ですね」
ノーラはしきりに自分の胸と見比べる。
俺としては視線を逸らすしかできない。結局なにも買わずに出てきてしまった。
「楽しかったです!」
「……そうかい。なら、よかった」
俺でも面食らってしまう店だったが、ノーラは十分に楽しんだらしい。
それからは道端でクレープを食べ、今度は海外ブランドのショップに入って試着をする。
やはり、こうしたフォーマルな方が落ち着く。
「これ、ステキですね」
「お嬢様、とてもよくお似合いです」
試着をすれば、当然店員がゴマを擦る。
まぁ、よく似合っているのは事実なのだが、何でもかんでも言えばいいというものではない。
しかし、先ほど着ていた紺色のスカートに白いドレスシャツのコーディネートは素晴らしかった。
「ノーラ、気に入ったものはあった?」
「えっと……」
物憂げな顔をする。
「お金は気にしなくていい。好きなものをプレゼントするよ」
「ありがとうございます。でも、違うんです。私だけ、こんなにすてきなお洋服……」
家族や友人への心配。それも当然あるだろう。
自分ひとり、幸せでよいのか。そう考えてしまうこともわかる。
しかし、自分が送りだす立場ならばどうか。
遠い異国の地で一人暮らす友人をどう思うかといえば、できる限り不自由なく、幸せでいてほしいと願うだろう。
「じゃあ、お土産だと思ってくれないかな?」
「いいの……ですか」
「大丈夫、きっと喜んでくれるよ」
「……ヘイゾウさん、本当にありがとうございます」
うん、これくらいは構わないだろう。
少しでも気がまぎれたら、それが一番だ。
「じゃあ、適当によろしく」
「っ! かしこまりました!」
パラジウムカードを店員に渡せば背筋が伸びる。
一昔前なら震えるような愉悦を覚えた場面なのだろうが、今はどうでもいい。
慣れとは恐ろしいものだ。
余談ではあるが、このカードの請求先は鷹司霧姫である。
俺自身、億単位の年俸をもらってはいるが、いろいろな支払いやツケが溜まっていて数年先までは赤字状態にある。金の亡者を自認していたのに、多重債務者とは笑いものである。
それから小一時間、計五着を買ったところで店をでた。
日も傾き、そろそろ寮へ戻ろうかというところで、家電量販店にディスプレイされたテレビに速報が流れた。
「ん?」
テロップには東欧の一つで続いていた内戦が終結したとある。
次々と映し出される映像には凱歌をあげる軍人の姿に、壊れた街並み。
目を引くのは、夕方のニュースとして流すにはいささかセンセーショナルなもの。
俺を含む周囲の目を引いたのはモザイクこそかってはいるものの、丸太に括り付けられている人だ。
衣服はなく、むき出しの肌には無数の傷跡が生々しくある。
極めつけは頭部がない。
人の象徴とも呼べる首級は別の棒の先端に刺さり、わずかばかり残った首にはロザリオがあった。
「……酷いな」
思わず口からでる。
こんな映像、いくら画像処理がしてあってもテレビで流すものじゃない。
そう思っていると、
「お、おとうさま?」
「ノーラ?」
「あの……ペンダントと傷は……」
消え入りそうなほどか細い声で、ノーラがつぶやく。
俺の手をきつく握り、小刻みに震えていた。
「見るな!」
とっさに身をかがめ、小さな体を抱きしめる。
あやすように、落ち着けるように背中を叩く。
「この映像は出所が分からない。こんなものに惑わされてはいけない」
大丈夫だ、と繰り返し頭を撫でる。
しかし、ノーラの震えは収まらない。
「あ、あの肩の傷は……私が小さいころ……間違ってつけた、の。でも、おとうさまは、だいじょうぶだって……」
「違う。あれは君のお父上ではない」
「ロザリオは……お母様とプレゼントしたの……」
言葉が嗚咽になり、抱き着く力が強くなる。
ノーラの指が俺の腕に食い込む。
「……なんだ?」
唐突に、周囲に異変が起こる。
足元のアスファルトが歪んだと思えば、ひび割れて下から水が噴き出した。
「きゃあぁぁぁ!」
「な、なんだよこれ! 地面が!」
街頭が揺れ、電柱が倒れ、街路樹が横倒しになった。
そんなことが一帯で起こっている。
振動で地中の水分が土と混ざり合い、液状化して地盤沈下を引き起こす。
「ど、どうなっているんだ?」
真っ先に思いついたのは地震。
しかし、揺れなど感じない。
「お父様! お父様!」
「っ、ノーラ、しっかりするんだ!」
「いや! どうして! どうしてなの?」
「落ち着け! 落ち着いてくれ! くそ、どうなっているんだ?」
ノーラの興奮は収まらない。
早く安全なところに避難したいとは思っても、状況がそうさせてくれない。
「っ!」
痛みに顔を顰める。
ノーラの指が、まるで毟る様に俺のシャツを、その下の肉を引き裂いたからだ。
「……まさか……!」
一つの可能性に行き着き、周囲を見渡す。
地面や街路樹、街灯は液状化の影響を受けているのに、林立するビルは傾ぎもしない。
ビルが影響を受けないのは液状化がごく浅い部分で起こっているということ。
地震の多い日本でビルを建設する場合はかなり深くまで基礎となる柱を打ち込む。それこそ地下数十メートルに、かなりの数を配する。
もう一つは範囲。液状化が起こっているのはせいぜい十数メートル。
こんな狭い範囲での液状化など聞いたことがない。すなわち、これが地震である可能性は限りなく低いといえる。
ならば、ここから導き出される答えは一つ。
これは自然現象ではない。かといって災害やテロでもない。
こんなことができるのは、刀や固有能力だけだ。
「君が……」
今現在、刀に触れているのは俺と、ノーラ。
先ほどからノーラの手が、俺の隠し持っている護身刀に触れている。
「そんな……いや、俺自身がそうだったか」
思い起こせば、俺自身も事件のさなかに覚めた。
それが外国人であるノーラだとしても、不思議はない。
「今は何とかしないと……」
液状化の影響は建物の倒壊まで至っていない。しかし、液状化が続けば分からない。このままにはしておけず、泣き叫ぶノーラに詫びる。
「すまない」
小さな顎を弾いて気絶させ、大人しくなった体を持ち上げる。見渡せば、局地的な異常は治まっていた。
「さて、どうするかな……」
匿っていればいいと思っていた。ただ時間が過ぎるのを待っていればいいのだと。
しかし、頭に浮かぶのは怒るであろう鷹司の顔と、悲しみに暮れる殿下。
気分転換のはずが、大きな転機となってしまった瞬間だった。
◆
すっかり日も暮れた夜。センセーショナルな『夜明け』の報道、渋谷での異変、ノーラの目覚め。いくつもの事態が起こりすぎて頭の整理ができずにいる。
鷹司と城山の顔が交互に浮かび、最初に報告すべきはどちらか、こんなにも迷ったことはない。
今は一連の騒動から抜け出し、戻ってきた近衛本部の駐車場で困り果てていた。
ノーラを気絶させてからはできるだけ救助はしたのだが、あまりの多さに申し訳ないとは思いつつ、救急車と消防車を手配して逃げてきてしまった。
転んでしまったことでの擦過傷や落下物での打撲くらいならあっただろうが、死人がでなかったのは運が良かったのだろう。
「義理を優先すべきなのか、それとも職務か……」
液状化によって泥水を被ったまま、車の中で黄昏てしまう。
こんなにも悩ませるのは後部座席で横たわる灰色の髪をした異国の少女の存在にある。
「Papa……」
少女の眼からは止めどなく涙が零れている。
父親の死、それも屈辱的なまでの殺され方をされては無理もない。
近衛としては直属の上司である鷹司に連絡を入れるべきだ。
発端、推移、そして今回の騒動を説明し、指示を仰ぐ。怒られはするだろうが、問題はそこではない。
「……Warum?」
「…………」
本来、迷っているということは答えが決まっている。
自らが考えうる答えを邪魔するものがある。
それが涙。きっとノーラは覚めたことを覚えていないだろう。できるなら城山のもとへ送り届けて、刀のない第三国へ送り出してやりたい。
「俺が迷うのか」
自己嫌悪に堪えない。
信念があったはずだ。
自らの生き方、考え方だけは変えない、変わらない自信があったはずなのに、無様にも揺らいでいる。
どうしてもノーラに殿下や千景の面影が重なってしまう。子供が泣く姿は見ていられない。
「脆くなったもんだ」
ノーラ、いやエレオノーレのこれからを想えば、選択肢はいくつもある。あるのだが、俺の失態は鷹司の、ひいては殿下の失態になる。
穏便に、楽しい思い出だけを抱いて出国してほしかったのだが、叶わなくなってしまった。
「許してくれ」
泣き顔に頭を下げた。
きっとこれから先の未来は困難なものとなるだろう。
携帯電話を取り出し、コールする。
『……なんだ?』
珍しく一〇回近くも呼び出し音が聞こえてから鷹司が出る。
「お話ししたいことがあります」
『急ぐのか?』
「はい。できれば直ぐにでも」
『分かった。場所はどうする?』
「本部の駐車場におります」
『五分待っていろ』
通話が切れる。
腹を切る覚悟くらいはしておこう。




