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一〇話


 警報が鳴る。

 眠い、瞼が重い。

 起きたくない、このまま眠っていたいという欲求が思考を埋める。


 脳とは裏腹に、指が勝手に動いて刀を触った途端、意識が急速に覚醒し始めた。

 体中に熱が回り、目覚めから数秒で寝起きの不快感がなくなる。


「刀の奴隷だな、ったく」


 起き上がり、付けっぱなしの腕時計に目をやる。時刻は午前〇時を過ぎていた。

 立ち上がって備え付けの電話を取り、耳に当てる。


『沖縄に停泊している第七艦隊麾下からの入電です。至急副長室へ出頭してください』

「承知しました。お互い大変ですね」


『いえ、榊殿こそご自愛ください』

「ありがとう、気を付けます」


 夜勤のオペレーターと言葉を交わし、自嘲する。

 ご自愛とは言うものの、果たしてこの身体は壊れてくれるのか。

 いや、刀を手放せば元へ戻るだろう。だが、手放してくれるのか。

 

 ぼんやりと考えながら顔を洗い、冷蔵庫からエナジードリンクを取り出す。

 口に含めば炭酸の刺激と糖分で多少は気が紛れた。

 体はもう起きているので気休め程度なのだが、切り替えが大事だ。


「さて……」


 最後にノーラの様子でも見ていこう。

 確認のためにと寝室のドアを弱めにノックし、わずかな隙間を開けて中の様子をみる。


「特に変わった様子もない」


 暗くて良く見えないがシルエットは確認できる。

 寝ていればそれでいい。音を立てないようにドアを閉めた。

 さて、一仕事してくるか。



     ◆ 



 警報が鳴り、隣の部屋から物音が聞こえる。

 続いて水音、冷蔵庫を開ける音。


 榊平蔵はルーティーン化しているといってもいいほど同じ行動をとる。

 警報で起こされ、内線で呼び出される。

 顔を洗ってエナジードリンクを飲んだのだろう。最後はこちらの様子を確認してから行くはずだ。


「こっちよ」


 小さな手を引き、ベッドの中に飛び込んでシーツに包まる。


「……どうして、かくれますか?」

「えっと……」


 純粋な瞳に射貫かれて、少し戸惑ってしまう。

 疑いのない、澄んだ問いに言葉がでない。


「……さかきと、おはなし、したいです」


 瞳が悲しみに染まる。

 騒がれても面倒だ。適当に取り繕えばいい。

 なにせ、こいつは第一皇女。懐柔しておいて損はない。


「だって、その方が楽しいでしょ?」

「……たのしい、ですか?」

「シッ」


 小さな口元に人差し指を押し当てる。

 かちゃり、とドアが開く音がする。様子を見たのだろう、直ぐに閉じる。

 足音をが遠ざかるのを待って、シーツから出た。 


「ドキドキしなかった?」

「……よく、わかりません」


 本気で訝しんでいる。

 この子は純真過ぎて、悪戯めいた遊びに関心が薄い。


「じゃあ、これは?」


 クローゼットの中から榊が使っていた枕を引っ張り出す。

 カバーは洗ったようだが、中身はそのままだ。


「はい」

「……?」


 なぜ枕なのか、そう訝しむ日桜の顔に枕を押し当てる。

 呼吸をすれば必然的に分かるはずだ。


「……! さかきの、においがします」

「彼のすべてがここにあるわよ?」

「……すべて、ですか?」


 日桜の瞳がこちらを向く。

 そう、それでいい。もっと興味を示せ。


「知りたくない? 彼のこと」

「……しりたい、です」


 誘蛾灯に引き寄せられるように、日桜がこちらに来る。

 榊が戻ってくるまで、せいぜい楽しんでもらおう。

 そのころには、すっかりお友達になれているはずだ。



     ◆



 午前五時、緊急招集を片付けて自室に戻る。

「疲れた……」

 さすがに二日連続だと応える。

 午前中の休みをもらえたが、果たして疲れが取れるのか疑問だ。


「ただいま」


 ブーツを蹴り飛ばすように脱ぎ、襟まで締めていた上着のボタンを外してハンガーにかける。

 シャツのボタンを何個か開けたまま、足が冷蔵庫に向かい、手が勝手に扉を開ける。

 中からキンキンに冷えたエナジードリンクを取り、ソファーに腰掛けてから一気に半分ほど飲む。


「はぁ……」


 安堵の息も出るというものだ。

 沖縄の東海上で捕捉した所属不明の潜水艦相手に海軍と連携して対応に当たったのだが、やはり共和国海軍が不穏だ。


 所属不明とはいいつつも、潜水艦のスクリュー音は一致している。

 特定は容易いのだが米国が盗聴とハッキングによって得たものなので大っぴらにすることもできない。痛し痒しなのが難点だ。


「ん?」


 視線を感じる。

 部屋の中をぐるぐると見渡し、寝室のドアから覗く頭が二つ。


「二つ?」


 心臓がひっくり返るような驚きが思考を支配する。


「……さかきが、だらけています」

「で、殿下?」


 瞳を大きくしてこちらを見る日桜殿下と、少し意地の悪い顔をするノーラ。


「殿下、どうして……いえ、ノーラも……」


 疲れた頭では処理が追い付かない。拍車をかけているのは殿下の格好だ。

 いつもの御子服ではなく俺のシャツに袖を通し、長く艶やかな髪の毛までまとめて、ほとんど男装のような格好でいた。


 どうして、なぜ、と渦巻く意識に銀色の鍵が浮かび、殿下の胸元で鳴く子猫の存在を思い出す。

 迂闊だった。殿下が来ることは予想できたはずだ。

 しかし、タイミングが悪い。


「……だいじょうぶ、ですか?」


 とことこと殿下が近寄ってくる。

 だらけているわけにもいかず、姿勢を正す。


「殿下こそ、こんな時間にどうしたのですか?」

「……ねこちゃん」


 心配そうに俯く。

 だぼだぼのシャツの下には子猫がいる。

 分かっていたことだが、白々しくも口にするしかない。


「私の配慮不足でした。すぐにお連れすればよかったのですが……」

「……かまいません、のーらちゃんにも、あえました」

「ノーラに、ですか」


 殿下の言葉に脂汗が噴き出るが、保身ばかりしていられない。

 問題なのは殿下の瞳にはうっすらと隈があること。

 想像ではあるが、俺がいない夜中に来て、それからずっと起きていたのだろう。


 このままでは公務に支障をきたしてしまう。

 ソファーから立ち上がり、まずは自分の服装を整える。

 上着まできっちり着込んでから殿下に向き直り、


「本日は夕方からご予定がありましたね。御所までご一緒します。時間までお休みください」

「……はい。すこし、まっていてください」

「日桜殿下、お手伝いします」


 少し疲れたようにみえたが、殿下は笑顔で頷いて寝室に引っ込み、ノーラがそれに続く。

 着替えを手伝っているのだろう。


「参った」


 天井を仰ぐ。こうなることは予測できたはずだ。

 油断があったとすれば、これまで殿下がこの部屋を訪れたのは完全休日に限られていたことか。

 我ながら詰めが甘い。


「どうするかな」


 つぶやきが宙に消える。

 いや、下手に取り繕っても仕方ない。正直に話すのが誠意だろう。

 そう思っていると着替え終わった殿下が部屋から出てきた。


「……おまたせしました」

「はい」

「……のーらちゃん」


 殿下が振り向き、ノーラへと向き直る。


「……また、おはなし、できますか?」

「勿論です日桜殿下。お待ちしています」


 抱擁を交わしてから殿下がやってくる。

 この数時間で何があったのかは分からない。

 しかし、殿下とノーラは打ち解けているように見えた。


「ノーラ」

「はい」

「あとで詳しく教えてくれ」

「わかりました」


 留守を頼み、殿下を抱っこして部屋をでる。

 まだ早朝だ。人の出入りは少ない。誰かに見られたら散歩ということにしよう。


 ここまでの問題は二つ。

 一つはノーラの存在、もう一つは殿下の考え。

 片方でも頭が痛いのに、二つ重なると偏頭痛が起こりそうだ。


「殿下、率直に申し上げます。ノーラのことです」

「……わかって、います。こうがい、しません」

「申し訳ありません」

「……どうして、あやまりますか?」

 

 胸の中の殿下が純粋な瞳を向けてくる。

 心が痛い。


「わ、私が至らないばかりに」

「……だいじょうぶ、です」


 眠そうな瞳のまま、殿下はへにょり、と笑う。

 不味い、少しでも睡眠をと足早に御所に入り、殿下の私室へとたどり着く。


「殿下、ご用意いたしますのでしばしお待ちを」

「……さかき、のーらちゃんは、しろやまひでおのえんせき、とうかがいました。ことわれないのも、むりからぬこと、です」

「勿体ないお言葉です」

「……かまいません」


 寝間着に着替えさせて用意した布団に寝かせる。

 今は五時三〇分。六時間くらいは眠れるか。


「殿下……その、怒らないんですか?」

 こんなことがバレたら殿下は怒ると思っていた。

 なのに、このちんちくりん殿下は眉間に皺一つ寄せない。


「……のーらちゃんは、こまって、います。すこし、もやもやしますが、しかたありません」

「ご理解感謝します」


 ようやく一呼吸できた。

 心臓に悪いことこの上ない。


「……でも」

「どうかしましたか。まだなにか?」

「……おはなし、してほしかったです。できないのは……わかって、いるのですが」


 今度は伏目になる。

 こればかりは仕方ない。


「余計なご心配をかけないためでした。ご容赦ください。代わりといってはなんですが、今後は殿下にもご相談します」

「……ほんとう、ですか?」

「ええ。ですから、今は少しお休みください。皆が心配します」

「……はい」


 障子戸なので電気を消しても明るい。

 仕方なく外の雨戸を閉めた。


「……さかき」

「はい、なにか?」


 殿下が手を伸ばしている。


「……ねむるまで、てを、つないでてほしいです」

「わかりました」


 片方で小さな手を取り、残る手で殿下の瞳を覆う。

 寝息が聞こえてきたのは間もなくだった。



     ◆



 殿下を寝かしつけ、自室へと戻る。

 精神と肉体、両方ともくたくただ。


「ヘイゾウさん、おかえりなさい」

「……ああ、ただいま」

「コーヒーを淹れました。どうぞ」


 促されるまま、リビングの椅子へと座る。

 眠りたいが、このままというわけにはいかない。


「どうぞ」

「ありがとう」


 カップを受け取り、一口含む。悪くないはずの一杯が殊更苦く感じられた。

 一息ついたら本題を切り出さねばならない。


「ノーラ、早速ですまないが、昨晩のことを教えてくれ」

「はい、私も驚きました。殿下がいらした正確な時間は分かりません。気が付いたらいらっしゃいました」

「君が気付いたのは?」

「水を飲みに起きたときですから、一時は過ぎていたと思います」


 ノーラの言葉に違和感を覚える。

 ちび殿下は心配性だ。翌日に公務を控えているのに、〇時を過ぎての外出をするだろうか。

 今回は特例といえなくもないが、いささか信じがたい。


「……どうかされましたか?」

「いや、なんでもない。それで、君はどうしたんだ?」

「驚いて、少しお話をさせて頂いて……、あの子猫を心配されていたので一緒にミルクを飲ませました」


「あの服装は?」

「シャツをお借りしたことですか? ちょっとしたお遊びです。あのくらいなら女の子はみんなしますよ?」


 そういわれると納得するしかない。

 半分夜勤をしたような動かない頭ではこのあたりが限界だ。


「ありがとう。君も疲れただろう。休んでくれ」

「はい。ヘイゾウさんもお疲れ様です」


 失礼します、とノーラは寝室へと戻る。

 横顔が笑っているように見えたのは気のせいではないだろう。


「まぁ……いいか。実害があるわけでもない」


 ノーラの真意はわからないが、それでも警戒するほどではない。

 殿下も口外することはないだろうから、ひとまず放置でいいだろう。


「疲れた……」


 ソファーに身を投げ出して目を閉じる。

 殿下とノーラ、二つの顔が瞼に焼き付き、なかなか眠ることができなかった。

 


     ◆



 夜の邂逅から数日、あれから殿下は頻繁に俺の部屋に入り浸る様になってしまった。

 子猫の世話をしながら、ノーラと言葉を交わす姿はなかなかに感慨深いものがある。


 ノーラは殿下にとっては初めて、同世代の友達。経緯はどうあれ、仲良くなるのは歓迎したい。

 しかし、かなりの頻度というのが頂けない。頂けないのだが、強くも言えず今に至る。

 おかげで殿下の体調管理が大変だ。


「殿下、そろそろお時間です。お部屋へお戻りください」

「……さかき、もうすこしだけ……だめですか?」

「ヘイゾウさん、私からもお願いします」


 殿下のわがままにノーラが同調する。

 二人は今、互いの髪をアレンジの真っ最中。

 

 殿下の長い髪をノーラが三つ編みにすれば、今度は殿下がノーラの白い髪をヘアピンで留め、俺の整髪料で整えている。

 おかげで子猫の世話は俺の担当だ。


「毎日毎日、飽きないものだな」


 女の子の遊びというのは男からすると奇異に映る。

 よくもまぁ、延々と続けられるものだと感心すら抱いてしまう。


「できました」

「……わたしも、です」


 手を取って立ち上がり、こちらにやってくる。

 出来上がったのは私服姿で三つ編みのツインテール殿下と近衛服を着た男装のノーラ。


「ヘイゾウさん、写真をとってくださらない?」

「……とって、ください」


 殿下が自分の携帯電話を差し出してくる。

 これが終われば御所に戻ってくれるのならば仕方ない。

 直虎さんが買ったという殿下のスマートフォンを受け取り、カメラを起動させた。


「準備はいいですか?」

「いいですよ」

「……どうぞ」


 二人が寄り添うようにしてポーズをとる。

 なぜか殿下が頬を染めていた。


「いきますよ、三、二、一……」


 音がして画面に二人が収まる。


「もう一枚いいですか?」


 ノーラのリクエストにもう一度レンズを二人へ向ける。


「日桜殿下」

「……!」


 シャッターが降りる寸前でノーラが殿下の頬に口づけをする。

 唇が当たっている時間は一秒にも満たなかっただろう。

 しかし、スマートフォンの中には決定的な瞬間が残ってしまった。


「ごめんなさい。お嫌でしたか?」

「……いいえ」


 驚きこそすれ、嫌がらない殿下は感触が残るであろう頬に手を当てた。

 顔が赤くなっているのが分かる。


「なんだよ、これ」


 甘く、濃密な光景に部屋を満たす空気すら糖化したような錯覚さえ覚える。

 ノーラの眼が殿下を見つめる。

 殿下は、といえばノーラと俺を交互に見ている。

 その瞳は戸惑っているようでもあり、喜んでいるようでもあった。



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