五話
午前の宮中行事を終え、午後からは鷹司の手伝いをする。
執務室へ行けば、そこには堆く積まれた紙の山が見えた。
「適当に処理していけばいいですか?」
「ああ、分からないことがあれば聞け」
鷹司はすでに机に向かい、認可書類に目を通しては判を押している。
今日の仕事は海軍や海上保安庁との連携費用の決済、使用備品の補充費用を算出していく。
「まずは、このあたりからだな」
とりあえず簡単な太平洋での近衛、海軍、海上保安庁の三者連携で使った船舶燃料の決済に判を押していく。
これは俺が京都に行っている間に実施されたものらしく、主に領海付近での不審船や潜水艦探知を目的として実施された。
日頃から仲の悪い海軍と海保を相手に鷹司が実費は近衛から出すことで了解をとっていた。
今回は各所から上がってきた請求と実際に使ったであろう費用とを照らし合わせていく。
「はぁ、これはまた、ずいぶん大雑把な計算をしてくるな」
海軍から提出された請求は二割強の水増しがしてあるがこれは頂けない。
いくら実費を出すとはいえ、傲慢が過ぎる。
こちらで航行距離から算出された予算と、もう少し交渉術を勉強すれば少しくらいの水増しを認可しなくもない、という意見書を添付し、四〇隻分の資料を海軍あてに送り返す。
「つぎつぎ」
同じ要領で海保の資料も調べていく。
こちらは全体を通して一割弱増えているが、まぁこのくらいなら色も付けられる。近衛が乗船しているわけではないので、補充も簡単だ。
「決済、と」
済、の判を押し、これまた海保へと送り返す。
日本は徹底して記録を残すペーパワークなので誤魔化しが難しい。
確かにやりとりの推移も見えるので、時間の経過も追えるのだが、如何せん担当者の負担が大きい。鷹司が参るのも仕方がないだろう。
「手が抜けない人だからな」
横目で見れば、眉間にしわを寄せて唸っている。
きっとまたどうでもいい陳情に頭を悩ませているのだろう。
それが美徳でもあり、欠点でもあるのだが。
「向き不向きは……あるか」
気を取り直して使用備品の補充に目を通す。
使われたのは主に食料や水、航海中に破損したエンジンや船体の修理費用などである。これらもあらかじめ近衛内で予算が組まれているのでそこから割り振っていく。
こうしたとき、近衛の予算が大きいことは有利に働く。どんな請求をされてもだいたい事足りるので、あまり目くじらを立てることなく支払うことができる。
海軍のように入念な水増しをされたら却下するが、海保のように全体としてざっくり一割くらいなら余裕だ。
「ハイ決済決済」
判をどんどん押していく。
自慢ではないがこうした事務処理は得意でありまったく苦でもない。
少し笑ってしまったのは、護衛艦一隻の物資補てん請求について。
海軍艦は期間中、一週間に渡って特別装備を搭載していた。装備の名称は汎用決戦兵器甲一種裂海型。
これは近衛を指すもので、裂海型とはあの裂海優呼を示すもの。俺が乗れば榊型となるのだろう。
面白かったのはこの後。この甲一種裂海型が消耗した物品が列挙されているのだが、食料が二一〇食分になっている。単純計算だが、一日三〇食の計算だ。
「アイツは……どれだけ食べてるんだよ」
同じ時期に米軍のレーションも納入されているのだが、これにはほとんど手を付けていない。きっと不味かったのだ。
「これは申し訳ないことをした。十分な補てんをさせてもらいます」
裂海やほかの近衛が乗船した艦艇には多めに色を付けておく。
俺ができるせめてもの償いだ。
「お次は手配だな」
続いて全国に展開する各隊から集まる衣服の修理や新品の手配、刀のメンテナンスに関わるものを処理していく。
物は使えば当然すり減る。汚れもすればほつれて穴も開く。
各隊から上がってくる制服の要求数に合わせて、新たなものを手配していくのだが、どの隊も実戦部隊だけあって要求数が多い。特に年間出撃三〇〇回を超える北海道、奥尻に駐留する第一大隊は損耗が酷い。
「ちょっと足りないな。京都支部は暇そうだったし、そっちから回すか」
少し足りなそうなので、京都支部へ制服の余りを奥尻へ送るよう命令書を作成し、鷹司の名前で送る。
京都を預かる第七大隊長、鶴来の渋面が想像できて笑ってしまった。もう少し苦しんでも罰は当たらない。
続いて今治で近衛向けの特殊繊維を作る会社へ資本金の増資と工場拡大のための補正予算案に目を通して、了承の旨を担当者へ送る。
防刃、防弾繊維は今後輸出も見込める素材なので作っておいて損はないだろう。
ここまでが大体二時間。書類はまだまだ減らない。少し休憩でもしようと鷹司に話しかける。まさか一人で、というわけにはいかない。部下の常である。
「副長、お茶にしません?」
「……ああ、任せる」
「聞いてないな、この人は」
「ああ、任せる」
真剣な眼差しでパソコンの画面に見入る姿は普段にはない憂いがある。
見ているだけなら美人なので、仕方がないなと思うことにしよう。
一旦執務室をでて、食堂でペットボトルのお茶と甘いものを貰う。
鷹司の好みがわからないが、羊羹とチーズケーキがあれば大丈夫だろう。
「副長、お茶とおやつです」
「ああ、任せる」
「……アホですか」
パソコン画面の前にペットボトルのお茶を置き、
「さ、榊?」
「羊羹とチーズケーキ、どちらにします?」
キーボードの上にお菓子を並べる。
「貴様……」
「効率を考えた方がよろしいかと。真面目なのは美徳ですが、根を詰めすぎるのは愚か以外の何物でもありません。適度な休息と息抜きは必要です」
真顔で迫れば、
「あ、ああ」
あの鷹司がやたら素直に頷く。
鬼の霍乱だろうか。
「それで、羊羹とチーズケーキ、どちらになさいますか?」
「ち、チーズケーキ」
「どうぞ」
鷹司は作ってから三日しか日持ちしない、バターとチーズを凝縮したようなチーズケーキを手に取るのだが、手の上で弄ぶだけ。
俺は残る羊羹に齧り付き、甘さを十分に堪能したところでお茶で嚥下する。
うん、急須で淹れた濃い煎茶がほしいところだが、それは贅沢だ。
「それで、何を悩んでおられるのですか?」
「……わかるか?」
「今の副長を見て何もないと言い切れるのであれば近衛失格です」
「減俸にするぞ」
「これ以上減るものなんてありませんよ」
「……そうだったな。これだ」
鷹司が見ていたのは、先頃なにかと話題にのぼる中央アジアから東欧にかけて頻発する民主化運動の続報。
民主化、といえば聞こえはいいのだが、実際はさらなる強権独裁の懸念があると書かれていた。
報告書には背後には共和国の影があると書かれている。
そして、日本にもある程度影響があること、今後への懸念まで添えてあった。
「これまで倒された政権は三つ、うち二つは王制を布いている。しかし、独裁とは言い難く、かなり開かれた王制であるともいえる」
「まぁ、最初の一つは圧政も圧政の独裁政権ですがね。しかし、続く二つは意図的な王制批判がある、ですか。打倒の火種としては十分、いささか過剰とも思いますが……」
近代国家において、王制が必ずしも不向きであるとは言い難い。
かといって民主主義が最良であるわけでもない。今現在は民主主義での成功例が多いというだけだ。
しかし、王制は主権を握る一族への負担が大きく、また腐敗しやすい傾向にある。
それを口実に共産主義が入り込み、思想を流布すれば瞬く間に広がるだろう。
なにせ、虐げられてきた側や弱い立場にいる人間は平等という言葉に弱い。
「夜明けといわれているそうだが、私からすれば踊らされているだけに過ぎない。本当の脅威が何なのかもわからず、盲目に従うは愚かにもほどがある」
鷹司は不満そうにチーズケーキを口に押し込む。
一個を一口で飲み込むと、火が付いたように次々口にしていく。どうやらお気に召したらしい。
「共産主義の恐ろしいところは、お題目の綺麗さです。身分差がなくなる、誰しもが平等に得ることができる。助け合い、施し合う。実に素晴らしい」
「貴様はそう思っていないようだな」
鷹司がお茶を飲みながら嫌らしい顔を向けてきた。
「当たり前です。平等なんて下策もいいところですよ。自分の力で勝ち得ないものなど、何の価値もありません」
「さすが、金の亡者は言うことが違う」
「元、ではありますがね。人間はそれぞれに価値観が違うものです。違う価値観を持つものが平等の名のもとに分配されたとしても、意味がない。そして、互いにそれが分かるから悲しいのです」
ここでふと、俺の部屋に一人いるであろう小さな女の子を思い出す。
彼女はこの夜明けと称する民主化運動の被害者。忸怩たる思いで今はいることだろう。
「……そうだな。平等に分け与えられた物の中でも優劣が生まれ、やがてそれを巡って争うだろう。そうなれば、長くは続かん。しかし、一度完成した統治システムを抜け出すことは難しい。一度革命をしてしまえば、革命政権が何よりも恐れるのは同じ革命だ」
「やはり人は心です。どこにいても、どのような環境にあっても、自らが考え、己の意思によって進むしかない」
「そして、その心を支えるのは国家であらねばならない」
一二個あったチーズケーキをすべて食べつくした鷹司が自らの頬を叩く。
目は覚めたようだ。
「さて、青臭い小話も聞けたところで仕事に戻るとしよう。貴様も忙しいと思うが、そのあたりは任せるぞ」
「副長も十分に青臭いでしょうに」
「ぬかせ」
肩を竦めてそれぞれの仕事に戻る。
さて、今日の残りは軍と一緒に発注する缶詰や食料、それに近衛内で備蓄する防災用の保存食と水の手配だ。
昨今のフリーズドライもいいが、日本人としては缶詰の技術向上は欠かせない。それらへの投資も含めて諸々検討する必要がある。
自分の口にも入るものだ、せいぜい美味いものを仕入れておこう。
◆
時刻は二〇時、一日の作業を終えて帰宅する。
手には残った仕事の書類。しかし、これは建前。
部屋で食事をとるための小道具に過ぎない。
「あー、疲れた」
肩をばきばきと鳴らしながら部屋に戻れば、
「ヘイゾウさん、お帰りなさい」
ノーラが迎えてくれる。
「ただいま」
「はい……」
両手を広げて待っている。
これはあれだ、ハグを要求されている。
「俺は日本人なんだが」
「して、くれないのですか?」
悲しそうな眼をされる。
いや、文化の違いを述べたつもりなのだが、そういうリアクションは困る。
それに殿下の件もあるのでおいそれとするわけにはいかない。匂いでバレた、なんて目も当てられないからだ。
「お父様はしてくれました」
ノーラの目尻に涙が浮かぶ。
俺は父親ではないのだが話が進まなそうなのでハグをした。
外出の際には香水でもつけようか。
「どうぞ」
ハグのあとはノーラが律儀にも手を出してくれるので、つい上着を預けてしまう。
京都の朱膳寺邸でも思ったが、誰かが出迎えてくれるのは悪くない。
「近衛の仕事ってずいぶんかかるのですね。もう少し早く終わると思っていました」
「デスクワークが重なったからね。明日はもう少し早くなるようにするよ」
「お風呂の支度ができていますけれど……」
「先に食事にしよう。手配してあるからもうくるよ」
タイミングよくインターホンが鳴る。
そこで勘が働いた。これは、いや、ほぼ間違いない。
「ノーラ、少し隠れていてくれ」
「? わかりました」
寝室の奥にノーラが引っ込むのを確認してから玄関へ出た。
「ヘイ、お待ち!」
そこには案の定、裂海がいた。
額にはご丁寧に鉢巻が巻かれている。
「で、なんで今回もお前なんだ?」
「色々あるのよっ! 主に倫理的に!」
「はぁ? なにが倫理だ。こっちは勉強があるって言っただろう。それにこんなのもある」
カエルの如く頬を膨らませる裂海に、用意しておいた書類の束を渡す。
「うげっ、なにこれ!?」
「副長に任されている新しい防刃繊維の評価試験と、近衛導入にあたっての紡績先の選定、サンプルの手配等諸々」
「ヘイゾーってこんなのやってんの? 防刃繊維なんて考えたことなかったわ」
「今、お前が着ているのも防刃繊維。これからは帝国大学に協力してもらって新しい素材の開発もすることになる」
「……くっ、ヘイゾーのくせに」
裂海が口元に手を当てる。
思考の鋭さや考察の深さは常人を上回る彼女だが、こうした比較検討は苦手だということが分かっている。性格の問題も多分にあるのだろう。細かい数字は苦手らしい。
もう一つ付け加えるならば、彼女は刃を受ける前提で戦っていない。
常に先手必勝、先の先を狙う立場だからだ。故に防刃繊維のことなど想像しにくいのかもしれない。
「あとな、昼間、お前が軍でバカバカ食った食料の補充をしておいた。一週間で二一〇人分も食うな」
「うぐっ……だって米軍のごはんって美味しくないんだもの! パサパサのパンに甘いだけのジャム、色だけのトマトスープなんて力が出ないじゃない!」
「だからって帝国軍の食料枯渇させるな」
裂海から皿を受け取り、話しを切り上げようとする。が、彼女は動かない。
「なんだ、お前も食べていくか? ただし、仕事の手伝いさせるからな」
「早く終わらせなさいよ! みんな揃って食堂で食べるのが普通なんだから!」
「……わかったよ」
どうやら裂海は裂海で食事に思うところがあるらしい。
言葉を真摯に受け止めつつ、こちらの事情を呑み込む。
あとで埋め合わせを考えることにしよう。
「じゃあ、頑張ってね!」
「ああ、お前もな」
風が起きそうなほど手を振って裂海が走っていく。
まさか部屋で食べることにこんな弊害があるとは思わなかった。
「大丈夫……なのですか?」
「まぁ、たぶん」
部屋の奥から顔をだしたノーラに笑みを向け、部屋の鍵を閉める。
これもどうにか考えなければならない。
「さぁ、食べよう」
夜のメニューはブラウンシチューにライ麦のパン、ピクルスにザワークラウト、ソーセイジが数種類。あとはウナギを含めた川魚の燻製にバターまで添えてある。
メニューはノーラがドイツ系と踏んだので、少し偏らせてみた。
「ずいぶん本格的なんですね」
「味も保証するよ」
「いただきます」
パンを切り分け、ナイフとフォークを手渡す。一人分の想定なので一対しかないが、俺は箸でいい。
前菜代わりに歯がきしみそうなほど酸っぱいピクルスを齧り、ソーセイジで追っかける。
濃厚な肉の風味と酢漬けの酸味が溶け合い、なかなかに美味い。
ノーラは黒いライ麦のパンを千切り、ウナギの燻製にバターを塗って一緒に口にする。
日本ではなかなかない組み合わせだが、ドイツやポーランド、ハンガリーなどではウナギや川魚の燻製とバターを合わせるのは結構ある。それも結構庶民の味だ。それを好むあたり、あまり上流階級でもないのだろうか。いや、断定するには早い。
「とても、おいしい……です」
小さな瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
懐かしい味というのは郷愁を誘う。思うところがあったのだろう。
「たくさん食べるといい」
「……はい」
嗚咽交じりの食事に俺も箸が止まる。
ドイツ系、それも川魚を食べる地域ということは、内陸側。海に面していない国で革命がなされた国は限られている、が――――。
今は止そう。思い出を使って誘導的に詮索をするのは、心が痛む。
そうでなくとも疲れているのだから、これ以上頭を使いたくない。
それに、調べれば調べるほど、城山の手の内という気がしている。
「俺もいいかな?」
「え、ええ、どうぞ。とてもおいしいですよ」
小さな手からパンを受け取る。
三つを一緒に口にすれば、なかなかの妙味だ。
「うん、美味い」
笑顔を向けて少しおどけて見せれば、憂いの表情が少しは明るくなる。
やはり、子供は笑っている方がいい。
言葉少なめな食事は、夜とともに穏やかに進む。