表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

水戸黄門退魔録

作者: あずびー

月明かりの中、二人の男が道を急ぐ。

江戸時代、街灯等ない時代。提灯ちょうちんの明かりだけを頼りに歩く。

山を越えた隣村まで所用しょようで出掛けた帰りだ。

季節は秋、日が暮れるのが早くなる時期。本当はもう少し早く帰る予定だったが、途中でひどい雨にみまわれ今の時間になってしまった。

「暗くなっちまったな」

「仕方ないさ。あの雨の中歩けば、下手したら道に迷かねね」

「そうだな、でも、あいつらが出たら・・・」

「だな、急ごうや。もう少しで村に着く」

二人が足を速める。月明かりの中、虫の鳴き声が響く暗がりに異様な音が混じっているのが感じられた

「何か聞こえないか?」

一人の男が不安気に声をあげたが返ってくる声がない。男は連れが歩いているだろう方を振り返る。

だが連れの姿が見えない。姿は見えないが、連れが持っていた提灯が、はるか頭上で自分を照らしていた。

震えながら見上げると、連れの男が大きな手に頭を握られているのが見えた。

声にならない悲鳴をあげ男が後ずさる。瞬間横から凄まじい勢いで弾き飛ばされた。

地面に叩きつけられた男が最後に見たのは、自分が持っていた提灯がまるで自分の命のように暗闇で燃えつきるさまだった。


『鬼』

東海道。あと一日位歩けば京都に入れる所にある旅籠はたご街に五人連れの旅の者が足を踏み入れる。

季節は春から初夏に入ろうかという頃、旅をしやすい季節だろう。

やや先を歩くのが、白髪はくはつ白髭しろひげの老人。ご存知水戸光國公みとみつくにこうだ。

光國の左後方を歩く屈強な男、渥美角之進あつみかくのしん。身長は悠に二メートルを越え、現代ならプロレスラーにいそうな体格をしている。刀をさしてはいるが、侍というより格闘家を感じさせる野性味れた男で、人間性を知らない人は、まず近寄らないだろう。

左後方を歩く若者。歳は15、6才といったところか、曲げは結わず、ざっくり切った髪を後ろで短く結んでおり、身長は百七十位だろうか、まだあどけなさが抜けきれない感じの青年、天草助三郎あまくさすけさぶろうだ。

助三郎の横を歩く少女。歳はまだ十才を過ぎた位だろうか、三人に遅れをとるまいと、やや早足気味に歩を進める。

「おいじいりんがつらそうだ。少し休もう」

助三郎が少女「りん」を気遣って、先を歩く光國に声をかけた、

「大丈夫! 平気だよ」

助三郎の気遣いを嬉しく思い、凛は助三郎に可愛らしい笑顔を見せる。

天草凛あまくさりん。小柄な少女で、少し異人の血が混じっているらしく、碧海あおみがかった瞳をしている。助三郎と同姓だが兄妹ではない。同じ里、天草の里の生き残りである。

「もうすぐ旅籠街はたごまちだ。今夜はそこに泊まるので一気に行こう」

角之進が歩を進める事を提案し、凛をヒョイと持ち上げ、自分の肩に乗せた。

凛が小柄過ぎるのか、角之進が大き過ぎるのか、少女は大男の右肩にスッポリと収まった。

「ありがとう角」

「かまわねえよ。凛、辛くなったらいつでも言えよ」

「うん」

たまに有ることなのだろう、肩に乗せられた少女は怖がる風もなくバランス良く乗っている

「角、次ぎは俺を乗せてくれよ」

気持ち良さげな凛を見て羨ましく思ったのか、助が角にせがむ。

「馬鹿か、おまえが歩けなくなったら地面をひきずってやるよ」

「ひでえこと言うな」

助は唇を尖らせながら光國の横に並んだ。

「爺。今回の旅は猿人えんじんがらみだそうだが、大丈夫なんだろうな?」

周りに人はいないが、あまり聞かれたくない会話なのか、助三郎はやや声のトーンを落とした。

「助さん、実際はあやかしに合わねば分からぬ。場合によっては、また凛とそなたの力を借りねばならぬかもしれん」

助三郎は歩を進めながら光國を睨みつける。十代半ばの少年が、天下の副将軍にとる態度ではない。

「この前のように、凛の命にかかわるような事が続くなら、俺達は水戸家から出て行くからな」

「助よ、お前の言いたい事は分かる。でも御隠居も好きで危険に身をさらしているのでわないぞ」

二人の会話が聞こえたのか、角之進が助三郎をたしなめるように頭をなでる。

「分かってるよ。お役目だろ」

「そうだ、尾張と紀伊は表で政治を司どり、水戸家は裏ではびこる 妖魔を倒す」

「知ってるよ! でもその度に凛が危ない目に合うのは許せねえんだよ」

「大丈夫だよ、助」

少し感情的になっている助三郎の頭の上から可愛らしい声がした。

見上げると、少女が微笑んでいた。その微笑みは、昔里で見た菩薩像、皆がマリア様と言っていた仏様の微笑みに似ていて、思わず声が出てこなかった。

「私は大丈夫!」

今度は力強く頷く。

「わ、わかったよ」

凛が言うなら仕方ねーやと渋々黙りこんだ。いや実をいうと、凛の可愛さと清楚さにあてられて何も言えなかったのだ。まだ心臓がドキドキしているのがわかる。

「なんだ? 何故俺は凛にビビってるんだ?」内心で葛藤する助三郎。「凛は同じ里の出身で、妹のような存在だ。赤子の時から知っている。なのにこのドキドキはなんだ」

「どうした助、赤い顔して。まだ怒ってるのか? もうすぐ宿場に着く。名産でも食べて機嫌をなおせ。ハハハハ」

助の心のうちを読めない角之進が、彼の背中を叩きながら豪快に笑った。

「そっそうだな、旨いもの旨いもの。このあたりはなにが名産かなー 楽しみだなー」

内心を読まれるのが嫌で、違う話題に走る助三郎。気づかれぬよう凛の方をみる。彼女は大きい肩の上でゆられながら、幼い笑顔ではしゃいでいた。その姿を見て「やっぱり凛は凛だ」とほっとする助三郎だった。



「賑やかな旅籠街ですな」

ほどなく四人は旅籠街にたどり着いた。角が町の人混みを見て、素直な感想を口にする。町は何処ぞの城下町のような賑わいぶりだ。

「宿を探してきます。御隠居ごいんきょ達はあすこの茶店で待っててください」

角が足早に町の奥に入り、姿がみえなくなる。光國達は空いている椅子に腰をおろした。助は座るや否や、団子を人数分注文する。

「泊まる所あるかな?」

凛が町の人混みを見て、心配そうにお茶を飲む。彼女が心配するのも無理はない、今まで年齢としのわりにあっちこっちと旅してきたが、こんなに人で溢れている旅籠街は初めてだ。

「大丈夫だよ凛。角さんがなんとかしてくれるじゃろう」

不安げな凛を見て、光國が頭をなでる。この白髪の爺は決して気休めだけでは発言しない。角なら必ず旅籠でなくても、泊まれる所を探してきてくれるだろうと信じているのだ。

「そうだぞ凛、角ならいざというとき、泊まっている奴等を追い出してくれるさ。いや、角の姿を見たら逃げ出すんじゃねえか。わはははは」

「もう助はいつも、角に対してひどい事をいうわね」

「悪い悪い。あいつを見てるとからかいたくなるんだよ」

凛もそうだが、助も角が大好きなのだ。本人には決して言わないが、実の兄のように慕い、尊敬もしているのだが、素直になれないでからかうような態度をとってしまう。角も今の関係を楽しんでいる感じだ。

「その親子連れは、鬼に喰われたらしいぜ」

凛と助の会話を聞いていた光國の耳に、不穏な単語が飛び込んできた。

「鬼? ここの旅籠に?」

光國が声の方を振り向くと、三人連れの男達がお茶をすすっていた。

「道中、知り合った親子連れと、行く先が同じだから、朝に待ち合わせていたんだが、一向に来なかったんだ」

「先に行ったんじゃねえのか」

「いや、ここの旅籠街では、子供連れの旅人がちょくちょくと消えているという噂だ」

「本当なら恐いな」

「まあ、消えたのは親子連れだけみたいだから、子供が危ないんじゃないか」

「俺達は子供がいないから大丈夫だな」

「ああ、そうだな。じゃあ、早く泊まる所をさがすか」

男達は立ち上がり、町の中に消えて行った。その背中を見送った後、光國は助三郎の方へと視線を移す。

「だから! 里にあったあれは菩薩様だって」

「そうだったかなあ? よく覚えてないよ」

どうやら里の話に夢中で、男達の話は聞かれなかったようだ。助に鬼の話を聞かれると、「また、凛に何かをやらす気か!」とえらいけんまくになりかねない。だが噂とは言え、立場上素通りはできない。あれこれと思案している所に角が戻ってきた。

「なんとか宿がとれましたよ」

人混みの中、迅速に探しまわったせいか、角にしてはめずらしく、少し疲れた様子で椅子に腰をかけた。

「いやー参りましたよ。ここで最後かなという外れの宿で、子供もいるので、何とかならないかと頼んでいると、たまたま居合わせた役人が部屋を譲ってくれまして」

「役人が?」

「はい、今日は使わなくなったとかで」

「それは助かりましたね」

光國が顎髭あごひげをさわりながらほくそ笑んだ。白髪の老人がこの笑みを見せた時は、必ず何かを企んでいると角は承知している。

「何かありましたか、御隠居?」

「後で話ますやよ角さん。それより団子が危ないですよ」

凛が「角の分だよ」と言って残していた団子に、助が手を伸ばしていた。

「こら助! それは俺の団子だろ!」

角が巨体に似合わない速さで、だんごを奪取した。

「ちぇっ! 爺さん教えるなよ」

助が光國に悪態をついてる中、角が団子を一気に口の中に入れた。

どうやらこの男は、風体に似合わず、甘いものが好きなようだ。

「もう助は、自分の分はさっき食べたでしょう」

「ここの団子、旨いんだよ。もう少し食べたいなあって」

年下の少女にたしなめられて、唇を尖らせる助。妹に叱られる兄のようだ。

「ハハハ、じゃあ追加を頼むか」

「おっ、気がきくじゃねえか、爺さん」

「こら! 爺さんじゃない! 御隠居と呼べ・・・ 御隠居、俺の分もお願いします」

「もうー 二人とも、晩御飯を食べられなくなっても知らないよ」

「ハハハ、一皿づつ位よいじゃろう。食べてから宿に入るとしましょう」

追加した団子にがっつく二人。その様子を呆れながら見る凛。皆の事を眺めながらも、光國の思考は先程の鬼の話に向けられる。

「親切な役人と鬼ですか」

皆に聞かれぬよう一人ごち、助達を見て笑っている凛を見る。

「また危険な目に合わせますが、必ず護りますよ」

少女に謝りと誓いの言葉をつぶやく老人の髭を、初夏の風が静かに揺らした。





「さあさあー お待ちしてましたよ」

宿に入るなり、かっぷくのいい女将が一行を出迎えた。

女将は皆を、離れの部屋へと案内する。

「さあ、こちらの部屋ですよ」

案内された部屋は、二間続きで、客間というよりは、宿主が暮らしていたような雰囲気がある。

部屋全体から、い草の香りがして、畳を替えてから間がない事を伺わせる。

「離れの良い部屋ですな」

「はい、ゆっくりくつろいでくたさいな」

光國の言に笑顔で応える女将、お茶を注ぎながら、視線を凛に移した。

「女の子はお嬢ちゃんだけかい?」

「うん」

「じゃあ、隣の部屋は布団を一つだけ敷いておこうか?」

女将の問に、凛が光國の顔を見た。

凛も年頃の女の子なのだ。兄妹のように育った助にも、異性を感じ始める微妙な歳で。もし一人で寝れる機会があればそうしたい。でも、わがままを言うには気がひけるのだろう。

「そうしてもらおうか凛」

「いいの?」

「かまわんよ」

「ありがとう。爺」

凛が満面の笑みを光國に向ける。はたから見ていると、本当の孫と祖父に見えるだろう。

「じゃあ、食事の後に布団を敷きに来ますね。 あっ! お嬢ちゃん、食後に羊羮ようかんを持ってくるから、食事は腹八分目でね」

女将が凛の頭を撫でてから、出て行った。

「なかなか、人が良い女将じゃねえか。こりゃあ、夕飯に期待がもてるかもね」

助が顔をほころばせながら、降ろした荷物の整理をしている。

夕飯が楽しみなのは事実だが、なにより凛に気を使ってくれたが嬉しいようだ。

「そうだ凛、先に風呂に入るか。爺達はどうする?」

「わし達は、助さんが戻ってきてからで良いよ」

「分かった、凛行こうぜ。離れの風呂は女専用って女将が言ってたから、俺は向こうの風呂に行ってくるよ」

「うん」

凛と助が出て行った後、光國は先程聞いた鬼の件を角に話す。

「ほうー 鬼ですか」

「あくまでも噂ですがな」

「凛が入っている浴場が危ないのでわ?」

「大丈夫でしょう。女将は羊羮を勧めていましたから」

「寝入ってからという事ですね」

光國と角が話を進めている時、一匹の黒猫が何処から入り込んだのか、老人の足に頭をこすりつけてきた。

普通なら訝しく思う所だが、白髪の老人は猫の頭を軽く撫でる。

弥晴やせいですか?」

「そのようですな」

光國が猫の喉を指で撫でると、不意に猫の姿が消え、ふみ、今で言う手紙が残されていた。

「さすがは手練れの陰陽師。猫は式ですか」

「弥晴が使役している式神の一つですよ」

光國が弥晴からの文を広げ、行燈(あんどんに近づける。

陰陽師の弥晴。水戸家が抱える陰陽師で、忍びとしての心得もあり、主に情報収集で水戸家の仕事を裏から支えている。

「で、弥晴は何と?」

少し厳しい表情をした光國に、角が心配気に尋ねる。

光國はしばし間をおき、顎髭をさわった。

「今向かっている、丹波亀山藩の城下町から、山を一つ越えた所にある村に、夜は立ち入るなと書かれてますな」

「何があるのでしょうか?」

「弥晴は死人の村と書いています」

「死人ですか?」

「それと、城内に式が放てず、内情を掴めずにいるようです」

「弥晴ほどの手馴れがですか」

「うむ、気になりますが、まずは今夜です」

風を入れるために、開け放たれた窓を見る光國。

満月に近い月光が、これから起きるであろう事態に巻き込まざるおえない、少年少女の事を思う老人の顔に陰を落とした。



「あー うまかった!」

光國と角之進が、風呂から帰ってくるのに時を合わせて夕飯が並べられ、食べ終えた助が満足気に楊枝をくわえた。

食事を運ぶ中居に、この旅籠街が何故混んでいるのか尋ねると、一つ先の旅籠街で疫病えきびょう騒ぎがあり、宿を求める人がこの旅籠街に集中しているとの事だった。

「旅籠のわりには、いい食事でしたな」

角が湯飲みに注がれた酒を、お茶を飲むように呑み干した。この男は甘い物好きの酒呑みらしい。    夕飯は角が感想を延べたように、旅籠でだされる料理にしては、豪勢な物だった。

「おっ! 角。羊羮食べないのか?」

角と光國の前に、手付かずでおかれていた羊羮に、助が手を伸ばす。いつもなら角が、羊羮を死守するのだが、今回はあっさりと奪取できた。

「あれ! 角羊羮食べないのか?」

肩透かしをくらった助が、同じ言葉を繰り返した。

「今日はいらねー」

「角が甘いものを食べない?」

「どこか調子が悪いの?」

角と助のやりとりに、凛が心配気な声をあげる。

「大丈夫だよ凛、酒をもう少し呑もうと思ってな」

角が凛の頭をなでている時、女将が食事の片付けにやってきた。

「お疲れでしょう。片付けたら、お布団敷きましょうか」

「そうしていただけますか」

女将が食器を片付けだしたのを見て、助が慌てて羊羮をほうばる。

「凛、爺が残したのを食うか?」

「あたしは、一つ食べたからいいよ。お腹一杯」

「そうか、もったいねえから、俺が食う!」

助が残っていた羊羮をたいらげた。空になった皿をニコニコしながら女将が盆に乗せ片付ける。

「あふぁー 一杯食べたせいか眠くなってきたよ」

助がウトウトと、今にも寝落ちしそうになっている。それにつられてか、凛も目をこすり、大きなあくびをした。

「疲れてるんだね、直ぐにお布団敷くからね。お嬢ちゃんの分は、隣の間に敷いとくね」

中居なかい達が布団を敷き終わると、助はすぐに横になり、寝息をたて始めた。

凛は眠いのを我慢しながら、寝間着に着替え、光國達に「おやすみなさい」と告げ、仕切りのふすまを締めると、直ぐに寝入ってしまった。

光國と角は、少し話をした後、行燈の火を消して横になった。

何時なんどきが過ぎたろう、光國は凛が寝ている部屋から異質な空気が流れ出しているのを感じた。

「角さん、来ましたよ」

角は巨体にそぐわない速さで起き上がり、素早く行燈に火を灯した。光國はすでに、襖の前で杖を持ち、角がくるのを待っている。

二人は、目で合図して、同時に襖を開け放った。

開け放たれた部屋には、凛が可愛らしく寝息をたてていた。その枕元に異様な人影が、行燈の灯りに照らされ、立っているのが見えた。

人影と称したが、あきらかに人ではない。異形の鬼だ!

身長は凛よりやや高い位たが、顔が人のそれではない。鼻は前にせり出し、口は耳元まで裂け、耳が異様に尖っている。

目だけが人間そのもので、青い眼球が人であることを誇張しているように見えた。

顔だけなら、西洋の狼男を連想させるが、身体が脆弱すぎるのだ。下腹が異様に膨らんでいて、細い手足に、大きめの頭がアンバランスさを感じさせる。

「御隠居・・・」

「うむ」

しばし、その異形さに目が釘付けになる二人。

光國も、今まで対峙したことのない鬼の姿に、動けないでいた。

鬼が鋭い犬歯を見せながら、威嚇するように唸る。唸りながら濃い瘴気を吐き出した。

瘴気は部屋中に漂い、他の妖魔を呼んでしまうのではないかという位にあふれる。

鬼が細い腕を、凛に伸ばそうとした。

瞬間、角が弾けるように動いた!

相撲の立ち会いで、行司の合図と共に弾ける力士のように。だが、そのスピードは、力士の比ではない。

驚異的な瞬発力で、鬼に突進して、張り手をくらわせる。

張り手をくらった鬼は、後方に飛ばされ、天井にはりついた。

いや、張り手はくらっていない、自分から後方に跳躍したのだ。 天井の梁に、足で器用にぶら下がり角を睨み付ける。

        ヒシューーーシューーーシューーーーー ギュギューー

異様な呼吸音が真夜中を支配するかのように響く。

        ギューーギューー ウオーーー ウオーーー

鬼がゆらゆらと揺れながら、小さく吠えた。

吠えながら、ゆらゆらと青い瞳で角と光國を交互でみる。

        ギュウォーーー ギギィーーーーー

鬼が揺れの反動を利用して、角に飛びかかった。

角はギリギリで鬼をかわし、すれ違いざま後頭部に手刀を叩き込んだ。鬼の速度が遅いのではなく、角の運動能力が凄いのだ。

鬼は畳の上に落ち、素早く逃れようとしたが、角が瞬時に背中から踏みつけた。 鬼がギィーギィーと鳴き、細い手足をばたつかせる。

光國が懐から拳銃を取りだした。当時の火縄式の短銃ではなく、柄の部分に三葉葵みつばあおいの紋章が彫り込まれた拳銃で、とても江戸時代の銃には見えない。

光國は鬼の頭に狙いを定め、躊躇ちゅうちょなく引き金を引いた。

     シュッ!

轟くような銃声ではなく、サイレンサーを着けたような銃の音がした。しかしこの時代、サイレンサーなど存在しない、これが、この銃「葵退魔銃あおいたいまじゅう」の銃声なのだ。

後頭部を撃ち抜かれた鬼が、一瞬だけ痙攣し動きを止めた。

飛び散る鮮血が、老人と大男の頬を赤く濡らす。

角が鬼をゆっくりと蹴り、仰向けにした。鬼はせり出した口から舌を出し、青い瞳からは光を感じられなかった。

光國は、ゆっくり目を閉じさしてから、鬼の足元にゆっくりと手をかざす。

「オン、アビラウンケン、ソワカ」

孔雀明王呪を唱えながら、股間、お腹、頭へと手のひらを移動していく。

異様に膨れたお腹の上を、掌が通過した時から、小さなコブが光國の手に引っ張られるように、食道から喉へと鬼の体内を上ってきた。

鬼の舌を、滑り台のように滑りながら、丸い肉塊が出てきた。

肉塊は身体を丸めた胎児のように見える。

      ちぃーー

肉塊が小さく鳴いた。虫の鳴き声のような大きさだが、その一鳴ひとなきで、部屋中の瘴気が一段と濃さを増した。

常人がこのきを聞いたら、とたんに正気を無くし、狂ったように周りにいる人間を殺しまうのではないだろうかと思われる程、悪気に満ちた鳴きだ。

白髪の老人は、再び銃を取りだし、肉塊を撃ち抜いた。

肉塊は飛散する事なく、煙のように、嫌な臭いだけを残し消滅した。

光國はその場で膝まつき、両手の平を鬼の身体に当てる。

「オン、カカカカ、ミサアマエンソワカ」

「オン、カカカカ、ミサアマエンソワカ」

何度か地蔵菩薩呪を唱えた後、天井を見つめて合掌した。

鬼の体に変化が表れた。異様に出ていたお腹が引っ込み、せり出した口、尖った耳も形を変え、痩せた銀髪の少年の姿になった。

少年の姿になっても、生き返る事はない。既に絶命していて、所々ミイラ化している箇所もある。

「御隠居、これは?」

角が、いたいけな少年を見て、光國に問うた。

「この銀髪からして、西洋の血が流れている少年でしょう」

「少年が何故鬼に?」

「西洋に狼男という怪異があるそうです、恐らくはその先祖返りでしょう」

「狼男?!」

「狼男に餓鬼が憑依したのかもしれませんね」

        ダッ!

「貴様ら! 何をしている!」

光國達が少年を弔おうとしている時、入口の襖が開けられ、数人の役人が入ってきた。

「あの役人です。部屋を譲ってくれたのは」

先頭の役人に見覚えのある角、小声で光國に囁いた。

役人達は刀を抜き、光國達を取り囲む。普通なら、捕らえようとするはずなのに、明らかに切り捨てようという意図がみえた。

「角さん、弔いの邪魔です。黙らせてあげて下さい」

「承知!」

角が光國を護るように前に立つ。この騒ぎの中でも助と凛は起きる気配をみせず、安らかに寝息をたてている。

「こやつら! 歯向かうかー! 子供を殺した罪で切り捨てろ」

角に部屋を譲った役人が、怒鳴るように指示をだした。

刀を振りかざした役人が次々と角に切りつけていく。が誰一人、刀さえ抜いていない角に、傷を負わせる事はできない。

角はギリギリで太刀筋を読み、相手に素手てダメージを与えていく。ダメージと言っても、軽いものではない。

最初の男は、刀をかわされた瞬間、拳で鼻を潰された。次の男は、手刀で耳をそがれた。次の男は股間に蹴りを入れられ悶絶した。

渥美角之進。この男は、この時代の拳法、柔術、琉球空手にも精通している無手で闘う達人なのだ。

「もういいじゃろう角さん」

半数以上の役人が、戦闘不能に墜ちた時、光國が懐から印籠を取りだし、角に渡した。

「者共、この紋所が目にはいらぬか、このお方をどなたと心得る。さきの副将軍、水戸光國公にあらせられずど。一同の者、頭が高い、控えおろう」

印籠を前にした役人達は、目を向き、膝まづく。先程までの威勢はなく、ガックリと肩を落とす。

「どうしてこのような経緯になったのか説明してもらおうか」

光國が杖で、部屋を譲った役人を指した。

部屋を譲った役人が、阿川薬樹と名乗り、ここらの旅籠街を護る旅籠頭の役人であると告げた。

観念した阿川が語るには、この少年は、この旅籠の先代の娘と異人との間にできた子供だという。

先代の娘は、子供を産んだ後、体調を崩し亡くなり、異人の父親は行方不明との事だった。先代はこの子を大層可愛がっていたが、他界してしまい、あとを継いだ息子は、甥である少年の容姿を嫌い、部屋に閉じ込め、餓死させたしまったらしい。

その後、この様な怪異が始まり、退治しようとしたが、被害が増えるばかりだったという。

藩主に相談のため使いを出したが返答がなく、鬼を外に出さないために、親子連れをこの部屋に招いていたいたらしい。

「この鬼は、親子連れしか食べないのでござる。我らとしては、この方法しか思い付かず、仕方なしに」

「仕方なしとは聞き捨てならぬ。何人の人が犠牲になった!」

怒りに拳を突き上げる角を光國が制する。角はいたいけな子供達が、恐怖と絶望の中で食い殺されたのが許せないのだ。

「阿川よ、水戸藩はこういう事態に備えて、常に窓口を解放しているはずじゃが」

光國が統括している退魔藩水戸家では、怪異に対して、藩主を通さずとも直訴できる体制を作っている。

要所要所に陰陽師による式所を設け、陰陽網という式神によるネットワークをつくりあげ、全国から情報を集めているのだ。

近くの式所に直訴すれば、式神が式所を介して水戸藩に連絡がいく仕組みになっている。

今回の猿人絡みの旅も、ここからの情報で始まった。

「鬼は餓鬼じゃ。何人与えようとも、満たされる事は決して無い。阿川よ、そなたには、裁きがあるまで、謹慎を申しつける」

角が項垂れる役人達に睨みをつける中、光國は再び少年の前て膝ま着き印を結ぶ。

「オンカカカミサアマエンソワカ、オンカカカミサアマエンソワカ」

地蔵菩薩呪を何度か唱えると、少年の周りに暖かい空気が満ちた空間が産まれた。常人には見えていないが、呪を唱える老人の目には、菩薩様が少年を抱き上げ、昇天していく姿が映っていた。

光國は少年の亡骸に手を伸ばし、痩せこけた頬を優しくなでた。

「そんなに親子連れが恨めしく、そして羨ましかったのか」

今にも目を開けそうな少年に尋ねる。だが痩せこけた少年が応える事は無い。

溢れる涙が、少年の銀髪を濡らした。



「なんなんだあの旅籠は」

朝早く宿を後にした光國一行。助がぼやきながら歩を進める。

部屋を片付け、なかなか目を覚まさない助と凛を起こし、何事もなかったように宿を出てきたのだ。

少し早い出立だが、二人には天気が怪しいので、早目に出ると説明していた。

「何を言ってるんだ」

角がでかい身体を助に近づけながら、上から見下ろした。

「いやー 昨日は良く接待をしてくれたのに、今朝は朝飯はおろか、見送りにも出てこない」

「ハハハハハ、我らが朝早く出たせいだろう。それより凛はどうしたんだ?」

やや後ろを、ブツブツと呟きながらついてくる少女を、振り返りながら角が尋ねた。

「あー 何でも夢に出てきた銀髪の少年に何度も「お爺さんに、ありがとう」って伝えてと言われたらしい」

「ほうー 銀髪の少年!」

「その少年が誰なのか思い出せなくて、気持ち悪いらしい」

角が助から離れ、少し前を歩く光國の横にならんだ

「御隠居、聞こえましたか?」

角の問を、白髪の老人は静かな微笑みで返した。

二人とも、後味の悪さがぬぐえず、気が晴れない状態だったからだ。少年の「ありがとう」は、老人と大男の心を晴れにし、今の天候をも、晴れなにしてくれるのではないだろうかと思えるくらい、スッキリした気持ちに切り替えてくれた。




死人しびと

光國一行は、あと一山ひとやま越えれば亀山藩の城下町という所まできていた。太陽はまだ高く、無理をしなくても日暮れまでには山を越えて、城下町に入れるだろう距離だ。

「御隠居、このぶんですと、今日中には城下に入れそうですな」

角がきつくなってきた日射しに手をかざした。

「そうですな。でもその前に、弥晴から報告を受けた村を通らねばなりませんね」

「まだ、陽も高いので村は抜けれるでしょう。それに、庶民の怪異は高野の管轄です」

「そうですが、無視はできません」

「わかってますが、多分弥晴が山所に報告して、もう高野山からの退魔師が解決しているかもしれません」

この時代、役人、武士等の権力が絡む怪異は、水戸藩が式所からの報告を受けて対処するが、町民、農民での怪異は山所に報告がいき、高野山が対応する事になっている。

「だといいのですが・・・」

少し不安気な横顔を見せる光國。この老人の経験が言わせる言葉かもしれない。

「どうしたんだよ、二人とも浮かない顔して?」

助が先を歩いていた光國達を追い抜き、振り向きざまに二人の顔を見た。後ろを歩く凛も心配気な顔をしている。

「これから山越えだからな、二人とも大丈夫か?」

角が話をそらす意味で、浮かない原因はこれだよと言うふうに、二人に尋ねた。

「何だよ、そんな事心配してるのか」

「そうよ、何度も山越えしてるから大丈夫よ」

助はガッツポーズで、凛は元気さを笑顔でアピールした。

「おっ! 畑があるぞ。村が近くにあるのかな」

先を歩いていた助が走り出したが、異様な雰囲気に立ち止まった。

畑は荒れほうだいで、雑草だらけになっていたからだ。

「なんだこの村は?」

助が荒れ果てた畑を見ていると、生い茂った雑草の隙間に動く物があった。着物を引きずる人のように見える。

「人がいる!」

助の声が聞こえたのか、雑草の中の人影が畑の奥へと移動していく。助が雑草をかき分け、動いているものに追い着いた。

「捕まえたぞ!」

青年が鼻息を荒くして、着物の裾を持ち上げた。しかし掴んでいるのは着物だけだった。

少し先の方を見ると、裸の女の子が倒れている。

今まで見たことのない金髪。肌の色は、まさに透き通るという言葉でしか表現できない程の白さだ。

しなやかな肢体は華奢で、触れれば今にも壊れてしまいそうな印象を受ける。小柄だが、体つきからして助と変わらない年齢ではないかと思われる。

気絶しているのか、目を閉じて動かないが、呼吸して動く胸が生きている事を伝えている。

凛も美少女の部類に入るだろうが、この娘の美しさは次元が違う。

例えば、景色の美しさと宝石の美しさ、どちらも美しいが、比べる比喩が違い過ぎるように。

「誰かいたの?」

助が少女の裸体に魅とれていると、後ろから声がかかった。

振り返ると角が、その肩の上に凛が座っている。

「いや! これは事故で。俺が無理矢理に着物をはぎとったわけじゃなく! あわわ、あわわ」

「何を言ってるの助?」

凛の目に、着物を振り回しながら、慌てふためく青年の後ろに、裸の女の子が見えた。

「すーけぇー、これはどういう事かしら」

二メートル以上の頭上から声が響く。まるで神からの審判を受けるように。




「御隠居、もうすぐ日が暮れます」

「仕方ありません、今日はここに泊まりましょう」

助が気絶させてしまった金髪の少女を、角がこの空き家とおぼしき家に運んで来てから、そこそこの時が過ぎた。

金髪の少女は穏やかな呼吸をし、瞼を開ける気配はない。

「御隠居、初めに入った家にあった遺体ですが」

「角さんも気付きましたか」

角が少女を介抱しようと入った家に、ミイラ化した遺体が転がっていて、助と凛には「犬が死んでいるから」と説明して、今の家に移動したのだ。

「はい、退魔師の着物でした」

「恐らくは高野者でしょうが、弥晴の報告からの日数にしては、遺体の状態がおかしいですな」

前の旅籠で、弥晴から式による報告を受けて、七日ほどしか経っていない。弥七が山所を通じて連絡し、高野山から退魔師がきていたとしたら、遺体の進行が早すぎる。それに、高野の退魔師が殺られるほどの怪異とは。

光國があごひげをさわる。思考をめぐらす時の仕草のようだ。

「ねぇ助。どうしてここの村には、この娘しかいないのかしら」

「もうー さっきからその質問ばっかだな」

光國と角から少し離れた板間に、布団で寝ている金髪の少女。その側に助と凛が座っていた。

凛は少女の事がかなり気になるらしく、ちょくちょく寝顔を覗き込む。

「それにしても、綺麗な髪ね。羨ましいわ」

「そうだな、見事な金髪だものな」

「違うよ! 金髪は綺麗だけど、私が羨ましいのは、直毛の美しさよ」

小柄な少女が、青年の言葉を強く否定した。

凛の髪はやや癖毛で、微かに覚えている母親の長く美しい黒髪に憧れがあるのだ。

金髪は美しいが、母親の長く光る黒髪が一番美しいとを思っている。

凛の声が大きかったのか、金髪の少女が小さく首を振り瞼を開けた。

金髪の少女は、自分の置かれている状況が理解できないのか、暫く天井を見つめた後、助と凛を交互に見た。

「大丈夫? 痛い所ない?」

凛が少女の、ブルーの瞳を見つめ、話しかける。正にブルーの瞳。凛もやや碧みがかった瞳をしているが、金髪の少女は、髪の色とピッタリのブルー色をしていた。

凛は、昔に村で見た、絵画を思い出す。金髪、銀髪にあおい瞳の人々が、メシアと呼ばれた子供を祝福する絵画を。

「あなたは誰?」

金髪の少女の口から、そぐわない流暢な日本語が出てきた。

「私は凛。こっちは助三郎よ、あなたは?」

凛は初めての相手が、警戒心を解く優しい笑顔で、自己紹介をする。無意識かもしれないが、相手が心を開くすべを知っているようだ。

「私はリマ、そう呼ばれていた」

リマは家の中を見回し、光國と角を見て表情を強ばらせる。

「彼等は私達の仲間よ。光國爺と角之進」

凛が不安を感じたリマに、安心するよう諭す。爺はとても優しく安心できる存在で、角は見た目でびっくりするが、とても優しい人よ。

「リマさんは一人なの?」

人気ひとけがない村を見て凛が尋ねる。

「いえ、身の回りの世話をしてくれるラルクがいるのだけど」

「身の回り? 従者じゅうしゃみたいな人かな?」

首をかしげる凛と助。二人の疑問に答える事もなく、リマは何かを思い出したように、ハッと息を飲んだ。

「もう、夜ですか?!」

「もうすぐ、日が暮れます」

弱い夕陽が差し込む窓を、光國が覗いた。

太陽は夕焼けを造りながら、山の間に消えようとしている所だった。

「早く入口を塞いで!窓も格子を閉めて!」

リマが、金髪を乱しながら叫ぶ。身体も震えているように見える。

「奴らが来るの。お願い、早く閉めて」

「奴ら?」

「角さん、言われたようにしてもらえますか」

光國の言葉を受け、不穏な声を上げた角が戸締まりを始める。その間も、リマは震えながら自分自身を抱き締めるように、両腕に力をこめる。

やがて日が暮れ、静寂な闇が村中を包んだ。

凛と助も、リマの脅えた態度に、質問する事をやめ、沈黙を続ける。

リマの脅えが伝染したような家の中に、何かを引きずるような音が外から聞こえてきた。昼間は人がいなかった村の中を、徘徊しているような気配を感じる。

光國とアイコンタクをとッた角が立ち上がり、窓の格子をゆっくりと開け、外をうかがった。

息をひそめる角の目に、ゆっくりと歩く人影が、月明かりの中に見えた。

角は光國に振り返り、ゆっくりと頷く。

白髪の老人は、角の横に並び、窓の外を確認した。

村の中を歩く人影は、歪な歩き方をしていた。

首は下に項垂れ、前を見て進んでいるような感じではない。

足を引きずるように、目的等はもたず、ただ動いている。

「弥晴の文にあったように、死人のようですな。何人位いるのでしょうか」

「死人、反魂の術・・・」

角の言葉を受け、光國が髭をさわりながら思考をめぐらせる。

「外の気配からして、十人は下らないでしょう。これだけの数に呪術をかけられる術者とは・・・」

さらに思考をめぐらせる光國。彼の知識の中では、反魂の術事態が大技の呪術。それを、これだけの数を同時に行える術者の存在は、聞いた事がない。

光國達が、外に気をとられている時、釜戸の方からゆっくりと、凛達に近づく気配があった。

そいつは、地べたを這いながら、静かに移動してきた。

外にいる者と同じ奴。死人しびとだ。

死人は、気配なく立ち上がり、凛達の所に向かう。

光國達の方に気をとられていた凛が、何気なく釜戸の方を見た時に死人と目が合った。

いや、目が合ったとは言えないかもしれない。

死人の目を見た凛の瞳には、空洞の眼球に蠢く蛆虫がみえたからだ。

悲鳴を上げれるほどの余裕がない凛は、吐き気を我慢しながら、助にしがみついた。

凛達の異変に気付いた角が、獣をも凌駕するスピードで死人の前に立ち塞がり、間髪入れず、蹴り飛ばす。

死人は、目から蛆虫を撒き散らしがら、釜戸に打ちつけられた。

「臨、兵、闘、者、皆、陳、烈、前、行、破あ!」

光國が即座に、はや九字を唱え、死人を滅しようとした。

普通なら、動かなくなる死人が、はや九字の効果など気にするふうもなく、ゆらゆらと立ち上がり、光國に襲いかかった。

白髪の老人は、死人の動きに慌てる事がなく、杖で死人の背を凪ぎ払った。

角の蹴りで、あばら骨を数本は折られ、光圀の杖で背骨を折られた死人は土間で虫のように蠢いている。

光國が葵退魔銃を懐から取りだし、間髪入れず死人の頭を撃ち抜いた。

だが死人は、脳髄をボタボタとたらしながらし、歪な態勢で立ち上がってきた。あばら骨と背骨が折れているせいか、上半身が左側に傾き、頭を右側にずらして、なんとかバランスをとり立ち上がったが、歩くことが出来ずにフラフラとしている。

「心臓を突き刺すんだ!!」

天井から声がした。

「ラルク!?」

リマが暗い天井に叫ぶ。

ラルクの声に反応したのか、助が立ち上がって刀に手をかける。

「天草流、抜刀天技ばっとうてんぎ!」

助は居合術のごとく、一瞬で死人の懐に入り込み心臓をつら抜いた。

死人は微かな呻き声を上げ、地にふした。

角が死人を蹴り、動かないかどうか確認をとるが、心臓を貫かれた死人が動く気配はなかった。

物音を立てず、天井から男が飛び降りてきた。

「ラルク、何処に行っていたの?」

「すみません。リマ様が目を覚ますまで様子を見ようと、上に隠れておりました」

「上に?」

角が不穏な声を上げて助を見た。

助も角と目を合わし、小さく首を横に振った。

角も助も、そこいらの忍び程度なら、気配を感じる事ができる。しかし、二人とも、全くこのラルクと呼ばれた男の気配を感じる事ができなったのだ。

「どうも、ラルクと申します」

光國達は、自分の事を「ラルク」と名乗る男に視線を集める。

背丈は助三郎よりやや高めで、スラリしているが華奢な感じはない。角之進のような、格闘的な雰囲気もないが、貧弱でもない。

何か強さを秘めたオーラを放っている。

歳は三十を過ぎた位だろうが、長く伸びて後ろに結ばれた銀髪と白髪のストライプが目立つ。

「ラルク殿は、こやつの正体を知っておられるようですが」

光圀がラルクから視線を外さずに、杖で死人の腹を突いた。

「はい、こいつらは術呪で動いているのではありません」

ラルクの言葉に、角が驚愕の表情で光圀を見たが、白髪の老人は表情一つ変えない。全て知っていたという感じだ。

恐らく、先程の退魔師の遺体と、外を歩く死人の数を見た時から呪術がらみを疑ったのだろう。

だから、はや九字が効かなくても、慌てずに対処できたのだ。

高野の退魔師は、頭から呪術で対応したため、殺されしまったのだ。

「こいつらは生きています。と言っても、動くのは夜だけです」

「夜だけ?」

「陽の光が苦手なんですよ。動きを止めるには、心臓を貫くか首を切り離すかしかないんです」

「それで声を掛けてくれたのですね。助かりました」

助が素直に礼を述べる。

「天草流ですか、すると皆さんは水戸藩の方達か?」

助三郎の目が鋭くなる。

「天草流と水戸藩の結びつきを知っているのですか?」

「福井藩で世話になった事があるので」

福井藩は、御三家が大名として治める土地。それなりの情報がラルクの耳に入ってきていたのだろう。

「私とリマ様は、御覧のとおりこの国の人間ではありません。漂流している所を福井藩に助けられたのです」

光圀は一年位前の報告を思い出した。福井藩が大陸からの人間を保護したという事を。

報告は聞いていたが、まさか金髪、銀髪の異人とは聞いておらず、唐あたりの人間と思っていたのだ。

「確かその後、漂流者は丹波亀山藩に移ったと聞いていましたが」

白髪の老人は、顎鬚あごひげをさすりながらラルクに問うた。記憶を探りながら、何か思案しているようだ。

「はい、一時は亀山藩に身を寄せておりましたが、とても落ち着ける状況ではなくなり、今はこのような所で身を隠しておりました」

「状況とは、猿人の事ですかな」

光圀の言葉にリマが身体を固くした。

「もう、水戸藩に退魔の依頼がいってましたか」

観念したようにラルクが口を開いた。観念というより、今は事情を話し水戸藩にリマを保護してもらう方が得策と考えた感じだ。

「あれは亀山藩に移って三月みつき位過ぎた時でしょうか。城内で猿人を見たという噂がささやかれ始めました」

ラルクはリマを見て、頷いてから話しの続きを始めた。

彼が話す内容は信じがたい内容だった。猿人が噂になった頃、何の罪を犯したのか、城内の牢獄に人が増え始めた。探りを入れようと、罪人との接触を試みたが、結界が張られて、牢獄に近づく事もできなかったらしい。

不安を憶えたラルクは、藩主の松尾則忠を調べようと、夜中に忍び込んだ時に忌まわしい物を見たと言う。

「何ですかな、忌まわしい物とは?」

白髪の老人に問われたラルクは、一歩踏み出し、光國に近づいた。

「側女に、猿人を交わらせておりました」

凛にきかれないようとの配慮か、小声で囁くラルクの額に汗が浮かんでいる。

まことか?」

「はい、しかも藩主の松尾殿は奥方様と、脇でその光景を楽しんでおられました」

光圀と角之進は、とても信じられないという表情で顔を合わせた。

「信じてもらおうとは思いません、ですが私はその光景を見て、翌日に隙ををみて、リマ様を連れ出して、城を出たのです」

沈黙と緊張に包まれる空き家の中で、助が外の異変に気付いた。

静かに村中を徘徊しているであろう死人の気配が、ざわつき始めているのだ。

時折、バキ!  ドサ!  と大きな音が聞こえる事もある。

角がそっと、窓の格子を開け、外を確認した。

月明りの中、五~六人の死人が一人の大男に群がっている。

よく見ると、死人に群がられている人影が数体見えた。

群がられているが、一方的にやられているわけではない。中には死人の頭を掴み上げ、そのまま握りつぶす者もいれば、死人を殴り飛ばす者。飛ばされた死人は荒れ果てた空き家の木片に身体を突き抜かれ、ひっくり返された甲虫むしのように手足をうごかしている。または、死人を地面に叩きつけ、頭を潰す者もいた。

やがて村の中で動く死人がいなくなった。

月光の下で大男達が吠える。一斉に吠えるのではなく、連呼するように吠える。

誰かに、何かを伝えるような吠え方。野生生物ではよく見られる習性だ。

大男達は正に野生生物、猿人だった。

猿人達はまだ暴れたりないのか、動かない死人を持ち上げては地面に投げつけり、踏みつけては体中の骨をばらばらにしている。

恐らく知っているのだろう、「ここまでしないと、こいつらは再び動きだす」と。

とても少年少女には見せられない光景を、息を潜めて見る光圀と角之進。その後ろで、助三郎とラルクが、外の様子を気にかけている。

   バキバキ!  バキ!     ドサ!

男達が外に気を取られている時、屋根を突き破り、三メートルは超える猿人が入ってきた。

猿人は一瞬で凛とリマを抱え上げ、光圀達を威嚇するように吠えた。

角が条件反射の如く動き、獣のような速さで、足を払いにいった。

猿人の体格を見て、上半身への攻撃よりも、足払いでバランスを崩す事を一瞬で判断したのだ。

しかし猿人は、角の攻撃を嘲笑うかのように跳躍して、再び屋根を突き破り、外に出た。

「凛!!」

助がいち早く外に飛び出す。が、その前を猿人達が立ちふさがった。

出遅れた角が、一体の猿人にひじ打ちを喰らわす。常人なら、頭蓋骨を砕き、即死させるほどの威力だが、猿人は、少しよたつきはしたが、踏みとどまり角に襲い掛かる。

角は猿人の腕を絡み取り、柔術でいう背負いで、相手を地面に叩きつけた。

叩きつけると同時に、体重をのせた膝で顔面への攻撃を加える。

頭蓋骨を砕き、脳を潰す感触が、血まみれの角の膝に伝わった。

猿人は一瞬だけ痙攣した後、動かなくなった。

角が周りを見ると、助が猿人の攻撃をかわしながら、祝詞を唱えいる。

「天は我に命じるだろう、我に聖剣を授け、悪鬼をつらぬけと。我、天命を遂行する者。来たれ! エンゼルフーガ!」

助の刀が輝く。今でいうビームサーベルのような、淡い青い光が刀を包む。

光る刀を前にして、猿人が少し距離を置き、助と対峙した。

   ギヤァーー   グーーフー  グーーフー  グーーフー

今までに見た事のない武器に対して、どう動いていいか分らず威嚇する猿人。

天草流軌円あまくさりゅうきえん天動使倒てんどうしと!」

助が素早く踏み出し、光る刀を横に素早く払うと、光の波紋が猿人に向かって飛び出す。刀身どころか、刃先さえ猿人からは遠い。優に二メートルは離れているだろう。だが、刃先さえ触れていないであろう猿人の胴と足が、真っ二つに離れた。

猿人は、自分に何が起きたのか分らずに絶命した。恐らく痛みすら感じていないかもしれない。

助が猿人を倒すのと同時に、ラルクも猿人を仕留めていた。

猿人に肩車乗りをして、腕がらみで首を絞め、窒息死させたのだ。

角程の体格があれば可能だが、ラルクの体格で、猿人を絞め殺す程の力があるとはとても思えない。何か特殊な技を身につけているのだろう。

だが、三人が猿人を倒した時には、凛とリマを連れ出した猿人の姿は見えなくなっていた。

「りーん!!!」

月明りの下、助三郎が叫ぶ。しかし、暗闇の向こうから帰ってくる声は無い。

助が暗闇の中を走ろうとした。その助の前を二メートルを超える男が立ちふさがる。

「どけよ角!」

動かない大男に助が叫ぶ。

「やみくもに動いても凛達は助けられねえ」

「うるせえー!  どかないなら、お前でも切る!」

刀を抜く助に、角は一瞬で当身を喰らわす。血気に走る若者は、地に伏した。

大男は若者を抱き上げ、白髪の老人を見る。

老人は静かに頷き、山の向こう、城がある方を見た。

「ラルクさん。案内してもらえますかな、丹波城に」

「わかりました」

「あと、二つ教えてもらえますかな」

老人が銀髪の男に問う。その表情は月明りの下では分らないが、決して穏やかなものではないだろう。

銀髪の男は、老人の次の言葉を待つ。恐らくこの老人は、全てを見通した上で質問してくるだろうと覚悟を決めて。

「あなたと、リマさんの事。・・・そして、吸血鬼の事を」

いままで静かだった暗闇が騒ぎだした、光圀が口にした吸血鬼という言葉が、山の瘴気に振動を与えたかのように。

瘴気が光圀達を包む。人に害を与えられるレベルではないが、心地よい物ではない。

月が雲に隠れ、月光が届かなくなる。

暗闇の中で、抱きかかえられた青年と、三人の男の姿が溶けて見えなくなっていった。



『吸血鬼』

光國達は、夜が明ける頃に丹波藩の城下町に入った。

昨日いた村とは違い、生活の匂いが感じられる町。

朝早くとはいえ、町人ちょうにんが仕事の支度のため、せかせかと動いている。とても異常な藩主が取り締まっている町には見えない。

「落ち着いたか、助?」

「うるせい、早く城にいくぞ」

イライラ感がある助三郎だが、昨夜のような無謀さはない。

無謀さはないが、強い意志を感じる。「必ず凛を救い出す!」という意思を。

昨夜、助が意識を取り戻した時は山の中で、調度光圀達が、リマの話をしている時だった。

夏に近いとはいえ、山の夜は冷える。暖の炎がパチパチと、山の空気を揺らす。

「リマ様は、真の吸血鬼なのです」

「真の?」

不慣れな日本語で、誤解からリマの立場が不利にならぬように、ラルクは慎重に語った。

リマは、吸血鬼を生み出す吸血鬼で、彼女に血を吸われた者は不老不死の吸血鬼になるという。

彼女に直接血を吸われた者は一次感染者「ファースト」と呼ばれ、ファーストに血を吸われた者は二次感染者「セカンド」、セカンドに血を吸われた者は三次感染者「サード」と呼ばれる。感染はそれ以降も続く。

自分の意思があるのは、サードまでで、それ以降はただ血液を求めるゾンビ、昨夜の村人のようになるという。

だが、リマ自身は頻繁ひんぱんに吸血衝動になる事はないという。

「リマ様は性的興奮を覚えた時に血を吸われるのです」

「では、藩主の松尾殿が彼女と交わったと」

「いえ、ファーストは奥方様でございます。奥方様はリマ様の美しさに興味覚え、手を出されたのです」

「ではその後に松尾殿を、セカンドにしたという事ですか」

「はい、セカンド以降は全て、ファーストの言いなりになるのです」

「先程の死人もですか?」

「はい、ですが死人は血を吸う欲求のみで動いているようです」

光圀と角之進は目を合わせ息をのんだ。あのまま死人が吸血行動を繰り返して行くと、何人、何百と増えていき、全て松尾殿の奥方の言いなりになるという事になる。

奥方にその気があれば、徳川の世を滅ぼす事も可能になってしまう。

「奥方様は、西洋の血に興味があるようです。凛様もあの蒼い瞳、西洋の血が流れているのではありませんか?」

「俺達は天草の里の生き残りだからな」

助三郎が身体を起こし、自分の刀を確認する。

「目を覚ましたか。さっきはすまなかったな」

「まったくだ、角の当身は下手したら死んじまうぞ。ハハハ」

角が先程、助に当身をあてた事を謝る。助は首を横に振り、苦笑いを浮かべた。

「ラルクさん、凛は大丈夫なんだろうか?」

「はい、すぐに凛様に手をかけるとは思えません」

「その言葉、信じよう」

助は炎に目を移し、焦る気持ちを火に燃やした。



「日の出の時に城下町に入りましょう。サードまでの感染者は動けますが、それ以降の感染者は日の光の弱いので出てこないはずです」

ラルクは長年リマと暮らしてきたので、吸血鬼の事情に詳しいようだ。彼の案で今、光圀達は城下町にいる。

彼は自分をリマの「びと」だと告げた。代々リマに仕え、吸血鬼を管理する役割であると。

イタリアで静かに暮らしていたのだが、疫病が流行り、それが吸血鬼が原因とのデマから、教会が動きだした。争いを避けたいリマは、守り人数人と大陸を転々として、日本に流れ着いたという。

ラルク以外の守り人は、日本にたどり着くまでに、リマを護る為に命果てたという事だった。

城に向かう城下町の道の先から、一人の美女が光圀達に近づいてきた。

彼女は、光圀に妖艶な笑みを見せて、文を渡す。夜の色街で誘われたら、そのまま死の道へ連れて行かれそうな色香を感じる。

光圀が文を受け取ると、女は軽く会釈をし歩きだす。その姿は徐々に薄くなり、周りの景色に溶け込み、見えなくなった。

「弥晴の式ですな、今日は妖艶な美女ですか」

角が以前に、猫の式を見た時と同じ様に、感嘆の声を上げる。

「今のが、陰陽道の式神ですか。凄い魔術ですね」

ラルクも初めて目にした式に、賛美の声を上げた。

「爺! 弥晴は何の報告をしてきた。まさか凛に何かあったのか!?」

凛の心配からか、助が光圀に文の内容を早く教えるように促す。白髪の老人は、文に目を通しながら、少し渋い表情を見せた。

「凛とリマは間違いなく、城内にいるようですが、瘴気が濃すぎて、何処の部屋にいるかまでは調べられないようですな」

「ちっ!  それじゃあ、城内をくまなく探すまでだ」

「ですが、離れの建物の所で、頻繁に猿人が姿を見せていると記している」

光圀がはやる助に、絞り所を伝える。ラルクも、自分達がいた所は離れだと告げた。

四人は、凛達が匿われている所を、離れと決めた。弥晴の文に添えられていた城内の見取り図を広げ、少女達を助ける策を思案する。

町は陽が登るに連れ、人々の往来が増えだし、活気が溢れだす。だが人々は、城主が吸血鬼である事を知らないだろう。そんな町人達を見ながら、自分達がこの退魔行をしくじれば、この町から、吸血鬼の支配が始まってしまうであろう事を危惧する。

夏に向かう日差しが、険しい表情をする老人の顔に熱を当てる。だがその日差しも、近づく雲に覆われ影を落とす。まるで光圀の内心を表すように。




「オホホホホ、駄目ですよリマ様。逃げようなんて」

城内の離れの部屋から、勝ち誇ったような女の笑声が聞こえる。

部屋の中には、二人の少女が寄り添うように座り、その前に、気品のある女が少女達を見下すように、立っていた。

「私をこんな身体にしておいて、姿を消そうなんて。それに、こんな可愛らしい娘を連れているなんて知りませんでしたわ」

女は、凛の頬を撫でながら、唇を濡らす。凛は身をよじり、逃れようとするが、女の目に見すめられ、思うように身体が動かないようだ。

女は、凛の顎を持ち上げ、瞳を覗き込む。

「ああ~ この蒼い瞳。今夜たっぷりと芽でてあげますわ。どんな声で鳴くのか楽しみだわ」

女は濡れた唇をさらに濡らし、凛の太ももに手をはわせ、ゆっくりと、付け根の方へと移動していく。

凛は震えながらも身体をよじり、抵抗を試みるが、何かの力で抑えられ抗う事ができない。

「やめなさい、御良!」

女、御良の手が止まった。

御良。藩主松尾則忠の正妻で、ファースト吸血鬼。気品さの中に、冷酷さを感じさせる女だ。

吸血鬼になってからの冷酷さというより、生まれ持った物という印象を受ける。

凛は声の主、リマの方を振り向くと、彼女はキッ!と御良を睨みつけていた

「おやおや、やきもちですか。リマさま」

「ふん! そんなわけがなかろう」

御良は凛から手を離し、リマの頬を撫ではじめる。

リマは添えられた手をはねようとはせず、御良を睨み付けた。

「ほほほほ、ですよね。西洋の真祖たる吸血鬼が、人に執着しゅうちゃくするとも思えませんわ」

「・・・・・」

「私はね、リマ様。あなたに、ここに居てもらいたいだけですのよ」

「・・・・・」

「あなたに出ていかれると、私と同じファースト吸血鬼が生まれてしまう。それは困りますわ」

言葉を返さないリマに気にする風もなく御良は話し続ける。初めから返答等期待していない感じだ。

「リマ様には、徳川幕府の崩壊と、女帝による支配の始まりを見届けてもらわなければ。ほほほほ」

「そんな夢物語が実現するものか!」

リマは吐き捨てるように御良の言葉を否定した。過去、自分が産み出したファースト吸血鬼の結末を見てきただろう反論の言葉だ。

「おーほほほ、リマ様はラルクが何とかしてくれるとお思いかい」

勝ち誇るように御良は立ち上がり、上からリマを見下ろす。

「リマ様、私には猿人の援軍がついてますのよ」

「・・・・」

「ほほほほ、もっとも則忠の眷属になりますけど。則忠は私の眷属ですから同じ事ですわ」

「何故自分の直属の眷属にしなかった?」

吸血鬼は自分が直接血を吸った相手を眷属として、自分の配下にできる。リマは関節的に猿人を支配するよりも、直接に支配下に置く方が得策と思い訪ねた。

「あんな臭い生き物の血は吸えませんわ。だから則忠に吸わせましたのよ」

「主君をないがしろにするとは」

「ほほほほ、則忠も私について来れば、将軍になれますのよ」

「操り将軍だがな」

「ほほほほ、でも将軍は将軍ですわ」

御良は勝ち誇るようにリマへ言葉を返す。だがリマには彼女を睨みつける事しかできない。

「では、今夜まいりますね。その時は邪魔はなさらないでくださいまし。後、外には猿人が見張りでついてますので、逃げようとしても無駄ですわよ。おほほほ」

御良が出ていき、離れの部屋には二人の少女が取り残された。凛は金縛りがとけたのか、少し安堵の色を浮かべ、リマに微笑んだ。

「リマさん、さっきは有難う。私は天草凛。凛でいいよ」

凛の言葉にリマは戸惑いの表情をとる。御良との会話を聞いていたら、リマが人間ではないという事は気付いているはずなのに。

「私が怖くないのか?」

「なんで?」

「私が人ではないから」

質問に質問でかえされ、リマは伏し目がちに答えた。

「リマさんは私を助けてくれた。人とかどうかは関係ないよ、有難う」

凛はリマの手をとり、ニッコリと笑った。

リマは頬を赤らめて、はにかんだ笑みをみせた。

吸血鬼として生を受け、今まで迫害しか受けて来なかったため、凛の笑顔にどう対処してよいかわからないのだ。

彼女は吸血鬼を生み出す吸血鬼。だが、ファースト、セカンド吸血鬼のような、眷属を従える力はない。

迫害に対する力も無いので、ヨーロッパでは教会の保護の元、細々と生きてきた。

保護といっても、守られているわけでもなく、ラルク等、守り人達と、人間とは争わぬように、幽閉、監視の中で生きてきたのだ。

例え彼女に争う力があっても争いを避けて教会に従っていただろう。

リマはいつも思っていた。自分がもう何百年生きているか分らないが、いつかは人間と分かち合う時が来るのではないかと。

「り・・ん、夜までには、必ず逃がす」

ぎこちなく凛の名を呼び、とられた手を握り返すリマ。長い間忘れていた感情が込み上げ、目頭が熱く感じられた。

「大丈夫だよ、爺と角。そして助が助けに来てくれる」

「水戸家か」

「うん」

「だが、私がいうのも何だが、ファースト、セカンド吸血鬼は不死身だ。それに猿人もいる」

「うん。でも大丈夫!」  

根拠があるわけではなく、どのように救い出しに来るのかもわからない。ただ信じているのだ。

今までの経験からだろうか、幼い少女の顔には不安な色は無い。

リマは血の繋がりの無い他人を、ここまで信じられるこの少女と水戸家の人間が羨ましく思えた。

「ラルクさんだっけ?  あの人も来てくれるよね」

ラルク、そう自分にも信じられる人がいる。でも彼はお役目として私と共にいるだけ。

寿命の無い自分に仕えられる、唯一の種族。彼も人間ではない。

彼の一族は、自分を護る(見張る)事で教会からの迫害を免れている。だが今回の疫病騒ぎで、教会を敵に回して自分を逃がしてくれた。

ヨーロッパを転々と逃れている時に訊ねた事がある「何故自分を助ける?」と。

その時ラルク達は「自分達一族は今ここにいるだけで、もう絶滅を待つだけだ」と告げた。だから、長命なだけで、いつかは滅びる自分達の事を、寿命のないリマに覚えていてほしいと。だから、自分達一族が存在していた証しのリマを助けるのだと。

「うん、ラルクも来てくれると思う」

リマは笑みを凛に向けた。

「あっ!  リマさんの笑った顔初めて見た」

「えっ?」

そう言えば、自分はいつから笑わなくなったのだろう。幽閉されて何年たったか分らない。そんな自分が今、笑みを見せた。そう、嬉しいのだ。信じられる仲間がいるという事が。

「リマさん、ここから出たら水戸家に行かない?  爺には私が言うから」

「水戸家に?  私が?」

「そう私達、友達だもん」

「ともだち?」

「そう、友達。仲間だよ」

屈託のない笑顔を見せる凛を見て、リマは思わず少女を抱きしめた。「自分を友と呼ぶ、この少女だけでも逃がさなくては」と心から思う。だが自分にはその術がない。

外からは、自分達を威嚇するように猿人の呼応する声が聞こえてくる。しかし以前のような不安は無い。

友と呼んでくれる少女と仲間がいるから。リマは少女から離れ「ありがとう」と呟き、再び笑顔を見せた。





曇空から、今にも雨が降り出しそうな空の下、城の門の前に光圀達は居た。

途中、堀を抜ける橋の上でも、吸血鬼、猿人が仕掛けてくる気配もなかった。

中の城主は、町の様子からして、まだ自分達の正体を知られたくないのだろうと思われる。

光圀達も、城外での争いは無いと考え、あえて正面からの侵入を図ったのだ。

「爺、どうやって中に入る?」

固く閉ざされた門の前で、助が光圀に何か策がないか尋ねる。この門の向こうに凛がいると思うと、気が気でない様子だ。

「慌てずとも向こうから開けてくれるでしょう」

光圀の言葉が聞こえたかのように、ゆっくりと門が開きだした。

門が開ききると、一人の侍が深々と頭を下げているのが見えた。

侍は頭を上げると、ほくそ笑むような表情を浮かべながら、光圀達に近づいてきた。

侍が歩を進める度に、雨雲で遮られた日光が、違う何かで更に遮られ暗さを増していく。瘴気だ。

「これはこれは、ご老公さま。遠路はるばる、ようこそ我が亀山へ」

侍。松尾則忠は瘴気しょうきまといい、光圀達に近づく。纏うというよりは、城内で充満している瘴気を絡めているよう感じられた。

瘴気は蛇のように則忠に絡まり、大蛇のような形をとったかと思うと、ゆらゆらと揺らめきながら飛散していく。飛散しては絡まり、飛散しては絡まりを繰り返す。

則忠はそんな瘴気を気にする風もなく、歩を進めたが、門をくぐろうとはせずに、手前で立ち止まった。

「ご老公様、この門をくぐる覚悟はできてますかな」

「私をまだ、様づけで呼べるという事は、人としての理性があるようですな」

則忠の質問に答えず、彼の状態を確認する光圀。吸血鬼としての進行具合を見ている。

完全に御良の支配下で、操り人形の状態なのか、否かで対応を変えるつもりらしい。

「ご老公様、私はもう後には引けないのです。このまま幕府を倒し、新世界を創造します」

光圀の考えを理解したかのような答えを返す則忠。再度お辞儀をし、顔を上げた時には、則忠の顔はそこにはなかった。光圀を見るその顔は、目をつり上げ、口が耳元まで開き、大きな犬歯を光らせる悪鬼、吸血鬼そのものの顔だった。

則忠の変化と同時に、助が居合で吸血鬼に切りつける。常人なら、身体が二つに切断されていてもおかしくない速さだが、助が切ったのは、瘴気の暗い影のみだった。

則忠は、重力を無視したような跳躍で後ろ手に飛び、庭にある木の枝の上に立っていた。

「天草流の抜刀術とは、そんなチャチなものとわな。ハハハ」

則忠は助達を頭上から見下ろし、小ばかにするような態度をとり、悪鬼の表情で笑った。彼が乗っている枝は、細いがしなる事もなく、則忠もバランスをとる為にふらつく事も無い。

吸血鬼の異能を見上げながら、光圀達は門をくぐった。

「水戸家も所詮は些細な術しか使えぬでしょう、この者達が相手をいたしましょう」

門が閉じると、「ウホウホ」と奇声を発しながら、猿人が三体出てきた。

三体の猿人は皆二メートルは超える巨漢で、光圀達を三角で包囲すると、「ウォーーホーー」「ホーー」と連呼を始める。すると、優に三メートルは超えるであろう猿人がゆっくりと姿を現した。

凛達をさらった猿人だ。恐らくは、この猿人達のボス的存在なのだろう。

「ご老公様、我らは奥の城に居ますゆえ、ゆっくりとまいられよ。生きておられたらですが」

則忠は木に飛んだ時と同じように、重力を無視した動作で地に降りて、光圀達に背をむけた。

猿人が、次から次へと、光圀達に襲い掛かる。

だが猿人の攻撃は単調だ。ただ力任せに、攻撃を繰り返す。四体いても、連携を組んで攻撃しようとはしない。各々がバラバラに襲ってくるだけだ。しかし、捕まれば、その腕力で身体の骨が砕かれ、握力で頭は潰されるだろう。

「助殿、ここは私と角殿に任せて、光圀様と先にまいられよ」

ラルクが一体の猿人を仕留めた後に、攻撃をかわすのに手いっぱいの助を見た。

「いいのか」

「助殿の剣技は祝詞が必要。我らが猿人を引き止めているので、城に向かいながら詠唱をし、気をためられよ」

助は角の方を見た。大男は猿人の攻撃を受け止めながら、白い歯を見せて「大丈夫」と頷いた。

光圀が猿人の攻撃を杖で流し、猿人の間をすり抜ける。その後に助が続き、城に向かう。

「リマさまの事も頼みますぞ!」

ラルクの声を背中で聞きながら、老人と青年は城へと続く石畳を走り出した。



丹波城、城門の前で三体の猿人と二人の男が対峙している。ラルクが一体を仕留めてから、学習しているのか、猿人は攻撃のパターンを変えてきている。

猿人一体づつが、角とラルクにそれぞれに攻撃を仕掛け、スキを作らせては、ボスが攻撃を加えてくるという、三位一体のパターンで攻めてくるのだ。

猿人は力もあるが、スピードもある。昨夜、村で仕留めた猿人よりも、頭が良い。

だが所詮、猿人は猿人。百戦錬磨の角にかなうわけがない。

角は猿人と少し距離を置き、無防備に立ちすくんだ。三体の攻撃をかわす為、一体を引き離すよう試みる。

誘いにのるように、一体の猿人が飛び出し、角に襲い掛かった。

角はボクシングでいうダッキングで、猿人の攻撃をかわし、掌底しょうていで猿人の顎へ一撃を加えた。

重いはずの猿人が、中に浮き、もう一体の猿人の上に落ちた。

掌底を喰らった猿人は既に絶命している。その下の猿人が一時身動きできなくなった。

角はその一瞬を見逃さない。素早く跳躍し、膝を猿人の顔に落とす。

    グシューーー

猿人の悲鳴か、顔が潰れる音か、通常では聞く事のない嫌な音が城内の空気を震わせた。

「ラルクさんよ」

返り血を浴びて、血だらけの角が立ち上がる。

「このデカいのは俺が仕留める。ご隠居達の事を頼めるか」

大男は三メートルは超える猿人を睨みつけながら、口の端をつり上げ、獰猛な笑みを見せた。

ラルクは頷き、猿人の横を走り抜ける。通常なら、ラルクを逃すとは思えない猿人が、ピクリとも動かない。判っているのだ、この大男から目を離すと、即座に仕掛けてくると。

本能が教えるのだ、この男は危険。殺さねば殺される。

    ギャアアア---- ホォ‐ーーーー   ギャアーーーーーー

三メートルを超える猿人が吠える。

威嚇か、それとも、この猿人が初めて知る感覚「恐怖」からの吠えかはわからない。

猿人にとっての初めての感覚が突き上げてきて、吠えずにはいられないのだ。

空はまだ昼前だというのに厚い雲に覆われ、熱を感じない太陽が薄暗く城内を照らす。

ポツリと雨が降り出した。本降りではないが、着物を濡らすには十分な雨だ。

角は猿人を見据えながら着物を脱ぎ、ふんどし姿になる。

大男が着物を脱ぐ間も、猿人は仕掛けようとはしなかった。いや、できなかった。

群れの中で、ボスを張り続けた感みたいなものだろう。更なる隙が生じるのを待っているのだ。

角の顔に風向きのせいで雨が刺さる。と同時に猿人が動いた。

一体の猿人と人間が指を絡めて組み合った。

猿人と人間。いや、二体の獣の死闘が始まった。




ラルクは城内の奥、離れへと急ぐ。

途中、猿人と遭遇する事はなかったが、首を切断された遺体が散乱している。

恐らくは、助が天草流剣術で仕留めたものだろう。

この様子から、城内の侍は、ほぼ死人しびとになってなってしまったに違いない。

侍だけではない、農夫姿の遺体もある。吸血鬼が血を得るために連れてきて、牢獄にいれていた者達だろう。「もうこの城は、人が生きる所ではない」内心思ひ、十字をきりながら先を急いだ。

離れの庭に近づくと、部屋の明かりに照らされた三人の人影が見えた。

一体の人影、則忠が重力を無視した跳躍で、フワリと木の枝に飛び乗り、間髪を入れずに刀を振りかざし、下の二人に切りつける。

「天動使倒!!」

助が刀を振りぬく。光の波紋が則忠を切り裂くと見えたその時、吸血鬼は空中で反転して波紋をかわし、地に降り立った。

「グフフ、そちの太刀筋はお見通しだ」

則忠が長い犬歯を光らせて笑う。助は対峙しながらも疲労が激しいのか、肩で息をしながら、再び祝詞を唱え、気を溜める。無理もない、ここに来るまで、天動使倒を放ち続け、則忠と闘いながら、光圀を護ってきたのだ。闘いを見るラルクの目にも、助達の窮地を感じられた。

「グフフ、もう限界だろう。ご老公様を庇いながら、天草流を放てまい」

勝ち誇るように、吸血鬼が助達に近づいてきた。

「それはどうかな、爺、そろそろいけるだろう」

「助さん、ご苦労でした」

光圀が微笑み、杖を地面に突き刺し、そして引き抜き、小さな穴をあけた。

すると、穴が風を吸い込むように、あたりに漂っていた瘴気を吸い始めた。瘴気は竜巻のように、穴を中心に巻き込み、どんどんと瘴気を吸い込んでいく。

「弥晴、お願いしますよ」

光圀が印を結んでいくと、庭のあちら、こちらから鬼火が上がった。

鬼火と鬼火の間をまるで門をくぐるように、次々と鬼が現れる。鬼といっても、地獄の下層にいるような餓鬼ではない。鎧を纏った神将のような鬼達だ。鬼は、全部で五体。地を滑るように則忠を囲んだ。

則忠は、糸で引っ張られるように真上へと浮きあがる。だが、そこに鬼が素早く移動して、吸血鬼の行く手を阻む。

徐々に、包囲網を狭めていき、則忠の身動きを封じていった。

「今です、助さん」

光圀の言葉と同時に、助が居合を放つ。

「抜刀天技!!」

助の刀が則忠の心臓を貫き、大木に突き刺した。

則忠は、わずかに息を吐き、項垂れた。

ぜぇー  ぜぇーと疲労した身体で、突き刺した剣を抜く助三郎。刀を杖にして、何とか倒れるの所を持ちこたえる。剣を抜かれた、則忠は血の泡を吹きながら、ズルズルと地に伏した。

「助殿、大丈夫か?」

ラルクが駆け寄り、青年を支えた。

「ラルクさんか、休んでる暇はねぇ。凛達を助けに行く」

支えられながらも、救出の意思を強く見せる助、則忠の状態を確認している光圀を見た。

「爺、さっきの術を、また使えそうか?」

白髪の老人は、しばし青年の問に答えず、ひん死の吸血鬼の口元に耳を近づけていた。

則忠から何を聞いたのか分らないが、光圀は髭を触りながら、厳しい表情を作った。

「うむ、部屋の中は難しいかもしれんな」

さっきの術というのは、瘴気を一時的に穴へと吸い込む術で、光圀達は則忠の攻撃をかわしながら、瘴気が濃すぎて、式を放てない弥晴が、式を放てるように術式を展開していったのだ。

生身の人間では、吸血鬼には勝てない。鬼には鬼という光圀の作戦だ。

弥晴は、式神と式鬼を放てる陰陽師なのだ。

「そうか、式は使えないか」

ラルクに支えられながらも、疲労した身体で立ち上がる助に、光圀がふところから取り出した、三つ葉葵みつばあおい印籠いんろうを差し出した。

助は印籠を睨むように見た後に、光圀を睨みつけた。

白髪の老人は、それに怯む事なく、印籠を青年の手に掴ませた。

「凛達を救う為に、凛の力を借りるのじゃ」

「・・・・・」

青年は言葉を返せないまま、印籠を握りしめた。

雨が離れの屋根を叩く音が強くなり、遠くで雷雲が光る。

助三郎は、鬼の形相で天を仰いだ。





雨が激しさを増す中、二体の獣が力を競う。常人なら、猿人と指を絡めての力比べ等はできないだろう。

普通なら、直ぐに腕を折られて、猿人に殴り殺されている。だが角は違う。自分よりも大きい猿人に対してひるむ事もなく、逆に凌駕するかのように闘う。

雨にうたれる角の口元がつり上がっている。笑っているのだ。自分の方が強いと感じ、笑っているのではない。楽しいのだ。

楽しくて楽しくて仕方がない。自然と口元がつり上がる。

猿人が、いつもの人間とは違うと感じたのか、指をほどいて距離をとった。

   ギュー  グーーー  シユーーーーー     ギャァーーー!!

威嚇して吠える。恐らくは、自分と始めて互角に闘う生き物に対して、動揺しているのだろう。

雨が勢いを増す中で二頭の獣が対峙する。遠くで暗雲が光り、落雷の音が聞こえた。

猿人が、一気に間を詰め、振り上げた腕を、角の頭に振り下ろした。

角は、腕をクロスさせ、猿人の腕を受け止める。

猿人は何度も何度も同じ攻撃を繰り返す。角はその全ての攻撃を受け止めた。

常人なら、一撃でクロスした腕を折られ、頭を潰されているだろう攻撃を受けきったのだ。

角ほどの格闘家なら、相手の腕を絡めとり、へし折る事もたやすいはずなのだが、そうはしない。

相手も格闘家で、技を仕掛けてくるのなら、角も技でかえすだろう。

だが角が求めている闘いは、技の応酬ではない。力なのだ!

自分の全力をふるえる相手。角はそれをできる者を得るために水戸家に仕えていると言ってもいいだろう。

人間以上の者と闘うのが、生きがいなのだ。

猿人が再び距離をとったかと思うと、庭木に素早く登り、間髪を入れずに角の頭上に襲いかかった。

大男は避ける事なく、猿人を正面から受け止め、抱きしめる形になった。

抱きしめる形になっても、抱擁する事はない。そのまま猿人の太い胴を抱きかかえ、サバ折りで締め付ける

。猿人が一瞬エビ背ったが、力を絞り、角の頭へと頭突きをくらわした。

一撃を喰らった角は、猿人を放し、ふらつきながら後方へと下がった。

猿人が間髪を入れずに、ふらつく角へと、ラリアートを喰らわした。

大男が宙を舞い、庭木に激突する。

庭木が折れ、大男は地面に伏せた。

猿人は角に近づき、足を上げ、とどめの攻撃を仕掛ける。

大男が素早く反応して、猿人の体重が乗った蹴りを、両腕で支える。

猿人が更に体重を乗せ、踏み抜こうと力を込めてきた。

角は血を吹きながらも、腕の力を緩める事なく、猿人の地面に着いている方の足に膝蹴りを放った。

猿人がバランスを崩し、後方へと下がり。二体の獣は再び対峙した。

    ギョヤァァァーーーーー!!!

雷光の中、猿人が吠えた。

     ズドォ‐ーーーン!!!

遠くで雷が落ちる音が響く。

激しくなる雨が、血濡れた角の口元を洗い流す。その口元はつり上がっている。まだ笑っている。

楽しいのだ!  楽しくて楽しくて仕方がない。少しの油断が死に繋がるデスマッチが。

いや、命のやり取りよりも、自分の力が出せる相手との闘いが楽しいのだ。

     うぉぉぉーーーーーーーーー!!!

角も吠える。そして、二頭の獣は再び、指をからませ組み合った。

大男の顔から、太々しい笑みが消えた。

消耗しきっている二体の獣が再び力を競い合う。

降りかかる雨が、水蒸気に変わり、白い煙に包まれているのではないかと、錯覚を憶えてしまうくらいに、二体の周りの温度が上がる。

    ギョゴアァァーーーーーーーーーー!!!!!

    ウゴオォォォォーーーーーーーーーーーー!!!!

二体の獣が雄叫びを撥っする!

     メキメキ>>>>>!!!!

腕が軋む音が、雨音を押しのけて響いてきた。

     グギョゥオォォォーーーー!!!

角が叫ぶ。もはや人が撥っする言語ではない。自慰では引き起こせない快楽が角の身体を貫く。

今でいう、ランナーズハイの状態。いや、それ以上の快楽が、彼の脳から身体へと伝わる。

肉体が限界を超えているのだ。脳からの信号がリミッターを超えた。

射精以上の快楽。身体全体が射精しているような快楽。

     うおぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

角が再び吠えた!

     ゴバァキィ!!!!

異様な音が響いた。と同時に猿人が腕をほどき、そのまま倒れこんだ。

猿人の腕が、あらぬ方向を向いている。両腕を折られ、筋も一気にぶち切られ、あまりの痛さに即倒したのだ。

城内の門前で、倒れた獣と立ち尽くす獣に雨が降り注ぐ。

倒れている獣、猿人は意識が飛んでしまったのか、動く気配は無い。

立ち尽くす獣、角之進はしばし猿人を見つめた後、天を仰ぎ、顔面に雨滴を受ける。

彼は全てを出し切った虚無感に包まれながら、雨に身をまかせて、そのまま倒れ込んでしまいたい衝動にかられる。膝が崩れそうになったが、幼い少女の顔が脳裏をよぎった。

大男は再び、片方の口元をつり上げ、城内の奥へと走り出した。



「凛! 無事か?!!」

ラルクが、見張りの猿人を始末する間に、助は離れの部屋へと入りこんだ。

部屋の中では、二人の少女が寄り添うように壁にもたれかかっていた。

「助!」

一人の少女、凛が喜びの声を上げ、立ち上がる。

助は少女達の無事な姿を見て、内心胸を撫で下ろして、ふたりに歩み寄った。その時、背後で、ピシャリ!! と、障子戸が閉まる音がした。

助が障子戸に振り向いた時に、凛達との間から声がした。

「ゲスな男が、私の玩具に用事かい?」

正に一瞬で現れた妖艶な美女、御良だ。

助が部屋に入って来た時は、凛達しかいなかったはずなのに、一瞬で凛達との間に割って入ってきた感じだ。そして、御良が現れたと同時に部屋の中に瘴気が充満し、明度が落ちた。

「玩具だと!」

青年は異能な現れ方をした吸血鬼を、怯む事なく睨みつけた。

「そう、私の愛玩具よ。夜のお楽しみを取らないでいただけるかしら」

御良は、助の睨みなど気にする風もなく、微笑みで受け流し二人の少女に近づいた。

少女達は、逃げられずに身体をこわばらせた。特に凛は、顔をきつかせ、震えているのが見てとれた。

吸血鬼は、そんな少女の仕草に欲情を憶えのか、頬をなで、舌で舐めあげた。

「やめろ!」

助が即座に刀で切りつける。が、御良の姿が一瞬で掻き消え、刀身は空を切った。

吸血鬼の技の一つ「霧化」だ。

御良が消えた後、一瞬次元が歪み、霧のように見えるので、そう呼ばれているが、テレポートの一種のようだ。この部屋に現れた時もこの技を用いたのだろう。

「オーホホホ。天草流も当たらなければ意味がないわ。天動使倒もこの距離では使えないわね」

吸血鬼が今度はリマ抱きしめ、金髪の間に除くうなじに唇を這わせる。

助は再び吸血鬼に切りつけたが、先程と同じように姿を消した。

「すけ~!!」

凛の叫び声がして振り返ると、御良が少女を抱き上げて部屋の外にでるのが見えた。

さっきまで御良とリマがいた場所には、リマの姿しか見えなかった。どうやら、御良の霧化は彼女一人しかテレポートできないようだ。

助が急いで吸血鬼を追って庭に出ると、ラルクと御良が強さを増してきた雨の中対峙していた。

「おほほ、狼男の末裔がこんな所にいたのね」

「ふん、やはりファーストを滅せねばリマ様は不幸になる」

「私を滅する?   気配を消す位しか能がない狼に何ができるのかしら オホホホ」

御良は凛を片手で抱えたまま、ラルクを見下すように笑う。

「確かに我らには力はない、でもリマ様を護る信念はある」

言うやラルクは跳躍し、空中で二メートルは超える銀郎へと姿を変え、頭上から吸血鬼に襲いかかった。

ラルクの攻撃を霧化でかわすと思われたが、御良は片手で銀郎の頭を掴んで受け止め、そして庭木へと叩きつけた。

少女を抱えたまま、常人が行えるような事ではない。恐るべ吸血鬼の腕力だ。

「大丈夫か!?」助がラルクを助け上げる。

「変化し、迅速になって私を倒そうとしても無駄よ。光圀共々始末してあげるわ」

吸血鬼は、人間の姿へと戻っていく狼男を一瞥し、人間では発せられない声音を上げる。

       キーーーーーーーーーーーー!!!!  キキーーーーーーーーーー!!!!!

今まで何処にいたのか、五十人以上もの人間が庭に集まってきた。いや、人間と呼べる者達ではない。

    死人しびとの群れだ。

百姓姿の者、侍、町人、幼い子供の姿も見える。中には御良に凌駕されたのか、裸の娘達もいた。

「オーホホホ  こいつらがお前たちを始末する間に、この娘を楽しませてもらうわ」

興奮して吸血鬼化が進んだせいか、御良の犬歯がさらに伸びた。口を閉じられないのか、よだれが溢れ地面に垂れる。

御良の笑い声と雨音の中、死人がうなり声を吐き出しながら助達に襲い掛かる。天動使倒を使うには距離が近く、数が多すぎる。

死人はリマのいる離れの部屋の中にもなだれ込んでいく。

「凛っ! 詠唱じゃ」

庭の端の方で、光圀が杖で死人と格闘しながら叫ぶ。足元には則忠が血を流して倒れている。

詠唱と叫ばれた凛は、抱えられた状態で十字を切ったあと目を閉じ、手を合わせて祈りの姿勢から静かに口を開いた。

「あなたの痛み、苦しみを私に分けてください」

雨音の中、不思議と凛の声音は庭中に響く。

「何を言っている。娘!」

怪訝に思い、御良が少女の顎に手を置き、頭上に持ち上げた。

苦し気な表情の中でも、少女は詠唱をやめない。

「手に打たれた杭、足に打たれた杭、全ての痛み苦しみを私も背負います」

凛の表情が変化する。苦し気な表情から、痛みに耐える表情。そして全てに耐えて見せるという強気の表情へ。

「何だこの血は?!」

御良が少女の組まれた手から流れる血に気付いた。血は手の甲から染み出し、足の甲からも血が溢れ出していた。

「あなたの苦しみは私の苦しみ。あなたの喜びはわたしの喜び。あなたの願いは私の願い」

手足から流血しながら少女は詠唱を続ける。

「この詠唱は、マグダラノマリアの福音!」

ラルクが助に支えられながら驚きの声を上げた。

「あなたは皆の救世主。そして私の救世主。愛しのイエス」

幼い手から流れ落ちた血が吸血鬼の腕に垂れた。途端御良は悲鳴を上げ、凛を放り出した。

放り出された凛は、声を上げる事も無く、濡れている土の上に倒れ込んだ。

「私の腕がーーー!!」

御良が左腕を天空にあげ呻いている。雨滴に濡れる腕から水蒸気のような白い靄が立ち上る。

「りーん!!」

助が急ぎ少女の所へと駆け寄ろうとするが、死人の群れがそれを阻む。

おまけにラルクに肩を貸しているので、思うように進めない。

「助殿、私をこの場に置いて行きなされ」

「それはできない。今あんたを置いて行けば、たちまち死人の餌食だ」

「しかし凛殿が」

「くっーーーーーー」

助が迷いに迷っていると、懐が熱を帯びるのを感じ、手を入れて熱の元を取り出した。

熱の元、三つ葉葵の印籠が青年の手の中に有った。

印籠は体温以上の温度があるのか、雨の中で少し熱く感じられた。

「共感してやがる」

「共感?」

静かに吐き出した助の言葉にラルクが問うた。しかし、その問には答えずに助は印籠を前方にかざした。

不思議な事に、印籠の前にいる死人の群れが、印籠をかざされた武士のように後ずさり、道を開ける。

死人の間を助とラルクは凛の元へと急いだ。

ラルクは何とか自力で立ち上がり、御良を敬遠する。

「凛、大丈夫か?」

青年は少女を抱き、青ざめた頬をなでる。

「大丈夫だよ、すけ」

少女は弱々しく、だが健気に微笑んだ。

「何なんだ・・・お前達は?・・」

腕が余程痛むのか、吸血鬼が顔をゆがませる。

「ふん、何であれ、ファウスト吸血鬼の敵ではないわ。・・・リマも今頃はあいつらに無茶苦茶されているだろうね。オーホホホ」

「リマ様・・・」

ラルクが離れの方に目をやる。リマは吸血鬼でも、吸血鬼を創りだすだけの、何の力もない少女なのだ。だから教会も、殺さずに幽閉という形をとっていたのだろう。

     ドサッ!!   バキ!!

離れから数人の死人が、障子戸を壊して庭に飛ばされてきた。

壊された障子戸から金髪の少女を抱えた大男が現れた。大男は魅力的笑みを口元に浮かべ、助達を見た。

「角殿!」

ラルクが歓喜の声を上げた。助も角の目線を受け頷き、凛に目を移した。

「すけ、印籠を」

少女は弱々しいが、しっかりとした口調で言い、青年の手を取る。青年は印籠の蓋を開け、少女の手を印籠の上に置いた。

少女の手の平から、血液が数滴印籠に流れ落ちた。

青年は静かに少女を寝かせ、ゆっくりと吸血鬼の方へと歩を進める。

「お前の天動使倒は、私には効かぬぞ」

「・・・・・」

助は御良の言葉を無視して、鞘から刀を抜き、印籠を逆さにして刀身に光る水を浴びせた。

凛の血液を数滴流した印籠から、雨水ではない水が印籠の内部を満たしていたのだ。

「天からの水が杯を満たす時、我は奇跡の力を得るだろう」

青年は祝詞を唱え歩を進め、吸血鬼に近づいていく。

助の祝詞に反応するかのように、印籠からの水が雨水とは違う輝きを放つ。

「何だ! その祝詞は」

吸血鬼は怯えの表情を浮かべ、痛む腕を庇いながら後ずさる。

「奇跡の力は神の力。魅せよ! ガブリエル!!」

助が上段から、御良を切りつけた。吸血鬼は刀が当たる寸前に霧と化し、テレポートで逃れたと思われたが、その場で実態化して倒れ込んだ。

「ゼーー、ゼーー な、何故、霧化したわらわを・・切れる?」

御良は胸元から血を流しながら、苦痛に顔を歪める。不死身と言われる吸血鬼の刀傷が回復する気配は無い。それどころか、血は流れ続け吸血鬼の命を削って行く。

「エンジェルホーリーソード!!」

角に抱かれたリマが、信じられない驚愕の表情で呟く。

「リマ様、あれがエンジェルホーリーソード!?」

「こんな極東の地で、伝説の聖剣がみられるとは」

ラルクの問に頷いたリマは、まだ助の刀から目が離せずにいる。

「終わりだ、お前には死しかない」

助はゆっくりと御良に近づき、刀を振り上げた。

「待つのじゃ助さん」

老人の声が青年の行動を止める。

白髪の老人が、傷ついたセカンド吸血鬼に肩を貸しながら近づいて来た。

「爺! 何故止める」

怒りの表情で光圀を睨む助。天下の副将軍に対する態度ではない。助は凛がらみの事になると、相手が誰であろうと許されなない、江戸幕府を敵に回しても凛を護るだろう。

「す、助殿、・・・許してくれ・・とは言わぬ」

光圀から離れた則忠が、虫の息で青年に近づいていった。

「し、しばし時間・・をくだ・・され」

則忠は助の前を通り過ぎ、御良の横に倒れ込むように並んだ。

「・・御良、すまぬ。ゆ・許してくれ」

「・・・・・・」

則忠は御良の手を握り、頬を撫でた。

「お前が・・女しか受け入れられない・と知りつつ、無理・・矢理に奥方に迎え・た」

御良は聞いているのか、答える事は無い。

「お・お前には、苦しい・・思いをさせ・た、すまない。でも、私が・・お前を・いとおしく思う気持ちは誠じゃ」

「・・・・・」

「こうなってしまったのも私の責任だ」

則忠は御良を抱きしめ泣き崩れた。

「殿・・・・」

御良の顔から悪鬼が消えていた。

「私こそ、殿の子を身ごもる事が出来ず、自暴していたのかもしれません」

二人の吸血鬼は、初めて心が通ったかのように抱き合い涙した。

「す、助殿・・ その刀で我ら・を、滅してくれる・・か」

「・・・わかった」

二人の会話のせいか先程の激しい怒りが、青年の表情から消えていた。

彼は静かに頷いた後、吸血鬼から距離を置くため、三歩後ろにさがり、十字をきった。

「主は、全てに平等。全てに同じ生、同じ死を与えるだろう」

さっきの祝詞とは違い、静かに語るように詠みあげて、剣を上段に構える。

「魅せよ! ラファエル!」

一気に剣を振り切ったが、刀身が吸血鬼達には届いていない。が、肉眼でも確認できる光が一瞬で吸血鬼達を切り消滅させた。恐らく痛みも何も感じないまま昇天しただろう。

助が光圀の前に立ち印籠を突き返した。

「こんな物、使わすんじゃねぇ」

「こんな物のおかげで、皆助かった」

「   ケッ!  」

青年は少女の元へ行き、そっと抱き上げ、傷ついた手足を見た。

「大丈夫か凛」

「うん、しばらくしたら、また元にもどるわ」

「・・・無理をさせたな」

「いいのよ、みんな無事だったから」

少女は可愛らしい笑顔を見せた。

「その傷は聖痕だな、しかも磔りつけにされたイエスと同じ個所に」

角に抱かれたリマが、上から見下ろすように凛の傷を見る。

金髪の少女は少し思案する風を見せた後、角に下ろしてもらうよう頼み、青年に近づいた。

「助さん、その剣で私を切ってくれぬか。私を滅して欲しいのだ」

皆がリマの言葉で動きを止めた。

「私は吸血鬼を産む吸血鬼、五体をバラバラにされても死ねないのだ。だが、その剣なら私を」

「      っだめ!!-------」

凛がリマの言葉を遮った。

「リマさんは私の友達!  友達が死ぬのはいや!!」

衰弱している少女とは思えない大きな声で叫ぶ。

「凛さん・・・」

「さっき話したでしょう、私達友達だって。だからそんな事を言わないで」

助三郎が凛を「大丈夫か?」と確認しながら降ろした。少女は青年に支えられながら金髪の少女の元へと近づいて手を伸ばした。

金髪の少女はその手を優しく包み、自分の元へと引き寄せた。

静かな雨が、抱き合う二人の少女をそっとつつみこんだ。



『終焉』

「さあー水戸へ帰るぞー」

丹波城の事件からひと月が過ぎようとしていた。

凛の回復を待つのと、新しい城主を迎える為の準備で時間を費やしてしまっていたのだ。

「凛ちゃん、大丈夫?」

リマが凛の手をとる。

「ありがとう、リマちゃん」

このひと月の間、リマ達と水戸家の距離が縮まった。凛とリマもお互いの呼称をちゃんづけ呼び合うほどの仲になっていた。

「大丈夫だリマ、いざという時は角が凛を抱えてくれるからよ」

「ははは、そうだぞリマ、おまえら二人くらい軽く両肩にのせてやるさ」

リマを呼び捨てに出来るほど親密度が増している助と角。大男は二人の少女を両肩に乗せて笑いながら歩きだした。

「助さんは、こちらの荷物も頼みますよ」

「えー! それはラルクに持たせろよ」

「ざーんねん助さん、私はリマ様の荷物があるので無理だよ」

ラルクもすっかり打ち解けたようすで助達に接している。

「へいへい、わかりました」

助は光圀から渡された荷物を肩に背負い、先を行く凛達の元へ急いだ。

「ご老公様、本当に私達が水戸家のお世話を受けてよろしいのでしょうか」

「ははは、これも水戸家のお役目の一つですよ。それに、凛が一番望んでいる事ですから」

光圀が凛達の方を目をやると、肩から降ろされた少女二人が手を繋ぎ、笑いながら歩を進めている。

「ありがとうございます」

ラルクも少女達を見て微笑んだ。

「いやいや、それよりも一つ気になることが」

「と言いますと」

「ここにくる途中で、狼少年が餓鬼化した変化へんげを退魔したのですが、何か関係がありますか?」

「子供の狼の変化ですか・・・もしかしたら、この国に流される前に、仲間とはぐれたので、その子供の可能性はありますね」

「なるほど、そうですか」

「私達は命尽きる前に、本能で子孫を作ろうとするのです」

「では、そのお仲間は」

「恐らくは、もうこの世にはいないでしょう」

少ししんみりとした話になったが、先を行く少女達の笑声が場の空気を変えてくれた。

助が角に何かしたのだろう、青年と大男が追いかけっこをする姿が見える。

「ご老公様、私も聞きたい事があるのですが、よろしいでしょうか」

「なんですかな」

「その印籠、もしや聖杯から造ったものでは」

「うむ、聖杯という物かどうかわかりませんが、助さんと凛がいた村の御神体から造りました」

「その村は?」

「天草の里。水戸家が焼き払いました」

光圀がサラリと、遠い目をして顎髭をこする。その目は今の凛達を見ているように見えるたが、実際は過去を映しているのかもしれない。

「ラルクさん、私達も行くとしましょうか」

白髪の老人が歩き出す、その足は水戸へと向かっているだろが、視線は何処を向いているのだろうかと、ラルクは思う。

「聖杯か、バチカンが動かねば良いが」

ラルクの口から不安が漏れる。だが彼の視線の先にリマがいた。ここ数年、いや数十年見た事のない笑顔のリマが。

少女達の笑声が、ラルクの不安を払拭するように青空に響いた。



























評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ