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大人たち

「『毒竜の肝』──それさえあれば、助けることはできるね」


 魔女の家にある小さな居間で、深々と椅子に腰かけた老婆がそう言った。

 フェルトは彼女の前に立ち、静かに話を聞いている。


「この山の西にある湿原地帯──俗に『毒の湿地』と呼ばれてるところに、毒竜ベナムドラゴンっていうドラゴンの亜種が棲んでいる。その毒竜を倒して肝を持ち帰ってこれれば、治療薬は作ってやれるよ」


「ドラゴン……」


 フェルトは息をのむ。

 竜は強大な生き物で、生半可な実力の人間では太刀打ちできないことは、この世界の常識であり、およそ世間を知らないフェルトでも知っていることだった。

 英雄や達人と呼ばれるような人物ならばいざ知らず、未熟な冒険者程度では、束になって立ち向かったとしても死体が増えるだけ──それが、竜という生き物である。


「まあ、竜って言っても亜種だ。本物の竜と比べれば、可愛い相手さね。……ただ、そうは言っても、そんじょそこらの冒険者程度じゃ荷が重い相手なのも事実だよ。ましてフェルト、お前の実力じゃあね。それに、あたしも見ての通りの歳だ、一緒について行って直接の手助けをしてやれるほど元気じゃあない」


 老婆はそう言って、椅子から立ち上がり、部屋の奥から小さな布袋を一つ持ってきて、フェルトに渡した。

 フェルトが中をのぞくと、袋の中にはたくさんの金貨が詰まっていた。


「お師匠様、これは……?」


「それでも行くっていうなら、街に行って、それ使って冒険者を雇いな。なるべく腕のいいのを数人だ。お前ひとりじゃ、毒竜に挑む前にくたばっちまうだろうからね」


「でも、こんな大金……」


「誰もくれてやるとは言ってないよ。毒竜の肝を持って帰ってくれば、件の治療薬を作る分を差し引いても、高値で売れる。──生きて帰ってきて、その金はちゃんと返しに来な」


「──はい! ありがとうございます、お師匠様! 行ってきます!」


 フェルトは老婆に頭を下げて、矢も盾もたまらずという様子で、魔女の家を出て行こうとする。

 しかしその少年を、老婆は「待ちな」と言って呼び止めた。


「お前に一つだけ、いざというときのための『切り札』となる魔法を教えたの、覚えてるかい」


「えっと……あ、はい、覚えてます!」


「注意事項は」


「使っていいのは、一日に一回だけ!」


「そうだ。必ず一発で仕留めな」


「はい!」


 フェルトは再び頭を下げ、今度こそ、魔女の家を出て行った。

 少年が出て行った後の静かになった家で、老婆はゆっくりと息を吐き出す。


「──やれやれ、結局甘やかしちまうんだね、あたしは。……生きているうちにあの子にしてやれることは、これが最後かもしれないってのに」


 老婆は椅子に深く座りなおし、静かにまぶたを閉じた。




「……そうか。事情は分かった」


 フェルトが街に戻り、宿に帰ってマスターに事の次第を説明すると、熊のようなマスターは静かにそう言った。

 椅子に座った彼の横では、ベッドに横たわる女将が、荒い息を吐いている。


「……本当に、ごめんなさい。僕があんな薬草をもってきたせいで……」


 フェルトが苦汁をにじませながら言うと、マスターは首を横に振る。


「いや、あの後俺も、嫁の看病をしながらずっと考えていたんだがな……俺にも嫁にも、フェルトが持ってきた薬草を、拒否することはできたんだよ。でも嫁はそれを飲むって決めて飲んだし、俺も横に居ながらそれを黙認した──つまり、フェルトが持ってきた薬草を飲むって決めたのは、俺たちなんだ」


 そう言ってマスターは、フェルトの頭に大きな手を乗せ、乱暴になでる。


「それにそもそも、嫁が何か、フェルトにわがまま言ったのが原因なんだろ? それなのに、何か都合の悪いことがあったらそれを全部フェルトのせいにして被害者面するってのは、いい大人としてあまりにみっともねぇと思ってな。──だからフェルト、全部をお前ひとりのせいだと思うな」


「……はい。でも僕、必ず毒竜を倒して、治療薬を持ってきます」


「ああ、すまねぇが、頼む」


「はい。──行ってきます」


 濃緑色のローブを身にまとい、杖を手にした少年は、決意を秘めた精悍な表情をもって、宿を出て行った。

 それを見送ったマスターは、事態の深刻さを一瞬だけ忘れて、ふっと微笑む。


「ちっと見ねぇうちに、いい顔するようになりやがって。……その顔を、嫁にも見せてやってくれよ、フェルト」


 そう言って、毛むくじゃらの大きな手で、苦しむ女将の手を優しく握りしめた。


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