兆し
フェルトはそれから、朝から夕方にかけては冒険者としての仕事をこなし、夜は酒場でウェイトレスをするという二重の生活を送ることとなった。
冒険者の仕事は、初日に行なった荷物運びのようなものや、あるいはペットを探しのような、街中で完結できるような雑用的なものを好んで行なった。
夜の仕事によって住居と食事を確保できているフェルトには、モンスター退治などの、命懸けだが報酬が高いというような依頼を受ける必要性はなかった。
ただ彼は、毎日の昼食を得るためのお金と、雑多な日用品やちょっとした嗜好品を買えるだけのお金だけが稼げれば、それでよかったのである。
そうしてフェルトは、街での生活の基盤を築くことに成功した。
そしてその生活は、その後も順風に進むかのように思われた。
だが、そんなある日の夜こと。
いつものようにフェルトが酒場で接客をしていると、厨房の奥のほうで何か大きな物音がした。
フェルトが何かと思って見に行くと──そこには、調理中の食材とフライパンを床にぶちまけ、自らも地面に倒れている女将の姿があった。
女将の旦那──酒場のマスターとフェルトが慌てて駆け寄ると、女将は荒く息をついて苦しげにうめいており、額に手をあてればひどい高熱であることが分かった。
その日、酒場のマスターとフェルトは、客の一人一人に事情を話して、その日の営業を終了にした。
常連客がほとんどだったこともあり、客たちは概ね苦情をいうこともなく、むしろ女将の心配をしつつ、代金を支払って帰って行った。
「はあ……まったく、情けないな。お客さんにまで迷惑かけて」
赤い顔でベッドに寝込んだ女将が、少し落ち着いてから真っ先に口にしたのがその言葉だった。
女将とは、美女と野獣といったアンバランス具合の旦那は、その毛むくじゃらの大きな手を女将の頭に置いて、優しくなでる。
「気にするな。とにかく今はゆっくり休め。お前が快復するまで店は休業するか、さもなくば俺とフェルトだけでやるさ」
「……心配だなぁ。あんたもフェルトも、ちょっと頼りないところあるし」
「うるせぇ。病人は安心して寝てろ」
「……くやしいけど、そうするしか、ないか……」
そう言いながら、女将は眠りについた。
旦那とフェルトも、その日は就寝することにした。
翌日、医者を呼んで診てもらうと、女将はちょっと重い風邪を患っているような状態だと診断された。
おそらくは働き過ぎによる体力の低下が原因で、とにかくしばらくの間、ゆっくり休む必要があるとのことだった。
しかし女将は、「もう大丈夫」と言って立ち上がり、ふらついて倒れるという様を何度か繰り返した。
とにかく動いていないと気が済まないというのが、彼女の性質のようだった。
女将はベッドに横になった状態で、旦那と交代して看病しているフェルトに話しかける。
「ねぇフェルト、あんた魔法使えるんでしょう? だったらこう、何かパパッと病気を治せるような魔法とか、使えないの?」
フェルトは木桶に入った水で布を冷やし、よく絞って女将の頭にのせつつ、慎重に返答する。
「えっと……そういうのは僕たち魔術師じゃなくて、神官の領分だって、お師匠様は言ってました。それも病気を治すとなると、結構高位の神聖術だったような……」
「神官かぁ……あの連中、寄進だの何だのって言って、随分な額ぼったくるのよね……ウィンディも確かそんなに高位の術は使えないって言ってたし……ダメかぁ」
「……あ、でも」
フェルトは思い出した。
山で老婆と一緒に暮らしているときに、体調を崩したらいつも飲んでいた薬草があったのだ。
その薬草は、山に行けばたくさん生えているはずだ。
「おいフェルト、どこ行くんだ!」
「ちょっと、薬草採ってきます!」
フェルトは思い立ち、女将の看病を旦那に任せて、宿を出た。