破滅
「何……これ……?」
巨体が沼から這い出て来る姿を見て、フェルトは茫然とつぶやく。
目の前で何が起こっているのか、分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
アディーラやウィンディやリザレットが死力を尽くしても敵わず、フェルトが切り札を解放して、ようやく倒すことが叶った毒竜。
それが、さも当たり前のようにもう一体、沼の中から現れた。
──話が違う。
フェルトは半ば放心しながら、旅立ちの前の師匠との会話を思い出していた。
『注意事項は』
『使っていいのは、一日に一回だけ!』
『そうだ。必ず一発で仕留めな』
確かに師匠は、一発で仕留めろと言っていた。
フェルトは言われた通り、一発で毒竜を仕留めた。
こうしろと言われたことを、正しくやった。
そのはずだった。
しかし現実には、二体目の毒竜が現れた。
二体いるものを、どうやって一発で仕留めろというのか。
二体を一直線上に並べて、一発で同時に撃破する?
いや、それ以前に二体いるなんていう話は聞いていないし、仮に聞いていたとしても、二体目が出てくるまで待っていたら、アディーラやウィンディが命を落としていたかもしれない。
そうまでして、一発で二体を仕留めろというのか。
そんなのおかしい。
そんなの無理だ。
何もかも──おかしい。
やるべきことを、やるべきようにやったのに──
だというのに、どうしてこんな現実が起こるのか。
認められない。
認めたくない。
こんな現実──
「──くそっ、もう逃げるっきゃねぇぞ!」
「だがそれでは、女将はどうなる! 死んだ毒竜を解体して肝を取り出している間などないぞ!」
「んなこと言ったって、じゃあどうすんだよ! 残ったって犬死にじゃねぇか!」
「くっ……しかし……!」
リザレットとウィンディの言い争いが聞こえてくる。
苛立ちが、苦悩が、焦燥が、冒険者たちの精神を支配してゆく。
そして、それらを背景音のように聞き流しながら、フェルトがうつむく。
──僕のせいじゃない。
僕は悪くない。
僕は罪滅ぼしを、ちゃんとやろうとした。
ちゃんとやろうとしたし、ちゃんとやったはずだったんだ。
「──バカッ、フェルト、逃げろ!」
リザレットの叫び声が聞こえてくる。
フェルトが視線を上げると──そのすぐ目の前に毒竜が立ち、フェルトに向かって鉤爪を振り下ろそうとしていた。
そしてそれが、ぶんという音とともに、振り下ろされる。
その時フェルトは、何かに突き飛ばされた。
「あがっ……!」
少女の短い悲鳴が聞こえた。
突き飛ばされて尻餅をついたフェルトの前に、リザレットが倒れた。
その褐色肌の少女の背には、革鎧など容易く割り裂かれ、白い骨が見えるぐらいまで深々と抉られた、三条の深い裂傷があった。
「あっ……」
放心していた少年は、それで目が覚めた。
そして、怯えた。
リザレットは、フェルトを助けるために、代わりに背中を巨大な竜の爪で抉られたのだ。
どくどくと赤い血が流れ、リザレットの生命力を奪ってゆく。
「違う……僕のせいじゃない、僕は……僕はちゃんと……」
──僕は悪くない。
僕のせいじゃない。
だって僕は、僕は言われたとおりに──
──どうして僕は、自分がすることを、自分で決めようとしないんだろう?
フェルトは、はたと気付いた。
『この魔法を使っていいのは、一日に一回だけだ。いいね?』
そんなことは分かっていた。
使っていいのは一回だけだが、使えるのは一回だけではない。
師匠から一回だけしか使うなと言われていたから、一回しか使ってはいけないと思っていた。
でも、師匠だって間違える。
師匠は、ここに二体の毒竜がいることを、知らなかったに違いない。
でなければ、「一発で仕留めろ」などという無理を、言うわけがない。
万能に見える魔女とて、本当に万能なわけではない。
なのに、その言いつけを守って何になる。
言われたとおりに行動して、僕は言われたとおりに行動しましたと言い訳するのか。
言い訳? 誰に?
自分は師匠が言った通りに行動する、言った通りにしか行動できない傀儡人形ではない。
自分は、自分だ。
自分が何をするかは、自分で決める。
それで何か良くないことがあっても、その結果を自分が背負えばいい。
『あたしゃこの魔法のせいで破滅した魔術師を、これまでに何人も見てきたよ』
師匠の言葉がよみがえる。
しかしフェルトは、敢えて口に出して、それを否定した。
「──だからどうした! 僕の破滅ぐらい──くれてやる!」
フェルトの内側から、金色の魔力が噴き出す。
それは渦巻く風を起こし、少年の髪を逆立たせる。
魔法の前提詠唱の効果は、いまだ残っている。
再発動には、ごく短い手順だけでいい。
毒竜が咆哮をあげ、再びフェルトへと襲い掛かる。
フェルトに向かって鉤爪を振り下ろそうとし──しかしそれよりも早く、少年の魔法が完成した。
「ファイアボルト──リミットブレイクッ!!」
フェルトが放った二度目の白熱弾は、二体目の毒竜の頭部を過たず、吹き飛ばした。