濃霧の先
霧の中を進んでゆく。
ぬかるみに足を取られないよう足元に気を遣いながら、同時に周囲への警戒も怠らずに、歩みを進めて行く。
そんな時間がさらに数十分も続けば、さしもの冒険者たちも疲労が色濃くなってゆく。
まして、フェルトのように冒険慣れしていない者であれば、なおさらであった。
そんな、必死な様子で後ろをついてくるフェルトを見て、アディーラがいつもの軽口をたたく。
「フェルト~、大丈夫? ギブアップなら、ウィンディがおんぶしてくれるから言いなよ?」
しかしその獣人少女に、当のウィンディがジト目を向ける。
「……待て、私がいつそんなことを言った」
「えー、さっき言ってたじゃん。こんな重い鎧取っ払って、フェルトとくんずほぐれつ肌を触れ合わせたいって」
「なっ……このバカッ、話をねつ造するな!」
「え、えっと……大丈夫、です……」
二人の会話を聞いて、うぶな少年は顔を赤らめてうつむいてしまう。
その様子にアディーラが踊り、ウィンディが頭を痛めた。
「……でもフェルト、本当に疲れてないか? なんか心なしか、空気浄化の魔法……だっけ? それの効果範囲が狭くなってる気がするんだけど」
フェルトの横を歩くリザレットが、そう心配を漏らす。
この湿原地帯に踏み込んだ当初、フェルトの周囲五メートルほどの範囲に毒霧の侵入を許していなかった魔法の影響力は、確かに今、当初の半分ほどの範囲にまで狭まっていた。
しかしフェルトは、そのリザレットの問いかけに対し、首を横に振る。
「いえ、これは……魔法の浄化能力が追い付かなくなってきているんだと思います。……毒の霧が、濃くなってきています」
「……なるほど、いよいよ最深部に近付いてきたということか」
ウィンディの確認に、フェルトはこくりとうなずく。
一行はその後、比較的樹木の多い地帯へと足を踏み入れた。
そこは、奇妙にねじくれた木々が複雑に絡み合い、通常のそれとは異なる雰囲気の樹林地帯を作り出していた。
霧はなお一層濃くなり、足元がおぼつかないのは依然として変わらず。
冒険者たちは身を寄せ合うようにして、さらに慎重に歩を進めてゆく。
すると、やがて木々がまばらとなり、比較的開けた場所に出た。
ただ、開けた場所といっても霧が濃いため、遠くまで視界が確保されているわけではない。
うっすらとでも見えるのは、せいぜい十数メートルほどの先までである。
「……いよいよって感じだねぇ」
「ああ……いや、待て、何かいる……!」
そう、ウィンディが注意を促したときだった。
少し先にある一つの大きな沼の中から、ぼこぼこと大量の気泡を発しながら、大きな影が浮上してきた。
そしてそれは、全長五メートルをゆうに超えようという巨大なシルエットを披露したかと思うと──
──ギャオオオオオオオオオオッ!
おもむろに、空気を震撼させるような巨大な咆哮をあげた。
「ぐっ……!」
ビリビリと襲い来る音の波動に、冒険者たちは一瞬だけたじろいだ。
しかしそれもわずかのことで、三人の少女たちはすぐさま各々の武器を構え、臨戦態勢を整えてみせる。
「どう見ても、あれが今回のターゲットだよね──フェルト、何とか視界だけ、確保できない?」
「やってみます!」
アディーラの要請を受けて、フェルトが杖を構え、呪文を詠唱する。
その間に、彼の隣のリザレットは大弓を引き絞り、一矢を放った。
ドスッという音がして、矢は十数メートル先のシルエットに命中したようだった。
だがそれでどうなったか、具体的な様子は分からない。
「──吹きすさぶ風、瞬く間の嵐となりて渦巻け──ウィンドストーム!」
そこに、フェルトの魔法が完成した。
フェルトたちと、巨大なシルエットとの中間地点を起点に、強風が巻き起こる。
その風は人間を持ち上げるほどの勢いではなかったが、渦巻くように荒れ狂い、一瞬の後には、あたりの霧をすべて吹き飛ばしていた。
それによって視界が一気に開け、同時に風は止んでいた。
霧が晴れると、そこがやはり開けた場所であることがわかった。
短い下草がみっちりと生えた、湿った土の地面がずっと広がっていて、そのところどころに沼が点在している。
そしてその中でも、ひときわ大きな沼が一つあった。
端から端まで三十メートルほどもあると思われるその大沼から──今、巨大なモンスターが陸地に上がろうとしているところだった。
それは一見して、竜と似た姿をしていた。
コウモリ状の翼を持った巨大なトカゲといった風貌だが、口に並ぶ牙や四肢から生えた爪は鋭く、太く長い尻尾は人間など虫けらのごとく潰してしまえそうなほど強靭であった。
鱗の色は、緑と灰色をまぜこぜにしたような膿んだ色合いで、沼の泥を塗りたくったような姿である。
その全長は、シルエットで見た通り、五メートルをゆうに超えていた。
頭頂部から尻尾の先までならば、十メートル近いのではなかろうか。
それが沼から這い上がってきて、矮小な冒険者たちを見下していた。
その前肢の付け根あたりにリザレットが放った矢が刺さっていたが、矢の先が少し突き刺さっている程度であり、十分なダメージを与えているようにはとても見えなかった。
「──来るぞ!」
その竜がおもむろに鎌首をもたげたと同時、ウィンディがフェルトの前に立ち、大盾を構える。
リザレットは横に跳び退き、矢筒から矢を引き抜いてつがえ、弓を引き絞る。
アディーラは不敵な笑みを浮かべ、目標に向けて駆け出してゆく。
フェルトは再び杖を掲げ、呪文を唱え始める。
竜は再び、けたたましい咆哮をあげる。
──戦いが、始まった。




