ヒロイン
冒険者たちは、『毒の湿地』の深部へと進んでゆく。
奥へと進むにつれ、やがて周囲は霧にすっかりと包まれてしまい、自分たちはどちらから来たのか、どこへ向かおうとしているのか、方向すら分からなくなってしまう。
視界が確保されているのは、フェルトを中心とする空気浄化魔法の範囲と、その周囲数メートルばかり。
その限られた視界の中で、冒険者たちはぼこぼこと気泡を発するおぞましい沼に踏み込まぬよう、慎重に足の踏み場を選んで湿地帯を渡ってゆく。
その息の詰まるような散策は、数十分にも及んだ。
毒竜は毒の湿地のおおよそ中央部にいると目されており、また、この毒の湿地自体が差し渡し十キロメートルほどの範囲に及ぶと言われていた。
「こう長時間、中途半端に気が抜けないってのはヤダね。せめてモンスターでも出てきてくれればいいのに」
道中、堪え性のないアディーラが、そんなことを口走る。
だが、そのアディーラが飛ばした軽口が悪かったのか。
彼女の足元付近のおぞましい沼地から、とぷんとかすかな水音を鳴らし、姿を現したものがあった。
それは触手とでも形容すべきものだった。
太さはアディーラの尻尾と同じぐらいだが、それよりも力強く、素早い動きでしゅるしゅると獣人少女の足元に忍び寄ってゆく。
そして触手は鎌首をもたげ──少女の足首から太ももにかけてをターゲットに、素早く巻き付いた。
「なっ……! ──うわぉっ!」
そのままアディーラは、恐ろしいまでの触手の力に引っ張られて、宙に持ち上げられてしまう。
だが彼女は、持ち上げられる途中で腰から双剣を抜き去り、自分を吊り上げようとする触手をばっさりと断ち切った。
空中で自らを支えるものを失った少女は落下するが、落下中にくるんと回転して、巧いこと地面に着地する。
「にゃろう、このボクを捕まえようなんて──!」
アディーラは素早く周囲を見渡す。
すると、仲間たちにも彼女に起こったのと同様の脅威が訪れていたが、リザレットはそれをバック転で回避して弓を構え、ウィンディは触手に力負けせずに少し引きずられた程度のところを腰から抜いた剣で断ち切っていた。
ただ──
「うわああああっ!」
フェルトは一人、触手に吊り上げられ、さらに空中で群がった多数の触手にぐるぐる巻きにされて、動きを完全に拘束されてしまっていた。
「くぁっ……あっ……き、気持ちわる……んんっ……!」
「うわぉ、さっすがフェルト、ヒロイン力あるぅ!」
「言っている場合か! 本体は──アレか!」
アディーラを叱責しつつ、ウィンディが見つけたのは、巨大な植物の本体であった。
それはウィンディたちから十メートルほどの距離の前方に、うねうねと蠢いていていた。
地表すぐの所に、差し渡しが人の背丈の倍ほどもあるのではないかという、赤い花を咲かせている。
またそれは、やたらと分厚い葉の一枚をとっても、花と同じぐらいの大きさがあった。
さらにはその植物の根元から、ぐねぐねとのたうち波打つツタやツルが無数に生えていた。
アディーラたちに襲い掛かった、あるいは現在フェルトを捕まえている触手に見えたものは、実はその植物のツルであった。
それらの長く強靭なツルが、一度沼に潜り込んで姿を隠し、獲物が来るのを待ち受けていたのである。
「行くぞアディ! フェルトが危ない!」
「えー、もっと見てようよ~。このまま見てたら、フェルトがきっとあられもない姿に……」
「な、なるかバカ! 助けるぞ!」
「しょうがないな~」
先に走り出したのはウィンディだったが、装備も含め、圧倒的に身軽なのはアディーラである。
鎧をガチャガチャと鳴らしながら走るウィンディをあっという間に追い抜かし、巨大植物の本体に向かって疾走する。
その獣人娘に、巨大植物のツルやツタが、一斉に襲い掛かる。
正面から迫り来るそれを、右に左に跳んでかわし、かいくぐり、あるいは両手の剣で切って捨てながら、巨大植物の本体に近付いてゆく。
一方、その間にもフェルトは、体中に巻き付いたツルに引き寄せられ、巨大植物の本体に捕食されようとしていた。
おぞましく蠢く植物の巨大な葉が、獲物であるフェルトを体内に取り込まんとして、ぐぱぁっと口を開く。
「ひぃっ……!」
二枚貝のように開かれた葉の外延部には、牙のような鋭い突起がずらりと並んでおり、唾液のごとき粘液が、その牙と牙の間で糸を引いている。
ゾッとするフェルトだが、全身はしっかりと拘束されており、どうすることもできない。
食われる──そう思ってフェルトが目をつぶろうとしたとき──一本の矢が、牙の生えた分厚い葉を貫き、大きな風穴を開けた。
その葉は間もなくぐったりと力を失い、葉元からうなだれる。
「うちの可愛いフェルトに、何してくれてんだよ!」
さらにもう一本、リザレットの放った矢が、今度は別の葉を貫通した。
やはり風穴を穿ち、その葉の生命力を失わせる。
同時に、フェルトを捕まえているツルが一斉に断ち切られた。
巨大植物のツタを足場に次々と跳躍し、高々と跳んだアディーラが、双剣を振るってそれらのツルを切り捨てたのだ。
「ヒーロー役は譲ってあげるよ、ウィンディ」
アディーラはそう言いながら、体勢を整えて身軽に着地する。
一方のフェルトは、真っ逆さまに落下するが──
「──よっ、と。大丈夫か、フェルト」
その真下に駆け寄っていたウィンディが、落ちてきた少年を受け止めた。
彼女はお姫様抱っこの要領でフェルトをキャッチしたのだが、白い甲冑に身を包んだ少女は、よろける様子一つ見せなかった。
「は、はい……ありがとうございます」
ただ、少女の腕に支えられたフェルトはと言えば、恥ずかしくてしょうがない。
ウィンディの腕の中で、頬を赤らめてもじもじしてしまう。
「うっ……」
その様子を見たウィンディが、こちらもさっと頬を染め、慌てて視線をそっぽへと外した。
「えっ、あ……す、すみません、重いですよね。すぐ降ります」
「いや、それは問題ない。だが、その……アディの気持ちが少し分かってしまったというか……うん、いや、何でもない」
ウィンディはフェルトを地面に下ろし、頬をぽりぽりとかいた。
「あのさ、ウィンディ! ラブラブしてないで、真面目に戦ってくんない?」
その間、巨大植物相手に大立ち回りをしていたアディーラから、いつもと立場が逆の突っ込みが入って、ウィンディははたと我に返った。
「す、すまない! 今行く!」
「もー、頼むよ、真面目担当」
「うっ……そんな担当になった覚えはないぞ」
大盾と甲冑に身を包んだ少女と、双剣を振るう獣人の少女とが、肩を並べて巨大植物のツルやツタを薙ぎ払いながら本体へと迫ってゆく。
さらに後方からは、リザレットの放つ矢が巨大植物のあちこちを穿ってゆき──三人の総攻撃で、しばらくの後には、巨大植物は完全に活動を停止していた。
「大丈夫か、フェルト?」
歩み寄ってきた褐色肌の少女から手を差し出され、腰を抜かしていたフェルトはその手を取って立ち上がる。
「うう……僕って……」
るーるーと心の涙を流すフェルト。
少年は、今や完全にヒロインであった。