旅立ち
「十五になったら成人だ、とっとと出てお行き。自分の食い扶持は自分で稼ぎな」
老婆の声とともに少年が表に放り出され、山小屋の扉が閉じられた。
小鳥がさえずり、ウサギが跳ねる麗らかな自然の山。
その中腹にある、木々に囲まれた広場──そこに立つ山小屋の前で、外に放り出された少年は、山小屋の玄関に向かって深々と頭を下げた。
「お師匠様、今日までありがとうございました。──行ってきます」
よく通る、綺麗な声であった。
そして、少年が頭を上げ、振り向いて立ち去ろうとすると、小屋の中から老婆の声が聞こえてきた。
「ふん、一人前になるまで戻ってくるんじゃないよ。甘ったれたこと言って帰ってきても、叩き出すからね」
「はい、お師匠様」
少年は再び山小屋に──その閉じられた扉の向こう側にいる老婆に向かって頭を下げると、今度こそ山小屋に背を向け、山道を下りて行く。
端正な顔立ちをした、小柄な少年だった。
栗色の髪と、同色の瞳を持った彼は、濃緑色のローブを身にまとい、手には背丈ほどの長さの木の杖を持っている。
少年の名はフェルト。
捨て子だったところを魔女に拾われ育てられ、今日まで魔女と二人、山で暮らしてきた。
十五歳になったら魔女の家を出て独り立ちすることは、彼と魔女との間での大事な取り決めであった。
「これからはもう、お師匠様には頼れない──僕が僕の力で、自分で生きて行かなきゃいけないんだ」
フェルトの瞳は、まっすぐに前を見つめていた。
その視線の先──木々の葉の合間から見える景色の中には、これから彼が向かおうとする街の姿が、小さく映っていた。
山を下り、街道に出て、街まで歩いてゆく。
山の上からは小さく見えた街の姿は、近付いてゆくにつれ、その大きさを顕わにしていった。
街の周囲には、フェルトの背丈の三倍ほどの高さの堅牢な石壁がそそり立ち、外からの侵入者を拒んでいた。
街道がたどり着く場所にある、アーチ状の市門だけが、来訪者が街に入るための唯一の入口であるように見える。
市門は、荷馬車が一台どうにか通り抜けられる程度の大きさで、その前には門番が一人、槍を手にして立っていた。
「こんにちは。通ってもいいですか」
フェルトが声をかけると、門番は気さくな様子で彼に応対した。
「おう、お前は確か、魔法使いのおばばのとこの。今日は、おばばは一緒じゃないのか?」
フェルトは師匠である老婆に連れられて、何度か街に来たことがあった。
しかし、フェルト一人で街に来るのは、これが初めてである。
「はい。今日からこの街で暮らしていこうと思っています」
「おっ、独り立ちってわけか。仕事のあてはあるのか?」
「冒険者を始めようと思っています」
「へぇ、そうか。なら最初は冒険者ギルドに登録だな。この大通りをまっすぐ行くと中央広場に着くから、そこを右に曲がって、少し行ったところに冒険者ギルドがある。大変だろうが、頑張れよ」
門番が手を差し出してきたので、フェルトはその手を取って、握手をした。
そして門番にお礼を言って、門をくぐる。
門を通って街の中に入ると、そこはまるで別世界だった。
賑やかな喧騒とともに、すごい数の人が道を行き交い、中にはエルフやドワーフ、獣人などの亜人もいて、すっかりと人間たちの中に溶け込んでいる。
左右と正面の方向にそれぞれ道が続いているが、そのうち中央広場へと向かう正面の大通りには石畳が敷かれていて、馬車がすれ違えるほどの広さがあった。
そして、その石畳の大通りの脇には、石造りで三角屋根の立派な建物がぎっしりと立ち並んでいた。
「街って、何度見てもすごい……でも、今日から僕も、ここで暮らすんだ。頑張らないと」
フェルトは怖気づきそうになる気持ちに鞭を入れて、大通りを歩いてゆく。
人とぶつかりそうになっては頭を下げつつ、門番から教えてもらった道順を辿って、冒険者ギルドへと向かった。
「ここが冒険者ギルド……すごいな……」
フェルトの目の前には、周囲の住居よりもだいぶ立派な石造りの建物が、どんとそびえ立っていた。
冒険者ギルドの建物である。
その入口では、剣や鎧で武装した人たちが次々と、出たり入ったりしている。
四、五人程度の集団で談話をしながら出てゆく者たちがいれば、一方で、一人でギルドの中に入ってゆく者もいる。
フェルトはごくりと唾をのみ、恐る恐る、ギルドの建物の中へと足を踏み入れた。
冒険者ギルドの中に入ってみると、そこは外観から想像するよりも、だいぶ狭く感じる空間だった。
入ってすぐ目の前に受付用のカウンターが並んでおり、その向こう側に数人の受付役の女性がいる。
そして、その受付の女性のうちの一人がフェルトの姿を見つけると、少年に向け笑顔で声をかけてきた。
「冒険者ギルドは初めてですか? そこにどうぞ、座ってください」
「あ、えっと……はい」
少年は言われるままに、カウンター前の椅子に座る。
受付の女性は、いかにも垢ぬけた都会のお姉さんという様子で、老婆である師匠以外に女性と接する機会のなかったフェルトは、その前に座っただけでドギマギとしてしまう。
そのとき、受付のお姉さんが小声でぼそりと発した、「やばっ、可愛い……」という言葉は、フェルトの耳に届くことはなかった。
お姉さんは気を取り直して、少年に語り掛ける。
「えっと……冒険者として活動を始めるということで、いいですか?」
「は、はい」
「それじゃあ、この用紙に名前と年齢、それから──」
結局フェルトは、終始受付のお姉さんのペースで説明を受け、冒険者登録を終了した。
フェルトはお姉さんにお礼を言って、早速というように、依頼が掲示されている掲示板のほうへと向かう。
「えっと、僕が受けられる依頼は……んっ、これならきっと、僕でもできるかな」
フェルトは掲示板に残っていた依頼の中から、倉庫での荷物運びの仕事を選んで、依頼の貼り紙を剥がす。
そしてそれを持って、再び受付のお姉さんのもとへと向かった。
冒険者というのは、街の外へ出てモンスターと戦うような荒事の専門家であると同時に、一方では、街の何でも屋としての側面も持っている。
日雇いで働き手を雇いたいときに、街の人たちは冒険者ギルドに行って、その仕事を依頼として発注するのである。
そして、そんな雑用的な仕事を厭うつもりは、フェルトにはなかった。
街で生活してゆくためには、お金が必要だ。
フェルトが自分の力で生きていくためには、自分にできる仕事をして、少しでもお金を稼がなければならない。
フェルトが選んだ荷物運びの依頼は、一日の仕事で、銀貨三枚の報酬が得られる仕事だった。
それがどのぐらいの金額なのか、フェルトは知らなかったが、冒険者は二日に一度ぐらいの頻度で仕事にありつければ運がいい方だと説明されたので、フェルトは、自分はラッキーであると考えた。
「よし、頑張ろう」
フェルトは受付のお姉さんから倉庫の場所を教えてもらい、直接そこで指示を受けるように言われて、冒険者ギルドを出た。
その背後には、満たされた幸福顔で彼の背中を見送る、受付のお姉さんの姿があった。