第六話
昼過ぎの歓楽街。そろそろ営業形態を夜のそれに移行しようと慌ただしく動き始めるその場所で、ルカンは一人、広場のベンチに腰かけていた。
余り利用者のいない憩いの場。ルカン自身もこんな場所に立ち寄ったのは初めてのことだった。
彼女は少し考えたかったのだ。さきほどの話。アベルから聞かされたいろいろなことを。
「何で、オレなんだよ」
そう、呟く。
それは先の食後の、アベルからの誘いに対しての返事と同じ言葉だった――
◆
「僕が君を好きだってだけじゃ不満かな?」
「ああ、不満だね。大いに不満だ。あんただって探索者の端くれだろ」
そう言って返すルカンに、微笑むアベル。言っていること、ルカンにとってみれば屈辱的なこと。実力がまるで合わない。
ルカン自身は、自分に対して弱いなんて思いたくはない。しかし、アベルが自分より数段強いことは明白だった。
一緒に遺跡に潜っても足手まといにしかならないのだ。
「別に強さが全てという訳じゃないさ」
「オレは剣士だ。剣が無くてもな。それともあんたは……」
アベルを睨むルカン。
そうなのだ、別に戦闘力なんて無くても遺跡探索はいくらでも出来る。そういうものが必要でない類の遺跡だって無数にあるし、ただの学者が調査にくるなんてことは普通だ。
そういうときには護衛を雇う。この場合は探索者や傭兵と言った者達がそれにあたるだろう。つまり――
「オレに学者様になれってか?」
「別にそうは言わない。ただ僕のチームに入れば、そういう道も目指せる環境を整えてあげられるってことさ」
「で、対価に身体が目当てってか。見損なったぜアベル」
言い捨てて、席を立とうとするルカンの腕を掴むアベル。
感情に任せて振り払おうとするが、力の差があり過ぎるせいかビクともしない。男と女の筋力差に舌打ちするルカン。
「勘違いしないでくれ。僕はそんなこと望んでいない。もちろん、君の気持ちがあるならば吝かではないけど、無理やりは好きじゃない」
笑うアベル。白い歯が輝いているのは同じだが、ルカンにはどうして恐怖心を抱かせるような笑顔であった。
背筋が凍る。
ルカンはここに来て、安易にこの男に近付くべきでは無かったのではないかと思い始めていた。
半年前の記憶。まだ薄れるには近すぎるそんな過去、ルカンはこの男に追い回されていたのだ。
「わ、分かった。痛いから……離せよ」
身体の震えを誤魔化すように強気に言う。
アベルは腰掛けるルカンを確認して、その見た目以上に力強い掌を離した。
「そうだ。君には伝えておかなきゃいけないことがあったんだ」
「……なんだよ」
「あの、シフォンとかいう獣人の娘だけど」
「なッ! てめえ、シフォンにまで手出す気かッ!!」
アベルの口から出た名前に、ルカンは思わず怒鳴り返す。
盲点だった。アベルがシフォンに興味を示した様子はいまのところなかった。
「いや、確かに可愛らしい娘だとは思うけど、僕ってそんなに節操なしに見えてるのかな……ははは」
逆に落ち込み始めるアベルの姿に、ルカンは激昂しかけた気勢を削がれる。
いや、確かにそうなのだ。アベルは女性人気がかなり高いが、彼がアプローチを積極的にかけている相手は、後にも先にも一人しかいない。
「え、あ、いや……なんか悪い」
思わず謝ってしまうルカンに、手を振って気にしていないとアピールするアベル。その顔はとても気にしていないとは言えない苦笑に彩られていたが、そう返される以上、ルカンも気にしないことにした。
そんな雰囲気に、先ほどまでの怯えが和らいだルカンは自分から話を戻すことにした。ちょっとしたことだが、話の主導権を握るのには有効な手である。もちろん、ルカンにその算段があればの話だが。
「で、シフォンがどうしたんだよ。あれはただの我儘獣人だぜ。魔力は高いらしいけどさ」
「そう、彼女の保有魔力は非常に高い」
ルカンの言葉に頷くアベルは続けて説明する。
「彼女の魔力は獣人の正規精霊巫女の中でも上位だ。見習いと考えたら破格の数値。年齢からしてもまだまだ底が見えない」
ルカンはシフォンへの賛辞に聞こえるその言葉に、少しムッとする。
確かに従者が優秀なのは喜ばしいことだが、それでも剣も買えない剣士という自身の現状から比べられているようで、おもしろくないのは仕方がないことだった。
「ああ、はいはい。凄い凄い。で、何だよ。それがどうしたの? 本当はシフォンが欲しいだけってか。オレはおまけですか」
そう拗ねてしまうのも無理はない。
これまでの言動。そしてスカウトの真意。ルカンの身体と、シフォンの可能性。どちらが本命かは嫌でも分かる。しかし、
「いや、違う。彼女はダメだ」
アベルはそう否定した。
「どういうことだよ」
「彼女は信じられない」
思わぬ言葉に、ルカンの眉根に皺が寄る。
ルカンの知るシフォンという少女。それは、食い意地が張っていて魔法の制御が下手くそで聞き分けが良くない口が達者な女の子である。
確かに、信頼がどうとか考えたことも無かったが、だからと言って頭ごなしに悪者のような言い方は好きではなかった。
「はあ? 確かにアイツは我儘だけど、別に悪いヤツじゃ……」
「ブラックリスト」
「ん?」
余り良い響きとは言えないその単語に、ルカンはまた眉根を顰める。そんな彼女の反応を見て、アベルは話を再開する。
「君はまだ知らないかもしれないけど、獣人協会にはブラックリストが存在する」
「いや、確か獣人に対して不等な扱いをした人間を乗せるリストだろ。最初に説明されて聞いてるぜ」
「うん、そうだね。それもある」
頷くアベル。そして続きを語り出す。
それはルカンには聞かされていなかった真実。
「本来なら主従関係上、人間側が問題を起こす場合が多い。でもね、獣人側のブラックリストも存在するんだ。悪いものでは主人の殺害、暴行、恐喝、窃盗……。まあ、罪状はどちら側でもそうは変わらない。そんなことをしでかした従者を乗せるブラックリスト。それが獣人のブラックリストさ。そして――」
「……まさか」
唾を飲み込むルカン。信じたくない。考えたくもない。しかし、アベルはそんなルカンの気持ちを汲むこともせず、続きを語る。
「もう気付いていると思うけど、彼女――シフォンの名前もそこに載っている」
シンと静まり返るテーブル。周囲の喧騒は未だ騒がしいが、ルカンの耳にはもう届いてはいなかった。
そうしていくらか時が流れただろうか。長い時間に感じられたが、実際は数秒も無かったかもしれない。そんな沈黙を破るように、ルカンは小さく口を開いた。
「嘘だ」
「いや、本当だ」
「嘘だ」
信じられるわけが無かった。シフォンという少女と半年もの間一緒に寝起きを共にしてきたのだ。
確かに、腹の立つことは多かったし、心無い言葉に怒ったことも一度や二度ではない。でも――
「あいつはそんなことする奴じゃない」
言って俯くルカン。そんな彼女を見つめるアベルは、ややあってから口を開く。
「……そうだね」
ルカンの頑なな態度に折れたのか、アベルはそれ以上言うことなくため息をつく。その顔は安堵の色か。何にしても、落胆したそれではなかった。
そんな顔をするアベルに、今度はルカンの顔が疑問に包まれる。こいつは先程までシフォンの危険性を自分に訴えてきていたのではなかったのかと。
「いや、ブラックリストとは言ってもね。そんな人殺しとか重罪を犯していたら、リストに乗る前に捕まってるから」
「な!? カマかけたのかよ!」
「ははは、まあ……そうなるのかな?」
思わず拳を握りしめるルカン。そうだ。コイツはこんなヤツなのだ。真面目な顔をしているときほど油断してはならない。
「もう、帰る!」
言って立ち上がるルカン。今度はその手を掴もうとせず、しかしアベルは忠告ともいえる言葉でもって、怒る彼女を見送った。
「でもねルカン。彼女がブラックリストに載っていることは本当だ。理由は主人を一日二日で見限り続けたこと。その数は実に4回連続。それから一年、ブラックリストに載った彼女は主人が見つからなかった。そんな彼女が半年も君と契約を続けている……何でだろうね」
その言葉を背に、店を出て行ったルカン。
そして、話は現在に戻る。
夕暮れ間近のラパン。
広場に座って物思いに耽っていたルカンは、そこで気付いた。
「あ、やべ。バイト……」
昼は無し。夕方から入る予定である。今からギルドまで走っていけば十分に間に合う時間だ。
「現実は厳しいってか……はあ。どっかに剣落ちてないかな」
アベルの話を受けるにしても、どっちにしろ剣は必要だ。
受けた場合はアベルの御下がりでも貰えるかもしれないが、それを気にせず受け取れるルカンではない。
貰うにしても何かしら、自分で納得できる理由が欲しいのだ。めんどくさいと言う事なかれ。それが男ってものである。
「ちょいとそこの姉ちゃん」
不意に聞こえた声。どこの訛りか知らないが、聞きなれないイントネーション。
それを隠すこともなく発している相手の姿をそれとなしに探してみるが、見当たらない。
ルカンが首を傾げていると、声は慣れたように呼びかける。
「下や下」
言われ、下を向くルカン。そこには一人の子供の、明け透け無いとも見える笑顔が広がっていた。
「……なんだガキか」
「なんや、姉ちゃん子供嫌いかいな」
「好きに見えるか」
「嫌いではなさそうや」
「…………」
ルカンはシフォンのことを思い出していた。ルカンにとって子供と言えば彼女である。山に居た頃も、彼女より年下の者はいなかった。
なので、一番年下で繋がりが深い者と言えば、同じ年のシフォンになる。それに彼女はルカンの中で子供のように我儘な娘である。
「嫌いだよ。大っ嫌いだ」
「こら重傷やな」
言われ、ムッとするルカン。ガキに何が分かるのか。
そう思ってもう一度その子供の顔を見ると、どこかで見たような感じがした。
「あれ、お前……」
「ようやっと思い出してくれたようやな。そうや、昼間姉ちゃんらに商売の邪魔された可哀想な行商人や」
そう。ルカンとシフォンが騒ぎだしたお蔭で、お客の関心を奪われた子供商人。この子は確かにあの時の少年だった。
見たところ10代前半程度に見える年頃。これで行商をしているのなら、どういう人生を歩んできたのだろうか。最近になって世間というものを知ったルカンはつい考えてしまう。
「あ、いや……悪い」
そのため素直に謝れた。どう考えても自分が悪かったし、加えて相手は自分より年下の少年にしか見えない。
ここで暴言を吐くほど、ルカンも傍若無人ではなかった。
「まあ、それはええんやけどな。商売の常っちゅうやつや。気にせんといて」
「そ、そうか。いや、本当にごめんな」
言って、おそるおそる子供の頭を撫でるルカン。
どう接していいか分からないため、子供なら頭を撫でると喜ぶんじゃないかという安易な動きだったが、少年はそれでも気持ちよさそうに相好を崩していた。
「なはは、くすぐったいて。えーと、それでやな姉ちゃん」
「あー悪い。ちょっと用事が……」
バイトのことを思い出したルカンは急いでこの場を去ろうとするが、少年がその機先を制するように声をかける。
「姉ちゃん、剣が欲しいんやろ」
言われ、ルカンは思い出す。そう言えばこの少年は剣を売っていた。しかし、こんな子供からはアベル以上に貰う謂れはない。それこそプライドが許さない。
「そりゃ欲しいけど。オレはこう見えても探索者だぜ。剣如きどうとでもなる」
「へえ。流石は『暁のクリムゾン・レッド』に誘われるだけある姉ちゃんや!」
「あ? なんで……」
子供が知るはずのないその情報に、思わず素に戻るルカン。しかし、少年はルカンの威圧的な視線にも怯まずに言葉を続ける。
「いや、ワイもあのお店でお昼食べてたんや。偶然聞いてもてな」
「……なるほど」
確かに、そこまで大声でも無かったが、周りを意識して喋っていたわけでもない。なら漏れ聞こえていても不思議では無かった。
「そんでな。そんな凄腕の姉ちゃんにちょっと話があってやな」
凄腕。その単語に感じ入るルカン。他人に言われたことはないし、探索者の同輩からそんなことを言われれば反発もするだろうが、こんな子供に言われたなら少し嬉しかった。
子供というものは素直なものだ。彼女のなかではそういう認識があった。
「うんうん。話が分かる子供じゃないか……で、話って?」
調子に乗るルカン。別に子供の頼みのひとつやふたつで目くじら立てることもない。ましてや自分に肯定的な子供ならなおさらである。
生意気な子供ほど可愛いとも言うが、それはそれこれはこれ。子供のやることなら多少の我儘許してしまうのは年上の性というものであろう。
「姉ちゃん探索者やろ。ワイの依頼受けてくれんやろか」
「は?」
それは思わぬ言葉。というよりも、想像すらしていなかった。子供から探索依頼である。
これはどうとったらいいのか。ルカンは少し落ち込んだ。
よくあるのだ。ギルドに来る子供。「お母ちゃんの病気を治すアーティファクトを探してよ!」そう言って、小銭を数枚出すのだ。
アーティファクトの相場、物によるし、ピンキリでもあるが、病気を治すようなアーティファクトだ。その値段が小銭できくわけがない。
結果、泣きわめく子供はギルドから連れ出される。後に残るのは子供の泣き声と、いたたまれなくなった探索者たちの悲痛な顔。子供は残酷である。
ルカンは顔が引きつるのが分かる。そう、このパターンだ。前に一度あった。
世間知らずだったルカンは、ギルドの連中に物申したのだ。何で助けてやらないんだ。そう言って詰め寄って、喧嘩になった。ものの数分で取り押さえられたルカンは、床に顔をこすり付けられながら、自分が行くと声を上げた。
結果、どこにあるのかも分からなかった。遺跡に目当ての遺産が確実にある訳ではない。そうこうしている間に、子供の親は亡くなった。ルカンは子供になじられると思っていた。大言壮語吐きながら、何もしてやれなかったのだ。
でも、その子供は違った。ルカンに礼を言ったのだ。まるで子供らしくない顔で。「ありがとう」とそう言われた。あの時の気持ちは忘れられない。自分の無力さを痛感させられた。
それからだ。ギルドでルカンが受け入れられたのは。誰だって、母を思う子供を追い出したりなどしたくない。それが出来ないと知っているから、彼らは動かなかった。
だけど、それでも動けるやつが彼らは誰より好きだった。ルカンのような世間知らずなガキが、まだいることが嬉しかったのだ。
――だが、彼女にとってはトラウマ以外の何物でもなかった。
「あ、いや……それはちょっと、あ、バイトだ! オレ、これから仕事なんだよ悪いな」
言って立ち去ろうとするルカンに、しかし少年は先に声をかける。
「報酬は……剣なんてどうやろ」
「なに?」
思わず立ち止まってしまうルカン。
剣。それは彼女が今一番求めているもの。そのために毎日薄給のバイトに励んでいるのだ。
「昼間にワイが売っとった剣や。業物やで」
言って剣を取り出す少年。魔法の袋、割と出回っているアーティファクトだが、それだけでも少年がそれなりの資金を持っていることが分かる。
そして取り出した剣。剣の良し悪しを大雑把にしか分からないルカンだが、それでも平均以上の剣に見えるそれ。
欲しい。だが、それでも彼女は躊躇する。子供の依頼は報酬と仕事が釣り合わないのが相場だ。もちろん悪い方にであるが、今回はまた話が違った。
「そういや、商人だったな」
商人。それはルカンの中で最悪の存在である。
身ぐるみ剥がされた経験があるのだから仕方ない。彼女の中で商人は悪徳で意地汚く、どうしようもない変態である。
「なんや、姉ちゃん商人嫌いかいな」
しかし、そんなルカンの態度にも少年は気にした風もなく笑う。
そう、商人が好かれていることなど稀だ。ましてや行商人など一部の村落は必要としてくれるが、都会では鼻つまみ者。店持ちから圧力を受けることなど日常茶飯事である。
「いや……そうか、子供だしな」
子供に変態的行為を迫られることはないだろうと警戒を解くルカン。
彼女にとって身ぐるみを剥がされたことより、女扱いを受けてエロいことをされそうになったことの方が商人嫌いの理由としては大きい。なので女商人の店を愛用しているのだが、そちらの方が怪しい雰囲気なのはまた別の話。
「だいたい分かったわ。まあ、そういうんやないで。依頼は遺跡探索や、正確には護衛やな」
「護衛か……でも今は武器が」
「それは聞いとる。せやから、剣は貸して依頼達成したらそのまま譲渡するいう契約でどないや?」
言われ、考える。剣があるなら護衛そのものはどうとでもなりそうだ。それに商人が入ろうとするような遺跡である。危険性は低いと見ていいだろう。
「あ、ちなみに姉ちゃんの年齢聞いてもええか?」
「なんだよ。若いとダメなのか。お前より年上だぜ」
「いやいや、そうやないて。確認ちゅうだけや」
「……16だよ」
「ほう、見た目より若い」
「んだよ、文句あるのか」
思わず声を荒げてしまうルカン。しかし少年は気にした風もなく宥めるように言葉を返す。
「ないない。むしろ有難いくらいや。大人は怖いっちゅうからな」
「それは……まあ、分からないでもないか」
大人は怖い。それは子供がみんな思っていること。自分が分からないことを知っているようで、何でもお見通しと言わんばかりの態度が、気に入らないのだ。
「でも、オレはお前より大人なんだからな」
「分かっとる分かっとる」
「すげームカつく」
子供にまでバカにされた気分である。
「ほなら明日の開門時間、門前に来てくれまっか。あ、これ前金な」
言って、小袋を投げ渡してくる少年。
それを反射的に受け取ってしまったルカンは、慌てて声をかけようとするが、少年の姿はすでに小さくなっていた。
「まだ受けるって言ってねーのに……」
呟くがもう遅い。断るにしろどっちにしろ、明日の朝は門前に行かなければならなくなってしまった。
「はあ。って、そうだバイト……」
暗くなり始めたラパンの街並。すでに走っても間に合わない。
今日の夕飯はまたユカン豆になりそうだなと肩を落としながら、ルカンは全力で走り出した。